父性の論理性より、母性の献身性
母子保健推進協議会で講演しました。乳幼児と母親の相談に乗ったり、援助するボランティアの人たちの集まりです。
先日講演した助産師さんの大会でも感じました。民生委員や保護司、ファミサポもそうですが、日本の子育てはこういう善意の人たちの「母性と献身」で守られてきた。父性の論理性より、母性の献身性で秩序を維持してきた。
それに気づかずに、感謝せずに、政治家や経済界が安易で短絡的な経済論、母子分離政策で、子どもが育っていく環境を壊すやり方に、男たちの愚かさを感じる。一縷の望みが絶たれていく、焦りを覚えるのです。
翌日、多久市子育て支援センター「でんでんむし」 で講演。
廃校を利用した大きな支援センターでした。
親子を引き離さない仕組みを増やしていけば、そのうち「学校を見限った親子たち」の居場所になるのかも知れません。親が育てればいいのです。😀
不登校児の増え方、愛着障害と思われる教員の増え方とコミュニケーション能力の欠如を考えると、子どもを大事にする親たちは、義務教育を見限る準備を始めた方がいい。
そのためには、子どもたちに信じてもらうことに、幸せを感じる、生き甲斐を感じることです。その姿勢を、入学までに作り上げる。原点に戻ることを考えた方がいい。
「連帯責任」で守りあう
松居和チャンネル、第47回は、
(テーマ)人類は、「連帯責任」で守りあう
副題:法律は十七ヶ条くらいで、あとは「常識」で鎮まるのがいい。
今回は、アメリカと日本の、「連帯責任」、責任の取り方の違いについて、ワシントン市長と、勝新太郎さんの事件を例に挙げ、面白い現象を説明します。
どちらも麻薬で逮捕され、ワシントン市長は捜査手法の違法性を訴え、開き直った。マスコミの批判で辞任しましたが、服役した後、選挙に出て当選した。
「民主主義」の怖いところは、正しいか、正しくないか、ではなく、利権争いで動くところ。
投票する過程で、倫理観ではないものが動いている。学校教育と民主主義が相容れなくなっている。それがアメリカ社会。そこに、日本人には想像もつかない「分断」がある。
一方、日本では、女優の奥さんが謝りまくった。この非論理的な連帯責任が、利権争いとは違った、「情緒的な次元で」動く。
私が、日本という国に、悪くなったとはいえ、希望を持てるのは、「夫婦」と同じように、「親子」という情緒的、本能的な概念に、倫理観の土台を求めることがまだ可能だからです。
法律は、本来、十七ヶ条くらいで、あとは、人々の情緒、「常識」で保たれるのがいい。それが人間社会の、本来の姿なのです。
子どもが一番に覚えるのは『諦める』こと」
以前、
「慣らし保育」における「ママがいい!」という子どものすすり泣きを「可哀想に」と思ってしまう元大学の教師に関して、投書と共に、私の意見を書きました。
保育を学問として捉えていた人が、現場で、子どものすすり泣きを聴いて、人として目覚める。嬉しい、投書でした。すると、Twitterの側から来た返信にこうありました。
「これが本当に現実です。保育園で、子どもが一番に覚えるのは『諦める』こと。なかなか諦めることができない子どもは、ずっとずっと泣き続ける。どうしても『可哀想』と思ってしまう。だから保育園を辞めました。」
人生の始まりに、「諦める」ことを覚えさせられる子どもたち。心ある保育者(人間)たちが、その風景に慣れることができず、辞めていく。
今、この国が進もうとしている道筋を象徴する出来事です。
西洋の学問と、東洋の祭り(哲学)が対峙しているように思える。まだ、チャンスはある。
午睡の時間にしのび泣く乳児クラスの男児に「頑張れ」と言うのは、人間性を逸脱している。「可哀想だ」と感じたら、それを口にし、周りを見渡す。人間社会は、そこから始まる。
「シスター・チャンドラとシャクティの踊り手たち」の上映会
12月14日に、私が制作、監督したドキュメンタリー映画、「シスター・チャンドラとシャクティの踊り手たち」の上映会が16時からヘルシーカフェのら、であります。(お問い合わせは、norakomine@yahoo.co.jp までどうぞ。)
アメリカのインディーズの映画祭で金賞をとった作品です。ぜひ、おいでください。千円、ワンドリンク付きです。私の解説、演奏もあります。私たちが学べる原風景が、そこにはあって、特に家族の関係は興味深いです。
この映像は、「踊り手たち」が来日した時、NHK国際放送で放映されたものです。
「不登校児童の少ない小学校」
松居和チャンネル第46回のテーマは、「人生の道筋がすっきりと見えてくる」瞬間。
