「居続ける人」を奪われた環境

菅原哲男先生は、養護施設を、「居続ける人」を奪われた環境、という言い方をされる。

「光の子どもの家」の目標として、

「産まれてきてよかった」と思えること、

次に両親に対して「産んでくれてありがとう」と思えること、

最後に、「施設に来た経緯が自分にとっては必要だった」と思えること、を挙げられる。

(光の子どもの家:創立者インタビュー、より)

子育てのために、キャリアを犠牲にしてはいけない、と母子分離を進めようとする、こども家庭庁に、聴かせたい言葉です。道筋が、制度や仕組みによって「仕分けられた」先進国社会で、いままであり得なかった、不自然な「出会い」が、魂の次元で起こっている。

幼児たちとの出会い、交わりを復活させ、考える機会を増やしていくしかない、と思う。

頼り切って、信じ切って、幸せそう。

人間社会を、幸せに整えてきた「四歳児」たちの役割、その信頼に、政府が応えていない。

三歳児神話に守られてきた、大切な人たちを、母子分離と長時間保育で脅かす。

 

最初にある、親子の出会いは、大切です

ロサンゼルスの火災、友人が住んでいる地域があっという間に灰になりました。自分の住んでいた家が、有無を言わさず「灰」になる。

最近、世界のあちこちで起こっていることでもある。その現実が、身近に迫ってきます。だから、日本という国を、大切にしなければいけない。感謝し、責任を持たなければいけない。

誠実に仕事をしてきた友人には、すぐに、たくさんの支援の輪が広がって、勇気づけられています。

 

松居和チャンネル、第52回のテーマは、「見えない次元で、人間の魂は交錯している」、で

副題は、菅原哲男先生の本と、似た体験からのメッセージ、です。

「育ち」とは、「出会い」でもある。誰と出会うか、運が、人生を左右するのです。だからこそ、最初にある、親子の出会いは、大切です。

昨日の、講演会、びっくりするほど、たくさんの人が集まってくれました。一般の人に混じって、保育士さん、役場の人、議員の人。

「ママがいい!」という言葉が広がってきている。子ども優先が、人間の幸せの源です。

行きと帰りに、電車の窓から、瀬戸内海が綺麗でした。錨を降ろしたい入江が、幾つも見えました。

中学生の心に「生きる動機」を。

家庭科の時間に、中学生が見つめる、赤ちゃんを抱いているお母さんの姿は、「真実の風景」で、カソリックの人たちが信仰している、「聖母子像」もそう。

母親が、神様を、抱いている。

この構図が、社会が調和へ向かう「動機」になって、人類はここまで続いてきた。それを自分自身の心の動きを体験することで、理解する。義務教育でやってほしい。

 

家庭科の時間に、お母さんから、赤ん坊を託され、信じてもらったことが、中学生の心に「生きる動機」となって残る。

赤ん坊を抱っこしてほしい、と思う「母の気持ち」が、次世代を育てている。

その時の「つながり」、信頼が、やがて、自分の子どもの環境にもなる。そのことを、母は、本能的に、知っている。

伝承の中には、必ず「美しさ」がある。三歳児神話も、そう。

学校や幼稚園・保育園が、一つの村社会のような役割を果たす

一家でする「体験」が、人間の育ちにはいい。年齢を越えた絆が、社会を安定させるために、不可欠なのです。

色々「仕組み」ができて、その体験が減ることで、012歳を預けることを、可哀想だと思わない人が増えてくる。

それは神の作った道ではなく、市場原理が作った道筋で、とても不自然で危うい。

可哀想だ、と思うことは、自分がいい人間だ、と思うこと。そういう人が常に繰り返し生まれていくのが、人間社会だった。

子育ては、本来、一家でやるものです。

そして、学校や幼稚園・保育園という単位が、一つの村社会のような役割を果たし、助けあい、喜びを、分かち合う。

今、「村」という集まり方が必要ではなくなってきた。ですが、子育てには、必要なのです。

家族という柱を失うと、社会全体が、うまく機能しなくなるのです。

 

