ワーキングマザー/いただいた浅羽佐和子さんの短歌集から/デンマークの幸福度

浅羽佐和子さんの歌

(講演に来て下さり、いただいた短歌集「いつも空をみて」からです。身の引き締まる瞬間です。)

 

昇進の見送り理由を幼子とするぼろ布のような私

私のキャリアをどうしてくれるのと考えたってあふれる乳汁

仕事中だけはあらゆる不安からのがれられるの、どうしようもない

ヤクルトの小さな容器を積んでゆく ここまでいったら空だよ、ママ

保育園で描く絵はいつもママばかり、ママがぽつんといる絵ばかり

「お母さん、疲れたとだけは言わないでください」若い保育士のメモ

「ママうちにかえろう」ってただ手をつなぐために私はずっとここにいる

代役のない本当のママという役を演じる地球の隅で

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「ワーキングマザー」

 いただいた本の帯に「ワーキングマザー」とあって、出版社がつけたのだと思う

 「働く母親」「外で働く母」ではどうかなと思ったけれど、それでは帯の宣伝文句には向かないことは私にもわかる。「母」という言葉にある伝統的なイメージを払拭し前へ進まなければ、「マザー」にはなれない、そんな意識が働いているのか。しかし、やはりマザーだけでなく母はみな働いている。

 「働く母親」は一人の人間でありうるのに、なぜ「ワーキング」と「マザー」は対立し、そこに葛藤が生まれるのか。日本という国で西洋の言葉を利用する時に生まれる様々な対立は幸福論と資本主義の対立のようにも思える。次元の異なる対立を可能にするための手法なのか。

 園長から聴いたことがある。「ワーキングマザー」から「母」の顔に戻るのは中々難しい。必死にそれをするしかないほど、子どもの目は厳しく、優しい。トビラ一枚のことではない。子どもがあきらめてしまったら、それにマザーが気づかなかったら、と思うと、なるべくそんなことにならないような仕組みに出来ないか、と考える。

 ワーキングとマザーの間に「保育所」が存在していることが、今の社会状況と過去の仕組みとの一番の違いだと思う。特に三歳未満児にとって保育所はあまりにも絶対的な存在で、もはや絶対的過ぎると思う。その仕組みが、限界に来ている。幼児たちのために、その質に責任を持たなければいけない政府によって、幼児たちの存在自体がないがしろにされているのだから、ワーキングとマザーの間にある溝はますます深くなる。みんなで見ぬ振りをするしかない。すると苛立ちがつのる。仕組みを少々変えても、もう誤摩化すことはできない。

 途上国へ行けば、多くの子どもたちは5歳位で働いている。子守り、水汲み、物売りだったりで、一人前になった自分が嬉しいのか、結構活き活きと、美しく、働く。彼らを眺めていると、働くことはいいことなんだな、と思える。働くことは人々にとって人生の絆を育て、教え、教えられ、それは生きてゆくための日常で、形は様々だが人は皆してきたこと。時には「三年寝太郎」や「わらしべ長者」落語の与太郎のような一見役に立たないように見える人たちが重要で、その人たちには労働を超えた、社会における「働き」があったんだろうと思う。社会に必要な「ゆとり」や「人間性」を生み出す人たちなのだと思う。その「働き」が幼児に似ている。

 日常的に働くことで生まれる絆を主体に社会は成り立つ。「子育て」は働くというよりも、「働き」に近いが、それが中心にあるから人間は「働く」。

 今さら英語を使って分類しようとする意図はなにか。「マザー」と「母」の間に微妙な対立が生まれている。どちらも現実から少し離れているのだが、「ワーキングマザー」と「専業主婦」には今風の確かに異なる人生観があって、それは選択肢の問題であって対立はしないほうがいい。どちらも働いている。そこまではわかる。「ワーキング」と「マザー」の間にある葛藤は本人のものであって、経済施策などに利用されない方がいい。ワーキングファーザーとわざわざ言ってもらえないひとたちもいて、その人たちの「父」のイメージは、「母」よりもっと急速に薄っぺらい、頼りないものになりつつある。

 シングルマザーという横文字が定着し、政府の作ったパンフレットには「すくすくジャパン」という奇妙な言葉さえある。仕組みや概念、ニュアンスを変える時は外来語にして広めてしまえば「進歩」に見える、最近のカタカナ語の多くにそんな軽々しい仕掛けを感じる。政府がカタカナ語を盛んに使うということは、施策自体が軽々しいのだと思う。

 日本も急速に悪くなっているとはいえ数字で見れば、欧米の50年前くらいの状況。家庭や家族という概念にしがみつき続ける日本人のしぶとさに感動する。しかも119番に電話すれば救急車が30分以内に駆けつけてくれるのだ。夜、小学生が塾帰りに夜道を歩けるし、子育てするには世界一いい国、と思っている私には、こういう政府の「意図や仕掛け」が、進歩というより危うさに思える。欧米志向で本当にいいのか、特に子育てや家庭観に関わることでは、明治維新以降の欧米コンプレックスはもう卒業したほうがいい、自虐的な感じさえする。もっと自分たちの文化や国のあり方に自信を持ったほうがいいと思う。(後述のデンマーク関連の記述も参考にしてください。)

 乳幼児と、一日中一緒に居る親も結構大変です。いや、そうでもないか。インドの農村でみんなで乳幼児と暮らしている風景を見ていると、心が落ち着いていれば、遺伝子に組み込まれたこの時期の独特の幸福感や親としての成長は何事にも代えられない貴重な人生体験なのだと思う。進化の過程から見れば、この時期を体験することが人生の第一目標だった。幸福感が伴わないわけがない。

 先進国社会では、母親の孤立化が「社会で子育て」という方向性を生んでいる。そして、「社会で子育て」という方向性が母親の孤立化をますます進める。

 家事労働はまだしも、子どもに対する責任には切れ目がない。必ずと言っていいほど目の前で怪我をしたりするから、そうなると言い訳出来ない。祈ったり、謝って暮らすしかない。三歳までの子どもを育てていると、常に、ヒヤヒヤする。自分で判断し、創造しなければならないことがたくさんあるから、逃げ出したくなることもある。本来、一人でやるものでは絶対にない。

 単純に、会社を辞めて子育てに逃げる人と、子育てから会社に逃げる人が居たとして、その動機を比べてみると、どちらが幸せを探しているか、そんなことを考える。

 本来逃げられないものから逃げられるようになった社会が、幸せなのか。選択肢があるということは自己責任が増えることであって、実はそんなにいい事ではない。自己責任は自己嫌悪につながることが多い。連帯責任か神様の責任にするのが、絆に守られる人間社会を作るコツかもしれない

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

デンマークについて

 

 デンマークという国の幸福度が高く、日本は先進国で最下位という報道があった。私はこの西洋人が(特に学者が)勝手に決めた「幸福度」というのが好きではないので、関連しそうな数字を一時間くらいネットで調べてみる。まず基本的な数字を日本と比べると、

女性がレイプされる確率:日本の十倍 (スエーデンは60倍)

傷害事件の被害者になる確率:十五倍

ドラッグ汚染率:五倍

 以前、調べた数字もだいたいこんなものだったと思う。ネット上の情報は様々ですが、比較する時は、まず、こういう基本的な数字から入るべきだと思う。これだけ物騒で(傷害事件)、男女間の信頼関係がなく(レイプ)、若者たちが夢や希望を持てない(ドラッグ)国を、日本より幸福な国と位置づけるには「無理な意図」が背後にある。この世界を覆う「無理な意図」が日本にも確実に影響している。

 仏教を土壌とした「欲を捨てることに幸せがある」という文化と、資本主義を動かす「勝つことが幸せだ」という物差しが日本でぶつかる。特に子育てでぶつかる。(ワーキングとマザーがぶつかる。今の仕組みの中で、幼児の視線を感じれば、その瞬間両立出来ないから、ぶつかる。もっとうまく両立に近いやり方を模索できると思う。幼児の気持ちを優先させれば、できると思う。)

 大学を中心とした社会制度に関連した学問は、一般的に欧米が本場で欧米を肯定することで生き残ろうとする傾向がある。デンマークは幸福だ、的な論理が国連で認められてしまうと、単純に受け入れ、意外と普及してしまう。前述した基本数字をみればわかるように、欧米の後を「幸福度」なとどいう言葉で追いかけたら、世の中は殺伐とし、弱者という多者が追い詰められ、取り残され、不幸になってゆく。

 しばらく検索していると、デンマーク在住の日本人と、日本在住のデンマーク人の文章に出会った。先入観と意図を含む学者の研究より、ストリート系の普通の感性で書かれた文章により真実が見える。幸福度に関しては、直感的にこの解説あたりが妥当だと思いましたので後述します。

増えているヤング・マザー。幼児期のネグレクトが原因?

テレビの番組のこととか、幼児期のネグレクトに関する新聞の記事などは、五年前の記述ですが生活に沿った、子どもたちの幸福感に直結する、リアリティーを感じるデンマーク情報だと思います。国全体の置かれた「子どもが成長する過程における」環境が見えて来ます。

 日本では、13歳の母親が増えているという状況が全国紙の記事になるような事態には至っていない。性犯罪や麻薬の汚染率も欧米よりはるかに低い。

 ここには挙げませんが、いまデンマークが伝統的家庭観を取り戻すために進めている施策にはとても良いものがあって、主に子育てを夫婦に返そうという動きですが、良く観察すると背後にはいわゆる「右傾化」がある気がしてならない。米国のキリスト教右派の動向と似ています。方向性はいいのですが、背後にある動機が差別的で危ない。痛し痒しですね。でもそこまで追求せずに、いいことをやっているという事例でデンマークの施策を挙げるのは有効です。五十年前のデンマークで、または、いますぐに日本で始めたら、人類の進化の過程を変えるかもしれない、と思えるような施策があります。子どものいる夫婦は、夫婦合わせて一日9時間以上働いてはいけない、というような。

 危惧すべきは、「欧米ではこうで」という論法を使うと、政府の施策とかなり一体になっている経済論の立ち位置から、経済優先の雇用労働施策、「社会で子育て」の方向へ進むことです。首相がいまだに言う「三年以内に40万人保育園で預かります」という数値目標も、欧米並みに女性を家庭以外の場所で働かせようという税収を目標とした労働施策です。こっちの方が危険。欧米並みに家庭崩壊が進むと、福祉が成り立たなくなり、必ず治安が悪化します。

 文化や伝統、宗教の土壌が異なるのですから。「欧米では」という考え方は全般的にやめた方がいい。

 男女平等という概念でもそうですが、一流企業に女性の役員が少ないとか、県会議員に女性が少ないとか、欧米式の競争原理における「平等論」をこの国で掲げるのは馬鹿げている。子育てに価値を見出し、子どもに寄り添う母親であろうとする女性を男性優位社会の犠牲者のように決めつけることこそ、女性蔑視だと思う。選択肢として、いい親であろうとすることや、欲を捨てることに人生の目標を定めるのはむしろ王道です。仏教もキリスト教もその道を薦めている。

 「逝きし世の面影」(渡辺京二著:明治維新前後に日本に来た欧米人の日本関する記述を集めた本)に書かれているように、欧米人が150年前「パラダイス」と賞賛した社会の形が日本にあった。それは男も女も子どもを可愛がり、子ども中心に生きていた人たちだった。この国の考え方や習慣、一昔前の常識の中に様々な解決策を見つけ出す方が自然だと思います。

ーーーーーーーーーーーーーー

 

『デンマーク在住の日本人のコメント』

 

増えているヤング・マザー。幼児期のネグレクトが原因?

