生命尊重ニュース主催の講演会

1年間の連載を依頼された、生命尊重ニュース主催の講演会があります。いろんな方たちが、子どもたちの願いを応援しようと、頑張っておられます。

お出かけいただければ幸いです。

 

 

5月号のタイトルは、「ママがいい!」と泣き叫ぶ子どもたち、でした。こんな風に書きました。


 

四月、「ママがいい!」という言葉が「慣らし保育」の現場で一斉に湧き上がる。子どもたちは、生まれて数年間、信じることができる人、安心できる人を探す。周りに「育てる」と言ってもいい。それが、彼らの大切な「働き」なのです。

こども家庭庁が「子ども真ん中」と言うなら、その願いと、働きを尊重すべきです。それを無視し、政治家や学者たちは母子分離による経済政策を止ようとしない。それに慣れたら、私たちは幼児たちに見捨てられる。

学生が試験の答案に、「子どもはなるべく親が育てた方がいい」と書いたのを不合格にした有名大学保育科の教授がいた。「もっと勉強しなさい」と言ったそう。

動機が歪んだ「学問」が学生の人間性を傷つけ、福祉が市場原理に支配されていく。保育科に学びにくる特別な(と私は思いたい)女性たちの、いわば一年目の母にも似た願いが、そうやって「学問」で打ち消されると、「勉強なんかしなくていいよ」と、教室から連れ出したくなる。親のニーズに応えるのが保育、と指導され、一方で、パートで繋いでいい、五日間で取れる「子育て支援員」でいい、無資格でもいい、という規制緩和の元、資格の価値は薄れ養成校が定員割れしている。保育科に、ジェンダーフリーという「利権争い」を持ち込んだことで、「女性らしさ」で成り立ってきた保育界が迷走している。

政府の愚策を守るために、古(いにしえ)のルールや真実を平気で曲げる学者たちが、いま、学校教育まで破綻させようとしている。小学校で教師の成り手がいない。

子育てを親に返し、子どもたちが親を育てる力に望みを託すしか、もう道は残されていない。義務教育は、親が親らしい、という前提の元に作られている。

先日、保育学者が「保育の質」を高めるために、「保育士の『専門性』認識を」と発言していた。「社会で子育て」など、もう成り立たないことは実習生の告発を聴けばわかるはず。保育現場に欠け始めているのは「人間性」なのです。保育士不足の状況で、集団保育を専門性で仕切れば不適切保育が広まるばかり。

こども家庭庁が言う、「こどもを安心して任せることので きる質の高い公教育を再生し充実させること 」など、「母子分離政策と並行して」できるわけがない。

以前、園長先生たちは、言っていた。

「保育は五歳までです。一生続く親との関係が大切と言い続けなければ、保育ではない」。親子の人生を案ずる「保育の魂」が、政府の「保育のサービス産業化」「母子分離の正当化」によって、どんどん消されているのです。

小学校が悲鳴をあげている。

(ユーチューブで、松居和チャンネルを、始めました。「日本人の子育ては魔法だった」。毎週火曜日に更新します。ぜひ、ご覧ください。「ママがいい!」、Amazonジャンル別でいまだに一位です。広めてください。)

小雀保育園から、感想文が来ました。

小雀保育園から

 先日講演した、小雀保育園から感想文が送られてきました。保育士も保護者も一緒に聴いてくれた。子育てを一緒にやっている人たちが、楽しく、感謝しながら心を一つにする。それで保育園、幼稚園は大丈夫。

 「専門性」なんてことを言う学者や、「数値目標を掲げて母子分離を計る」政府の誘導に対抗するのは大変ですが、それを、いまやらないと、国が危ない。

 子どもを育てている人たちには、説明すれば通じる。それが嬉しい。幼児を可愛がることで、感性を育とうとしている。

 一部ですが、ご紹介します。一時間半の講演で、保育士や親たちの心が一体になっていきます。卒園後もずっと、それが続いていくといいのです。

 

講演会の機会を作って頂きありがとうございます。あっという間の一時間半で、宇宙の真理を沢山知ってしまいました。普段本当は分かっていることを改めて言語化し、気づかせて頂きました。保護者の一日保育、園長先生の指示なら従います!

