道祖神園長を大切に

年に、4、50回は講演するようになって、もう35年。色んなところへ行きました。
駅に役場の人が、軽自動車で迎えに来る。役場に着くまでに色々尋ねます。

「幼稚園と保育園の割合は、何対何ですか?」
全部、保育園です、という自治体もあれば、ほぼ、幼稚園です、という所もある。
次に、公立、私立の割合を訊く。自治体によって、「保育の歴史」がずいぶん違うのです。埼玉県などは、つい15年くらい前まで、幼稚園を卒園する子どもが七割以上でした。小学校に付随して、公立幼稚園もたくさんありました。

公立幼稚園は、私立に比べ月謝が安い分、親にサービスしない。税金で私立の「営業妨害」をしてはなりません。送迎もないし、預かりもない、給食もないし、2年保育が基本という地域もありました。(1年保育もありました。)親にサービスしないと、親たちが育ちます。親たちの絆も育つ。障害を持っている子どもも引き受けますから、その子の成長を中心に、保護者や教員の心が一つになって、運動会が、感動的です。
そんな、公立幼稚園が、保育の無償化、「無償」という「同じ値段」になったことで、一気に消えていきました。二度と手に入らない、保育の「いい形」が失われたことに、その保育を体験したことがある人たちだけが知っている、他の誰も気づいていない。学者くらいは気づくべきだった。

「ママがいい!」にも書きました。「子育て」は負荷なのです。自由を奪われることに「喜び」を見出す、普遍であるべき「人類の体験」なのです。

長野県などは、保育園の普及が先に進んだ県です。幼稚園が一園だけ、とか、存在しない自治体も結構あります。でも、15年くらい前までは、保育園も3時には空っぽになりました。親たちの常識とプライドが、そうさせたのです。保育士たちが、その日の保育を終えて、一緒にお茶を飲み、野沢菜と、寒天のようなプリンを食べながら、子どもたちの話、親たちの話をしたのです。

軽自動車の中の会話に戻ります。
次に、公立の、正規と非正規の割合い、その変動具合を訊きます。これで、市の保育に対する思い、そして「気合い」、または、保育士たちの結束の強さが伝わってきます。

だいたい、その辺りで、その自治体の状況が見える。どういう歴史が背後にあって、最近、どういう市長がいるかが見えてくる。もちろん、私を、講師に呼ぶような自治体は、それなりの役人、市長がいるところがほとんど。何か、おかしいぞ、このまま国の言う通りにやっていたら、現場と行政の摩擦、現場と親たちとの軋轢が限界に来るぞ、という意識はある。

今回の、松居和チャンネル、第13回は、そんな風景から始めました。

テーマは、
道祖神園長を大切に
~子どもたちに天命を果たさせる~

以下が、リンクです。
https://youtu.be/Fxs9298V5iU

保育で大切なのは、専門性より人間性。「子育て」は「人間性の伝承」です。

以前、厚労大臣が言っていた「子育ては、専門家に任せとけばいいのよ」という言葉には、絶対に騙されてはいけない。人材不足のため、次々に規制緩和をしながら、こんな「無責任」なことを言う。その狭間で、現場は「虚しさ」を募らせていった。

公立という形がいいのか、私立という形がいいのか、その地域の「保育の歴史」も踏まえて、単純な回答はないし、処方性も様々です。今回の「チャンネル」から、その辺りを、感じ取ってもらい、いま起こっている「人間性」の喪失現象に、地域なりの対応をしてもらいたい。

私立の園に、時々棲まわれる、私が勝手に名付けた、「道祖神園長」についても、書きました。保育園は、乳幼児もいる、子どもたちがそこで過ごす時間が非常に長い、ということもあって、家族、部族のような「意識」、「連帯感」がとても大切で、それは、ほぼ神々の世界とつながっている、という話です。

道祖神園長は永遠です。引退させてはいけません。
祖父母ごころは、人間社会の「宝」です。

という話です。

(自由を失うことはそれ自体、怖いことではありません。幼児を育てていれば、それが喜びであることさえ理解できます。怖いのは、自由を失うことを恐れること。失うのではないかと思うこと。そう思い込まされること。そして、その思いを利用されること。)

著作「ママがいい!」とYouTubeの「松居和チャンネル」、ぜひ、お友達、保育関係者、学校の先生、政治家や行政の人に薦めてください。