自然治癒力は形を変えて存在する

 

講演後に、自分が愛されていたと思えない人から、子どもの頃から引きずっている「孤独な体験」、トラウマのようなものについて聞かされることが重なりました。本にサインをしながら、そういう男性と結婚した女性から相談を受けました。

講演後に送られてきた感想文の中に、二つ、道筋が見えないことへの不安と、心の葛藤が書かれていました。

0歳児保育を政府が補助金と公定価格を使って奨励し、仕組みが、そのように整えられ、預けられた子どもたちが親になり、保育者や教師になっています。保育、教育、にとっては未知の領域に入っている、人類未体験の連鎖が始まっている。

進化の歴史を考えれば、この規模の意図的な母子分離策が子どもにとっても、親にとっても、不自然な試みであることは明らかで、そのことは子どもの権利条約を読めばわかるはずです。

ユニセフの『世界子供白書2001』に、三歳までの、親や家族との経験や対話が、のちの学校での成績、青年期や成人期の性格を左右する、とある。WHO(世界保健機関)は、「人生最初の千日間」が、その時期に最も発達する人間の脳にとっていかに大切かを言いつづけてきた。

(アメリカで二十五年前に、父親像を持たない子どもは、五、六歳からギャング化する、という研究発表がされ、ワシントンD.C市が、公立の小学校を使って父親像を教える「プロジェクト2000」を始めた時のことを思い出します。すでに、首都で、子どものいる家庭の半数以上に大人の男性がいない、という状況がありました。)

 

乳幼児期における母子分離が人生にどう影響するのか、仕組みによる子育てが、どこまで通用するのか、はっきりとはわかりません。その子が生きていく過程で、絆という「環境」がどう変化していくかに左右されるのでしょう。

学校で、いい担任に恵まれたり、図書館で一冊の本と出会うとか、信仰を持つこと、親友が一人寄り添ってくれるだけでも、人生は守られ、救われます。

いい道筋は、無限の可能性として、いつもそこにある。

しかし、その無限の可能性を維持し、それがそこにあることを感じるためにも、幼児期に親子がともに過ごす時間が必要なのだと思うのです。

結局は、人生の幸福は、どういう物差しを手にするか、という、自身の決断でしかありません。その中でも、「子育て」に幸福感を見出す、という選択は、最も公平で、有効で、遺伝子的にも一番自然でしょう。子育てが「生き甲斐」でなければ、人類はとっくに滅んでいる。

頼り切って、信じ切って、幸せそう。そんな三歳児、四歳児たちの姿を羨ましく思い、拝みながら、生きていく人が多いのがいい。

弱者を守り、大事にすることで、自分の価値が一番高まっていることに気づけば、これほど確かな自己肯定感はない。

「自己肯定感」、最近教育や保育の分野でも使われる言葉です。キャリアにおける自己肯定感など、会社が倒産したらお終い、戦争になったらお終い。こんなものは偽物です。利権がらみの自己実現は、一握りの勝者しか生みません。

最近の世界情勢を見ていると、一部の権力者や独裁者の「自己肯定感と自己実現」のために、多くの人々が死んでいく。

自己肯定感は、簡単に対立する。忘れてはいけない、当たり前のこと。

安易にこういう言葉を使うことで、子育てが「教育」に乗っ取られるような気がしてならない。

他人との比較で覚える自己肯定感は、本物ではない、と思うのです。自己を肯定する、と言えば、なんとなくいいことのように思えますが、私は、とてもそんな境地に達することはできそうにない。しっかり神と対峙した上でなければ、安心には繋がらない気がする。

(全般的に、興味深い人生だったな、と思うことはあります。でも、それは自分を肯定できるものではなく、運に感謝する、というのに近い。)

しかし、幼児と過ごした「貴重な時間」は、親の記憶にも、子どもの心にも、穏やかな、優しさを伴った自己肯定感として残り続ける。その意識の中で伝承されていくものが、人類にとって大切な「何か」だと思うのです。

私も、数ある可能性の一つになりたくて、講演や演奏に願いを込めるようにしています。

伝令役になりたい、と思い、本を書きます。

自然治癒力は、あちこちに、形を変えて存在する。

 

ある日、講演に行った保育園で父親たちが「ウサギ」にさせられていました。

保育士たちが、ウサギのかぶり物を父親の人数分用意して、私の講演が終わると、「ハイ、お父さんたちは、ウサギになってくださ~い!」と手渡した。

すると、お父さんたちはウサギになるしかない。

これは衝撃でした。

宇宙の法則が突然目の前に現われた気がして、鳥肌が立ちました。

園長は父親をウサギにする「権利」を持っている。

社長や校長は持っていない。

宇宙から与えられた「権利」に違いない。すぐに、そう思いました。

 