2009-02-26 | デンマーク最新

 デンマークには「ヤング・マザー」という番組がある。

 20歳まで、ある時は15歳でママになった少女たちを主人公に、夫や両親などの家族の様子や、公的社会支援を受けて生活を構築していく様子を伝える番組である。かなり人気があり、デンマーク人はよく見ている。

 一緒に見ながら、「ヤング・マザーを支える社会の仕組もよく整っているなあ」というように見ていた。

 しかし、これは大きな社会現象のようで、、、、、

 218日のユラン・ポステンデンマークで最多の発行部数を誇る高級紙) によれば、、、、

 13歳で母親になる少女が増えており、これは「できちゃった!」というようなものではなく、彼女らが、望んで計画的に行っていることだという。避妊の失敗による事故ではなく、「家族の夢」や「無条件の愛」を求めての結果であり、彼女らは妊娠のメカニズムについてよく知っており、計画的に妊娠している。

 ヤング・マザーたちの世話をしているソーシャル・ワーカーが言うには、

「彼女らは家族を欲しがっています。そして、ずっと続く愛や無条件の愛をほしがっています。だから、妊娠は計画的なものであり、妊娠したことをとても喜んでいるのです」とのこと。

 しかし、「15-18歳以下での妊娠は早すぎ、人間としても成熟していたとしても親業まではまだ早すぎるので、対策を講じたほうがいい」のである。

 そこで、どこに手を入れたらいいかという話になるが、彼女らの動機を考えると、性教育のまずさや次期うんぬんとは別の時限の話になってくる。

 

 デンマークでは、ヤング・マザーに親としてのトレーニングを行うハウスもあるようであり、そこのハウス長は、次のように話している。

 「若くして母親になった少女の5人に1人は、確かに計画的に妊娠しています。しかしもっと強い現象は、彼女らの満たされない欲求に対して、自分の感情と戦ったうえで妊娠という方法を選んでいる、ということです」

 「ここに来る若い母親たちは、幼児期にネグレクト(親からの放置)を受けたケースが多いのです。だから、若くして、家族を持ちたい!愛情が欲しい!と思うのです。それは、彼女らが考えた末の、ひとつの戦いの結果なのです」

 

 

日本在住のデンマーク人のコメント

 

 僕はデンマーク人です。デンマークの例から挙げますと、1970年代に労働者不足になっていたため(今の日本ですね、高齢者が増えて労働者が足りない)、トルコからの労働者をどんどん受け入れました。

 当時のデンマークの政治家は無責任で一度受け入れた労働者には家族や親せきを呼ぶ権利まで与えました。当時デンマークでは生活支援法というのが出来たばかりで失業しても失業手当を貰う権利が国民に与えられました。福祉が充実して海外から見れば天国みたいな国でした。今も日本の多くの方が「天国みたいなデンマーク」に行っては福祉の勉強をしています。

 この「天国みたいな国」に行けば老後も問題ないと考えた外国人がどんどん入ってきました。特に労働者として呼ばれた方々の親戚や親が入ってきてデンマークは国として負担が増えて行きました。

 80年代になると今度はイランやイラクの難民をどんどん受け入れました。難民は自分の国の戦争や政治的な問題から逃れてデンマークに逃げてきました。やさしいデンマークの国民はこういう人たちを助けてあげなければと考えて難民もどんどん受け入れました。

 80年代は特に問題化はしていませんでしたが当時外国人が多い為デンマークの将来が危ないと考えて外国人反対の党を作り上げた人がいました。彼は人種差別者としてデンマーク中のメディアで批判されました。彼が主張していたのは単にデンマークをデンマークとして守るためには受け入れていた外国人の数が多すぎるという事でした。まぁ、実際に彼はその内かなりの人種差別者になったかも知れませんが、決して主張していた事が無茶苦茶ではありませんでした。しかし、メディアからしてみれば人種差別者であり叩くのにはもってこいの人物だったのでしょう。

 90年代になり外国人の数がどんどん増えて外国人問題が多発するようになりました。これは外国人労働者を受け入れるようになってたったの二十年後の話です。たった二十年ですよ!

 外国人は数が増えたため自分達だけで生活が成り立つようになり、デンマーク語をいつまでたっても覚えない人が増えました。

 暴力は増え、デンマーク人と外国人との対立が増え、右翼が強くなって行きました。郷に入れば郷に従えという事を主張する人が増えて行きましたが、そういう人たちは人種差別者というラベルを付けられ結果として職を失ったり、「差別」を受けたりするようになりました。何しろデンマークは世界の先進国であり難民を受け入れる「天国のような国」でしたから。誰もが安心して暮らせる国だったのです。

 外国人に反対する人たちは結果を恐れて発言が出来ない社会になってしまいました。デンマークは言論の自由が最も実行されている国だったはずが、外国人反対に関しては公に言えない国になってしまったのです。その結果、問題があるにも関わらずその問題を取り上げる事がなく90年代は過ぎてしまい外国人問題は拡大する一方。

 一時期イスラム系の人達がコペンハーゲンの小学校、中学校の給食から豚肉を外してほしいと主張し始めました。デンマークは豚肉の輸出で成り立っているような国です。デンマーク人に取って豚肉は大事な存在です。日本でいえばお米。日本の学校給食からお米を外してくださいと外国人が要求しているようなもの。自分達の給食から外せば良いのに学校全体と要求。積もり積もった外国人問題は最終的には世界で知られている風刺画問題に発展。デンマークがデンマークである最も重要な基本である言論の自由がデンマーク国内で外国人により侵されたのです。民主主義を守るか、それとも民主主義に妥協し宗教を尊重する事を重要視するかにまで問題が発展。

 世論は真っ二つに分かれ言論の自由をサポートする人と宗教を尊重すべきとする人に分かれて下手すると第三次世界大戦がはじまるのではとまで懸念されました。そろそろ5年程前の問題になりますが、未だに収まったのか収まっていないのか分からない状態です。いつこの問題が復活するか分からない状態です。

 現在デンマークには外国人が60何万人いると言われています。国民が550万人の国では一割を超えています。しかし、この数字は果たして正しいのかと議論されています。実際には150万人いると主張する人もいます。どの数字が正しいかは別としてデンマーク人は減り、外国人が増えている事に変わりはありません。つまりいずれは外国人が5割を超えてデンマーク人が少数派になる事もほぼ間違いないでしょう。ちなみにこの問題はデンマークだけではなく殆どのヨーロッパの国に言える事です。

 デンマーク人が少数派になった場合、今までのデンマークは消えてしまいます。ポルノの自由が真っ先に行われたのはデンマーク、ホモの人間が世界で最初に結婚を認められたのはデンマーク、政治的な情報開示を最も徹底的に行ってきたのはデンマークであり、EUにもそれを要求して来た。環境の先進国であり、福祉の先進国。弱い者を支えてノーマリゼーションを訴えて来た国です。オンブスマンという言葉はデンマーク語でありデンマークが生んだ制度。

 しかし、このデンマークがもはやデンマークでは無くなりつつあります。しかもたった40年でこう成ってしまったのです。

 僕は日本で育ちました。日本が好きです。しかしだからと言って日本の全てが素晴らしいとは思っていません。労働環境は何とかすべきだと思うし、政治の問題も多すぎる。

 しかし、日本には素晴らしい歴史があり日本人という素晴らしい性格の民族が居ます。この日本を日本として守るためにはどうすべきかと考えます。100年後も日本は日本人の特徴を維持しまた日本人として生存する権利を守れる国にしたいです。その為には残念ながら外国人の参政権に反対すべきだと考えます。

 外国人は政治に参加したければいろいろと方法はあります。日本人との接点を増やし自分の考えを述べる事自体も政治に参加している事になります。日本人がその意見を聞き、意見が良いものであると考えれば日本人を通して日本の政治に影響を与える事になります。

 個人的には現在労働環境の通信簿というサイトを立ち上げております。このサイトは日本の労働環境を何とか改善したいという気持ちから作りました。別に参政権がなくても日本に影響を与えられると信じています。

 また重要なポイントですが、僕が日本の労働環境を変えるという訳ではありません。日本人が日本の労働環境を変えられる仕組みを作ったのです。僕は僕なりに日本の労働環境はこうあるべきだという意見を持ってます。しかしそれを日本人に押し付けるつもりはありません。

 しかし自分が働いた日本企業の労働環境はデンマークと比較してあまりにも過酷です。また、日本人の同僚と話をしても同じ事を言います。しかし、誰も日本の労働環境を変える事は出来ず我慢の連続です。中には過酷な労働環境のあまり鬱になったという人も少なくありません。これはどう考えても労働環境を変えるべきだと思わざるを得ません。

 そこで考えたのが労働環境の通信簿を立ち上げる事です。日本人自らが自分の労働環境を評価していく事により日本を変えて行く。就職活動を行っている方は労働環境の通信簿にアクセスし労働環境の良いところを選んで就職活動をする。つまり労働環境の良いところは就職活動する人が集中し労働環境の悪いところはなかなか良い人材がつかめない。日本の労働環境は変わって行くと考えます。

 労働環境の通信簿はまだ立ち上げ中でおそらく45年は掛ると思われます。皆さんからのサポートがあればもっと早く立ちあがると思いますので是非宜しくお願いします。特に労働環境の投票をお願いします。?ホームページはwww.roukan.jp です。

 

 このように僕は参政権を持っていませんが、日本に取って日本人にとって、良い変化をもたらす事は出来ると思います。参政権は特に必要ないです。

 

 長くなりましたが、言いたかった事は外国人参政権は良く良く考えなければいけない事、海外ではその失敗例が多くある事、そして日本の政治に参加したい外国人がいれば特に参政権では無くても良い影響を与える事が出来る事。

そして何よりも日本を日本として守る事に関して僕は出来る限りの協力をしていきたい事。

 

宜しくお願いいたします。

キム・ペーダセン?メール infomx2.jp

 

———————————-

1.年間犯罪件数

 2007年のデンマーク治安当局統計によると、2007年の犯罪認知件数は444,773件であり、2006年と比較して、19,668件増加しています。?国によって統計の取り方が違いますので一概に言えませんが、犯罪に遭う確率(犯罪発生件数を総人口で比較、人口÷犯罪認知件数)は、日本の5倍以上になります。デンマークは総人口543万人で犯罪認知件数が44,773件であり、12人に1人の割合で犯罪に遭遇していることになります。これに対し、我が国は総人口が1億2,700万人で犯罪認知件数が1,908,836件であり、66人に1人の割合です。

 

2.治安状況

(1)治安・社会情勢

欧州の中でも比較的安定しているといわれていますが、移民問題に関連した青少年不良グループ間の抗争事件やアルコール中毒、麻薬の乱用に絡んだ犯罪が後を絶ちません。また、銃器を使用した事件が増かしています。

 特に観光シーズンは、外国からプロの窃盗グループが入り込み、空港、駅、ホテル等で旅行者が盗難の被害に遭うケースが頻発します。また、日本人は多額の現金を持ち歩く傾向があると見られていることから、日本人旅行者を狙ったと思しき盗難被害が多発しています。さらに、コペンハーゲン市内のクラブや街頭で麻薬の密売が行われている場所もありますので、犯罪の巻き添えにならないよう、十分に注意してください。

 

 

抱くことと授乳/話しかけない親/ドライブスルー保育園

抱っこしない授乳

先週、行った保育園の主任さんが、乳児を抱かずに哺乳瓶で授乳出来る装置があって、保育園にも、使いませんか、という売り込みが来る、と言うのです。寝かしたままやるのもあれば、時には車のベビーシートのようなものに装着するものもある。覚えれば一人で勝手に飲んでくれるから、授乳中に他のことも出来るというのです。最近は忙しいし、くたびれている保育士が多い現場には便利なもののような気がします。