副題が、「不登校児童の少ない小学校」です。
講演に行った、ある小学校、不登校児童が少ないのです。津々浦々講演に行きますが、どこでも一割が不登校。学校に対する強烈な不信感が全国に広まっていて、石垣島でもそうでした。政府が母子分離をすれば、こうなるのです。
その向こうに、「行きたくない子どもたち」が、二、三割居て、我慢している。その我慢が、一番怖い。精神的な後遺症になったりする。小学校時代のPTSDは、高校生になって爆発したりする。
その小学校は生徒が二百五十人でしたから、二十五人不登校でもおかしくないのですが、九人です。
すでに話題にもなっていて、訪れる人もいる、と校長先生が言っておられました。
その小学校は、特別支援学校と同じ敷地内にあって、小学生が、そこの中学生と交流している、それがいいのではないか、と女性の校長先生が言うのです。
その小学校へ、卒園児たちが行く幼稚園の園長先生、保育園の園長先生、そして校長先生と私。四人で夕食をしながら話し合ったのです。特別支援学校と小学校が交流する意味について。こんな組み合わせがいい。卒園児たちのことを、いつも心配している園長先生たちも、しきりに頷く。
講演会前後の懇親会は情報を交換し合う、お互いにとっての学びの場で、私も楽しみにしています。その晩も、垣根を越えて、会話が弾みました。
先生が、一対一とか、一対二で、いわゆる「グレーゾーン」の子どもに授業をする特別支援学級とは違い、特別支援学校は、もっと重度の、肢体不自由児とか、知的の問題とか、中学生であっても、先生にすれば二歳児三歳児を教えているような、一人一人みんな違うので、一律には言いにくいのですが、例えば、今日教えたことを、明日は覚えていない、ような子どもたち、身動きが取れない子どもたちがいたりする。
その子たちと交流をしていると、不登校児童が減る。小学生に「生きる意欲」が生まれてくる。私が、「幼児との交流」が人間には必要、と言っている趣旨と同じなのです。
012歳児が、人間性の土台を育てる、「生きる力」に関わるような「働き」が、一人では生きていけない中学生たちにあるのではないか。
そこで人間は、「常識」を手に入れるのだと思うのです。
優しさの伝承
前回、子どもの貧困などあり得ない、「大人たちの心の貧困」が問題なのです、と書きました。
大人たちの心の貧困を招いたのは、(待機児童が2万人にも拘らず)、あと40万人乳幼児を保育園で預かれば、女性が輝く、ヒラリー・クリントンがエールを送ってくれました、と首相が国会で言った、男たちの浅はかな経済論です。
母親から子どもたちへの「優しさの伝承」を断ち切り、親心を耕す乳幼児の天命を消していった。
それをして、経済が良くなっても、並行して、不登校児童や児童虐待が増えては、この国のためにはならない。義務教育を崩壊寸前にしておいて、株価とか、グローバル経済などにうつつを抜かしている、マネーゲームに取り憑かれた男たちが、保守だとか、愛国心と言ったって、まるで信用できない。
11時間保育を「標準」と名づけた時点で、化けの皮は剥がれている。本当に国を愛するなら、政府の母子分離政策と徹底的に闘ってほしい。
保育界が一つになって幼児たちの願いに耳を傾け、「子ども優先」の引き金を引けば自浄作用は必ず働く。幼児たちの力を信じるしかない。そこに賭けるしかないと私は思っています。
Kazu Matsui
Kazu Matsui
Born in Tokyo in 1954, Kazu Matsui entered the Philosophy Department of Keio University before transferring to and graduating from the Department of Ethnic Arts at the University of California, Los Angeles (UCLA).
As a shakuhachi (Japanese bamboo flute) performer, he contributed to numerous American films, including George Lucas’s Willow and Steven Spielberg’s Empire of the Sun. Over the years, he has established himself as a music producer and performer, producing a wide range of CDs.