最近「権利(けんり)」と 呼ばれるものは、そのほとんどが「利権(りけん)」です。保育も、預ける側の「利権」になり始めている。でも、園長が手渡された「これ」は、そうではない。

この「権利(けんり)」で、子どもが安心して幼児期を過ごせる環境を勝ち取る闘いに、勝てるだろうか。

勝てるかもしれない、と私は思ったのです。

いま起こっている保育の質の低下は、本当に必要な時だけ預ける、という親の意識と、三才未満児はなるべく親が育てられるようにする、という国の姿勢があれば止められる。

保育園でウサギにさせられたら、誰だって少しは変わる。

引きつった顔でいやいやかぶった父親も、三分もすればウサギです。保育園には、園児にそういう「働き」をさせる気配がある。競争社会で固まっていたお父さんたちの心が、いっせいに溶け出す。

みんなで、やればできるのです。

 

見回すと、みんながやっている。

その奇妙な「同志意識」が人生を確かなものにするんですね。

それを見て、喜んでいたのが母親たち。

父親たちも、実は、ウサギになりたかったのです。

幼児たちと一体になることで、人間は、自分の中にある「願い」を感じる。そして、この宇宙に不公平はない、と気づく。

「平等」というのは、勝ち取るものではなく、気づくもの。

 

昔、男たちは年に二、三回、「祭り」の場でウサギに還っていました。子どもに還ること、宇宙にもう一度近づくことを皆で祝っていた。自分の中に、三歳だった自分がいることを確認して、人間は、幸せは、自分の心持ちしだい、と思い出す。それを理解すれば、男たちは落ち着きます。

この仕掛けの素晴らしいところは、父親たちが全員、一人残らず全員、三歳だったことがある、ということ。

誰もが、砂場の砂で幸せになれたことがある。

保育園でウサギにさせられ、男たちがふと気づくんですね。「私は、以前、ここにいた」と。

自分は、絶対に一人では生きられなかったことを思い出し、「絆」は世代を超える。

お盆には、その絆が、死後の世界にまでつながっていく。

そこで、また、「踊る」んです。

この宇宙に不公平はない、と唱えながら。

「人間は幼児という神様、仏様、絶対的弱者の前では、正しい方向に進むしかない。たとえそれがウサギになることであっても」

父親をウサギにして母親が喜ぶ。これが自然で、いい。母親が産み、育てた仕掛けですからね。

 

「愛されていた」という確信が持てない、その記憶がないことが不安の原因になっている人に、言うのです。

「自分の子どもを可愛がっていればいいんです、思う存分に甘やかせば、いいんです」。

そうすれば、自分が「いい人間」に思えます。

相対性理論のようなもの。輪廻や運命の歯車は、そうやって回り始める。

 

ここ十年間の国が主導する保育の質の低下を見ていると、私でさえ、心が折れそうになります。

しかし、私たちには、園を使って、父親たちをウサギにするという方法が与えられているのです。

チャンスはある。

政治家たちの思惑から親を引き離し、経済活動のみを「社会」と定義し「進出」を促す「欲の罠」から少しのあいだでいい、距離を置き、別の物差しがあることに気づかせる。皆が、時々ウサギになって、自らが生み出した「命」と遊び、その命を守ることに「感性」を集中させれば、それが一瞬であっても、この国を耕し直すことは可能です。

日本のすべての幼稚園、保育園で、月に一度、父親をウサギにしていれば、シンクロニシティが働いて、世界平和も可能かもしれない、と思いました。

社会の働きを主導するのは「幼児たち」。

この時期にしかできない体験を親たちにさせて、その時間の価値を再び高めていけばいいのです。

予算など、ほとんどかからない。

学校に入るまでに、親たちを「まあまあの親」にしておけば、学校もずいぶん楽になるでしょう。それだけでも、教育システムのサステイナビリティ(持続性)に大きく貢献する。

私が見るかぎり、この方法は、さほどの抵抗もなく、どこの園でも園長たちが、その気になればできます。

似た方法をいくつか「ママがいい!」に書きました。父親の人生が変わる実話も書きました。一日保育体験は特に有効ですし、県全体で取り組んでいるところもあるのです。

ぜひ、読んでみてください。

経済学者や政治家たちの思惑や罠については、条例や閣議決定を引用し、詳しく書きました。一定の数の人たちがその危険性を理解すれば、必ず、仕組みに変化が起こります。

FBの友達リクエスト、広げていただければ幸いです。ツイッターのフォローでも結構です。どうぞ、よろしくお願いいたします。(ブログ:http://kazu-matsui.jp/diary2/、ツイッター:@kazu_matsui)

年が明けて、東京新聞に載ってたよー、と小学校の同級生が父の記事を送ってくれました。

一月二十二日(日)午前5時から、と二十八日(土)午後1時から、NHK Eテレ こころの時代 アーカイブ「言葉の力、生きる力」で、父が出演した番組が再放映されます。