ひたむきな忠誠心が、諸刃の剣となる

松居和チャンネル、第57回は、前回の「作曲家モーリス・ジャールとD-day」の続きです。

副題は、「時に、ひたむきな忠誠心が、諸刃の剣となる」

 

私に、何かを伝えてくる、不思議な人たち(チャネラー)がいる。作曲家、モーリス・ジャールもその一人で、50年間の付き合いでした。

あの日、ハリウッドのスタジオで、モーリスに導かれ、音楽家たちが従った「D-day」に対する一分間の「黙祷」。その中を覗き込めば、永遠に枝分かれしていく、無数の「深み」があったはず。怒りや悲しみが、いまでも、そこでじっと待っているに違いない。その「祈り方」の多様さを、私は、すでに知っていた。

ストリングスセクションには、ドイツ系とユダヤ系が必ずいる。多様だからこそ、祈りは、祈り。人間が、それぞれに自分の人間らしさを確かめる、大切な時なのです。逝ってしまった世代と抱きしめ合い、流れを見つめ、「理解しよう」とすればいい。その暗黙の教えが、余韻となって、音楽家たちの心は鎮まっていった。

マンザナの日系人強制収容所の中にも、Dデイの海岸線はあった。

「日本が、パールハーバーを攻撃しなければ、収容所に入れられることもなかったのよ」……、とスージー・ヤマモトは言った。鉄条網に囲まれた若者たちには、イタリア戦線に志願するしか、そこから出る道がなかった。それは、死を覚悟した、誇り高い若者だけに与えられた特権で、もし誰かが、そのことを知っていて仕掛けたのだとしたら、実に巧妙で、残酷な罠だった。

罪を犯したわけでもない。しかし、死を求める若者は現れる。忠誠心が、分断され、諸刃の剣となる。

あの時の楽隊(バンド)の空中分解の有様が、この国の将来を描き出す。しばらくの間でもいい、互いに心を合わせようとして、しばし、それが生きがいになる……。しかし、やはり解消していく。

その時、こんな風に、大らかな笑顔は残るのだろうか……。