In 1988, he created a video report, America Now, addressing the crisis in the U.S. educational system and the breakdown of family structures. From 1990 to 1998, he served as a lecturer at Toyo Eiwa Junior College, teaching in the Department of Early Childhood Education. During this time, he delivered lectures on topics such as “Family Breakdown in Developed Societies” and “The Role of Educators” to childcare and education professionals as well as parents, warning of Japan’s trajectory following Western trends.
Between 2006 and 2010, he served as a board member for the Saitama Prefectural Board of Education, assuming the role of Chairperson from 2009 to 2010.
In 2008, the documentary film Sakthi Dancers and Sister Chandra, which he produced and directed, won the Gold Remi Award in the Feature Documentary category at the 41st WorldFest-Houston International Film Festival.
In 2023, his seventh book, Mama ga Ii! (Mom is the Best!), ranked number one in its genre on Amazon Japan.
In 2024, it also topped Amazon Japan’s Popular Gift Ranking.
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1984 | 1983 | 1982 | 1981 |
日本の子育ての現場は母性と献身で守られている
佐賀県の、母子保健推進協議会で講演しました。乳幼児と母親の相談に乗ったり援助するボランティアの人たちです。
民生委員や保護司、ファミサポもそうですが、日本の子育ての現場はこういう善意の人たちの母性と献身で守られている。(翌日、多久市子育て支援センター「でんでんむし」 で講演しました。)
だからこそ、政治家や経済界が、安易で短絡的な経済論、母子分離政策で、子どもが育っていく環境を壊すやり方に腹が立つのです。
先月講演した助産師さんの大会でも感じました。この国の「母性」に感謝し、この人たちを大切にしないと、学校は、もう崩壊寸前に来ている。不登校がどこへ行っても一割です。その向こうに、殺伐とした教室で、苦しむ子どもと、その親が、泣きながら義務教育を見限ろうとしているのが見える。その原因が、政府の進めた「愛着障害」の急速な広がりなのです。変な先生が、生徒をいじめる。いい先生たちが、心を病んで辞めていく。
株価や、得体の知れない「グローバル経済」に怯え振り回される経済学者やマスコミは、もっと真剣に、教師不足の危機、質の低下を考えるべきだったのです。完全に手遅れ、後手にまわってしまった。
近頃、子どもの貧困、と言われますが、「大人たちの心の貧困」が問題なのです。そして、大人たちの優しさや忍耐力、良い人間性を育ててきたのは、赤ん坊や幼児たちだったのです。その人たちの役割を奪ってはいけない。11時間保育を標準と名づけた国は、まず、それを取り下げなければいけない。
教師の成り手がいない。政府の母子分離政策が根底にある。
首相が国会で、あと40万人保育園で預かれば、女性が輝く、と言い、「保育園落ちた、日本死ね」という言葉が重なり、与党も野党も母子分離を「正論」化していった。
このチャンネルの第9回で紹介した「ちくちく言葉」は、その頃、すでに、多くの保育園で子どもたちを苦しめていた。それは、実習生に聴けばわかった。その風景が、大学の保育科や専門学校の定員割れにつながり、心ある保育士たちの退職が始まっていた。
「保育は成長産業」という閣議決定、その悪質な「罠」を維持するために、「してはならない規制緩和」を国は繰り返した。11時間保育を「標準」としたことも、「短時間勤務保育士活躍促進」と馬鹿げた名をつけて、幼児期の愛着関係を細切れにしていったのもそう。何より怖いのは、そこへ連れて行かれたのは、主に「母親によって」だったこと。幼児期の「不安」が、やがて社会全体を覆っていったのです。
「学校崩壊」という形で、自分たちの首を絞めることになる、と、薄々知りながら、「利権」を考え、保育学者も含め、保育「業界」がそれに抵抗しなかった。
しかし、「世論」をつくったのは、マスコミの報道姿勢だと思う。幼児たちの側に、本気で、立たなかった。
「ママがいい!」を読んでもらえば、大体のことはわかると思います。そして松居和チャンネルを、ぜひ知人に薦めてください。今、幼児の側にみんなで立たないと、義務教育が持たない。
よろしくお願いします。