親父が逝った。

親父が逝った。

親父らしい、 オヤジだった。

京都の人だった。

ばたばたと内輪で葬儀を済ませ、戻ってきて、いろいろ考えていたけど、あまり逝った感じがしない。受け継いているものの気配は自分の中にあるから、それをやっていけばいいのだと思った。

今朝、新聞を見て、妙に実感が湧いてしまった。

少し書いておこう、と思いました。

波乱はありましたが、充実した人生を送らせてもらったことに、親父は感謝しているはずです。

私の人生は、親父の仕事人生と平行線で、子どもの時から自然にそうでした。

何しろ、物心ついた頃、家に、今江祥智さんが下宿していました。その次が、薮内正幸さんで、動物の絵を描いてもらって小学校で配りました。(取っておけばよかった。何しろ、ネズミを描いて、と頼めば、さっさっさーと小さなのを一つ描いてくれます。)

花貝塚の丸木位里、俊先生の家の周りで矢じりや土器の破片を拾って夏休みの宿題にし、瀬田貞二さんと太田窪でうなぎを食べ、安野光雅先生は、私の小学校の工作の先生で、それがきっかけで親父にあったのですから、ちょっと、貢献しました。

田島征三さんの作るタンポポのお酒の味見を日の出村でして、丹波の田島征彦さんの家で宅間さんと日向ぼっこをして、エンデさんがうちに来て、ラマチャンドラン氏が、緊急避難でインドへ呼んでくれて、秋野不矩さんとちょっとインドを旅して、堀内誠一さんのパリのうちにちょっと長く居候をして、二人で、絵本関係者東西奇人変人番付、というのを作りました。谷川俊太郎さんがそこへ遊びに来て、俊先生に誘われてアウシュビッツで尺八を吹いて、ロサンゼルスでは、八島太郎さんの句会に入って、あああ、思い出せばキリがない。

その大元に、親父とお袋が居る。

その感覚は、ずっと続くから、そう思うと嬉しい感じがします。

ありがとうございました。     和

(いつか、しっかり書きますね。)