 産科医にその装置を薦められずっと使っていた母親が乳児を保育園に預けに来たそうです。
 抱っこして授乳させようとすると、赤ちゃんが首を振って飲もうとしない。抱っこに慣れさせるのに一月かかりました、主任さんはいうのです。
images-1
 抱く、つまり肌の触れ合いと、授乳、生きてゆくことは本来一体のものでした。この大切な一体感を感じる期間が人生の始めに必ずあった。二年くらいあった。(抱っこする側にもあった。)その感覚をその時期に経験しないことの恐さを、主任さんは一生懸命お母さんに説明し、母乳でなくてもいいから、これからは抱っこしながら授乳して下さい、とお願いしたのです。
 隣で聞いていた保育士さんが、以前勤めていた保育所でその装置を使っていました、それでいいんだと思ってました、と真顔で言うのです。
 「一人では生きられない」、この大切な感覚を必ず授乳という体験で脳が覚えて人類が成り立っていたような気がします。その時の記憶と感覚が、やがて男女が抱き合うということにつながっていたのだもしれません。最近になって、利便性や合理性で、乳幼児期の当たり前だった体験が突然変質してゆく。それに誰も違和感を感じなくなってきた。それが、やがて大量の孤独な老人をつくるのではないだろうか。
 「自立」なんてことはありえないこと、母親が0才児を他人に平気で手渡すこともありえないことだった、ということを、憶い出し噛みしめなければいけない時なのだと思います。
 images-10
乳児に話しかけない親
 
 以前にも書いたのですが、ある街の助産師さんが、最近生まれたばかりの自分の子どもに話しかけない若い母親がいて、話しかけないと駄目ですよ、と注意すると、言葉がわからないのだから無駄です、と言われてびっくりした、と話してくれました。
 本能的な何かが欠けている。もっと以前にオンになっているべきだった遺伝子が、最近の社会の仕組みの中でオンになっていない、そんなことなのかもしれません。もっと単純に、周りにお手本がなかったからかもしれません。
 人形やペットに話しかける体験がなかったのだろうか。親や祖父母から話しかけられる体験が少なかったのだろうか。保育士が話しかけない人だったのかもしれない。当たり前の体験が少しずつ欠け始めている、そこに原因がある気がしてなりません。
 しゃべれない、主張出来ない乳幼児期の体験、乳幼児の願いや希望が、福祉や保育・教育という、人類にとって極めて歴史の浅い、しかし、先進国という仕組みの中で大きな影響を持ち始めた仕組みの中で一番後回しにされている。でも実はその頃の体験が人生を最も左右する体験だったのではないか。
 首相が誇らしげに言う「もう40万人保育園で預かります、子育てしやすい国にします」という演説が、危うく、恐ろしく聴こえます。
 これも以前に書いたのですが、すでに、乳幼児に話しかけない保育があるのです。
 私が聞いた東京都の認証保育所では、園長が新人保育士に、三歳未満児を抱っこしたり、話しかけたりすると子どもが活き活きとしてきて事故が起きる可能性が高くなるから、何もするな、と真面目に言ったそうです。栃木の方でも同じ話を聴きました。
 保育士不足と新人の質を考えると、事故が起きないことをまず目標にしなければならない状況まで園長を追い込んだ国の施策にも問題はありますが、子育て全般に、何か当たり前だった感覚が欠け始めている。子育てが「仕事」になると、その子の人生とか、未来が、育てる側の視野から遠ざかってゆくのです。
 最近、衛生面の配慮とは無関係に乳幼児室を見せたがらない保育園があります。
 親に見せられる保育をしていない。
 付け焼き刃で始めた認定こども園や小規模保育園で、実は人員が足りていない、頼れる保育士がいない園が増えてきている。そういう園では、わざわざ一人ずつ玄関や門の所まで赤ん坊を手渡しにきます。それをサービスと思ってしまう親さえいるのですが、今の保育界の現状を考えると、親側に「保育室を見てもいいですか?」の一言がほしい。「どうぞ、どうぞ」という笑顔があればその園は大丈夫です。
 先日、ドライブスルーで乳児を親に返している園があって、それをわざわざ「保育を知らない役場の課長」が誉めていた、という笑えない話をある園長から聞きました。施設でやる保育と家庭の子育ては一体でなければいけない。親の人生と保育士の人生は重ならなくてはいけない。ドライブスルーという利便性を行政が誉めてはいけない。
 保育士を採用したら、その保育士の親と会う機会を必ずつくる、という園長に会いました。子育てに大切なのは、そうした人間の心のつながりと伝承です。その心は同じ時期を生き、重なってゆくのです。
images-5.jpegのサムネール画像のサムネール画像のサムネール画像のサムネール画像
 
 更生保護女性連盟吉川支部で講演しました。他の支部で以前講演し推薦されました。あまり知られていない組織なのですが、意外に人数も多くしかりと黙々と根強い活動をされています。講演前、支部長が見守る横で市の部長に色々話をしました。その後、大田区私幼連教職員教養講座、山梨県看護士会で話し、児童館・学童部会と続きます。女性が支えている日本を感じます。幼児の存在意義を一番理解してくれる方々です。

園長児童虐待 業務停止処分/都福祉ファンド設立へ

 

JC-net (http://n-seikei.jp/2014/12/post-26033.html) から

「ちびっこランドこやま園」で園長児童虐待 業務停止処分/鳥取店

「ちびっこランドこやま園」は全国展開している保育施設だが、鳥取店で児童虐待により、業務停止処分を受けた。
 鳥取県は28日、認可外保育施設「ちびっこランドこやま園」(鳥取県鳥取市湖山町東2丁目165−202)で、保木本伸一園長(53)が入所児童をたたくな どの虐待をしていたほか、職員数を水増し申請していたなどとして、事業停止処分にしたと発表した。診療が必要なけがは確認されていない。
 12日、匿名の通報が県にあり職員らの聞き取り調査を実施。泣いている児童のお尻をたたいたり、児童のほおに吸い付き青あざを付けたりした行為を確認した。床に誤飲の恐れのある小銭などが散乱し、衛生環境も整っていなかったという。園長は、調査に対し「たたいたことはあるが、虐待という認識はなかった」と話しているという。
以上、

 

保育所ちびっこランドは株式会社学栄がFC展開している保育所で、0歳児から8歳児までを対象とした教育産業の会社。保育所ちびっこランドは、北は北海道から南は沖縄まで全国595園開園しており、園児数は33,500人を超え(平成18年4月末現在)全国最大級の規模と言われていると大阪支社は掲載しているが、下記の本社のHPには開校数が100も少なく掲載している。大幅に減ったのだろうか。減ったとしたら何故だろうか?

「ちびっこランド イオモール小山園」の場合は次のように理念と特徴を記している。
ちびっ子ランド
ーーーーーーーーーーーーーーー
(ここから私見です)
 この業務停止になった保育サービス業者が掲げる宣伝文句「保育理念」と「園の特徴」、「人に対する愛情と信頼感、人権を大切にする心を育てると共に自主・協議の態度を養い、道徳性の芽生えを培う」と、ほぼ誰にも不可能な、しかし目標としては大切な子育てをすると言っておきながら、園長が調べに対し「たたいたことはあるが、虐待という認識はなかった」と言うのです。儲け・経済・欲を目標の中心にし始めた社会のなり振り構わぬ体質がここに表れています。
 全国に595園展開しているちびっこランドは三歳未満児の保育を多くしている業者です。国に認められることで、ここまで成長したのです。もちろん、すべての園が悪いとは思わないのです。勤めていた認可保育園の保育方針に納得が行かず、自分でいい保育を目指そうとしてこれを始めた園長を知っています。しかし、人間として「親の知らないところで他人の乳幼児を絶対にたたいてはいけない」くらいは園長・設置者に徹底指導してほしい。それ以前に、フランチャイズを任せるのであれば、人選を厳しくしてほしい。幼児を預かる保育園の園長は、お金をだす人なら誰でもいいというポジションではないのです。
 乳幼児には逃げ場がない。だから、ここまで言うのです。三歳未満児の行動には悪意がない。たたいてはいけない。帰宅して親に園であったことを的確に話すことさえままならない。たった一日の理不尽な体験が人生を左右する心の傷になるかもしれない人生の最も繊細な時期を生きている人たちです。国や地域、家族や夫婦、人々の絆と信頼関係総動員で守らなければいけない一番大切な人たちだったはず。この人たちを守ろうとすることで、昔から人は人らしくなり、社会に連帯感や道徳観が生まれていたのでしょう。
 この大切な人たちを、匿名の通報があるまで日常的に劣悪な環境で保育をしながら、「豊かな感性を育て、創造力、思考力を培う」などと言う。問題なのは、こういうことを平気で言える人たち、人間としての常識が備わっていない業者(園長)が、政府の規制緩和で保育に関わり始めていること。通常の商取引だったら誇大広告、詐欺で告発されるべき宣伝文句が、保育サービスに関してはネット上に当たり前のように溢れていること。子どもの命に関わるような「嘘」を政府が取り締まろうとしない。これは一体どういうことなのか。
 この業者たちの宣伝文句を政府が作った保育・子育て支援新制度のパンフレット「すくすくジャパン」の冒頭と比べてみます。
 
 「すべての子どもたちが、笑顔で成長していくために。 すべての家庭が安心して子育てでき、育てる喜びを感じられるために。 『子ども・子育て支援新制度』がスタートします。」
 慢性的な保育士不足が全国に広がり、財源不足が露呈しているこの時期に、政府もまた不可能なことを利用者を増やすために平気で言う。この文章を誰が書いたのか、もう誰にもわからない。特定出来たとして、その人に「自分の子どもを育てた経験から考えてみて下さい。こんなことが可能だと思いますか?」と聞けば、可能ですと言える人はいないはず。「すべての家庭が安心して子育てでき、育てる喜びを感じる」のは不可能。しかもそれをもう40万人保育園で乳児を預かることで目指すのは尋常な考え方ではないのです。ここで言う「安心」と「喜び」は一体誰の、どういう種類の安心と喜びなのか。マスコミも学者も追求しない。
 子育ては、親たちが時にオロオロしながら、戸惑いながら、自分を信じてくれるその子の命に感謝すること。そうすることによって、なるべく多くの子どもたちが安心することが目的の中心になっている。親を引き離すことで、すべての子どもたちの安心を実現できるはずはない。それどころか、子育てを政府の主導によって仕組みに任せてゆくことによって、夫婦や親同士の絆という社会における優しさや秩序を保つ土台が消えてゆく。国や社会というのは、人間が幼児という弱者を眺めながら調和を目指そうとする意思だと私は思います。
 保育サービス業者のチラシも政府のパンフレットも、共通するのは、ちょっと考えれば誰でも嘘だとわかる宣伝文句が並べられているだけで現実味がない。しかし親としてまだ初心者でもある幼児の親たちの中には、そんなものかな、と思うひとたちが結構いるのです。こんな嘘で、国の根幹に関わる施策が進められ、現実を離れた魂のこもらない言葉が飛び交い、子育て論議に実感が伴わなくなってきています。

 子どもたちが不安を感じ、彷徨いはじめている。
 保育サービス業の人たちはもちろんお金のため、政府は雇用労働施策、経済対策、こちらも実はお金のため、経済優先の掛け声のもと家族を引き離そうとする。そして、親から離された子どもが、ぎりぎり笑顔で成長していくための環境、いままで保育を支えてきた理念が急速に壊れてゆく。

 (新制度を追い風に、ビジネスコンサルタント会社が元気です。こちらは、こんな宣伝文句を並べます。)

 

「保育園開業・集客完全マニュアル」をあたなにお届けいたします!

