父、松居直が逝って、一週間たちました。たくさんのメッセージをいただきました。心のこもった、自分の人生と重ねた「お礼」がたくさん届きます。
松居さんの絵本は、子どもの時にお母さんに沢山読んでもらい、僕の感性をくすぐるとても大好きな絵本でした😊
もちろん僕の子ども達にも沢山読んであげ、その感性は次の世代にも受け継がれています❤️🔥
松居直さん、子ども時代の僕に、とても素敵な感性を与えてくれて、どうもありがとうございました🙇♂️
お父様のご冥福を心からお祈りいたします。
ほんとに、ほんとに、お父様の作られたご本に心を作っていただきました。
福音館の編集者の方がやっていらした家庭文庫に母が連れて行ってくれたのが幼稚園の時。そこから全てが始まったような気がします。
きっと私みたいな、お父様に心を作ってもらった隠し子(?)が沢山いますね、全国に。
ご家族が亡くなられるのは、一大事です。
どうぞ、お疲れが出ませんように。
(ここから私です)
絵本は親子(人間)が出会う場所、と言い続けた人でした。絵本が語られた時、それは、作家の言葉ではない。読んだ人の言葉になる、と教えた人でした。
父と私は、東洋英和の保育科で、教え子が重なっている時があって、その人たちの幾人かが、授業中に、父に絵本を読んでもらったことをお悔やみのメッセージに書いてくるのです。
授業とか、学問とか、勉強ではなく、親父に絵本を読んでもらったこと、その体験を一番よく覚えているのです。
式の時に牧師さんが教えてくれました。
ある時会話の中で、子ども向けの映像媒体に話題が移ったとき、父の顔が一瞬暗くなって、しばらく黙っていたあと、「イエス様は、本を書きませんでした」と、言ったのだそうです。
その言葉の意味を、ずっと考えています。
父は、「はじめに言葉あり」という聖書の教えが大好きでした。
私は、「0歳児との、言葉を解さない会話が、人間を祈りの次元に導く」と言ってきました。
父は結構、私の本を読むのが好きでした。ある時、「思想家なんだよ」と言ってくれました。
やはり、大切なのは、体験なんですね、人間対人間の。
学問とか、教育ではなく、体験なんです。そこが欠けてくることが心配だ、という思いが、「イエス様は、本を書きませんでした」というつぶやきになったのだと思います。
編集者の松居直さんが死去 戦後児童文学の発展に貢献
https://news.yahoo.co.jp/articles/c76ac82762ec39354137175c8b498f2a06370ffc