保育士として感じていることを松居先生がズバリおっしゃっていて、終始うなずきが止まらなかったです。ただ1人の力ではどうにもできないのが現状で…。どうにかしたいけどできない中、あのような会を保育園が開いてくださり先生方や親御さんたちと共有できたことが本当に嬉しかったです。松居先生の考えが広まることを願います。(本買いました)素晴らしい時間をありがとうございました。

衝撃的でした。保育について社会問題となっている実態を恥ずかしながら知らなかったのと、保育園に恵まれ過ぎていたという事に気づかされました。仕事に自分の子どもたちの面倒だけで精一杯の日々だと感じながら過ごしてきましたが、忙しさを理由に疎かにしてはいけない大切なことがあると考えさせられました。

大人たち・子どもたちが互いに繋がり合いながら育ち合うことが当たり前の時代が過去にあって、でも今はそうではないことが当たり前になりつつあること。その恐ろしさをよく理解して日々の中でできることを1つ1つやっていきたいと思えた、転機となった講演会でした。ありがとうございました。

家に帰ってまずは、子どもたちに「生まれて来てくれてありがとう。お父さんお母さんを育ててくれてありがとう」と伝えました。すると「生まれさせてくれてありがとう」と返ってきました。0・1・2歳さん時代、大変だったなと思っていましたが講演会を聞いて大変さが愛おしくなりました。

2度目の松居さんのお話でしたが、心にとまる所が全く異なり、子育てひいては人生の意味を考えさせられ、心が軽くなったような気がしました。

何もできない状態で生まれてくる人間の赤ちゃんの意味・役割、自分の子どもが愛おしくなるとともに、私自身も両親たちにとってはそんな存在だったらいいなとも思います。

「いい人になる」と思った時からもうその人は「いい人」、幸せなのだと思い出しながら生きていこうと思います。子どもはその存在だけで素晴らしい。不自由な幸せを噛みしめて残り僅かな子育てを楽しみたいです。

講演会ありがとうございました。たくさん笑わせてもらって詩を聞いて涙して感情が忙しかったです。いい親だって言われたとき、もっと自分に自信を持とうと思いました。子どもたちと過ごさせてもらっている貴重な時間を大事にしていこうと思います。ありがとうございました。

松居先生の講演会に参加させていただきありがとうございました。親・保育士という私の役割の中、自分でできる最善の方法で育休を伸ばして子育てしてきたことを振り返り、これでよかったと思えました。「ママがいい!」と泣いている子どもたちに寄り添い、安心し保育園が楽しい場所になることを願いながら仕事をしていきたいと思います。親心を大切にします。

(パパから)「ママがいい!という言葉はママの勲章」と言う言葉に共感しました。私の家もこの言葉を言う息子がいます。それはママが今まで子どもと向き合い、愛情を注がなければ出ない言葉だと思いました。改めてママ(女性の方)は凄いんだなと思いました。ママのサポートがもっと出来る様に、私も頑張らないといけないと痛感しました。

講演会ありがとうございました。終始笑いっぱなしでとても楽しくお話を聞かせて頂きました。自分の子どもの頃を思い出した時、幼い頃は母の存在が全てでした。母を求め母がいない事に不安を覚え、絶対的な存在だったように思います。ですが、ある歳を境に、楽しい思い出を振り返ってみると、それは父との思い出です。

魚釣りや山芋採り、ホタル観賞や天体鑑賞等、沢山の体験に連れて行ってくれたのは父で、そういった体験の中で感性を磨いていったように感じます。また祖父母や叔父叔母にも沢山の体験をさせてもらいました。お父さんに沢山頑張ってもらい、父の腕を上げ、大人になった時、沢山の思い出の中に父がいてくれたら良いなと思いました。

(ここから私です。保育団体、教育委員会、幼稚園、保育園、一つひとつ、精魂込めてやっています。でも、全部回れるわけもない。松居和チャンネルをぜひ、周りの人に薦めてください。よろしくお願いします。講演依頼は、matsuikazu6@gmail.comまで、そうぞ。)

 

 「可愛がる」ことで、人生はいいものになる。

以前、新聞で報道された調査結果ですが。

設問の中に、「子育ても大事だけど、自分の人生も大切にしたい」◯か×か、というのがあった。

受験産業から保育事業、老人介護にまで手を広げている民間企業による「意識」調査で、毎年、その結果が新聞で報道される。こういう手法はよくない。

ふと通り過ぎる過程で、無意識のうちに「罠」に引 っかかる。
「自分の人生を大切にしたくない」人はいない。「子育てをしていると」それができないなら、人類は滅んでいる。

質問の向こうに、明らかに、政府の母子分離施策と、それをビジネスにしようという動機が見える。その動機が、風評被害となって、ここまで「保育」を追い込んでいる。だから、もう止めなければいけない。義務教育が破綻し始めている。

松居和チャンネル 第16回のテーマは、「子守唄が人類を導く」としました。副題は、「~義務教育の中に、幼児たちとの会話を~」です。

 

市場による「新たな常識」の拡散の中で、人間にとって無くてはならない大切な「チャンネル」が閉じていく。

私が目指している、このチャンネルは、様々な話題を挙げながら、乳幼児が先導し、確保してきた「神話的なコミュニケーション」の次元を復活させようというもの。ぜひ、周りの家族、友人、知り合いの方々に薦めていただきたいのです。よろしくお願いします。

