『シスター・チャンドラとシャクティ―の踊り手たち』

いらっしゃいます。



(お昼ご飯やおすすめデザート等)
2500円
大網白里市内の古民家

rie kuriのMessengerまで(rie64618@gmail.com)



松居和チャンネル、第57回は、前回の「作曲家モーリス・ジャールとD-day」の続きです。
副題は、「時に、ひたむきな忠誠心が、諸刃の剣となる」
私に、何かを伝えてくる、不思議な人たち(チャネラー)がいる。作曲家、モーリス・ジャールもその一人で、50年間の付き合いでした。
あの日、ハリウッドのスタジオで、モーリスに導かれ、音楽家たちが従った「D-day」に対する一分間の「黙祷」。その中を覗き込めば、永遠に枝分かれしていく、無数の「深み」があったはず。怒りや悲しみが、いまでも、そこでじっと待っているに違いない。その「祈り方」の多様さを、私は、すでに知っていた。
ストリングスセクションには、ドイツ系とユダヤ系が必ずいる。多様だからこそ、祈りは、祈り。人間が、それぞれに自分の人間らしさを確かめる、大切な時なのです。逝ってしまった世代と抱きしめ合い、流れを見つめ、「理解しよう」とすればいい。その暗黙の教えが、余韻となって、音楽家たちの心は鎮まっていった。
マンザナの日系人強制収容所の中にも、Dデイの海岸線はあった。
「日本が、パールハーバーを攻撃しなければ、収容所に入れられることもなかったのよ」……、とスージー・ヤマモトは言った。鉄条網に囲まれた若者たちには、イタリア戦線に志願するしか、そこから出る道がなかった。それは、死を覚悟した、誇り高い若者だけに与えられた特権で、もし誰かが、そのことを知っていて仕掛けたのだとしたら、実に巧妙で、残酷な罠だった。
罪を犯したわけでもない。しかし、死を求める若者は現れる。忠誠心が、分断され、諸刃の剣となる。
あの時の楽隊(バンド)の空中分解の有様が、この国の将来を描き出す。しばらくの間でもいい、互いに心を合わせようとして、しばし、それが生きがいになる……。しかし、やはり解消していく。
その時、こんな風に、大らかな笑顔は残るのだろうか……。
松居和チャンネル、第56回は、「作曲家モーリス・ジャールとD-day」という不思議なタイトル。
副題が「ある日のスタジオで、交錯する、人種、祈り」
私は、尺八奏者で、ハリウッドの映画音楽で五十本ぐらい演奏し、いまだに出ているアルバムもあります。アメリカという、人種のるつぼ、多様性の国で、人間が、必死に心を合わせようとする。そこで、「音楽」という手法で、絆を作ってきました。面白かった。
最初に、私を、映画音楽に使ったのは、モーリス・ジャールというフランスの作曲家。「ドクトルジバゴ」「アラビアのロレンス」「インドへの道」など、素晴らしいサウンドトラックを書いている人が、「ショウグン」というテレビシリーズで私を使ったのです。45年前です。
ガムランについて、話した(第42回 「ガムラン音楽。様々な秘密や謎が見えてくる」)あの大学のガムランの練習室に、モーリスが、尺八奏者を探しにきて、私のハリウッド人生が始まりました。人種や宗教、ルーツが入り組んだ、「アメリカ体験」が、そこから一気に広がっていったのです。
観光や、留学、ビジネスでは知り得ない、この国の、深い現実が見えてきた。そのことを、書いた文章があります。
ある日のセッションでこんな出来事が起こった。
「モーリスは、しばらく考えていた。
ややあって、自ら静まったオーケストラを見回すと、フランス訛りの英語で話し始めた。
『今日は、Dデイ(D-day)です』
思いがけない言葉だった。音楽家たちの気配が集中する。
『三十七年前の今日、私はドイツ軍から逃れ、地下に潜んでいました。十九歳でした。占領下、フランスでは十四歳以上の男子は、見つかれば強制労働に連行されたのです』
指揮者はそう言って、演奏家たちを見渡した。
『隠れ家に仲間といて、ラジオに耳をそばだたせて、連合軍のノルマンディー上陸を知ったときは、嬉しかった……』
噛みしめるように、そう言って、作曲家は演奏家たちに要望を一つした。」
(どんな要望だったかは、ぜひ、チャンネルを見て下さい。)