 1つのご提案として、本マニュアルには、今まで保育園経営などにまったく興味のなかった方にも一からご理解いただけるようにわかりやすい手順が説明されています。「保育園開業・集客完全マニュアル」をお読みになった方は、そのほとんどが興味を持たれ、開業されたオーナー様も多くいらっしゃいます。勇気をもって新たな一歩を踏み出すお手伝いをさせていただければ本望です!

ーーーーーーーーーーーーー

「すべての子どもたちが、笑顔で成長していくために。 すべての家庭が安心して子育てでき、育てる喜びを感じられるために。 「子ども・子育て支援新制度」がスタートします」
 政府が税金を使って国民に配るパンフレットでこう言い切ってしまうところが恐ろしい。「新制度が始まれば、すべての家庭が育てる喜びを感じられるようになる、政府がそう言っているんだから」と思う人たちがある一定数以上現れたら収拾がつかなくなる。三年以内にもう40万人保育園で預かることが「育てる喜びを感じるために」必要だと言い切る政府。そのパンフレットを配らなければいけない行政、そこにある無理と矛盾が、いま地方の保育行政における混乱と親たちの保育士に対する高圧的な態度を生んでいるのだと思います。不安と不満が高まってゆく。こんな状況で「すべての家庭が安心して子育てでき」る社会には絶対にならない。
 東京都の「都福祉ファンド」の記事が保育業界ニュースに載っていました。ファンドは金儲けをしたい人の信託投資であり資産運用。福祉財政の行き詰まりを個人投資で補おうという主旨ですが、保育・子育てを金融商品にしてもいいのか。資金を集め保育園を増やしてしまってから、儲からないからと投資家が資金を引き上げ始めたら現場は一体どうなるのでしょうか。在庫が余ったので処分する、というわけにはいかない。
 こんなことを始める人たちは、その儲け話の向こうに保育士たちの人生、幼児たちの日々の生活が存在していることさえ忘れているのではないか。想像出来ないのではないか。何か大切な感覚が麻痺している。
 子どもたちの幼児期の質が、政府の「保育を成長産業と位置づける」という閣議決定のもとに失われてゆく。
 介護保険制度で老人を孤立化させ、今頃になって政府は在宅介護を求めてくる。福祉という制度では、しょせん家族を基盤とした人間の助け合いや絆の伝承を維持することはできないのです。目の前の経済対策、財政削減、選挙に勝つことや政権維持といった、短期的な利害関係や駆け引きで国が動き、人間が老後の孤独に怯えるような仕組みをつくってしまった。それを再び「保育」で繰り返そうとしているのです。老人介護制度の失敗とは違い、保育における失敗はその影響が多面的で、将来長く引きずることになるのです。
 乳幼児期の体験の重要性は国連の権利条約も、フロイトも、わらべうたも、言っている、人類にとって普遍的なものなのです。
「保育業界ニュース」http://hoiku-news.blogspot.jp/2015/01/blog-post_32.html からー

————————————————————————————————

 東京都は、保育所や高齢者介護施設などの福祉施設が入るビルやマンションの建設を促すため、二〇一五年度、都と民間で出資する新たな不動産基金「福祉インフラファンド」を設立する。新年度予算案に出資分として五十億円を計上する。
 都内の福祉施設は地価の高い二十三区で不足している。多額の資金が必要なことから、ファンドは百億円規模を目指すという。ファンドは都の出資金を呼び水に、法人から資金を集め、開発会社に資金を提供。開発会社が福祉施設が入る建物を造る。福祉施設だけでは収益が限られるため、住宅や事務所、店舗など建物全体の家賃収入などを出資した法人に還元する仕組みにする。開発会社は最終的に、個人から投資を集める投資法人(J?REIT)にビルを売却する。
 
 舛添要一知事は、八日、千代田区内であった東京商工会議所の新年賀詞交歓会で
「個人が出資したお金で保育所や介護施設ができるのは、素晴らしいこと」と語った。
 
 都内では、親が希望しながら保育サービスを受けられない子どもが昨年四月現在で八千六百七十二人いる。都は昨年十二月に発表した長期計画で、一七年度末までに保育所の定員などを四万人分増やすほか、二五年度末までに介護老人保健施設を三万人分確保する数値目標を掲げている。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
 (ここから再び私見)
 基盤は不動産投資としても「福祉施設だけでは収益が限られるため」と書いてあります。保育部門でも収益を出すことが投資家に対する義務であることに変わりはない。
 現在の待遇と人材不足、国の財源不足という条件下では、保育所は儲けようとすれば、必ず保育の質が落ちて来る制度。親へのサービスと子どもたちの願いが相容れない状況に陥る。市場原理が人間性と相容れない仕組みなのです。
 弱者を優先しなければ社会が成り立たないことを私たちに教えるのが「子育て」という人類に与えられた幸せへの課題だったはず。
 「個人が出資したお金で保育所や介護施設ができるのは、素晴らしいこと」と保育における市場原理導入を知事が公に推薦してしまったら、子どもたちの立つ瀬がない。介護施設はまだいいとして、保育所は、保育の質を保つことを前提に考えたら今国から出ている予算を倍くらいにしないと儲からない。中堅の、次の世代の保育士を育てられる保育士を雇っておきたければ人件費が出費の8割を越える。そうしたとしても、そこそこの保育士が集まらなくなってきているのが現状。もし真剣な投資家が、現在の保育者養成校の状況を調べたら、絶対に投資しないだろうと思います。
image s-2.jpeg

板橋区の一日保育士体験/感謝!!/「子どもが喜びますよ」の繰り返しで

2014年12月

i mages-9

(板橋区からのメール)
先生

板橋の公立保育園のHPをぜひご覧いただけますか?
親の一日保育士体験のページが出来ました。
園長たち頑張っています。
いや頑張るというより、楽しいと言っています。
「親の一日保育士体験」を通じて、保護者と
心と心が通い合っているように思います。
研修でも職員向けに特集号を作り
各園の取り組みを紹介した今年度です。
(添付してみました。ご覧いただけるかな?)
来年度は今年度以上にたくさんの方に
先生の講演を受講いただきたいと考えています。
6月のご予定をお知らせいただけたら
嬉しいです。大きめの会場をおさえたいと思います。
 

 

【今号の特集内容 】 

 ・・・各園の掲載ページ紹介 11号平成2611月  日

 ・・・あさひが丘保育園・緑が丘保育園        編集・発行 

 ・・・高島平つぼみ保育園・向原保育園        保育サービス課研修担当

 親の一日保育士体験のホームページへの掲載が好評です。体験を通して楽しい様子が伝わってきます。松居和先生の研修を受講した感想には、「松居先生のお話を聞いて、やっと必要性がわかった」の声が多くありました。子ども・子育て支援新制度等、子育てを取り巻く状況は様々に変わり、保護者、保育園等施設、自治体それぞれが子育てを見つめなおす時といえるでしょう。「親の一日保育士体験」を通じて子育てを一緒に考えることができる、保護者との関係づくりを進めることができたらと願います。

親の一日保育士体験ホームページ・・・各園の掲載ページから (実際のHPでご覧ください)

http://www.city.itabashi.tokyo.jp/c_categories/index04004012.html

 

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

img_66429_2_2_thumb.jpg

 さっそく板橋区のホームページを見てみました。載っている各園での一日保育体験の写真を見て、親たちの感想のコメントをひとつひとつ読んでいると、たった一日の体験と、その賑やかな余韻の向こうに少し方向性が変わった人生が見える気がするのです。
 
 自分の子どもだけではなく、たくさんのお友だちに囲まれて親たちが自分自身の良い人間性を体験する。
 そして、その日、子どもはお母さんお父さんの手をしっかり握りしめて家路についたはずなのです。
 その風景の積み重ねがこの国を形成すべきなのです。


 images-4

 今年は保育界にとって忘れられない、混乱の年でした。その年の最後に、現場からこんなメールをもらい、ホッとしています。

 一日保育士体験がこの国を救うかも知れません、少なくとも、一家の人生を変えることは出来ます、それはすごいことです、という説明をあちこちの市や町で受け入れてくれ、実践してくれた園長先生、主任先生、保育士さんたちに改めて感謝です。

 そして、この方法を理解し、施策の一部として進めてくれた市長さん、区長さん、議員の方たち、行政の方たちにも感謝です。

 

img_65773_1_2_thumb. jpg

 

 

 

 

 

 

  

 

img_65773_1_1_thumb.jpg

 

 

 


 この国の文化や伝統、特別な存在意義を思い出し、利他の幸福論で国を再生してくれるような政治家がもっと出て来て欲しいと思います。

 

 人間の営みを幼児という弱者の観点から考えてくれるジャーナリストがもっと現れてほしいと思います。

 それまで、保育者たちは淡々と親心を耕し続けるしかないのです。幼児がいる限り大丈夫なはずです。

ーーーーーーーーーーーーー

 内村鑑三が、教育で専門家は育つがひとは育たない、と義務教育が広まり始めたあの時代にすでに言っていた。百年後、増えた専門家たちが「社会で子育て」(実は仕組みで子育て)と言って、教育さえも成り立たないほどに「子育て」の基盤である家庭(または愛着関係)を壊そうとしています。

 いま、保育という仕組みをもう一度、人間の営み、という本来の姿に戻していかなければなりません。

i mages-9

 子どもたちは、特に幼児たちは変わっていないのに、そういう時代だから、と言われるとがっかりします。

  • 子どもを預けて共働きをしないと生活が成り立たない時代だから、と誰かが言うけれど、実は日本は世界で最も豊かな国で、GDPで上に居るのは中国とアメリカ、絶対に真似したくない国だけです。

  • それ故に、豊かさの頂点にいるこの国が考えること、この国の持つ現在進行形の常識が人類全体の未来の行く道を左右するのではないか、と考えています。人間は、確かに豊かさに弱い。豊かさの中で、わかちあうこと、頼りあうこと、信じあう幸せを忘れそうになる。もしこの国の人々が、発展途上国の人たちがまだ常識的に持っている親子、親族、部族的しがらみを持って暮らしていれば、ほとんどの人々が充分に幸せに暮らせるはず。

  • だから、一日保育士体験のような普遍的で、縄文時代にも、室町時代にも通用したはずの幸せの見つけ方を意識的にこつこつと、取り戻して行かなければならないのだと思います。


保育士が親たちに向かって呪文のように唱える、「子どもが喜びますよ」「子どもがよろこびますよ」という言葉の繰り返しが社会に満ちて人を育てるのです。

images-12

中学生の保育士体験/「あの人、変」/役場の人からのメール

2014年11月

中学生の保育士体験

 長野県茅野市で、家庭科の授業で保育士体験に行く中学二年生に、幼児たちがあなたたちを育ててくれますよ、という授業を一時間して、私も一緒に保育園について行きました。生徒たちは、図書館で選んだり自宅から持って来た絵本を一冊ずつ手にしています。