子守唄は、音楽の中でも、一番「祈り」に近い音楽。

人間たちに、「これから」「これから」と囁きます。

一つの「命」を授かり、慈しみ、育てることで、新たに、「親子」という形で人生を創造していく。そのワクワク感が、祈りとなって、子守唄になる。

祈り、に「音楽」が加わり、人類は、不思議なチャンネルを開いた。

小学五年生くらいから、高校を卒業するまで、毎年一度は、012歳児に歌を唄ってあげる機会をつくるといい。音楽の授業を使うもいい。家庭科の時間、生活科、道徳?、どれにも当てはまるはず。

母性が、社会を導いていくべき。

赤ん坊の初めての笑顔を喜び、心が、ひとつになる。それが、社会の始まり。そういう説明を中学生にした方がいい。言えば、理解する。

「可愛がる」ことで、人生はいいものになる。

その道筋を教えないと、教育が「義務」である意味がない。

父親が、眠っている我が子に、「カラスなぜなくの」でいい、一人で、唄う。五日も続ければ、遺伝子がオンになってくる。

「千と千尋の神隠し」や「トトロ」を生み出し、支持するこの国には、次元を超える文化的土壌がすでにある。

奥さんに言われて、ご主人が実行してみる夫婦関係なら、すでに大丈夫。うちはどうかな? と思ったら、まずお母さんがやってみてください。不思議なことをやっている姿を父親が眺める。

父親の中にも、「母性」がある。その耕し方が、この国にはいい。世界も、それを求めている。

子守唄が歌われなくなってきた裏側で、保育士たちが「保育は成長産業」という閣議決定に背を向けはじめている。いよいよ、社会を整えるはずの、子どもたちの「願い」が、宙に浮いていく。

今回は、そんなことを、話しました。

 

親は子を選べない、子どもは親を選べない

親は子を選べない、子どもは親を選べない、だから、双方向に育て合う。

どんな子、どんな親に当たっても、当たり。そう思うことで社会に持続性が生まれていたのです。

火曜日です。

松居和チャンネル、第15回をアップしました。

テーマは、「子育てに正解はない」

~いい親でいたい、と思ったら「いい親」~、という副題をつけました。

選べないことが「凄い」。

大自然の「法則」は、選べないことの組み合わせで成り立っている。言い換えれば、選択肢があると思い始めたり、「豊かさ」を求めることで、人間は本来の自分を見失う。「幸せへの道筋」を手離していく。

それが今、先進国社会で未体験の「混沌」を生み出している。欲に歯止めがかからない。

子育てに「正解」を求めれば、自分の中に、すでに「答え」があることに気づかなくなる。「いい親」は、親の「心持ち」であって、結果ではない。

子どもの成長過程に、様々な要素が交錯してくる現代社会では、例えば、どんな友達に出会うか、中学校のクラス分けなどでも「結果」は変わってくるだろうし、保育者や担任の当たりはずれが、親子の人生に及ぼす影響は、計り知れない。それが「先進国社会」なのです。だからと言って、親たちが、子育ての責任を回避し始めれば、保育や学校という仕組みは、その責任を負いきれなくなるのです。

子どもの「愛着関係を求める心」だけが、宙に浮いていく。

基本になるのは、やはり親たちの、「いい親でいたい」と思う気持ちが、社会に満ちていること。

近頃、就学前に、長時間預けることが、不自然とは思われなくなっているのです。

「子育ては、専門家に任せておけばいいのよ」と言ったとんでもない厚労大臣が、幼保一体化を進め、保育資格を持っている人は「子育てのプロだから」と軽々しく言う無責任な学者たちに促され、仕組みに子育てを頼る親は、確実に増えている。

それが、

保育士の一斉退職 「このままでは子どもが守れない 最後の手段です」(NHK)

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240424/k10014429461000.html という報道に現れる。

教員の応募倍率が下がり、文科省は規制緩和を始め、保育が辿った道筋と同じことを義務教育でもやろうとしている。しかし、すでに「担任の当たりはずれ」は度を超している。内部崩壊が始まっている。

結婚は、自ら進んで「不自由」になること。

不自由になることに、人間は、幸せを感じ、それを「絆(きずな)」と呼ぶ。一人では生きられないことを自覚すれば、助け合いが、より真実味を帯びる。

子どもを産むことは、結婚に輪をかけて「不自由」になること。

私たちが、いま生きているのは、親たちが、我々に自由を奪われること、自由を捧げることに、幸せを感じたから。

アメリカに住んでみると、自由とか自立という言葉が、「子育て」という絶対的「縛り」から解放されるために使われているのがわかる。それを「平等」という言葉で正当化しても、それは強者たちの論理、免罪符でしかない。弱者が、犠牲になる。家庭崩壊が進み、犯罪が増える。

