自民党本部での講演、シャクティ/江ノ島アジア映画祭、

 先週の土曜日、午前中横浜のかさまの杜保育園で講演をし、そのまま永田町へ行き、自民党本部で講演しました。以前厚労副大臣時代に水田次官に紹介された鴨下一郎先生が厚生労働部会のワークショップに推薦して下さり、保育の重要性について、保育園でどう子どもが育ち、親が育ち、絆が形成されるか、について一日保育士体験の実践を中心に話しました。そして、0歳から5歳までの子どもを育てる風景が、本当の意味での日本のインフラを立て直す鍵になるという話をしました。滅多にない機会ですから懸命に話しました。

 先進国社会に、子どもを見つめて生まれる絆を、幸福論として取り戻さないと、親らしさ(=人間らしさ)の喪失は、福祉や社会保障では補えるものではない。反対に、福祉や社会保障の普及、そしてシステムに子育てを依存することが、社会における「急激な人間性の喪失」を招くという話をしました。

 以前から理解をして下さっている田村憲久議員、熊本の桑原先生から紹介され国交副大臣室で2年前お話しをした金子やすし先生、司会をしてくれた丸川珠代議員、保育関係では以前から積極的に動いて下さっているはせ浩議員、元厚労副大臣の衛藤先生ほか、赤石清美議員、三原じゅん子議員、山本一太議員、大勢の方達が聞いて下さいました。ありがたいことです。出来るだけたくさんの方たちに現場の思いを子どもたちの立場になって説明し続けるしかありません。現場の保育者たちが日々の保育の中で思っている親心の喪失と家庭の崩壊を、いつか現場で見てもらいたい、そんな思いを強くしました。
 講演前に鴨下先生とは久しぶりにゆっくりお話しすることが出来ました。丸川さんと田村さんとは、これからも色々話し合いましょうということになりました。いまの流れを踏まえ、10年先20年先のことを考えると、こういうひとたちとつながりが出来ることは、大事なことです。願ってもないことです。幼稚園保育園、そして家庭、この相互理解と信頼関係を育む仕組みを何とか早くこの国に実現したいです。
 江ノ島アジア映画祭におけるシャクティの上映会、もうすぐです。
 ハーフタイムに、私はインドの村から何を学んだか、という講演をし、2曲、演奏します。ぜひ、いらして下さい。大きなスクリーンで見るのはまた格別です。
 11時と2時半の二回です。もし、インドへ実際に行って、シャクティセンターを訪れてみたい方がいらしたら、声を掛けて下さい。
 今週末29日に熊谷のさくらメイトで講演します。熊谷西高校のPTA主催ですが、講演を90分して、演奏を20分します。時々演奏する機会があるとホッとします。熊谷テレビが録画して放送してくれるそうです。

■ 日  時   2011年2月6日(日)

● 映画上映「シスター・チャンドラとシャクティーの踊り手たち」

      1回目11:00 2回目 14:30  (1000円)

 *1回目、2回目とも同じプログラムです。ご都合の良いお時間におでかけください。

              <作品概要>

カースト制度の最下層に位置するダリット(不可触民)の少女たちを集め、差別反対のためにある修道女が彼女達にダンスを教え、公演をしている。その活動の素晴らしさに引き寄せられた一人の日本人音楽家が、修道女の活動、ダリットの少女たちの生活を追った。監督 松居和(2007年/日本映画/カラー/108分)(第41回ヒューストン国際映画祭長編ドキュメ
ンタリー部門金賞受賞)。監督:松居 和

同 時 開 催

●ハーフタイムショー 13:00   ※無料です。

○松居監督の講演と尺八演奏

○インド舞踊・歌

●インドグッズコーナー 10:00?(各コーナー完売次第終了)

インド屋台、関係教材、図書、雑貨、食材など

●インド民族衣装試着コーナー 10:00

                                         *同時開催の内容は、変更になることがあります。


■ 会 場  神奈川県立かながわ女性センター ホール

藤沢市江の島1-11-1 TEL 0466-27-2111

【アクセス】

● 小田急線片瀬江ノ島駅下車 徒歩15分

● 江ノ島電鉄江ノ島駅、湘南モノレール湘南江の島駅下車徒歩20分

● 藤沢駅前から江ノ電バス「江ノ島行き」(15分)→江ノ島下車徒歩5分

● 大船駅前から京急バス・江ノ電バス「江ノ島行き」(約25分)

