自由を奪われることに、人間は幸せを感じてきた。

自由を奪われることに、人間は幸せを感じてきた。それを理解するために、0、1、2歳児という、指導者たちが必要なのです。
私たちが、いま生きているのは、我々の親たちが、自由を奪われることに幸せを感じてくれたから。自由を捧げることに、特上の幸せを感じてくれたから。
「きずな」と「不自由」は背中合わせです。「信頼」が、一番嬉しいのです。
アメリカに住んでいると、自由とか自立という言葉が、「子育て」という「縛り」から解放されるために使われている気がする。「平等」という言葉で正当化しても、それは強者たちの論理、免罪符でしかない。必ず、弱者が、犠牲になる。四割が未婚の母から生まれる。父親から逃げる。

子育てには選択肢がない。親は子どもを、子どもは親を選べない。選択肢がないから、育てあう。育ちあう。「可愛がって」さえいれば、「社会」という「利他」のパズルが自然に出来上がる。信じ合う幸せに、気づくために「子育て」は存在する。

どんな子に当たっても、どんな親に当たっても、当たり。そう思うことで、社会に持続性が生まれる。その出発点を見失ってはいけない。

日本人の非論理性が「トトロ」や「千と千尋」のような「新たな神話」を生み続け、最近、それに世界が惹きつけられている。
魂 の次元で、この国は先進国社会のリーダーになるのだと思う。0、1、2歳児と真面目につき合って、守ってきた「調和」と「利他」の文化を大切にしてほしいのです。

8刷り、になりました。ぜひ、周りの方たちに、勧めてください。