そんな話もしました。

子育ては、親が初心者であることが、選択肢のない、絶対条件であることを思い出してほしい。

私の師は、一年目の保育士に敵う保育士はいない、と、私が教えていた学生たちに言いました。新鮮で、オロオロする心持ちが大切で、それを専門性とか手法で手離してはいけない。

「子どもが初めて歩けるようなる瞬間を、親が見ていない、なんてことを許したら、親子の不幸に手を貸すことになるんだからね」、ともう一人の師は言いました。園で歩けるようになっても、「もうすぐ歩けるようになりますね」って、親には言うんだよ」と現場の保育士たちに伝えた。それが、保育士こころ、親心と、私は、心に刻んだのです。

0歳児を預けに来た親に、「いま、預けると、歳とって、預けられちゃうよ!」と言う保育園の園長が、日本にはいる。子どもたちを守ろうとする「勇気と覚悟」。これほどの「親心」、「保育士こころ」はないと思う。

「保育は成長産業」とした閣議決定がその対極にある。「欲」に働きかけて、福祉を支えようとしても、現場の心が萎えていく。いい加減にしてほしい。

保育士の一斉退職 #2

「女性の社会進出」「社会復帰」という言葉が、当たり前のように使われるようになり、エンゼルプランという偽善的な名を付けられた施策で、政府や学者が定義する「社会」から、子育て中の母親は除外されはじめた頃、「女性学」と、現場の女性園長たちの思いが、実は、激しくぶつかっていた。
「男女共同参画社会」という仮想現実を目指すために、保育園を使った母子分離が「平等」の名の下に加速し、「子どもが可哀想」という「思い」が時代遅れと否定され、「専門性」で子育てができるという、保育学者たちの思い上がりが、保育界から「魂」を奪っていった。

それが、
保育士の一斉退職 「このままでは子どもが守れない 最後の手段です」
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240424/k10014429461000.html
というNHKの報道につながっている。

政府が、「ママがいい!」という子どもたちの願いを優先しないばかりか、
専門家会議が、11時間保育を標準と名づけ、保育学者たちがそれに体を張って抵抗しなかった。保育士たちも、当然のように、自分の人生を優先するようになってくる。それでいいのかもしれない。「一斉退職」、これが子どもたちを守る最後の手段、母子分離にブレーキを掛ける最後の方法になるのかもしれない。

学者は「専門性」で保育ができる、とか、あなたたちは「子育ての、プロなんだから」といい加減なことを「資格者」たちに言ってきた。その「資格」は、定員割れを起こしている資格ビジネスが、存続のために乱発している「資格」に過ぎないことを、彼らは知っていた。
保育が、「子育て」ではなく、プロのやる「仕事」のようになってくれば、安全性を考えて、みんなで辞めていくのも、プロの決断でしょう。
保育崩壊が始まろうとしている。

こども家庭庁の「こども未来戦略会議」は、「性別役割分担意識からの脱却」を、「働き方改革を正面に据え」て実施していく、と宣言した。子どもたちの「安心」が視野に入っていない。
「戦略会議」の(偽)「専門家」たちは、保育界が、「女性らしさ」と「祖母のごころ」で成り立ってきたことを知らない。「長時間保育は、子どもが可哀想」と思う「母性」を、学問とか「専門性」、人権とか「平等」という机上の論理で否定され、女性たちが、男性主導の市場原理、損得勘定に背を向けはじめている。それが、保育士の一斉退職 「このままでは子どもが守れない 最後の手段です」という記事に現れている。

「性別(性的)役割分担意識」なしで人間社会は成り立たない。
結婚が、人生の主目標から外れ、子孫を作ろうとする意欲は薄れる。しかし、この会議は、「それは困る、少子化は困る」という。そして、「子育て」の苦労を減らしてやれば産む、として母子分離を進め、それを「異次元の少子化対策」と呼ぶ。いい加減にしろ。論理が破綻している。

こども家庭庁が出した「子ども未来戦略」(令和5年6月13日閣議決定)は、「キャリアや趣味など人生の幅を狭めることなく、夢を追いかけられる」ように、誰でもいつでも子どもを預けられることが「子育て安心」なのだ、と言う。
人間が本来持つ感性を、失わせる。
それは、いわばキャリアや趣味における幅や深みを探る感性を捨てるようなもの。自身の人間性に気づく機会を放棄させておいて、それが「安心」だという。

