日本助産師会関東地区の研修会で、静岡で講演しました。

昨日、日本助産師会関東地区の研修会で、静岡で講演しました。

常日頃から、命の誕生に関わっている人たちです。ですから、元気で、根性があって、生き生きしています。

子育ての「始まり」のところにいる保育士たち、助産師さんたちが、012歳を長時間母親から引き離すのは「可哀想」という意識、「母性」を、自信を持って取り戻してほしい。「意識改革」を主導してほしい。

そう思って、私も一生懸命話しました。

彼女たちの母性が、教育長や市長を説得した時、社会は、再び「子育て」でまとまるようになると思う。それには、親子に最初に話しかける「助産師」さんの存在は、大きいのです。

親身な助産師さんに救われる、人生を導かれる一家がたくさんあるのです。

この人たちが最初の道筋をつけ、それが幼稚園や保育園に繋がり、親心の「ビオトープ」として回り始める。

そんな風になるように、よろしくお願いいたします。

(動画は、懇親会で踊られた「お産、サンサン踊り」です。こういう不思議な光景に出逢います。私のように、不思議な講演をしていると。😀)

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サウンドチェック風景

松居和チャンネル第42回は、ガムラン音楽について話しました。その最後に、番外編で、先日やった「不思議なライブ」のサウンドチェック風景を添えておきました。

こういう次元は、いい。

ガムランの存在意義にも重なる。

ギターの中脇さんは、松居和チャンネルを始めるように薦めてくれた人。パッフィーとキャリーピャムピャムのプロデューサーで、ずっと以前、高校時代に、私のアルバムをすり減るほど聴いてくれた人。

この晩は、マドンナと20年ツアーしていたドナさん、GlayのTAKUROさん、ボーカルのアルマさん、それぞれの違った道筋が交差して、人生一度きりの「響」を献奏しました。

音楽は、人間に、「時の流れ」と「運命」を感じさせます。信頼関係があると、「出会い」は無限の可能性を持つ。その期待感が、生きる動機になっていく。

 

原宿で、ライブの打ち上げ後の四人。

ヨガの先生で歌手、マドンナと20年ツアーしたドナ、タブラ奏者のJosse、私とプロデューサー兼ギターの中脇さん。(パッフィーのプロデューサー)

私的なピンク・フロイドという空間が、とても心地良かったです。ドナの応援に駆けつけたGlayのTAKUROさんのギターも良かった。

私が、音楽は時々で、普段は、講演して本を書いている言うと、当然「何について?」と聞かれる。

「アメリカを絶対真似しちゃいけない、って話さ」と言うと、「おー」と言って大喜び。

ヨガと尺八は国境を超え、話が弾みます。

「詳しくはFBの翻訳機能を使って」と頼み、

いい夜でした。

人類は、すでに様々な手法を発見している

 

「不思議な楽器群が、インドネシアから運ばれ、それが地下室にあることなど想像もしなかった学生たちが、偶然このアンサンブルに加わる。」

この「手法」を発見し、練習室で起こる現象(phenomenon)を体験する。

「法律や政治経済を専攻し、闘う手法を教わって、密かに自信を持ち始めていた彼らの意欲が、揺れる音階で中和され、鎮まる。」

「それまで知らなかった自分を体験し、それを使いこなせるような気がする。」

 

この道筋と手法を知れば、孤独とは無縁の人生が開ける。その手法を、人間はすでに与えられている。人類はすでに様々な手法を発見し、それを磨いて来たのに、最近、それを見失おうとしている。

 

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『社会』の定義が密かに変化する

火曜日です。😀今回は、少しいつもと違う内容、体験についてです。
松居和チャンネル第42回は、バリ島のガムラン音楽について、です。独特に調律された音の重なりから、様々な秘密や、謎が浮かび上がってくる。人間のする「魔法」の中では、かなり不思議で、しかし、確実なやり方です。

 

 

音楽で整える。その辺りを忘れてはいけない、これは子育てに関して、とても重要な点で、これまでにも、子守唄について、背景に流れるメロディーによって人生が変わること、などについて話しました。