人生には、不思議な次元が交錯し、それぞれの役割が浮き彫りになることがある。
歴史を超え、国境を越え、パズルが組まれるかのように、その時は、突然やってくる。
「生きている」、「生かされている」という実感が湧き上がる。
ロサンゼルスの、一流のオーケストラの中には、ドイツからの移民や、ユダヤ人がいる。マンザナの日系人強制収容所を体験したチェリストがいる。そういう街です。
Dデイに、海岸線に引かれた「一線」が、まだ存在している。
ガムランの回に、「自分の中で『社会』の定義が変化した」と言った学生のことを書きました。
楽器群がインドネシアから運ばれ、地下室にあることを想像しなかった学生が、偶然、この「手法」と現象(phenomenon)に加わり、知らなかった自分を体験する。それを使いこなせるような気がする。
授業で、闘う手段を教わり、密かに自信を持ち始めていた彼らの意欲が、ガムランの「流れ」の中で、鎮まっていく。
この「道筋と手法」を知れば、孤独とは無縁の人生が開ける。人類は、その手法を、すでに与えられている。(この辺り、乳幼児を育てることと、似ています。)
モーリスとの話の冒頭に、マリブの小波に浮いているサーファーたちの姿が出てきます。
まるで、氷河期を生き残った、小さな哺乳類たちのように、この人たちの「目的」が、人類の生存に関わっている気がする。
それは、「砂場で遊んでいる園児たちのように」、私たちの未来を救おうとしている。
以前、若手園長から聞いた、いい話。
「卒園すると、親は本当によく保育園に感謝します」と、嬉しそう。
学校に入ると、保育園のありがたさが身に染みてわかる、どれほど親身にやってもらったかが見えてくる。
なるほど、という指摘です。学校と保育園は、その趣旨が違う。教育と子育てでは、歴史と深さ、次元が違う。もちろん「子育て」が優先で、絶対です。
園長先生、園児が卒園して一ヶ月後に親たちの謝恩会をする。
保育園の価値に気づき、懐かしく思い始めている。感謝したくなっている。新たな悩みを抱えている親もいるでしょう。子どもたちも環境に馴染んでいない。みんながオロオロ、ウロウロ、人間が自分を見つめ一番成長する季節です。
保育園や幼稚園の価値は、一緒に育てているという「感覚」が育つことにあります。
幼い命を一緒に育ててきた実感、小さかった「あの頃」の思い出を共有しているという連帯感が園での生活の実りであり成果なのです。それこそが「社会」と呼ばれる連帯感なのですが、学校に入って仕組み上突然途切れたようになる。
子どもを一緒に育ててくれた人たちに再会し、「あの頃」を懐かしく思えば、一生の相談相手がそこに居ることに気づく。帰ってくるところがある、と安心する。そこに集まったお互いの存在が特別なものだと気づけば、それだけで「悩み」はずいぶん解消するのです。
お互いの子どもの小さい頃を知っている、この関係が人間社会の原点にあった。
人類は、身近な、そういう関係に支えられてきた。オロオロしながら一生懸命やって、一緒に祈ってくれる人が数人いれば、それでいい。
一ヶ月後の謝恩会が、保育園や幼稚園を永遠にしてくれる。
こんな行事が、少しずつDVや児童虐待に歯止めをかけ、学級崩壊やいじめを減らすのです。いま、地道に耕し直さねば、荒れてしまった地面は砂漠化してしまいます。
「謝恩会」という命名はわかりやすい。法律や規則ではなく、子育てから生まれる「感謝」が社会を住みやすくする。
子どもが世話になったら、感謝する。
歌や踊りを教えてもらったら、それを見て、夫婦で感謝する。
本当は、足し算や掛け算を教えてもらっても、感謝する。
楽しい時間を過ごせたら、心の底から、みんなで何かに向かって感謝する。
卒園一ヶ月後の謝恩会、大したことではない。法律で決めてしまえばいい。いえいえ、法律で決めるより、園長先生が決めてしまうのがずっといい。親たちに気持ちが伝わる。この人(園長先生)は、子どもたちの幸せを願っている、卒園した後も願っている……。
その記憶、そして一ヶ月後の謝恩会を思いついた園長先生の「動機」が社会を耕し直し、その願いが、荒れている社会を鎮める。
さすが、日本!