子育ては、人生の幅を狭める「障壁」ではない。

こういうやり方で、子どもたちと過ごす時間の価値を下げ、親たちを子育てから遠ざければ、やがて保育士も去っていく。「動機」が悪い。稚拙すぎる。
学校の先生も、教師であることの価値が見えなくなり、親たちの子育て放棄に耐えられなくなり、その職から去っていく。

閣議決定されたこども家庭庁の「子ども未来戦略」の冒頭に、戦略が作られた理由として、「インド、インドネシア、ブラジルといった国の経済発展が続き、追い抜かれれば、我が国は国際社会における存在感を失うおそれがある」とある。「誰でもいつでも」は「海外では常識」とニュース番組で言った学者の偽情報の向こうに、子どもの日常の幸せを後回しにした経済「戦略」がある。
GDPで「子どもたちの未来」を測るのは単純過ぎる。政府は、この国の文化・伝統を馬鹿にしている。

「子ども未来戦略」で、(慣らし保育なしの)「子どものショートステイ」(生後60日から十八歳未満対象。育児疲れ、冠婚葬祭でもOK。一泊二千円から五千円)を、「圧倒的に整備が遅れている」と、こども家庭庁が言い切るのを読めば、わかる。
このショートステイを厚労省が10年以上前に始めた時、園長たちは、「これは政府によるネグレクト(育児放棄による虐待)の勧めでしょう」と言っていた。
過去三十年間の保育施策、「子育て支援」=「子育て放棄支援」は、政府によるネグレクトの勧めだった。そう思っている園長たちには、「戦略」が言う「整備」の本当の意味がわかる。
専門性という言葉を自分たちに押し付けて、彼らが実は何をしようとしているのかが、わかるのです。

だから、こういうことになる。

保育士の一斉退職 「このままでは子どもが守れない 最後の手段です」
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240424/k10014429461000.html
(NHKの報道。)

保育士の一斉退職

保育界の崩壊現象が起こっています。保育士たちが、数年前にされた、「保育は成長産業」という閣議決定に、一斉に背を向けはじめている。(NHKの記事です。)

保育士の一斉退職 「このままでは子どもが守れない 最後の手段です」

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240424/k10014429461000.html

こんな見出しが並びます。

▽「半分以上辞める。けがや事故が心配」(自園で退職が起きた保育士)

▽「何度訴えても改善しようとしない」(退職を迷う保育士)

▽「安全に保育できないこの園には居続けられない」(退職を決めた保育士)

「会社はどんどん園だけ増やして、保育士が足りない状況。もう待てない。人が来ない。この園にいたいけれど、居続けられないと判断しました。最大の理由は保育士が安全に子どもたちを保育できないことです」

▽「なぜ辞めるのか説明もなく不安しかない」(保護者)

ーーーーーーーーここから私です。ーーーー

こんな状況になのに、まだ、「専門性」の認識などと言っている保育学者がいる。専門性など、規制緩和の繰り返しの陰に、とっくに追いやられている。保育の現場から、特に利潤を追う経営者たちから、子どもを守るという「人間性」が欠けてきているのです。それが繰り返し報道されているのに、子ども・子育て会議が「十一時間保育を標準」と名付けたことは、人間性を逸脱している、子どもたちが可哀想、と発言機会のある学者たちが言わない。

子ども未来戦略会議(専門家会議)は、

「全ての子育て家庭を対象とした保育の拡充~「こども誰でも通園制度(仮称)」の創設~
○ 0~2歳児の約6割を占める未就園児を含め、子育て家庭の多くが「孤立した育児」の中で不安や悩みを抱えており、支援の強化を求める意見がある」

などと言って、0、1、2歳児を預けて働く親を欧米並みに80%にしようという、M字カーブを無くす戦略、「子育て安心プラン」(非常に馬鹿げたネーミングですが)を降そうとはしていない。「子ども真ん中」が、聴いて呆れます。結局は、経済優先の選挙戦略に子どもたちが利用されているのです。

「ママがいい!」、ぜひ、読んでみてください。松居和チャンネルも、ぜひ、ユーチューブで見てください。

大酋長ジョセフと吹雪の中の保育士

松居和チャンネル 第14回をアップしました。

テーマ:大酋長ジョセフからの伝言
〜吹雪の中で出会った保育士〜
https://youtu.be/tsft5u1JXt8

子育てにおける人類未体験のサイクルが先進国で回り始めている。いや、福祉や教育が、いままで続いてきた「伝承」を断ち切ろうとしている、と言った方がいいかもしれない。諸刃の剣となって、「人間性」を見失わせようとしている。

市場原理が、「人間性」に代わろうとしているのです。
「社会進出」、「社会復帰」と言われます。「社会人」という言葉そのものが既にそうなのですが、0、1、2歳と過ごす時間の価値や存在意義が「社会」から意図的に外されようとしている。