ガムランオーケストラの「揺れ」、役割分担で起こる「大自然の調和」、清流のような美意識に包まれると、「忠誠」という言葉が、温かく、強く、その先に生まれる「秩序」が待ち遠おしく思える。

「自分の中で『社会』の定義が密かに変化する」。アメリカで一緒にそれを体験した青年が、言いました。

「それ」を、形を変えて、幼稚園、保育園、学校で日本の子どもたちや親たちに繰り返し、「日常」的に体験させる。
以前、このチャンネルで、「保育園で父親をウサギにする話」をしました。あんな感じです。幼児たちが集まっている場所では、それが自然にできる。「経済」とは真逆にあるものが、見えてくる。
古(いにしえ)のルールを肌で感じ、そこそこの「出会い」と、働きが、組み合わされば、社会は鎮まり、絆が深さを増していく。

 

国際会議は、古(いにしえ)のルールを確認する場所です

火曜日です。

松居和チャンネル、第41回のテーマは、「国際会議」。

副題は、「文化や国境を超えて、次元が広がる」。以前、ある小さな国際会議で基調講演をした時の話をしました。

国際会議は、古(いにしえ)のルールを確認する場所です。

違う文化圏から、歴史や記憶を持ち寄って、大切なことは一体何かを見極める。そうでなければいけない。

私が主張したのは、「子どもを可愛がる」という道筋は、誰でも手にできる「権利」だということ。私が一人で公園に座っていれば、変なおじさん。でも、三歳児と座っていれば「いいおじさん」。それに気づくことが「生きる動機」。三歳児は私を「いいおじさん」にしようと思って座ってはいない。「ただ、座って」いる。

そこに、宇宙の大原則が見える。

ネパールとインドネシアの学者は、すぐに、そのあたりのことを理解しました。

欧米の家庭崩壊を知ると、「子育てと保育の関係」については、エビデンスが揃ってからでは遅いのがわかる。特に、5歳までの子育ては、子どもが親を育てるという側面が強いので、よほど気をつけないと、論理性によって「古(いにしえ)のルール」が壊れていく、と説明しました。

子どもたちの役割が、忘れらていく。(それを、欧米の学者たちに伝えたかった。)

自分の人生を考え、利他の感性を磨くのが「子育て」。「学問」も、そうであってほしい、と話しました。

子どもに信用されない社会は、殺伐とする。そこでは、父親像を持たない子どもたちが(特に、男たちが)、それを求めてギャング化している、と、敢えて苦言を呈しました。

人間は「喋れない0歳児」を、永遠に与えられる。そこにある「約束」に、気づかなければ、社会が不自然に歪み始めるのです。

実の「父親」が、多くの家庭にまだ居る、「究極のインクルーシブ」が存在しているうちに、日本は、学問と経済によって進む「流れ」を変えなければいけない、と。

ネパールとインドネシアの学者は、すぐに、そのあたりのことを理解しました。

父親の過半数が役割を果たさない、欧米社会の現実を、サラ・フリードマンとイギリス、イスラエルの学者が否定しないのですから、帰国して、きっとこのディスカッションを役に立ててくれるはず、と思いました。

手放してはいけない「勲章」

幼児期に、自分は信じることができる世界に生まれて来た、という感覚を身につける。それで人間社会は鎮まり、調和する。

欧米社会は、子育てと「教育」を混同して、失敗した。日本の子育ては、「可愛がること」。親たちが、自分の良い人間性を喜ぶこと。子どもを戦力にするのではなく、拝む、喜ぶ、こと。

「利他の気持ち」が薄れてくると、遺伝子がオンになってこない。(村上和雄:「生命の暗号」)

母がいないと、絶対に生きていけない、という状況から、人間はスタートする。

子供たちにとっては、女性の優しさ、が社会を信じるきっかけになっている。「ママがいい!」という言葉は、そのことに対する「勲章」。一生、手放してはいけない「勲章」。

『困った、「進路指導」』

『困った、「進路指導」』

松居和チャンネル、第40回のテーマです。副題は、『小学校の担任は一生「担任」。「やくそく」は続いていく』にしました。

ここで言う「進路指導」は、高等学校の卒業後の進路指導で、「小学校の担任」は、私と、妹の担任の先生たちについて。

その時の「やくそく」の話です。

012歳に対する「ちくちく言葉」は、345歳や、小学生、中学生にされている場合と意味合いが違います。012歳は、弱者の中の弱者。言葉であったとしても、「いじめる」ことが、人間には、どれほど不自然なことか、わかっていない人たちが、出てきている。