→江ノ島下車 徒歩5分

■ お問い合わせ

江ノ島アジア映画祭実行委員会 enoshimaeiga@liv

お父さんの感想文

新年早々から講演してあるいています。

栃木の園長先生から一日保育士体験の感想文で、面白いのが送られて来ました。
2才児の娘さんを持つ父親の文章です。給食についての感想文が素晴らしかったので引用します。

2。            保育士の仕事を体験した感想など、お願いします。

 まずは保育士の先生方に「本当にお疲れさまです」とお伝えしたいです。

 私は、保育園とは「預かる」「食べさす」「寝かす」「遊ばす」を事務的に行って、ある意味「監視」という形で請け負っているのかと思っていました。(失礼な発言ですみません)。他所の保育園はわかりませんが、さくら保育園はまったく違うということを実感し、納得しました。なぜかと言うと、まず保育園の中にしっかりとした「教育」の概念が存在していて、それを先生方が「作業」ではなく、「信念」で行っていることを体感したからです。「監視」であれば、理由なく「だめはだめ」「規則は規則」といっていればいいです。一番憶えや、呑み込みがはやいこの時期にそんなことを教わって大人になると、考えず、思いやれずの人間形成が出来上がると思います。

 ですが、先生方が信念をもって園児に「しっかり」「わかるようにゆっくり」「理解したときは褒める」を先生たちのやり方で行っていました。今の大人に一番足りない行動に思えて、感動してしまいました。間違ったことをした園児に「悪いこと」で済まさず、「何が間違っているか」を伝える、これが教育だと思いました。

 今の担任の先生方に娘をお預けできて本当に安心しています。

 ありがとうございます。

4。            給食について感想をお願いします。

 とてもおいしかったです。毎日食べられるのがうらやましいです。

 余談ですが、実は私自身ブロッコリーが大嫌いで、過去に何度も挑戦しましたが、挫折してきました。娘のお友達が「Iたんのパパがいるから、ブロッコリー嫌いだけど食べるね」と言って、顔をしかめながらがんばって食べました。

 「すごい?」と聞かれて、本気で「すごい」と言いました。

 その後もとても嬉しそうにしてくれたのが印象的でした。情けない話ですが、勇気をもらったので、思い切って私もブロッコリーを頬張りました。あの大嫌いな食感が襲ってきましたが、一気に呑み込みました。

 生まれて一度も食べられなかったブロッコリーが食べられました。

 「おいしい?」と聞かれ「おいしい」と答えられた自分を褒めてあげたいです。

 勇気をくれたお友達、ありがとーーーーー!

 

5。            その他

 

 今回の保育体験は、一保護者の意見として、ぜひ「お父さん」に参加していただきたいです。感動します。外に出てコミュニケーションが不足だったり、知らない言葉や表情、お友達の付き合い方、親とは違う大人(先生)への対応などが身近に実感できる滅多にない機会だと思います。こういう機会を作っていただいた園長先生他、たくさんの先生方に娘がめぐり合えたことに感謝しております。

 正直、ニュースなど子どもの話題は悲しく暗い話が多く感じますが、このようなイベントを先生方が信念をもって行っていただき普及して行けば、もっと明るい話題に変わっていくと信じています。

 容易ではないご苦労だと思いますが、これからもがんばって下さい。

 ありがとうございました。

小野省子さんの詩「お母さん、どこ」と解説

小野省子さんの詩

 お母さん、どこ

 

「ヒカリちゃんのお母さん、どこかしら」

「ここにいるじゃない」

「それはコウちゃんのお母さんでしょ」

弟を抱いた私に、娘は言った

長いまつげの小さな目は

悲しげにも見えたし、

何かをためしているようにも見えた

「じゃあ、ヒカリちゃんのお母さんは

どこにいると思うの?」

「病院に寝ているんだと思う。

ばあばが言っていたよ。

ヒカリちゃんのお母さんは病院に行ったよって」

 