そう考える時、私の思考の中に、一人の大酋長の言葉が金字塔のように輝く。

私の好きなアメリカインディアンの大酋長ジョセフが言ったのです。

ジョセフは、白人の学校などいらないと答えた。
「なぜ学校はいらないのか?」と委員が尋ねた。
「教会をつくれなどと教えるからだ」とジョセフは答えた。
「教会はいらないのか?」
「いらない。教会など欲しくない」
「なぜ教会がいらないのか?」
「彼らは神のことで口論せよと教える。われわれはそんなことを学びたくない。われわれとて時には地上のことで人と争うこともあるが、神について口論したくはない。われわれはそんなことを学びたくないのだ」
(『我が魂を聖地に埋めよ』ブラウン著、草思社)

ジョセフは「西洋人」の企みを見破った。
大自然と過ごしてきた人間の知恵、感性が、白人たちの子育てに欠けているものを見抜いたのでしょう。古(いにしえ)の法則の中で生きている人たちは、神を、広めようとする白人の行動に、自分たちが知る「神」を感じられなかったのかもしれない。

『逝きし世の面影』(渡辺京二著、平凡社)(チャンネル第二回で紹介)に出てくる150年前の日本人の姿と、ジョセフが重なる。
西洋人が、日本人は無神論者だと感じた、あの風景の中に、実は幼児を眺め、幼児を拝み、同時に神々や宇宙と一体になる「文明」が存在していた。
そして、西洋人はその無神論者的な社会に、一様にパラダイスを見た。
神はそこら中に居た。

ジョセフが発言したころ、欧米人は「文明」としての日本を見て、書き留めていた。ジョセフたちの生活が一見原始的であったが故に、この大地にはパラダイスが見えにくかったのかもしれない。
「文明」として敬意を払うまでにいたらなかった。
その因縁を、いまも、あの国は抱えている。

そして、テレビの番組を見ていて、一人の保育士に出会いました。吹雪の中、コンビニで出会った、その保育士は預言者だった。感謝です。大自然からのメッセンジャーのような人を、周りに数人見つければ、人生は、難しくないと思います。

人が、いい物差しで、「絆」を探すことで社会は浄化されます。
私の持っている「次元」(チャンネル)で、この保育士とジョセフが重なり、一体になる。
ぜひ、ご覧になってください。

(考えるヒントになる話、多くの人に知ってもらえれば、政府の施策が変わってくるような情報、神話も含めて、毎週火曜日にアップしていきます。「チャンネル登録」をしていただけると、ありがたいです。拡散、推薦、よろしくお願いいたします。
講演依頼は、matsuikazu6@gmail.comまで、どうぞ。
5月、6月は、全国を飛び回っています。保育団体、教育委員会、仏教保育、神道保育、単体の幼稚園、保育園、様々な人たちに会うのが楽しみです。)

道祖神園長を大切に

年に、4、50回は講演するようになって、もう35年。色んなところへ行きました。
駅に役場の人が、軽自動車で迎えに来る。役場に着くまでに色々尋ねます。

「幼稚園と保育園の割合は、何対何ですか?」
全部、保育園です、という自治体もあれば、ほぼ、幼稚園です、という所もある。
次に、公立、私立の割合を訊く。自治体によって、「保育の歴史」がずいぶん違うのです。埼玉県などは、つい15年くらい前まで、幼稚園を卒園する子どもが七割以上でした。小学校に付随して、公立幼稚園もたくさんありました。

公立幼稚園は、私立に比べ月謝が安い分、親にサービスしない。税金で私立の「営業妨害」をしてはなりません。送迎もないし、預かりもない、給食もないし、2年保育が基本という地域もありました。(1年保育もありました。)親にサービスしないと、親たちが育ちます。親たちの絆も育つ。障害を持っている子どもも引き受けますから、その子の成長を中心に、保護者や教員の心が一つになって、運動会が、感動的です。
そんな、公立幼稚園が、保育の無償化、「無償」という「同じ値段」になったことで、一気に消えていきました。二度と手に入らない、保育の「いい形」が失われたことに、その保育を体験したことがある人たちだけが知っている、他の誰も気づいていない。学者くらいは気づくべきだった。

「ママがいい!」にも書きました。「子育て」は負荷なのです。自由を奪われることに「喜び」を見出す、普遍であるべき「人類の体験」なのです。

長野県などは、保育園の普及が先に進んだ県です。幼稚園が一園だけ、とか、存在しない自治体も結構あります。でも、15年くらい前までは、保育園も3時には空っぽになりました。親たちの常識とプライドが、そうさせたのです。保育士たちが、その日の保育を終えて、一緒にお茶を飲み、野沢菜と、寒天のようなプリンを食べながら、子どもたちの話、親たちの話をしたのです。

