以前、若手園長から聞いた、いい話。
「卒園すると、親は本当によく保育園に感謝します」と、嬉しそう。
学校に入ると、保育園のありがたさが身に染みてわかる、どれほど親身にやってもらったかが見えてくる。
なるほど、という指摘です。学校と保育園は、その趣旨が違う。教育と子育てでは、歴史と深さ、次元が違う。もちろん「子育て」が優先で、絶対です。
園長先生、園児が卒園して一ヶ月後に親たちの謝恩会をする。
保育園の価値に気づき、懐かしく思い始めている。感謝したくなっている。新たな悩みを抱えている親もいるでしょう。子どもたちも環境に馴染んでいない。みんながオロオロ、ウロウロ、人間が自分を見つめ一番成長する季節です。
保育園や幼稚園の価値は、一緒に育てているという「感覚」が育つことにあります。
幼い命を一緒に育ててきた実感、小さかった「あの頃」の思い出を共有しているという連帯感が園での生活の実りであり成果なのです。それこそが「社会」と呼ばれる連帯感なのですが、学校に入って仕組み上突然途切れたようになる。
子どもを一緒に育ててくれた人たちに再会し、「あの頃」を懐かしく思えば、一生の相談相手がそこに居ることに気づく。帰ってくるところがある、と安心する。そこに集まったお互いの存在が特別なものだと気づけば、それだけで「悩み」はずいぶん解消するのです。
お互いの子どもの小さい頃を知っている、この関係が人間社会の原点にあった。
人類は、身近な、そういう関係に支えられてきた。オロオロしながら一生懸命やって、一緒に祈ってくれる人が数人いれば、それでいい。
一ヶ月後の謝恩会が、保育園や幼稚園を永遠にしてくれる。
こんな行事が、少しずつDVや児童虐待に歯止めをかけ、学級崩壊やいじめを減らすのです。いま、地道に耕し直さねば、荒れてしまった地面は砂漠化してしまいます。
「謝恩会」という命名はわかりやすい。法律や規則ではなく、子育てから生まれる「感謝」が社会を住みやすくする。
子どもが世話になったら、感謝する。
歌や踊りを教えてもらったら、それを見て、夫婦で感謝する。
本当は、足し算や掛け算を教えてもらっても、感謝する。
楽しい時間を過ごせたら、心の底から、みんなで何かに向かって感謝する。
卒園一ヶ月後の謝恩会、大したことではない。法律で決めてしまえばいい。いえいえ、法律で決めるより、園長先生が決めてしまうのがずっといい。親たちに気持ちが伝わる。この人(園長先生)は、子どもたちの幸せを願っている、卒園した後も願っている……。
その記憶、そして一ヶ月後の謝恩会を思いついた園長先生の「動機」が社会を耕し直し、その願いが、荒れている社会を鎮める。