娘は、私が弟を出産した日のことを言っているのだ

「お母さんをむかえに行かなくちゃ」

玄関でくつをはこうとする娘の

小さな背中を見ていたら

私は

夕闇の中で

大切な人に置き去りにされたように

心細くてたまらなくなった

同時になぜか

動揺している自分が

くやしくもあるのだった

 

娘はふり返って

私が泣いているのを見て

「あっ、ひかりちゃんのお母さん、

やっぱりここにいた」と

無邪気な風に言うのだった


http://www.h4.dion.ne.jp/~shoko_o/newpage8.htm (省子さんのホームページ)

(解説)

 三歳の娘が、そこにいる母親に向かって、「おかあさんどこ?」と言ったとき、娘は魂の次元のコミュニケーションに入っている。

 「ここにいるじゃない」では、答えにならない問いかけに、母親は応えなければならない。父親なんて、普通、こんな質問さえしてもらえない。

 泣くしかなかったお母さん。

 言葉のない会話を、0歳からずっと娘と続けてきた母親は、「泣く」というやり方で、ヒカリちゃんに答えることができた。それは、娘の魂に寄り添うこと。

 自分が病院に居た時に、玄関で何ども靴をはこうとした娘の姿をイメージし、そのイメージと心を合わせることが可能だったから、言葉で答えることの無意味さを知っていた。言葉ではないコミュニケーションの次元が存在することを母親は知っていた。それを学ぼうと、人間たちは幼児とつきあい続ける。母は何も悪いことはしていない。いくらでも言い訳ができたのです。しかし、娘の悲しみは、その言い訳が通じる次元のものではないことをすでに娘から教わっていた。

 子育てだけではなく、人間関係は育てあう時、悲しみや絶望感を必要とすることが多いのではないでしょうか。子どもたちは、そのことを正直に私たちに告げる。魂を感じあうしかない絆の確認で人間は生きてゆくのです。悲しみを避けていては、絆は育たない。こうしたコミュニケーションの先に、前回紹介した「愛すること」の詩があるのだと思います。

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 0歳児が初めて笑った時、見ていた人間たちは嬉しくなり、命を眺めるひとたちの心が一つになる。それが、人間社会の原点だと思います。

 産むことは育てること。人間が「自分自身を体験したい」と宣言すること。0歳児と言葉のない会話を繰り返し、人間は年をとって、お地蔵様や盆栽、海や山とも会話出来るまでになる。こうしたコミュニケーションが、人間の精神の健康を保ち、生きる力である絆を生む。

 幼児は「頼りきって、信じきって、幸せそう」、宗教の求める完成された人間像を私はそこに見るのです。
 完成している人間が一人では生きられない。ここが、素晴らしい。真の絆が生まれます。
 集団で遊ぶ幼児をながめ、人間は、自分がいつでも幸せになれることに気づき、幸せは、「ものさしの持ち方」だと学びます。「自分も昔、完成していた」と気づいた時、一体感が生まれます。

小野省子さんの詩『愛し続けていること』

『愛し続けていること』 詩/小野省子

いつかあなたも
母親にいえないことを
考えたり、したりするでしょう

その時は思い出してください
あなたの母親も
子供にはいえないことを
ずいぶんしました

作ったばかりの離乳食をひっくり返されて
何も分からないあなたの細い腕を
思わず叩いたこともありました
あなたは驚いた目で私を見つめ
小さな手を不安そうにもぞもぞさせていました

夜中、泣き止まないあなたを
布団の上にほったらかして
ため息をつきながらながめていたこともありました
あなたは温もりを求め
いつまでも涙を流していました

わたしは母親として
自分を恥ずかしいと思いました
だけど苦しみにつぶされることはなかった
それは小さなあなたが
私を愛し続けてくれたからです

だからもしいつか 
あなたが母親にいえないことを
考えたり、したりして
つらい思いをすることがあったら
思い出してください

あなたに愛され続けて救われた私が
いつまでもあなたを
愛し続けていることを

http://www.h4.dion.ne.jp/~shoko_o/newpage8.htm (省子さんのホームページ)

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 出会うことの不思議は、人それぞれが自立出来ないといことを証明しているようです。去年、私の講演を聴いた一人の母親が、手紙と詩を送ってくれました。