そして、高等学校の「進路指導」が、その流れの一部になっている。

保育士を目指そうとする高校生に、学校の進路指導教員が、しばしば、「あなたは、成績がいいんだから、教師を目指しなさい」とか、「四年制の大学に入れるのだから、短大の保育科なんか行かないで」と指導をする。

何が、誰が、この「進路指導」という役割を作ったのか。

その「思考」が、市場原理に組み込まれている。幼児たちの存在意義が欠落している。国の、保育施策と同じ。

倍率が出ない状況下で、その欠陥が、決定的になってきているのです。

「人間性」が、進路指導で価値を貶められ、「損得勘定」で仕分けられ、将来、親となった時の選択にも、確実に影響している。

「学校教育」の衰退、自滅への道筋の象徴的「動き」です。

この流れを許していたら、012歳の願いから、大人たち(親たち)の心が、ますます遠去けられていくのです。

遊んでいる4、5歳児が体現する、「頼り切って、信じ切って、幸せそう」という、一番尊い「幸せの道筋」が、母子分離を出発点に、社会全体から消されたいく。

第40回の副題は「担任について」。

小学校で、いい授業が成り立つこと。みんなが楽しめること。それが、私の一連の発言の「真意」かもしれない。そのために、012歳児が存在する。

私は、いい小学校時代を過ごしました。いまも私を支えている、「いい授業」が、そこにありました。

私の師であり、同志でもあり、今でも「私の担任」と思える先生について、この回で話しました。

妹にとっては、「神」である先生について話しました。

先生たちとの「やくそく」は、ずっと続いていくのです。

私や妹が、創るものの中で。

(小学校が追い詰められています。長時間保育は、やはり人材的に無理ですし、政府の行った規制緩和は、ひどすぎます。それでも、学校を立て直すこと。それが、この国の指針になるのです。水戸市の、幼稚園、小学校、中学校のPTA指導者研修会で講演しました。親たちが、しっかり「絆」を作って、子どもたちを守るしかない、それが、自然なのです、と話しました。)

シャクティの風景は、様々なメッセージを送ってきます。シスターとの出会い。学んだこと、など説明して演奏します。ご参加下さい。上映会してくださる方、ご連絡下さい。私は、ボランティアで無料です。matsuikazu6@gmail.com

自由を奪われることに、人間は幸せを感じてきた。

自由を奪われることに、人間は幸せを感じてきた。それを理解するために、0、1、2歳児という、指導者たちが必要なのです。
私たちが、いま生きているのは、我々の親たちが、自由を奪われることに幸せを感じてくれたから。自由を捧げることに、特上の幸せを感じてくれたから。
「きずな」と「不自由」は背中合わせです。「信頼」が、一番嬉しいのです。
アメリカに住んでいると、自由とか自立という言葉が、「子育て」という「縛り」から解放されるために使われている気がする。「平等」という言葉で正当化しても、それは強者たちの論理、免罪符でしかない。必ず、弱者が、犠牲になる。四割が未婚の母から生まれる。父親から逃げる。

子育てには選択肢がない。親は子どもを、子どもは親を選べない。選択肢がないから、育てあう。育ちあう。「可愛がって」さえいれば、「社会」という「利他」のパズルが自然に出来上がる。信じ合う幸せに、気づくために「子育て」は存在する。

どんな子に当たっても、どんな親に当たっても、当たり。そう思うことで、社会に持続性が生まれる。その出発点を見失ってはいけない。

日本人の非論理性が「トトロ」や「千と千尋」のような「新たな神話」を生み続け、最近、それに世界が惹きつけられている。
魂 の次元で、この国は先進国社会のリーダーになるのだと思う。0、1、2歳児と真面目につき合って、守ってきた「調和」と「利他」の文化を大切にしてほしいのです。