軽自動車の中の会話に戻ります。
次に、公立の、正規と非正規の割合い、その変動具合を訊きます。これで、市の保育に対する思い、そして「気合い」、または、保育士たちの結束の強さが伝わってきます。

だいたい、その辺りで、その自治体の状況が見える。どういう歴史が背後にあって、最近、どういう市長がいるかが見えてくる。もちろん、私を、講師に呼ぶような自治体は、それなりの役人、市長がいるところがほとんど。何か、おかしいぞ、このまま国の言う通りにやっていたら、現場と行政の摩擦、現場と親たちとの軋轢が限界に来るぞ、という意識はある。

今回の、松居和チャンネル、第13回は、そんな風景から始めました。

テーマは、
道祖神園長を大切に
~子どもたちに天命を果たさせる~

以下が、リンクです。
https://youtu.be/Fxs9298V5iU

保育で大切なのは、専門性より人間性。「子育て」は「人間性の伝承」です。

以前、厚労大臣が言っていた「子育ては、専門家に任せとけばいいのよ」という言葉には、絶対に騙されてはいけない。人材不足のため、次々に規制緩和をしながら、こんな「無責任」なことを言う。その狭間で、現場は「虚しさ」を募らせていった。

公立という形がいいのか、私立という形がいいのか、その地域の「保育の歴史」も踏まえて、単純な回答はないし、処方性も様々です。今回の「チャンネル」から、その辺りを、感じ取ってもらい、いま起こっている「人間性」の喪失現象に、地域なりの対応をしてもらいたい。

私立の園に、時々棲まわれる、私が勝手に名付けた、「道祖神園長」についても、書きました。保育園は、乳幼児もいる、子どもたちがそこで過ごす時間が非常に長い、ということもあって、家族、部族のような「意識」、「連帯感」がとても大切で、それは、ほぼ神々の世界とつながっている、という話です。

道祖神園長は永遠です。引退させてはいけません。
祖父母ごころは、人間社会の「宝」です。

という話です。

(自由を失うことはそれ自体、怖いことではありません。幼児を育てていれば、それが喜びであることさえ理解できます。怖いのは、自由を失うことを恐れること。失うのではないかと思うこと。そう思い込まされること。そして、その思いを利用されること。)

著作「ママがいい!」とYouTubeの「松居和チャンネル」、ぜひ、お友達、保育関係者、学校の先生、政治家や行政の人に薦めてください。

 

義務教育の危機

私が渡米し、教育と家庭崩壊の問題に関心を持って調べ始めた1980年代、すでにロサンゼルスでは、700の学級に担任の先生が居ませんでした。慢性的な教師不足が社会全体を覆っていた。高卒の二割が満足に読み書きができない。教師の半数が7年以内に教職を去る、マイアミで高校の英語(国語)の先生に、高校を卒業するための試験をしたところ、三分の一が落ちた、など、驚くべき、というより不思議な報道がされていました。

シカゴでは公立学校の先生の半数が共働きをして、子どもを私立学校に行かせていた。公立学校を一番よく知っている教師たちの多くが公教育を見限っていた。アメリカの私立学校の授業料の高さを考えると、これは大変な不信でした。同時に、100万人の子どもが路上で暮らしている、という家庭崩壊の現実がありました。

そして、こんな報道がありました。

いい生活を求めて、夫婦が共働きをする。子育ての社会化による家庭崩壊が増え、教師の負担に連鎖し、教師不足に拍車がかかる。公教育の質が落ちれば、心ある親たちは、子どもを私学に通わせるために共働きをせざるを得なくなる。結果として、よほど裕福にならない限り、自分で子育てをする選択肢がなくなっていったのです。

教育費の高騰によって、共働きをしても、結局生活はよくはならなかった。公教育の荒廃と家庭崩壊は、犯罪率の増加と共に、負債となって社会に残っていったのです。ホームスクールという選択をする親が100倍に達する出発点が、この頃だったのです。より良い生活を目指しても、「子育て」を他人に任せれば、その代償は、様々な形で社会全体に必ず返ってくる。そう確信して、私は、本を書き、アメリカにおける音楽活動と並行して日本で講演を始めました。

「その通り。子育てを他人に任せると親の意識が変わってしまう」と、一緒に声を上げてくれたのが保育園の女性園長たちでした。女性解放を意図し、保育にその糸口を見つけようとした園長先生たちが、とんでもないことをしてしまったのではないか、と思い始めた頃でした。