 「話が進むに従って、私の中で不思議に思っていた問題が少しずつ解かれていきました」と書いてありました。

 自分が子育てをしながら書いた詩の解説に、私の講演がなったのです。私は、最近講演でこの方の書いた詩を一つ朗読します。短い詩が、私の2時間の講演の全てを説明してくれる。詩という芸術の素晴らしさを実感します。余韻、余白、で表現する、これは、言葉の喋れない0才児が私たちから「人間性」を引き出そうとする人間の進化の仕組みに似ています。感性の世界で全体的につながることを要求する。詩人の感性は、子どもの感性とよく響きあう。この余韻、余白から生まれる時空を超えた感性の絆が、人間社会には大切なのだと思います。人が育てあうことの背景には「信頼」が存在する。信頼を確認するために人は永遠に育てあう。
 人間が育てあい、支えあう行為が、人間対システムになってはいけないと思います。人間対自然であればいいけれど、システムは人間の思考から出来上がっていることが多いので、偏りが出て来てしまう。社会全体で子育て、と政治家は言うけれど、それでは、社会から本来の人間性が失われてしまう。システムが人間を支配するようになってしまう。

 幼児は信頼することで私たちに人間であることの幸せを教え、ときどき許し、絆を育てる。それが初めにある。それが社会。そして私たちは、詩人がそう言うように、幼児によって「救われる」。そうやって人間性は潰されずに回り続けてきた。絶対的弱者が運動の始まりに存在して、動機、意思を生み出す。
 講演でこの詩を声に出して朗読すると、時々、最後のところで泣きそうになってしまいます。

(小野さんの子育て詩集「おかあさんどこ」がhttp://kazumatsui.com/genkou.htmlからダウンロードできます。)

シャクティの上映会/江ノ島アジア映画祭、2011/2/6

「シスターチャンドラとシャクティの踊り手たち」が江ノ島アジア映画祭で上映されます。

http://enoshimaajiaeigasai.art.officelive.com/default.aspx (映画祭のホームページ)

大きなスクリーンで見るとまた違った印象があります。

お誘い合わせの上ご来場くだされば幸いです。どなたか、江ノ島の方の方をご存知であれば、ぜひ、推薦ください。

2回ある上映の間に、少しお話しをし演奏もしようと思っています。

上映後に、ご希望があれば数人で集まってお茶会でも出来るといいのですが。



■ 日  時   2011年2月6日(日)

● 映画上映「シスター・チャンドラとシャクティーの踊り手たち」

      1回目11:00 2回目 14:30  (1000円)

 *1回目、2回目とも同じプログラムです。ご都合の良いお時間におでかけください。

              <作品概要>

カースト制度の最下層に位置するダリット(不可触民)の少女たちを集め、差別反対のためにある修道女が彼女達にダンスを教え、公演をしている。その活動の素晴らしさに引き寄せられた一人の日本人音楽家が、修道女の活動、ダリットの少女たちの生活を追った。監督 松居和(2007年/日本映画/カラー/108分)(第41回ヒューストン国際映画祭長編ドキュメンタリー部門金賞受賞)。監督:松居 和

同 時 開 催

●ハーフタイムショー 13:00   ※無料です。

○松居監督の講演と尺八演奏

○インド舞踊・歌

●インドグッズコーナー 10:00?(各コーナー完売次第終了)

インド屋台、関係教材、図書、雑貨、食材など

●インド民族衣装試着コーナー 10:00

                                         *同時開催の内容は、変更になることがあります。


■ 会 場  神奈川県立かながわ女性センター ホール

藤沢市江の島1-11-1 TEL 0466-27-2111

【アクセス】

● 小田急線片瀬江ノ島駅下車 徒歩15分

● 江ノ島電鉄江ノ島駅、湘南モノレール湘南江の島駅下車徒歩20分

● 藤沢駅前から江ノ電バス「江ノ島行き」(15分)→江ノ島下車徒歩5分

● 大船駅前から京急バス・江ノ電バス「江ノ島行き」(約25分)