8刷り、になりました。ぜひ、周りの方たちに、勧めてください。

 

幼稚園、小学校、中学校合同のPTA研修会

昨日、水戸市の幼稚園、小学校、中学校合同のPTA研修会に招かれ、講演しました。三つの団体が、絆をつくって考え。教員不足と質の低下で難しい立場に立たされている学校教育を支える、それが出来れば第一歩になる。
幼稚園、小学校、中学校の門のところに、横断幕で「あんたの子だろ!」て書いて掲げればいいんです、という話に、大笑い。
水戸市だけでも、それをやれば全国ニュースになりますよ、と言いました。
パネルディスカッションもあり、いい会になりました。残念ながら、市長や教育長、福祉部長は来ていませんでしたが、ビデオを撮ってもらったので、それを見せるように言っておきました。
親たちが意識を変えることで、整って行くことがずいぶんあるのです。
自主参加の「親父の会」に、95%の父親が参加している幼稚園もあります、と話しました。(これは、もうすぐ松居和チャンネルでも紹介します。)
自分の子どもは、自分が育てる、という決意。そして、他人の子どもにも「責任」を感じる。そんな社会を、少しずつでも取り戻していけば、それが子どもたちにとっての「環境」になるのです。
PTA、頑張ってください。
よろしくお願いいたします。
「ママがいい!」、8刷りまで来ています。
幼児たちの発するこの言葉に、みんなで感謝する社会になりますように。😀

『絵本のある子育て』松居和チャンネル、第39回

『絵本のある子育て』

今週の「松居和チャンネル、第39回」のタイトルです。副題は、「読み聞かせ」で生まれる不思議な空間、次元、としました。絵本、そして、その読み聞かせについては、その普及を生涯の仕事とした父、松居直の息子ですから、幾度かは取り上げたいと思っていたのです。

講演を重ね、義務教育の現場での、待った無しの窮状を目の当たりにし悔しく思うのは、10年以上前、すでに保育現場は追い込まれていた、ということ。それが義務教育に連鎖することは、わかっていたはず。それでも、母子分離を進めた国は「確信犯」。それに気づいて欲しい。

子育てに関わる政策が、子ども優先になっていないどころか、今、教師、特に「担任」の人間性を整えることさえ、危うくなってきている。学校教育の質が著しく落ちている。

親たちはどうしたらいいのか。何ができるのか?

子どもの人生に、危機が訪れた時、親子で立ちすくんでしまった時、習慣として続けていた「読み聞かせ」が、生きてくる。絵本を、毎日「読み聞かせ」ることで、親子の思いや、感性が、様々に繋がっていれば、必ず道筋は、見えてくる。困難が、より一層の「絆」を育ててくれる。

語る人と、耳を傾ける人。文章を書いた人、絵を描いた人が、そこにいる。それぞれの人生が、交わって、重なって「絵本」という形になっている。それが、絵本が提供する「場」なのです。普段、出会えない人の人生と、新鮮に、出会える。そして、子どもたちは、読んでもらえる瞬間を待っているから、その「待つ」ことが、楽しみになる。

実に、簡単。ただ、ただ、利用してほしい。人生に必要な「理解力」が付いてきます。

絵が、動かないことによって、余白や、静寂が生きてくる。その余白で、人間は、魂のコミュニケーションをする。その「余白」が「自分」なのです。ネット情報とか、学校教育、専門知識で埋めていくと、知らないうちに、「自分」が乗っ取られて、支配されていることがある。012歳を、母親と離しては「可哀想」という感覚が、失われていったりする。

「読み聞かせ」から得た立体的な「余白」は、いつまでも「自分」であってほしい。

赤ん坊と、会話をすることで培われる「魂の次元の会話」、その絶対量が減っているいま、「読み聞かせ」を習慣にし、繰り返すことで、社会に必要な「人間性」が戻ってくる。それが、こういう時代に私たちが出来る、一番簡単で、効き目のある対処法です。

最後に、私個人の、珠玉の絵本リスト、と児童文学リストを載せました。とりあえず、これだけあれば大丈夫。

 

「ママがいい!」、8刷まで来ています。