 昔、運動会の前日てるてる坊主に祈ったように、持っていく絵本を選ぶ時から園児との出会いはすでに始まっているのです。男子生徒、女子生徒二人ずつ四人一組で年中組の4才児を二人ずつ受け持ちます。四対二、これが中々いい組み合わせです。幼児の倍の数世話する人がいる、つまり両親と子どものような関係です。もし中学生二人が一組だと、組み合わせや役割りに余裕がなくなります。四人いると一人が座って絵本の読み聞かせをし、二人が園児を一人ずつ膝に乗せて、もう一人の中学生は自分も耳を傾けたり、園児を眺めたりウロウロできます。お互いに馴染んできたところで、牛乳パックと輪ゴムを利用してぴょんぴょんカエルをみんなで作って、最後に一緒に遊びます。

 見ていて気づいたのですが、14歳の男子生徒は生き生きと子どもに還り、女子は生き生きと母の顔になる。お姉さんの顔になる。慈愛に満ちて新鮮にキラキラ輝き始める。保育士にしたら最高の、幼児に好かれる人になる。(遺伝子学の村上和雄教授が「命の暗号」の中で書いている「遺伝子がオンになってくる」というのはこういうことなのだろうと思います。)

 そして、考えました。

 同級生四人なら、幼児を守って旅が出来る。そんな人類の法則を学んだ気がしました。

 帰り際、園児たちが「行かないでー!」と声を上げます。泣きそうな子も居ます。ほんの一時間の触れ合いで、世話してくれる人四人に幼児二人の本来の倍数の中で、普段は保育士一人対三十人で過ごしている園児たちが、離れたくない、と叫ぶのです。私はそこに日本中で叫んでいる幼児たちの声を聴いたような気がしました。


 中学生が幾人か涙ぐんで中々立ち去れない。その子を守るように同級生が囲んでいます。それを保育士さんと先生たちが感動しながら見ています。

 

images-12.jpegのサムネール画像のサムネール画像のサムネール画像のサムネール画像のサムネール画像

 

 

 以前、発達障害児専門の塾をしている人が、子どもを落ち着かせるためには、送ってきた親の挨拶の仕方から始めると言っていました。子どもたちはそれを社会に望んでいるのかもしれない。心のかたち、絆のかたち、それが子ども中心になっていないことに警告を発しているのかもしれない。

 

 

「あの人、変」

 

 「あの人、変」と、園児が保育士養成校から来た実習生を指差して言うのです。ぶつぶつ呟きながらうろつく明らかに園に居るべきではない若者。子どもたちは怖がって寄り付かない。園長は学校にやんわりと抗議をするのですが、いつか資格者を回してもらわなければ困ることになる。養成校がビジネス優先になり、園児の安全のことさえ忘れている、見ないふりをしている。政府の子育て支援策(全ての政党の子育て支援策)が、幼児の気持ちと願いを無視しているからこういう仕組みになってしまう。

 そして、養成校の教授が「これからは、幼児は専門家が育てるべきです」と免許を更新に来た保育者に言うのです。保育界が根底から崩れようとしているというのに、教授の視点はすでに現場の思いとはかけ離れている。その方向で施策が進めば、保育士不足が進むだけでなく、ますます崩壊家庭が増え、人々は生きる意欲を失い経済が疲弊してくるのが学者や政治家にはわからないのだろうか。

 保育は、知識も必要ですが心の方がもっと大切で、教授の言う「専門家」は5歳までしか関われない。しかも毎年担任は変わる。そういう子どもにとっての現実を教えないで、ただ「専門家」という曖昧で現実味のない単位でしか子育て(保育)を見ていない。

 そして、いい保育士を揃えられないとわかっているにもかかわらず、発達障害児のデイサービスのような仕組みがビジネスとして広まっていく。北の街で、虐待まがいの風景、詐欺師のような設置者から逃げ出して来た若い指導員の母親が、私にその実状を訴えるのです。

役場の人からのメール

今週の水曜日から、来年度の入園受付が始まりました。連日、長蛇の列です。昨年よりまた一段とお母さん達が殺気だってるような気がします。なぜか?皆さん、必死なのです。待機児童になったら、どうするの?!会社を辞めろというの?!と、こんな調子です。

また、年々乳児の申込みが急増しています。待機児童になる確率を下げるため、少しでも早く入園申込みをする傾向が加速しているのです。受付をするあいだ、こどもを預かっているのですが、(その子の発達をみることが目的でもある)、生まれてはじめて母親から引き離される時の乳飲み子の泣き声、受付会場は凄まじい状態になります。

気になるのは、こどもに無関心な親が増えているということ。親心の喪失も加速化し、養育の主体性も欠落しています。入園を希望する保育園選びをしていて、受付の最中に夫婦喧嘩さながらの光景もあります。(夫婦の絆も喪失?)

こどもを慈しむという人間本来の感情でさえ、失ってしまったのでしょうか。1日10時間の入園受付をしていても、まだ終わりません。土日も受付をします。結局のところ、保育園を新設すればするほど、待機児童の掘り起こしになることが、新年度の入園受付で確証できたのですが、誰も増設に異論を唱える人はいません。

認可園増設=待機児童減少

愚策です。

いままで拒んでいた株式会社も公募対象として決まりました。この国の子育て政策に危惧する者は、行政の中にも官僚の中にも、皆無なのかもしれません。

(こうした現場の本音が、誰にも伝えられない。配慮と言う言葉で自らを縛り、口先だけの、形だけの思いやりのようなもので誤摩化し、人間性も絆も育たなくなってきている。)

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 



平方幼稚園で保護者に講演

 埼玉県の数少ない公立幼稚園の平方幼稚園は、私の好きな園で、長屋のように並ぶ保育室を見ているだけで、園児たちの日々の充実した生活を感じ、笑い声が聴こえてくる。公立幼稚園なので、親に対するサービスがほとんどない。給食なし、園バスなし、預かり保育なし。すると親たちが活き活きとしてくる。助け合いが結束を固める。講演でも、私の言うことを隅々まで理解してくれる。それを感じ、人類が幼児と過ごす時間の大切さを実感する。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

images-1

  選挙戦の最中テレビで全ての党が、待機児童を「なくせ」と言う。政治家は簡単に言うのですが、6人の一歳児を8時間笑顔で保育出来る人間はそんなにはいない。以前、保育士は「選ばれた人たち」だった。それを、誰でも資格さえあれば出来るようなことを政府が言うと、親たちも「誰に預けるのか」という責任に無感覚になってくる。保育という「仕組み」が預かっているのではない。保育士という「人間が」預かっているのだということを絶対に忘れてはいけないのです。子ども側から見れば、保育は常に一対一なのです。

 

 三歳未満児と人間の関係は非常に直接的な心の関係であって、その質が大事だということを国が忘れてはいけないのです。本当に保育を必要とする親たちのことを考えるなら、テレビの報道も、あっちこっちで必要ないのに預けてゆく親、保育園に子どもを預けて悪びれることなく遊びに行ってしまう親の姿も繰り返し報道してほしい。それをしないと、幼児たちに対しても、保育士たちに対してもフェアではない。そして、慣らし保育の時に泣き叫ぶ幼児たちの映像を流してほしい。それをしないから、いい保育士が辞めてゆく。

 ますます増える待機児童の本当の中身を知っているのは保育士だけ。

 待機児童が二万人なのにもう40万人保育園で預かることを目指す施策は、経済論から出た数字合わせであって少子化対策でも「女性の輝き」のためでもない。本気でそれで女性が輝くと思っているのなら、それは「一部の」女性であって多くの女性ではないはず。もともと選択肢さえあれば、幼稚園に預ける親の方が多かったわけだし、その人たちの方が子どもをたくさん産んでいたのです。それを減らそうとしたのですから、過去十五年間の少子化対策で子どもはまったく増えなかった。計算違いというより、愚策です。

 親が幼児に見つめられ、親が幼児に愛される。時々許され、救われ、自分のいい人間性を確認する。そして、いい自分を体験できたことに感謝する。「逝きし世の面影」渡辺京二著で150年前に日本に来た欧米人が驚くのです。日本人は子どもを罰しない、教育しない。それなのに子どもはいい子に育つ。魔法だ、と。幼児の中に仏性を見、拝む。そんな伝統がこの国を支えていたのです。http://kazumatsui.m39.coreserver.jp/kazu-matsui.jp/?p=279

 

再び中学生に講演

 

  二週続けて中学生に講演。全校生徒330人が体育館に集まり90分。妥協を許さない中学生たちにこの長さの講演はとても難しい。自分が試されているのがわかる。確かに、この人たちの役に立とうと思っているのですが、不安で、緊張する。腹をくくって必死に訴えるのです。「人間社会における幼児たちの役割り、その人たちとの出会いで人間は自分自身のいい人間性に気づくこと。」「幸せは自分自身の持つものさしにあって、つかみ取るものでも勝ち取るものでもないこと。」「子育ては昔から男女という社会の最小単位が信頼し合うためにあったこと」など。

 

 前もって区長と校長から、その地域で児童虐待や崩壊家庭が多いことを聴いていたので、内心オロオロしながら話す。しかし、いつしか、生徒たちが私を支えてくれていた。講演後に自分が少し、洗われたような気がする。

 校長先生から翌日お礼のメールが入り、ホッとする。

おはようございます。昨日はありがとうございました。

今朝、興奮冷めやらぬ職員が、何人も私に「素敵な講師の先生を呼んでいただいてありがとうございました。」と感謝の言葉をかけられました。

 一人でも二人でも、心で感じてくれる職員ができればと思っていたので、うれしい限りです。

 養護教諭のところへは、何人もの三年生女子が訪れ、「良かった」「面白かった」等、話をして帰ったそうです。地域や役所、教育委員会の方々に先生の存在を知っていただけたことも、とてもうれしい限りです。

 またどこかで先生のお話を伺い、自分の中に勇気と元気とアイデアを育てたいと思っています。

ーーーーーーーーーーー

 
介助員つき授業が急増、先生でない人が教室で子どもを注意
http://hoiku-news.blogspot.jp/2014/12/blog-post_93.html?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter
 
 
保育ママ不正請求
つなぎ国債
元保育園園長わいせつ

虐待相談:児相の子供安全確認 48時間以内にカベ

http://hoiku-news.blogspot.jp/2014/11/blog-post_0.html?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter

今年の都市部周辺の保育課窓口へ殺到する人たちの状況を役人から聴いていると、行政が対応出来る限度を超えているのです。それが虐待事例への対応にも表れます。仮児相の役割りを果たしてくれていた保育園を政治がサービス業にしようとした結果です
児童わいせつ
人間の孤立化で潜在的な事件は増えている。にもかかわらず学童保育は現場無視の新制度で6年生までになる。財源・人材不足で指導員を選べなくなっている。政府の対応は保育と同じ民間委託と市場原理。無理なことを押し付けられた自治体の対応は極めて遅い。

学童保育と児童館/自治体の財源と人材不足/それでも新制度は前倒しで進んでいる/教育再生

 

学童保育と児童館、量的拡張に追いつかない人材不足
 

 

 

 美術館や公共施設が次々と指定管理制度に移行し、平行して児童館や学童保育の民営化/民間委託が急速に進んでいる。公的機関も様々で、そうすることで来館者、入場者が増える場合もあった。児童館も民営化が必ずしも悪いわけではなかったのだが、保育士不足に象徴される慢性的な「子育て」に関わる人材不足で、いい指導員を定着させることが極めて難しくなってきた。企業が運営しながら利益を出そうとすれば、待遇面で今以上のことをするのはほぼ不可能だと思う。それが出来たとしても人材不足を解消するような根本的な解決にはならない。(政府の保育士の待遇改善が年に十万円のボーナス。月に十万円増加して、やっと全国の平均給与になるというのに。しかも、そのボーナスでさえ、消費税が上がらなければ飛んでしまう話かもしれないのです。)