→江ノ島下車 徒歩5分

■ お問い合わせ

江ノ島アジア映画祭実行委員会 enoshimaeiga@liv

横浜の八ッ橋子ども園

 横浜旭区の八ッ橋子ども園で講演をしました。園児が350人のマンモス園です。親の参加行事がものすごく多い、昔から地域の絆の原動力になっている園でした。園の建物は古くなっていましたが、新しい子育て支援センター、水泳教室、音楽教室、英語教室、なんでもありました。その地域の小学校のP`TA活動は、この園を卒園した父母たちに支えられている、ひょっとすると、この園に子どもを通わせたことが、親子の一生を左右する、そんな感じの園でした。子どもが勉強出来るようなるとか、勤勉になるとか、そんなことではないのです。子育てで一番大切なのは、親に相談相手がいるかいないかだと思うのです。相談相手から良い答えが返ってくるかはどうでもいいのです。親身な人間関係が親の周りにありさえすればそれで良いのです。その第一はもちろん配偶者ですが、友だちも大切です。

 「幼児」という存在が、この親身な人間関係を人間社会に生み出すためにあるのです。それを創らないと「幼児」は生きられない、だから、もう一度幼児の存在意義を社会に取り戻さなければ、日本もますます孤独な人間たちの競争社会になってしまいます。子育ての社会化で崩れた絆は、とても福祉で補いきれるものではありません。雪だるま式に家庭崩壊と犯罪が増えて行きます。

 「幼児」が一人では生きられない真の理由を、国として思い出す時期に来ています。

 私は幼保一体化には反対ですが、こんな感じの子ども園が全国に増えるのであれば問題ないのです。形ではない。やはり鍵は園長先生の親子を見つめる視線、視点、そして気合いです。講演のあと、園長先生と、私を園に紹介してくれた林さんと、古川横浜市議と学生と、1時間ほど語り合いました。外が寒いのに、部屋の中には熱い思いと議論がありました。園長先生の、親を育てている、絆を作っているという実感のある自慢話がとても気持ちよく、少々長居をしてしまいました。親にしてみれば行事が多くて大変だろうと思われる園が、来年はもっと人数が増えるほど人気があるのです。経済が悪くなり、世の中が荒れてくるほど、人間は絆を必要とするのだと思います。今年最後の講演でした。ホッとした気分になりました。

 帰ると、栃木の中山先生からメールが入っていて、絵本わにわにシリーズのサイン本が何冊か欲しいと書いてありました。「わにわにのおふろ」「わにわにとあかわに」とか色々あって、子どもや保育士たちに人気なのですが、実は私の妹が文章を書いていて、先日の講演でそのことをちょっと喋ったら、「えーっ」という歓声があがり、すごく受けました。保育士たちの私を見る目が変わったように思います。持つべきものは妹です。さっそく妹に電話をして、お願いしました。

今年も残りわずかです。

 沖縄に行きました。ちょっと休憩のつもりだったのですが、石垣島の宮良先生の采配で、初めて本島で講演会をしました。懇意にしている沖縄の開教育委員長も来て下さいました。ありがとうございます。おかげさまで次の日に、仲井真知事にも会えました。沖縄でも、一日保育士体験広がるといいのですが。最近の無縁社会と呼ばれる状況を見ていると、子どもを眺めて絆が生まれる、社会の原点を早く少しでも取り戻さないと、このまま対処療法では後戻り出来ない社会に日本もなってしまいます。

 沖縄は、ほとんどの子どもが5歳の時に1年間公立幼稚園に行きます。アメリカのプリスクールシステムがいまだに残っている不思議な県です。保育園に行っている子どもも、4歳になると卒園して幼稚園に行くのですが、それが、法律ではなく、伝統として残っているのです。経済本位のシステムが人間を創る時代に、人間が自らの意思で伝統を作っています。

 ひめゆりの塔に行きました。たくさんの写真に囲まれ、様々なことを考えました。ふと、36年前、アウシュビッツに行った時のことを思い出しました。アウシュビッツは寒かった。まったく偶然だったのですが、その時、私をポーランドに誘って下さった丸木位里、俊先生の絵に沖縄で再会しました。佐喜眞美術館という美術館に偶然寄ったのですが、そこに沖縄戦の図がありました。館長に案内され、美術館の屋上から普天間基地を見ました。