「泣き止んでほしい」と思う体験を、減らしている

東洋には、「命は、すべて尊い」という、「一括り」の考え方があります。ネイティブアメリカンも、基本、アフリカもそう。

西洋の哲学は、「役に立つことがいい」と言って、囚われる。理性で分類すれば、人間性の否定になるのに。

役にたつことが、いいと思うと、学校教育に、「子育て」を奪われる。

人間は、生まれながらに、役に立っていることに、気づいて欲しい。

0歳、1歳、2歳児を、切り離し、囲い込む、政府の作った制度が、「泣き止んでほしい」と思う体験を、減らしている。

自分自身の、「価値」を理解する機会を、減らしている。

トトロは、「トー、トー、ロー」しか言わない。最近、それが、全世界に、いい影響を及ぼそうとしている。流れは、きっと変わる。幼児たちが主導して。

 

「マサイ族の風景の中で、再会する」

2025年、正月、松居和チャンネル、今年も、どうぞ、よろしくお願いいたします。

第51回、テーマは、「マサイ族の風景の中で、再会する」

副題が、「6歳の女の子が加われば大丈夫。同級生のつながりと、価値観の伝承」です。

マサイ族の風景(波動の共有で存在する次元)で再会するために、誰の人生にも、道案内人として、0歳児が登場する、というような話なのですが、ちょっと児童文学の世界で起こりそうな、実話です。

 

人間の人生は、沈黙の中で、魂のコミュニケーションが始まる。その機会を逃してはいけない、放棄してはいけない、という話なのです。

哺乳類である「人類」は、避けられない「運命」として、喋れない人と、数年間過ごす。何千年も、何万年にも渡って、それを繰り返し、やり続け、進化して来た。

遺伝子の法則が、そこに存在していた。

それが、母子分離で始まる保育、それに続く教育システムの普及によって、いきなり滞ってきて、摩擦を起こし、難しい状況をあちこちで生んでいる。

ある日、2歳児と私、二人きりの、ちょっとした不安の中に、6歳の女の子が一人加われば「その日」は、もう大丈夫。そんな、象徴的な出来事が、私の人生にはあった。

育て合い、育ち合いの、風景が、人類を安心させる。

女の子の「善性」を、2歳児が引き出す時、「努力」や「企み」と離れた、大自然の流れが生まれていた。

美しい、風景だった。

謹賀新年、良い年になりますように

明けまして、おめでとうございます。本年も、どうぞよろしくお願い致します。

良い年になりますように。「子育て」の流れが、変わりますように。

「一日保育体験」と「読み聞かせ」が、この国の「感性」と「常識」を復活させますように。

一園ずつ、でいいのです。

年末に届いた、伊豆海こども園の「えんだより」、全国に配りたい。

政策論争など、どうでもいい。

現場の保育者たちの「意志」に、お願いするのが、いい。

大晦日に、更新した松居和チャンネル第50回、について、少し補足です。

保育界でもそうでしたが、子どもたちに対しての「常識」に欠けている教師を、雇わざるを得なくなっている。政府の母子分離政策で、人間は012歳児を母親から離さない、という「常識」が社会全体から失われていくことが、原因です。

それに、気づかないと、義務教育は、修復できない。

政治家たちが、いい事をしようとすると、往々にして、「意図」と「結果」が、食い違う。悪いことになってしまう。「子どもたちの願いと」政治家たちの「願い」が相反しているのだからそうなる。

体験的な「常識」を身につけていない人たちが、政治家になっていることが、子育ての現場を惑わせ、保育士不足が引き金になって、崩壊が始まっている。

政府は、いつでも預けられることが、「子育て安心」なのだ、と言った。意地でも、それを取り下げようとしない。「誰の安心なのか?」とマスコミも学者も問おうとしない。

そこまで言うなら、保育士や教師の質を整える「義務」が国にはあった。それが、全く果たされていないにも拘らず、まだ「誰でも通園制度」などと言っている。。

若者たちの「やる気」が、母子分離によって、消えていく。

石垣島の保育園は、ついこの間まで、四歳で卒園。五歳児は、一年保育の公立幼稚園に通っていました。その仕組みが、私は、不思議に好きでした。一年間の空白が親たちを育てた。それが、無償化を機に一気に変わった。