 学童の現場では、待機児童解消の掛け声で進む「子育ての社会化」が急速に進むことによって、子どもに対する親の関心が薄れ、より親身な、より経験を積んだ指導員を必要とする不安定な子どもが日々増えている。しかし企業側は、子育てに関わる利権の争奪戦が激しさを増す昨今、指定管理を外されることを恐れ、そうした無理な現状を率直に行政に訴えることが出来なくなっている。市場原理の狭間で、親、指導員、企業の管理職、行政といった育てる側の意思疎通が希薄化し、組織の心がバラバラになり危険な孤立化が進んでいる。利益を出す継続的運営と指導の質の間に軋轢が起っている。

 保育を成長産業と位置づけた閣議決定は、子育ての様々な分野に営利を目的とした株式会社の参入を許した。そして、制度に食い込むビジネスにより、児童館員、学童の指導者の非正規雇用化が急速に進んでいる。閣議決定が主導する「質より量」の流れが、親たちの政治家や行政に対する要求にもそのまま重なり始めている。待機児童解消が目的で、目的を達した後の子どもたちの生活の質が二の次になっている。

 最近、なぜか児童館の職員や学童の指導員に講演することが増え、男性職員が結婚を考えて辞めてゆくのに出会う。真面目に結婚を考え、または結婚して子育てをしている、責任を果たそうとしている人たちにこそ指導員になってほしいのだが、そういう人ほど数年で辞めてゆく。学童の場合は勤務時間が押さえられているとはいえ、十五万円程度の収入では、ボランティア精神がない限り長くは続けられない。子育ての社会化で家庭崩壊が進むいま、小・中学生の放課後の過ごし方、その時誰と出会うかは将来の社会の安定にとても大切で、切実で、現場では学校の先生以上に心ある優秀な、相談相手として経験を重ねた指導員を必要としている。「誰か」との愛着関係を求めている子どもが集まってくるケースが増えてきている。

 ブラック企業や「名ばかり店長」という言葉で、若い労働力が酷使され始めている社会で、実は子どもと関わることに幸福感を求めようという若者は確実にいる。意欲の萎えていない、経験豊かな館長や指導員もまだまだ居る。しかし、認可外のブラック企業的な保育園でいま起っている「名ばかり園長」の現実が、児童館や学童保育の現場にも迫ってきている。一度失ったら二度と戻って来ない大切な人たちが辞めてゆく。

 子どもの放課後の大切さを理解し、親身に声を掛けられる人たちが次の世代の指導員を育てられなくなると、現場の良心を頼りに、いままで当たり前のように存在して来た「子育てに関わる」この国の不思議な仕組みが再生不能になっていく。社会の土台を作っていた信頼関係が根こそぎ消えてゆく。それがいかに大きな損失だったか、あとで気づいてももう取り返しがつかない。保育園も児童館も学童保育も、数値目標を達成する仕組みではなく、人間たちの日々の「営み」なのだということを絶対に忘れてはならない。

 家庭的保育事業、家庭保育室、小規模保育などで資格の規制緩和を進める手段として、「子育て支援員」制度を国は作ろうとしている。20時間程度の研修で保育や学童保育にも関われる資格を新たに設けるのだ。しかし、その主旨の根底には人材不足と財政削減があり、子どもたちの本当のニーズが後回しになっている。いま家庭まで踏み込んで行ける人材、それを許す信頼関係こそが社会に求められているのに、経済施策にのみ込まれ、付け焼き刃のごまかしで「子育て」に関わる施策が進められている。

 「子ども子育て支援新制度」のパンフレットの表紙にある「みんなが子育てしやすい国へ」という言葉が虚しい。税収を増やすために母と子をなるべく引き離し、実は、子育てを非正規雇用で補いそのつけを未来に先送りしている。子育て施策の最後の安全ネットであるべき児童養護施設でも待遇の問題もあって人材不足が著しい。善意で頑張って来た人たちの顔にあきらめの表情が浮かんでいる。民生員や保護司の後継者がいない。この国独特の利他の心、人間性で保たれていた希有の仕組みが急速に限界に近づいている。「みんなが子育てしやすい国へ」という掛け声で、共倒れ現象が始まっている。

cover.gif

首相の所信表明演説から
 
「子育ても、一つのキャリアです。保育サービスに携わる「子育て支援員」という新しい制度を設け、家庭に専念してきた皆さんも、その経験を生かすことができる社会づくりを進めます」
 
(私の考え:五歳までの子育ては一つのキャリアではなく、ほとんどの人間が「自分のいい人間性を体験し、男女がそれを確認しあう」、遺伝子に組込まれた、人類にとって不可欠の作業です。ほとんどの人間が体験することによって人間性の偏りに自然治癒力が働き、集団としての自浄作用が生まれる。幼児との対話で繰り返し次元を越える体験をすることで、社会という仕組みのバランスが保たれてきた。社会は想念から生まれるものであって、政府が作るものではない。)
ーーーーーーーーー関係資料
 

「子育て支援員」資格新設、主婦も20時間で保育従事者に 2015年度から

政府は2015年度から「子育て支援員(仮称)」資格を新たに設ける方針を固めた。育児経験がある主婦などが対象で、20時間程度の研修を受ければ、小規模保育を行う施設などで保育士のサポートにあたることができる。528日、女性の社会進出などを議論している政府の産業競争力会議で、厚生労働省などが提案した。時事ドットコムなどが報じている。

背景に不足する労働力

政府がこのような制度を設置する方針の背景には、保育人材の不足がある。政府が2015年年度から施行する「子ども・子育て支援新制度」では、保育所や小規模な保育施設、学童保育施設を増やすとしている。事業の拡充に伴い人材の確保が必要となるが、保育士不足は現状でも深刻な状態が続いている。

このため政府は、子育て支援員資格を整備することで、担い手を確保する仕組みを整えると同時に、子育て中の女性や、子育てが一段落した主婦の社会進出を後押ししたい考え。

ーーーーーーーーーーーーーー

6.jpg

 

 

園長たちの人生の道筋
 

 

 

 保育士という仕事はどういう気持ちで人生を生き抜くかということで、それだけにある種の覚悟を要求される。最初の覚悟は、高校時代の進路選択の時にされるのかもしれない。お金持ちになれるわけではない。子どもが好き、という資質は利他の精神を持って生まれて来たということ。そして現場に出て、毎日のように、他人の人生に親身にならざるを得ない場面に遭遇する。見ぬふりをするとやがて幼児の目線に立ちすくむ瞬間が来きてしまう。だから続けていればその葛藤の中で人間が育っていった。

 最近保育士の人生が馴染んでいない園に出会うことがある。ちょっとした絵本のコーナーや生き物の飼い方に、子どもと重なった目線の年月を感じる機会が減ってきた。園における保育士たちの人生の伝承が行われなくなってきたのだろうか。親たちが、子どもを誰かに預けてゆく、その誰かの人生の重なり合いが感じられなくなってきた。鏡となる親の人生と交わらなくなってきたのだろう。一緒に子を育てながら、意識、心のやりとりが減ってきたのだと思う。

 子どもを預けてゆく親たちの日々の繰り返しが、競争に巻き込まれた世間の早い流れに埋もれ、取り残され、誰の目にも留まらなくなると、子どもたちの日々が社会のどこにも積み重ならなくなってくる。幼児の未來の道筋が見えないのは親たちの育ちを感じられないからで、園長たちに、自分の人生の道筋が見えなくなってくる。

 



「保育園開業・集客完全マニュアル」をお読みになった方は、そのほとんどが興味を持たれ、開業されたオーナー様も多くいらっしゃいます。勇気をもって新たな一歩を踏み出すお手伝いをさせていただければ本望です!

  無責任な宣伝文句がネット上に踊る。これを書いた人たちは、三歳未満児の子育てを経験した人たちなのだろうか。単純にビジネスチャンスと捉えているだけで、体験の伝承をしようとしている人たちではない。保育は、宣伝文句にあるような、「何から、どう始めていいかわからない」人、「今まで保育園経営などにまったく興味のなかった方」、「不安でいっぱい」の人、がマニュアルを読みながら始める仕事ではない。子どもの将来にある程度の責任を持つこと、日々子どもの命を守ること。それが単純に、政府の新制度を利用して「オーナー様」に「開業」が薦められる。保育士がいないのに。

 こんなことが市場原理として政府によって推し進められている。閣議決定で40万人子どもを保育園で預かる施策を役人に進めさせることは、政府が40万人の子どもの子育てに責任を持つということという意識がない。成長産業と位置づけ、ビジネスコンサルティング会社に火をつければ財政削減になる、ぐらいにしか考えていない。。

 

振り込め詐欺の被害額が過去最高

 振り込め詐欺という犯罪が成り立つ国は、今のところ世界中で日本だけかも知れない。欧米先進国社会では、自立という名で、通常とっくに親は子との、子は親との関係を見限っているし、成人していれば自分の子どもが窮地に陥っても助けることを躊躇するか、すでに不信に満ちた社会で育っているからひっかからない。発展途上国では仕組み的に「振り込み」が出来ない場合が多い。振り込め詐欺は、日本で、信頼関係で成り立つ社会と欧米型競争社会(不信で成り立つ社会)が最後のせめぎ合いを起こしている現象だと思う。振り込め詐欺は犯罪だし、道徳観の欠如という意味では最悪の行為なのだが、アメリカの競争社会を30年間体験した視点から見ると、それがまったく成り立たない社会がどれほど不幸か、ということも同時に考えてしまう。「最後のせめぎ合い」があらゆる分野で起っている。

images-12.jpegのサムネール画像のサムネール画像のサムネール画像のサムネール画像のサムネール画像のサムネール画像



 

(考察)

  幼児と過ごす時間は胎児との時間も含めて、進化の時間、宇宙とのやりとりを体験すること。それが「善的」で自然で、理にかなっていたことを見つめる時間なのでしょう。貧しさの中で、人間は調和しなければ生きていけなかった。それを憶い出す。そのことを感じる。

 産業革命以降かもしれない、義務教育が普及し豊かさの中で人間はかなり偏った自分を体験し続けることになる。経済とい言葉で表される何かが幸福論にすり替わり、本来の部族的つながりを離れ、人間性を必要とする、人間性を耕す営みから道筋が外れ始める。

 先進国社会における大人同士の駆け引きや裏表を偏って体験することは、豊かさ後の人間同士の欲望によって発達した罠を知ること。振り返るための体験。

 六歳で線引きされる学校教育以前と以後を、例えば「義務教育の普及+産業革命」以前と以後と考え、そこまでの進化を宇宙の理にかなった進化、それ以後を人間の意図をベースにした進化と捉えるとわかりやすいと思う。4歳でほぼ完成する人間性(一人では生きられないが、頼り切り、信じ切り、幸せそうな人類が集団として進化する形を司る性質)は、家庭という宇宙の理の中で育まれる。故に「善」なのだ、と私は定義し、それ以降の教育と経済優先の志向を「悪」とは言いませんが、かなり「危険な」道と位置づけているのだと思う。

 豊かさを体験したあとの老人たちの孤独と不安を考えてみればいい。育てない人間が見える不安、理にかなった、宇宙に守られた進化の部分を繰り返そうとしない人間を見ることで、自分の中の「善」が壊れてゆく感じがするのだと思う。「孤独と孤立」が広がってくる。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

2611-1p01 のコピー
 
に文章を書かせていただきました。
 

 