 一昨日の「親心を育む会」の例会に、民主党の本田平直代議士が参加しました。普段から園長たちが子どもの幸せを願って考えていること、矛盾に感じていること、ほとんど憤っていること、と言ってもいいかもしれませんが、それを2時間伝えました。通じてくれると良いのですが…。業界としてではない、親子を毎日見続けているひとたちの声を新鮮に受け止めてくれることを願うばかりです。
 私学会館の時もそうだったのですが、政治家が政治家モードに入ってしまっていると、方程式みたいな答えしか返ってきません。宣伝カーと話しているみたいで、心で話している感じがしないのです。でも、育む会の園長、保育士たちは、人情味のある、とりわけ大地を感じるひとたちなので、結構通じたかもしれない、と私は思うのです。
 月曜日に、紹介されて参議員会館でお会いした奈良の中村哲治議員は、なぜかとても人間的でした。ちょっと魅かれました。またお会いしたいです。
 人間的と言えば、栃木の公立保育士たちの勉強会が今月2度あって、新システムについての説明とこれからどうしたらいいのか、という話しをしたのですが、山椒魚の中山先生に会いました。私の講演の前に必ず山椒魚を3匹食べさせる先生です。夜の席で、また、現場の面白い話、とんでもない話を聴きました。こういう人が、大学で教えているとずいぶん良いと思うのですが、気合いの入っていない大学生に教えるよりは、勘違いしている保育士を現場で指導する方が現実的で、いま大切です。現場で、これほど気合いを入れて保育の質を高めようとしている先生がいると、私も頑張る動機になります。ちなみに、中山先生は若い頃セドリックの車高を低くして日光の山々を飛び回っていた先生です。もちろん女性です。
 こういう人が山にはいるんだ、と幾人かの政治家たちに見せたい。そして、政治家ももっと大地をレベルで感性を磨いてほしいと思います。

ホッとしました

 昨日、私学会館で私立幼稚園の園長先生たちに講演しました。私の前に、内閣府の副大臣が子ども・子育て新システムについて話し、私のあとに本当は小宮山厚生労働副大臣が来るはずだったのですが、別のこのシステムのリーダーでもある林参議院議員になりました。そこで、急遽予定が変わったこともあって、私も含めたパネルディスカッションになりました。平和な論議にはなりませんでした。

 そのあと、六時半から東村山で保育士たちに講演することになっていたので、慌てて車に乗り込むと、都内が渋滞で間に合いそうもありません。電話をすると、待ってます、と言って下さいました。
 午後の講演で、ちょっと強く言い過ぎたかな、と思いながら、焦る気持ちを押さえ、なんであんなになってしまったんだろう、と反省しながら車を飛ばし、着いた時はもう七時半でした。でも先生たちは温かく私を迎えてくれました。保育園のホールで、仕事のあとに自主勉強会に出て来てくれた三つの園の先生たちの顔を見ていると、心からホッとしました。とても、人間的な世界に戻ってきたような、不思議な感じがしました。環境によって、ずいぶん変わってしまう自分を再認識し、それはきっと子どもたちも同じなんだろうな、と思いました。そして、ここにいる保育士たちの創り出す「空気」に、親として感謝しました。

幼保一体化は阻止出来るかもしれません

 いま政府が次の国会にかけようとしている子ども・子育て新システム、私も阻止するために努力していますが、幼稚園と保育園の一体化部分は止まりそうです。

 幼稚園も保育園も、どちらも長い伝統とそれぞれの勉強、研究の歴史があります。こんなに簡単に雇用・労働施策で一体化させられるなど、とんでもない話です。子どもたちの成長に大切な役割りを果たして来た保育界に対する敬意が感じられない。
 現場も親たちも誰も望んでいない。愚策と言おうか、こんな施策が簡単に通ると思っていること自体、政府は保育をあまりにも軽く見ている。これ以上無理に進めたら、現政権にとって致命傷になるかもしれません。日本では、まだ6割の子どもが幼稚園を卒園しています。私立幼稚園連合会では全国で一千万人の反対署名を集めようと準備をしています。

 しかし、幼稚園が一体化から外れそうだからと言って、ここで安心してはいけません。幼稚園と保育園がそれこそ「一体」になって新システムそのものに反対しないと、またいつか政治家の思いつきで保育の質が揺らぐかもしれません。