 

「園」単位で進める保育士体験で、「村」的な絆を耕し直す。

そして、「読み聞かせ」で、「家族」の意識を固め、一人ひとりが、その天命を知る。

この二つで充分です。

子どもたちが育っていく土壌を、耕し直していくしかないのです。

自然治癒力は、必ず、働く。日本は、いい国です。

 

最後の火曜日が、大晦日になりました。

最後の火曜日が、大晦日になりました。

知人に勧められて始めた「松居和チャンネル」、一年間、ありがとうございました。来年も、どうぞ、よろしくお願いいたします。知り合いの方に、チャンネルを薦めてください。

良いお年をお迎えください。

▼第50回

(テーマは)「子育て」を教師に任せられない、どうするか。副題が:子どもは、絶対に親の責任。石垣島の話。

水戸で、幼稚園と、小学校、中学校の保護者たちが一緒に集まって、講演を聴いてくれました。

「先生が足りない」状況で、「尋常では考えられない」担任が増えています。子どもを守るためには、親たちの「絆」が必要です。そして、感謝です。与えられた「責任」に対する感謝が、人を強くします。

倍率が3.4ないと、教師の質が保てない、という神話が、教育委員会にはありました。志願者の三人に二人は、教師になってはいけない人。

いま、多くの県で、小学校教員の応募倍率が1.0。

3.4から1.0に下がるまでに、どれほど「教員になるべきでない人」が雇われてしまったか。

政府が母子分離政策を続けるかぎり、教師の質を保つのは、もう不可能です。親が、責任は自分にある、と腹を括るしかない。

子どもは、親の責任。

学校の責任にはしない。幼稚園、保育園の責任には、しない。これは、以前は当たり前だった、いい人生の「腹の括り方」です。

自分が、引き受けるしかない、と決心すれば、親たちの「絆」が生き返ってくる。実例を、「ママがいい!」に書きました。

決意した親たち、それが「人類」そのもの、だったのです。人間は、子どもを授かった時に「天命」を知る。(それに気づいて、感謝する。)

その感覚が、「常識」として戻らないと、今の社会は、体験に基づかない「情報」に縛られ、「実態のない富と欲」に操られている。一網打尽にされないうちに、日本だけでも、逃れましょう。この国には、まだチャンスがある。

学校を見限る時の「準備」に「読み聞かせ」が、不思議に、いいのです。1日一冊、10分でいい。2歳くらいから小学校を卒業するまで。できるなら、中学を卒業するまで。😀

すると、揺るがない「信頼」が完成します。

それくらい不思議な力が、(絵本にあるのではなく)、親が子どもに「読み聞かせる」という「行い」にあるのです。

 

研究すべき「宇宙の流れ」

0歳からの保育施設利用は子どもの発達に好影響 – “3歳児神話”に提言、というニュース報道。
 〇歳児を見つめたり、抱きしめたりしている時に「人類」が感じる、自分自身の心の動き、が、この、4万件のデータを解析した、という東北大学の研究チームのデータには入っていない。
 これが「学問」の馬鹿馬鹿しさ。
 それで、〇歳から預けることを、他の人間たちに「東北大」というブランドを使って、薦めようというののだから「タチが悪い」。
 母子分離について研究するときに、学ぶべきことは、自分自身の中にある「宇宙?」だったはず。それを感じながらやるのが、「研究」でしょう。まずは、自分が赤ん坊を抱きしめること、そこから、ちゃんと始めて欲しい。
 東北大の学生たちに言いたい。「市場原理に取り込まれ、0歳児の母子分離を手伝うより、なぜ、破綻寸前の学校教育から教師たちが去っていくか、考えてみてほしい。研究すべき「宇宙の流れ」は、そちらの方にある。」
https://youtu.be/on13C101zmw
https://youtu.be/kXwdyI-u3VM