■育てること、育つこと


 松居和(元埼玉県教育委員長)

kazu Matsui2松居和氏

松居:最近「愛国心」という言葉がよく聴こえてくるようになりました。国とは、幼児という宝を一緒に見つめ守ることで生まれる調和だったはずです。その幼児を蔑ろにしながら、「愛国心」という言葉でまとまってもやがて限界がくるでしょう。

 

 

 (抜粋)来年4月から、「子ども・子育て支援新制度」が始まります。内閣府のパンフレットの表紙に「みんなが子育てしやすい国へ」とあります。私はこの制度と、今の日本の保育をめぐる流れに強い危機感をいだいています。「待機児童」対策において、そのほとんどである三歳未満児の願いが反映されていない。乳幼児が保育園に入りたがっているのか、その次元での想像力が働かなくなってきたことが先進国社会特有の道徳心の欠如を招いているのではないのか。
 
 保育が雇用労働施策として繰り返し語られるうちに「子供は国や社会が育ててくれる」という考え方が広まってきた。「地域の子育て力」が人々の絆を意味するものではなく、保育や教育という仕組みの整備と見なされ、親子関係(社会の土台となるべき家族の連帯意識)が薄れてゆく。それは子供にとって不幸なだけでなく、社会全体から一体感が失われモラル・秩序が消えてゆくこと。誰がどのように子どもを育てるかという問題は、国家のあり方の問題なのです。
 
 実は、子はかすがいではなく、子育てが社会のかすがいだった。いま子育ての社会化で家庭崩壊はますます進み、DVや児童虐待が増え児童養護施設も乳児院も限界を越えています。

 

 十数年前に「サービス」という言葉が民間保育園の定款に入れられた時から親の意識が変わり始め、「子供の最善の利益を考え」と明記する保育所保育指針と矛盾し、摩擦を起こしているのです。「保育は成長産業」と位置づけ市場原理を導入し、その中核をなす新制度における「小規模保育の促進」で保育士の質はこれからますます落ちてゆくでしょう。保育で儲けようとする人たちが客を増やそうとするほど、本当に保育を必要とする子供たちの安全さえ守れなくなってきているのです。

 先日、知人の議員が株式会社の運営する保育園に視察に行き、「お金さえ払えば24時間あずかるのですか」と尋ねると、「もちろんです」と説明に当たった社員が自慢げに言ったそうです。悲しげに言うならまだ分かりますが、社員がすでに人間性を失っている。市場競争において、保育「サービス」は幼児に対してのものではなく「親に対するサービス」と躊躇なく解釈されている。  

 

 厳密に言えば、幼児の口に食べ物を運ぶスプーンの速度が幼児の願いを超えたとき保育はその良心を失う。親の知らない密室でその対象とされた子供たちが、この国を支えていくことができるのでしょうか。待機児童が増えようと、親たちから文句が出ようと、市長が選挙で何を公約しようと、良くない保育士はすぐに排除するという決意を社会全体が持たないかぎり、子供たちの安全を優先する保育界の心を立て直すことはできません。この国の未来である子供たちを守ることはできないのです。

 



 01歳児をみることは、数人の絆と信頼関係があれば、人々の心を一つにする喜びであり拠り所だったはず。子育ては目的や目標というより、人間が自分のいい人間性を知る、人類としての体験だった。一緒に子どもの幸せを願い、損得勘定を離れることに幸せを感じる、社会の安定に欠かせない学びだったはずです。その「大変な」子育てを社会化・システム化すれば、「絆」は薄れ、生きる力が失われ、学校教育や経済にまで影響し始める。この国の少子化の原因は現在二割、十年後三割の男が一生に一度も結婚しない、生きる力、意欲を失っていることなのです。人間を進化させてきた親としての幸福感が崩れつつある。男女共同参画の本質だった「子育て」が欧米並みに崩されつつある。このままでは男女間の信頼関係さえ育たなくなる。

 「子育ての外注化」が欧米先進国社会の仲間入りであるかのように喧伝され、一方で、知らないうちに親に見せられない保育が広がっている。半数近くの子どもが未婚の母から生れ、犯罪率が日本に比べ異常に高く、経済的にもうまく行っていない欧米型社会は、けっして真似るべき社会ではない。


園児は騒音?/保育公定価格試算ソフトの混乱/「保育園開業・集客完全マニュアル」

 園児は騒音?

 保育園建設に反対する住民たちのことがNHKのクローズアップ現代で報道されていました。保育園の幼児たちの声は騒音だと老人たちが言うのです。確かに、幼児をこんな風に集団にするのは不自然なのです。しかし、幸せそうに生きる子どもたちを「騒音」と感じるような社会にしてしまっているのは一体誰なのか、何なのか。戦前の道徳教育を受け、ある時期「絆」を強く感じ合う体験をした人たちが、なぜこんなことを言うようになったのか。社会全体の幼児を見る視線、視点、意識が変わってきているのです。それが世の中の空気感を変えている。最近よく道徳教育という言葉が言われますが、道徳とは社会の空気感の中で主体的に維持されるもの、またはその空気感そのものではないか、と思います。流動的で、常に作用反作用で動いてゆく、人々の意識の連動のような気がします。

 子どもを40万人保育園で預からないと女性が輝けない、と政府が言う。

 親を育て、人間性が共感する次元を整え、社会に絆を生み出すために存在する子どもたちを、大人を輝かせない障害と見なすようになっている。その奇妙で不自然な視線が少しずつ重なりあって、今の社会全体の意識を作ろうとしている。確かに新生児は人間から自由を奪うために産まれてきます。自由を奪われ、自由を捧げ、絆をつくり、人間は一人では生きられない自分に幸せを感じ成長した。そこで育まれる「利他」の心が、社会にモラルと秩序を与えてきた。

 本来幼い子どもたちをたくさん集めて一緒に生活させることは不自然なのですが、その音が不快に思えるようになってきた。マスコミとか政治家とか、社会の意図を左右する仕組みが、弱者の役割りとその願いを理解しないから、その無理解が意思となって伝わって行き、「弱者の幸せ」が騒音に聴こえるようになる。夏の蝉の声は苦痛ではないのに、深層心理の次元で「幸せの音」が苦痛になってきている。

 一日保育者体験をした親たちの感想文を読むと、たった8時間幼児たちに囲まれることによって人間の感性がずいぶん変わることがわかるのです。遺伝子がオンになってくる、という感じでしょうか。言い換えれば、それまでどれだけオンになるべき遺伝子がオンになっていなかったかがわかるのです。

 

images-9.jpegのサムネール画像



 筑波大名誉教授の分子生物学者、村上和雄氏の「生命の暗号」という本に、遺伝子がたくさんオンになるほど良い研究が出来る、感性が磨かれる、と書いてあります。そして、遺伝子をなるべくオンにするには、感謝すること、Give&Giveの気持ちで生きること、その典型が乳児を育てる母親、と書いてあるのを読んで、感動したことがあります。

 

Unknown.jpeg

 男が授乳できれば結構遺伝子がオンになるのでしょう。そんな風に考えたことがあります。しかし、それは宿命的に無理なのです。男女は陰陽の法則のなかで助け合うために相対的、必然的発達障害の関係にある。今の世の中、昔は当たり前だった、父親が乳幼児を日々抱いて遺伝子をオンにする時間が極端に短くなっています。だから年にたった一日、八時間でもいい。父親を人間らしくする一日保育士体験を薦めています。

 「親心を育む会」のホームページに父親たちの感想が数百載ってます。人間が変質する瞬間が見えます。とても、効き目があります。

 経済競争というパワーゲーム(マネーゲーム)に組込まれた子育ての社会化が、親らしさで心を一つにする(男女の差異を調和に発展させる)部族の定義を揺るがしています。

 最近陰のベストセラーになっている「逝きし世の面影」渡辺京二著の第十章、(子どもの楽園)を読むと、150年前、幼児を崇拝し眺めながら楽しそうに生きていた日本人たちの安心感と笑顔が、それを書いた欧米人の魂を揺さぶった瞬間が見えてきます。インドや中国をすでに見て知っている欧米人が、なぜこの国を「パラダイス」と書き残したか。貧しきものは幸いなれ、と言った聖書の言葉が、幼児を中心に生きることでいとも簡単に具現化されることに気づいたからだと思うのです。

逝きし世の面影/表し.jpgのサムネール画像

 

 第十章だけでもいい、生きる力を失いかけている中学生、高校生に本当の日本の歴史を知らせるために読んであげて欲しい。男たちがこれほど幼児と一体となって暮らしていた国はない。百五十年前にこの地に来た欧米人が時空を越えて私たちの本質を知らせようとしています。

 貧しい人たちも輝いていた。これが誇るべき、自慢すべき、日本の姿のはず。この章と保育体験の組み合わせで、きっと生徒たちには伝わるはずです。生きることの意味が。

 

 子育てに幸せを感じ、心を一つにし、人々が安心すると、競争が止まり今風の経済は減速するのかもしれない。しかし競争の対極にある幸福観を持つのがこの国の個性ではなかったのか。

 

保育公定価格試算ソフトの混乱

 

 消費税を上げるのか上げないのか、政府が揺れ始めている。進むも地獄、返すも地獄と報道されていましたが、保育界は過去例がないほど混乱しています。そんな中、コンサルティング会社が元気です。仕組みの抜け穴を読み解きコンサルティング料を取って、保育でいかに儲けるかを指南しています。子どもたちのための保育が、ビジネスチャンスとしての保育に変えられ、そして「保育園開業・集客完全マニュアル」(後述)なるものまで現れる。今まで積み上げて来た保育の伝統とは何だったのか。ここまで来ると新規事業の最前線では、乳幼児の命、そして子どもたちの人生を左右するはずの幼児期の子育てが変質し、保育の無法地帯化が始まっている。

 

 来年四月から始まる子ども・子育て支援新制度は消費税が10%に上がる前提のもとに「前倒し」で進んでいます。消費税を上げるためのスケープゴートに使われたのかもしれない。保育園、幼稚園、認定こども園各種、小規模保育、家庭的保育事業、一号認定、二号認定、三号認定、何人ずつ子どもを預かればどれだけの補助が出るのか、計算するソフトが内閣府のページからダウンロード出来るのですが、6月のバージョンには問題があって8月に新たなバージョンが出来、それを使いながら園長設置者たちが本当はよくわからないまま損得勘定で決断を迫られ、十月の募集に間に合わせるために役場も条例の改定、市議会での決議、と五里霧中、指示されるままに進んできてしまいました。

 そしていま、国の「子育てしやすい国づくり」が「待機児童の解消」=「保育園を増やすこと」とする考え方に、日本人が違和感を覚えなくなっている。

 

 だから、「子育て」に直面している保育士が自己矛盾を感じ始める。(そして、園児が騒音と見なされるようになっている。)自分たちが、一歳児なら園児6人に保育士1人、4、5歳児だと30対1でやるのが本当に「子育て」なのだろうか。そして、「子育てしやすい」の「しやすい」という言葉の中身を考えて立ちすくみます。自分たちが頑張ることが、「子育て放棄しやすい」を意味しているのではないか。その疑問と葛藤が保育の現場の根本に芽生えたから、新制度はいくら継ぎはぎの修正をしても、迷走を続けるしかないのです。

 

 幼稚園と保育園は仕組みの成り立ち、意図が違います。安易に一体化しようとしても、民主党の「子ども・子育て新システム」から続く主旨の姑息さが必ず現れる。いくら計算ソフトの改訂をしても、紆余曲折の後、結局は、長年かけて作られた仕組みに戻るしかなくなってくる。いま意識の転換をしても、どこまで戻れるがわからりませんが、しかし、これを前倒しで進めている政治家と行政は意地でも戻ろうとしない。

