大酋長ジョセフと吹雪の中の保育士

松居和チャンネル 第14回をアップしました。

テーマ:大酋長ジョセフからの伝言
〜吹雪の中で出会った保育士〜
https://youtu.be/tsft5u1JXt8

子育てにおける人類未体験のサイクルが先進国で回り始めている。いや、福祉や教育が、いままで続いてきた「伝承」を断ち切ろうとしている、と言った方がいいかもしれない。諸刃の剣となって、「人間性」を見失わせようとしている。

市場原理が、「人間性」に代わろうとしているのです。
「社会進出」、「社会復帰」と言われます。「社会人」という言葉そのものが既にそうなのですが、0、1、2歳と過ごす時間の価値や存在意義が「社会」から意図的に外されようとしている。

そう考える時、私の思考の中に、一人の大酋長の言葉が金字塔のように輝く。

私の好きなアメリカインディアンの大酋長ジョセフが言ったのです。

ジョセフは、白人の学校などいらないと答えた。
「なぜ学校はいらないのか?」と委員が尋ねた。
「教会をつくれなどと教えるからだ」とジョセフは答えた。
「教会はいらないのか?」
「いらない。教会など欲しくない」
「なぜ教会がいらないのか?」
「彼らは神のことで口論せよと教える。われわれはそんなことを学びたくない。われわれとて時には地上のことで人と争うこともあるが、神について口論したくはない。われわれはそんなことを学びたくないのだ」
(『我が魂を聖地に埋めよ』ブラウン著、草思社)

ジョセフは「西洋人」の企みを見破った。
大自然と過ごしてきた人間の知恵、感性が、白人たちの子育てに欠けているものを見抜いたのでしょう。古(いにしえ)の法則の中で生きている人たちは、神を、広めようとする白人の行動に、自分たちが知る「神」を感じられなかったのかもしれない。

『逝きし世の面影』(渡辺京二著、平凡社)(チャンネル第二回で紹介)に出てくる150年前の日本人の姿と、ジョセフが重なる。
西洋人が、日本人は無神論者だと感じた、あの風景の中に、実は幼児を眺め、幼児を拝み、同時に神々や宇宙と一体になる「文明」が存在していた。
そして、西洋人はその無神論者的な社会に、一様にパラダイスを見た。
神はそこら中に居た。

ジョセフが発言したころ、欧米人は「文明」としての日本を見て、書き留めていた。ジョセフたちの生活が一見原始的であったが故に、この大地にはパラダイスが見えにくかったのかもしれない。
「文明」として敬意を払うまでにいたらなかった。
その因縁を、いまも、あの国は抱えている。

そして、テレビの番組を見ていて、一人の保育士に出会いました。吹雪の中、コンビニで出会った、その保育士は預言者だった。感謝です。大自然からのメッセンジャーのような人を、周りに数人見つければ、人生は、難しくないと思います。

人が、いい物差しで、「絆」を探すことで社会は浄化されます。
私の持っている「次元」(チャンネル)で、この保育士とジョセフが重なり、一体になる。
ぜひ、ご覧になってください。

(考えるヒントになる話、多くの人に知ってもらえれば、政府の施策が変わってくるような情報、神話も含めて、毎週火曜日にアップしていきます。「チャンネル登録」をしていただけると、ありがたいです。拡散、推薦、よろしくお願いいたします。
講演依頼は、matsuikazu6@gmail.comまで、どうぞ。
5月、6月は、全国を飛び回っています。保育団体、教育委員会、仏教保育、神道保育、単体の幼稚園、保育園、様々な人たちに会うのが楽しみです。)