そしていま、教師の応募倍率が一気に下がり、アメリカが四十年前に直面した義務教育の危機、その入り口のところに、いよいよ日本も差し掛かっているのです。

 松居和チャンネル第12回、「義務教育の危機」をアップしました。https://youtu.be/6Wf1iuO4kZs 

 副題は、~「専門性」では「人間性」を補えない~ としました。ぜひ、ご覧になってください。

義務教育は、「親が、親らしい」という前提のもとに作られています。福祉もそう。それを忘れると、子育てを代行する仕組みは、諸刃の剣になる。「親らしい」には、様々な定義があると思いますが、私は、「子どもを可愛がる」「子どもの将来に責任を感じる」くらいを考えています。

日本は、まだ欧米のような家庭崩壊には直面していませんが、政府主導の母子分離という「愚策」、経済競争に誘導する「罠」によって、子育てにおける「責任の所在」が曖昧になってきている。それに伴う「責任の押し付け合い」が、「仕組みの崩壊現象」を招いている。急速に、思ったよりはるかに急速に、学校を機能不全に追い込んでいる。いま、子育てに関する「意識」を正常に取り戻さないと、欧米の二の舞になる。

最近報道されている「新人教諭の退職」、「学童保育クライシス」、「通級利用が限界を超えている」等々、どれをとっても、それが様々に関連しあって、親子と教師を追い詰める致命傷になりかねない。その下地に、政府の乳幼児期の「母子分離政策」と「親たちの意識の変化」がある。

「専門性」は、人間性という下地なくして、存在してはならない。

しかし、応募倍率がこれほど下がると、最低限の「人間性」さえ確保し難くなっている。それが養成校の現実です。「専門家」に任せておけばいい、と思う親たちがこれ以上増えたら、現場はそれを受けきれない。年月はかかっても、親たちの責任意識を回復するという対処法は残されていると思います。

「ママがいい!」にも書きましたが、小学生から高校生までの保育体験、親たちの一日保育体験の徹底など、幼児たちの本来の役割を復活させること、そして、0、1、2歳はなるべく親が育てるような道筋を国が用意することで、まだ何とかなる。そういう体制ができている、または始めている自治体もある。幼稚園も、保育園も、012歳児は親と一緒に過ごせる「子育て支援センター」の形にしていき、補助を出す。(これは、やろうと思えばすでに補助は出ます。)親たちには直接給付をする。(これも、始めているところがあります。その方が、支出は少ない上に、人材不足が軽減されます。)

国が、012歳児を持つ母親の八割を働かせようという「子育て安心プラン」をさっさと放棄すれば、方法はある。学者たちが、この愚策にしがみついているから、義務教育がいよいよ崖っぷちに来ているのです。

「ママがいい!」、松居和チャンネルと合わせて読んでいただけるとありがたいです。拡散、よろしくお願いします。そろそろ、後戻りができなくなります。

桜が満開の幼稚園に講演に行きました。

毎年、この時期に父親たちに講演するようになって、もう20年。感想文の中に、3回目ですが、子どもが何歳かによって、聴こえ方が違います、と書いてあります。3歳、4歳、5歳は、毎年その役割や「働き」が違うのです。父親の遺伝子の、どの部分をオンにするのかが、違うのでしょう。

こういう園に入った父親たちは、人生が変わります。

 

 

預言者かもしれない。😀

Facebookで、いまだに海外の音楽ファンと繋がっているのは、とても嬉しいこと。

15枚のアルバムの音が、インターネット上でまだ伝わっているのがわかる。

先日、1枚目のアルバム「Time No Longer」の今まで見たことがない海賊版?の写真が送られてきてびっくりしました。海賊版は、私のようなアーティストには、ちょっと笑顔になってしまう、不思議な啓示。まだ、生きてるぞ、捕えられても、ちゃんと鳴っているぞ、と子どもたちから便りが来るようなもの。

以前、インドネシアの道ばたで、Greatest Hits of The Kazu Matsui Project というタイトルのカセットテープを見つけて、思わず買ってしまった。何しろ、Hitsがないはずの私の、Greatest Hitsですから。引っ越しを重ねるうちに無くしてしまったら、最近、facebookに、誰かから写真が送られてきて感動しました。あの路上から、時空を超えて、伝言のように。

 

「Time No Longer」は、アルバムカバーが大切なコンセプトアルバムで、一応、ここに本来のアルバムカバーを載せます。

 

「Time No Longer」、児童文学に詳しい人は気づくかもしれません。聖書の黙示録からの言葉。時の翁が、「もう時間がない」と叫ぶのですが、ピアスの名作「トムは真夜中の庭で」のテーマでもあります。驚くのは、44年前、ファーストアルバムで私が警告していることが、今、ブログや講演で言っていること、「もう時間がない、子どもたちが彷徨っている」と、重なること。

私は、預言者かもしれない。😀

人格者ではないけれど、この役目は頑張らなくては、と思うのです。預言した通りになってしまっては困るのです。