チャンネルの第55回では、こんな記事を取り上げました。
(AERA 2024年11月25日号より)
「仕事一筋、“昭和の男”が「孫休暇」取得なぜ? 子どもの世話、妻に任せきりだった後悔」
~企業や自治体で仕事と家庭の両立支援が進むなか、孫のために休暇を取れる制度が広がっている。具体的にどのようなものなのか。「孫休暇」を設ける九州電力を取材した。~
(ここから私)
子どもの人生に、まだ、祖父母が存在している国なのです。
こういう努力が広がる気配が、いま、ある。
日本の底力です。
経済競争に気を取られ、「情報」で考え、自分のいい人間性に気付かず過ごしてきた男たちの、後悔と反省は、孫たちによって、突然、花開き、輝く。
「子どもを可愛がることに、幸せを感じる」遺伝子が、慌てて、オンになる。
頼り切り、信じ切り、幸せそう。
その境地が、孫と、ピッタリ重なっていく。
この人たちが、弱者に寄り添い、調和のシンボルになり、小波のように、社会に「鎮まる力」を広げていく。その風景が、この国に満ちてほしい。
60を越えてからでも、いい人間になろうとすれば、いいのです。
そこで気づけば、遺伝子がオンになってくれたら、「遅い」とか「早い」とか、そういうことじゃない。
一生のうちに、どこかで「開眼」する。置き去りにしてきた「時間」が、確実に戻ってくる。
自分が、自分になれるチャンスが巡ってきた。そう思えばいい。
後悔し、反省する「男たち」は、幼児たちとは、相性がいい。いつまで経っても、中身は子どもなのだから、お互いに、求め合う。
孫の顔を見ると、どれほど自分が、馬鹿げた失敗をしたかが、わかる。(人もいる。😀)特に、男の子は、気の合うお爺ちゃんがいると、良く育つ。
人間は、いつか、いい人になればいい。
追伸:
雇用主が、社員の家庭の安心を手助けし、「逝きし世の面影」にあった、今では失われた「村社会」の絆を、復活する方向に動いてくれたら、まだこの国には、改善できる余地が、大いにある。
保育園や幼稚園で「祖父母の保育士体験」をやり、会社が、職場での人間関係を「優しさが育つ環境」へと、改革してほしい。それができる国であることに、まず感謝しなければ、と思います。
松居和チャンネル、第55回は、西伊豆からの報告、そして、九州電力の「孫休暇」、とても嬉しい報告です。
国の、あり方が揺らいでいます。どこへ行っても小学生の不登校児が一割、引きこもりや、児童虐待も増えています。経済が良くなるわけがない。
その原点に、保育士たちが「子どもが可哀想」と違和感を感じる、「国による母子分離」政策がある。
園児たちの将来を心配する保育士たちには、「自分たちは、五歳までしか見れないのに」という思いが常にある。どんなに「いい保育」をしても、小学校で、変な担任に当たったり、意地悪な同級生に出会ったり……。その確率が高まっている。
子どもたちが育っていく「環境」は、他の子どもたち、そして親たちがどういう人か、ということ。国が、これほど母子分離を奨励してしまうと、義務教育がある限り、一生懸命可愛がった子どもたちの将来は、担任と同級生の当たり外れ、という、不安に満ちたものになってしまう。
だからこそ、入学前に、親子の絆をつくってほしい。子育てを喜びと感じるようになってもらわなければ……。そう思う保育士たちが、いる。
11時間を「標準」と決めた、国の、馬鹿げた保育施策が、更なる少子化を生んでいる。男たちの生涯未婚率も、三割になろうとしている。国の愚策が、社会から、生きる力を奪っている。
打開するとしたら、就学前、保育の段階から、親と保育者と子どもたち、三者の間の信頼関係を築いていくしかないのです。それを学校教育へ繋げていく。それなのに、国は、まだ、誰でも通園制度などと、母子分離にこだわっている。保育士がいないのに。
それが、親たちの「権利」だという保育学者さえいる。こんなものは、権利でもなんでもない。子どもたちの「権利」を後回しにした、大人たちの「利権(りけん)争い。
そんな中、不登校にした方がいい場合が、増えている。
チャンネル冒頭の園長先生からのメール。
「松居先生!!
11月から、保護者の1日保育体験始まりました。
なんと保護者全員が保育体験を順番にやります。」
まだ、可能なのです。この国には、親たちに「保育者体験」を薦めよう、子どもたちのために、自分たちが「役割」を受け入れよう、と奮い立つ保育者たちがいる。だから私は、保育者たちに、お願いして歩くのです。親を育てて下さい。それには、楽しそうな子どもたちの「集団」に出会わせるのが一番いい。子どもが、生まれた時に、実の父親が、ほとんどの家庭にいる先進国は、皆無と言っていい。
決意した保育者たちに、父親を育ててもらえる機会が、この国には、まだ存在している。
「女性の社会進出」で、一番怖いのは、男たちの「父性」が弱まって、無責任になること。シングルマザーは、やはり辛い。チャンネル第49回、「実は、父親もウサギになりたがっている」を参照してください。
本当の父性は、父親であること、自分自身であることに「幸せ」を見つけること。自然の流れであって、難しくはない。
親子の将来を心配する、本気の保育士たち、保育に生き甲斐を感じる女性たちがいるうちに、手を打たなければ、と思います。「ママがいい!」という言葉に応えようとする母親たちの心が、真の「女性活躍」だと言われるように、なってほしい。
幼児たちとの「出会い」を増やしていきましょう。
松居和チャンネル第54回
(テーマ)谷川俊太郎さん、逝く。詩人や音楽家の役割
副題:助産師さんが、人生の道筋をつけていた。
この回の最後に、私にとっての三賢人の写真を載せました。
谷川さん、堀内誠一さん、安野光雅先生。(堀内紅子さん提供)
懐かしい、姿です。
谷川さんは、4冊目の本に推薦を書いてくれました。堀内さんは、二十歳の時、パリで、三か月居候させてくれました。安野先生は、私の小学校の工作の先生です。
保育や子育ての問題を、心の中で、密かに相談します。この人たちが、国の進路を考えていれば……、とつくづく思います。でも、この人たちは、学問には近寄らないし、競争には加わらない。
フレデリックのように。その機会をじっと待っている。
絵本という種を蒔き、期待をしながら、待っている。
私は、幼稚園、保育園にお願いします。この人たちが蒔いた種が花開くように、お水をお願いします。
心を一つに、可愛がる、寄り添う、家庭での「読み聞かせ」を、よろしくお願いいたします。
日本助産師会関東地区の研修会で、静岡で講演しました。常日頃から、命の誕生に関わっている人たち。元気で、根性があって、生き生きしている。
子育ての「始まり」のところにいる保育士や、助産師さんたちが、012歳を長時間母親から引き離すのは「可哀想」という意識、「母性」を取り戻す「意識改革」を主導してほしい。
そう思って、私も一生懸命話しました。
彼女たちの母性が、教育長や市長を説得した時、社会は、再び「子育て」でまとまるようになる。
人類が続いていくために、一番大切な「共通性」は、「誕生を祝う」、そして「可愛がる」です。
親子に、子どもが生まれる前から話しかけ、「流れ」をつくる人たちの存在は、尊くて、格別です。
親身な助産師さんに救われ、人生を導かれる一家がある。
「新しい、命を、待つ」、ことから教える。共に祝い、慈しむ「手順」を伝え、社会を整える。
この人たちがつけた道筋に、幼稚園や保育園に繋がって、親心の「ビオトープ」が回り始めてくれたら。
そんな思いで、講演しました。
「父親像、母親像」を語る前に、「012歳像」がなければいけない。そこが一番揺るがない。それが日本文化の中心なのだから、風景の中に、たくさん残っている。
「喋れない」から始まり、心が通じるようになり、「想像力」によって、自分を「理解しようとする力」が深まり、「生きる力」が、満ちてくる。
その、プロセスが、大事です。
松居和チャンネル第54は、「谷川俊太郎さん、逝く。詩人や音楽家の役割」について、です。
副題が「助産師さんが、人生の道筋をつけていた」。
詩人や、音楽家、踊り手を必要としてきた、人間の「感性」(人間性)という共通性が、子育ての分業によって、失われていった。
アメリカやイギリス、フランスといった、多様性を掲げた国々で、記録的にホームレスが増えているのです。いつの間にか、「ホーム」が、人間の家庭ではなく、住所(アドレス)になっている。心ではなく、仕組みに支配されるようになってきている。
貧富の差が、絶望的に広がっていきます。
三十年前すでに、未婚の母から生まれる確率が、4割、5割、6割になっていた国々が、加速する「分断」によって攻撃的になり、「行き場」を失っている。
012歳と過ごす時間が大切だった。その「共通性」が、欠けてくると、人間は、本気で助け合わなくなる。
世代を超えて、お互いに、響き合うべき人たちが、誰かが、尋常でない「富」や「権力」を得るために、意図的に引き離されている。
そして、最近「富」や「権力」を得た人たちが、人類をオモチャにし始めている。
全員が、012歳だったことがある。自分は絶対に一人では生きられなかった。その感覚が必要なのに、仕組みが誤魔化し、それを奪っていく。
キャリア、とか、平等と言いながら、母子分離によって「富」を生み出そうとする「流れ」に呑み込まれてはいけない。
「絵本」という世界に、クロスオーバーしてきたから、より一層「詩人」が生きるようになった。私は、その人たちから、大切な「次元」を教わった気がする。
種子は蒔かれている。共通する「感性」を取り戻すために、それを、これから、もっと使ってほしい。