 

 少し専門的なテーマになってしまいますが、

 私立の90人定員の保育園がこども園に移行し、一号認定(幼稚園並み保育時間)の子どもを15人にすると、地域やこれから決まる公定価格によって多少差がありますが年間二千万円くらいのプラスになります。いくつかの自治体に試算をしてもらいましたが、15人という数字がマジックナンバーになっている。この仕掛けを知っている園もあれば、知らない園もある。気づいた役人は震え上がり、知らない役人もいる。

 こども園に移行させるために、ここまで税金をインセンティブに使う政府の理念と哲学が見えません。介護保険のように市場原理で財政削減に結びつけようとしているのか、保育園と幼稚園の間にある子育てにおける差別感をなくそうとしているのか、単なる設定上のミスなのか、いずれにしても子ども優先の施策ではない。こんなやり方は明らかに財政的に続かない。自治体が負担分に耐えられなくなる。

 東京都は元々国の補助以外に保育園には多額の手当が出ていて結果的に加算にはならないので関係ありません。公立も一般財源化されているので無関係。2号3号ですでに待機がいる地域では一号認定を加えようとしても市の認定が降りないのかもしれない。しかし地方の、待機児童がいなくて幼稚園がないような地域(全国で2割、人口一万人以下の自治体では5割)では、園児の3割くらいが本来は一号認定に入るべき子どもたちで、在園児の15人に一号認定になってもらいこども園に移行することは充分可能です。これをすれば保育士一人月額5万円くらいの加算になるかもしれない。こども園という「幼稚園のいいところと保育園のいいところを合わせて」という政府がいまだに言い続ける仕組みの理念は、保育士不足の現実から考えると机上の空論だとしても、保育士の待遇の悪さに心を痛めている園長・設置者にとって年二千万円は魅力です。この加算の仕組みが、もし一部の人たちにだけ意図的に知らされていたとしたら、保育施策を覆すスキャンダルです。

 

(関連して、ある市の課長から)

 当市では、子ども・子育て支援法第28条第1項第2号の「特別利用保育」を利用する子どもの受け入れを決定していますが、国からの情報がありません。保育所の公定価格試算ソフトに特別利用保育の項目を入れる等の対策を講じていただかなければ、認定こども園と保育所の比較を正確に行うことは困難です。至急対応いただきたい課題です。

(「特別利用保育」は保育園に一号認定の子どもを入れてゆく仕組みで、もともと幼稚園が無いような自治体で、いい課長が「子どもは親と過ごしたがっている」と考える時に、従来疑わしい就労証明書で受けていた子どもたちを本来の一号認定に戻してゆく場合に有効な手段です。この市では公立保育園がほとんどなので、条例を作り市の指導でこういう施策が可能です。私立保育園が予算獲得のために認定こども園になり一号認定を十五名入れれば大きな加算となるのに、公立保育園が、親の必要な時間だけ預かるという保育園の本来の姿に立ち返るために進める良心的な手段における補助金の算定が公定価格試算ソフトに入っていない。付け焼き刃の施策の盲点や矛盾点、バグがますます明らかになってきます。)

 

 

image s.jpeg

 家庭の問題を理解し親身にならざるを得ない園長先生は、卒園式の日に園児をそっと送り出す。祈るような気持ちで...、背中を押す園は子育てをしている。子どもたちにとって家庭であって、ただ預っている場所ではないから、その気持ちが親に伝わらないことに傷つく。

 良くない事件が起こると、どこかに身を凍らせている園長を感じる。

 

 

image s-5.jpegのサムネール画像

(保育行政を超えて児相や児童養護施設まで関わり、凄い行動力で、親身に動き続ける女性の役人からメールが着ました。児童虐待を止めるために、家の前で張り込みをするような女性です。)

 

こんばんは。

あすは、市長と市議選のダブル選挙です。

保育園のお迎え時間に、門扉の前でビラ配り。節操のない状態に心が痛いです。

これまで保育に全く関心のなかった市議でさえ、初当選から保育の問題を説いてきた!と言います。(これを偽りと云わずして何を偽りと云うのでしょう)

どんな結果になっても、保育を政治的な判断で決めない人であってほしいと思います。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

松居様

 

いつもTwitterを拝読しております。

私は都内北区在住の3歳と1歳の男の子を持つ母親です。

松居様のTwitterを知り、ご本も読んで勉強させて頂いております。

本日の日本経済新聞夕刊一面に、

「都立公園内に保育所・東京都が待機児童解消策」と言う記事がありました。公園を潰して保育所を建てるとあるのです。悲しみと同時に薄気味悪さを感じました。子供達が、母子が集う、近隣住民の憩いの場を潰して保育所を建てると言うのです。そこまでして母子を引き離そうとする薄気味悪さ..もし可能ならば松居様のTwitterなどにご意見を発信して頂きたい

そう思い、非礼とは思いましたがメールさせて頂きました。

私は会社員で、3歳の長男を一歳から保育所に預けました。育児休暇は一年間。預ける事になんの抵抗もありませんでした。当然と思いました。ですが次男の育児休暇の今、とあるブログをきっかけに思いを改め、そして松居様や長田先生のご本を読み、変わりました。仕事を辞め、子供を自分で育てようと言う考えに変わりました。今は、このままでは日本の母親は産んだ子供は保育所に預けるのが当たり前になってしまうのではと、怖くなります。今日の様な記事を見ると

自分の事しか出来ない一般人の私です。松居様に日本のお母さんに気付きのきっかけを作って頂きたい。そう思い、メールさせて頂きました。どうかよろしくお願い致します。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 お手紙ありがとうございます。とてもよくわかります。社会全体が、何か肝心なものを忘れて、当たり前のように、後戻り出来ない方向へ進んで行きます。

 必ず母親たちの心のブレーキがかかると信じて、書いたり、講演したりしています。そうするしかありません。ですから、こういうお手紙をいただくと嬉しいのです。少しずつ、気づけばいいだけなのだ、と思います。

 仕組みの状況に関しては、どの部分から変わり始めるのか、どの部分から手を付けられるのか、ちょっとわからないほど保育界全体が追い込まれている。虚しいくらいの状況ですが、頑張ります。もし、私にできることがありましたらおっしゃって下さい。講演でよければ行きます。大切なのは、母親たちが声を上げることだと思います。幼児のためにはそれが一番自然で、効き目があると思います。

 

松居

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

(ある役場の人からのメール)

消費税の引き上げと子育て新法案について

今年の4月から、消費税が8%になっことに伴い、臨時特別交付金及び子育て世代特例給付金が支給されました。このロジックに国民は騙されてはいけません。お金をばら蒔いて、誤魔化してるとしか思えないのです。介護保険がはじまった2000年、その前年の1999年、当時の小渕内閣が行った地域振興券。これは、15才未満を持つ世帯に金券千円をこども一人あたり2万円分支給したもの。40才から介護保険料の負担を強いる前にバラまいたとしか思えません。消費税10%引き上げを目前に控え、またバラまき政治と思えるのは私の歪んだ感性からでしょうか?

 介護保険法と子育て三法案。

おなじ厚労省がやっていることとはいえ、ロジックが似すぎています。介護保険料は5年おきに改定。国民の負担は増えるばかりです。これも最初から引き上げねらいでしたから、あくどいですね。子育て政策も、今はおいしい事をいっても、梯子をはずされるのは目にみえています。保育園・幼稚園経営者の先見の明を望みます。

追伸

今月臨時国会で可決した「女性活躍推進法」()について。ゆっくり和先生とお話ししたいです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

(園長先生からのメール)

船井総研に次いで、どしどしビジネス保育の営業が増え始めましたね。安易に保育を始め、事故や問題おきたら逃げてしまうんでしょうね。事故というより刑事事件であることも理解しないままに。

 http://www.info-studies.com/hoiku-top/

 小規模保育がターゲットだそうです。

 

(内容は)

「保育園開業・集客完全マニュアル」

 〜起業したい、独立したいというあなたの夢をかなえます。今ビッグチャンス到来の保育園開業マニュアルです。

 コンサルティング会社に依頼する100分の1の価格で開業ノウハウ全てが手にできます。〜

 

*独立・起業を考えているが、何から、どう始めたらよいかわからない。

*自己資金がなくてもできる起業を探したい。

* 自分ひとりで始めるのは不安がいっぱいだ。

 *安定した収入が入るビジネスにはどんなものがあるのかわからない。

 *フランチャイズは失敗してもFC料金を払わなくてはならないのが不安だ。

起業をしたいと思ったときがチャンスです。ネットビジネスも儲かるのでしょうが、やはり安定した収入は確保したいものです。しかし、単に「起業」と言っても、何をどう始めたらよいのか、どんな手順を踏んで、どんな書類を用意しなければならないのか、わからない方がほとんどです。

そこで、「保育園開業・集客完全マニュアル」をあたなにお届けいたします!

1つのご提案として、本マニュアルには、今まで保育園経営などにまったく興味のなかった方にも一からご理解いただけるようにわかりやすい手順が説明されています。保育園開業・集客完全マニュアル」をお読みになった方は、そのほとんどが興味を持たれ、開業されたオーナー様も多くいらっしゃいます。勇気をもって新たな一歩を踏み出すお手伝いをさせていただければ本望です!

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

(私の意見:保育は「何から、どう始めていいかわからない」人、「今まで保育園経営などにまったく興味のなかった方」がマニュアルを読みながらやる仕事ではないはず。こんなことが市場原理として政府によって推し進められているのです。だから保育園が騒音に聴こえてくるのです。)

六年前の状況から新制度へ/塩・味噌・醤油(天才保育士)/「子育て支援員

以前にもブログに書いたのですが、6年前に著書「なぜ,私たちは0歳児を授かるのか」に「閉じ込められるこどもたち」という章を書きました。当時認可外保育園で儲けようという動きが全国展開を始めていて、フランチャイズ料と指導料で大きく稼ぐ会社が衛星チャンネルやインターネットで宣伝を打っていました。しかし、その内容は、子どもたちの安全性、保育の質を考えると継続性が見込めない、非常に危ういビジネスの形でした。お金を儲けるための親支援、子どもたちの気持ちなどほとんど意識しないやり方でした。

当時「厚労省の資料を調べると、平成十九年度に新設されたベビーホテルが全国で193カ所、廃止休止が177カ所。認可外保育施設は594カ所が新設され492カ所が廃止休止です。」

大人の都合優先の方向が洗練され大規模になり、変えられずに進んできた先に「子ども・子育て支援新制度」があります。そして、また先月、川崎の認可外小規模保育園で小さな命が宿泊保育中に亡くなっているのです。正直、やりきれない思いです。

乳幼児を預かれば事故は起きるでしょう。乳幼児は弱者です。特別注意を払っていても人間は完璧ではありません。子育てをしていれば仕方のないことです。でも、認可外保育園で事故が起る確立は乳幼児だけを比べても認可の8倍と言われます。保育士の人材確保が困難な状況で、小規模保育や家庭的保育事業には安全性という観点からは無理があることはこのブログにも書きました。それを国の新制度は、来年の四月から補助をより手厚くし増やそうとしている。大手コンサルタント会社がそれを知って、小規模保育でどう儲けるかという宣伝を全国展開で煽っている。しかし、保育士の待遇改善は微々たる物。経済対策が優先し子育てにおける倫理観が欠如してきています。

その国が一方で「道徳教育」と言うのです。「道徳」の定義はよくわかりませんが、親が子を慈しみ、子が親に敬意をはらう、始まりはそんなことではないでしょうか。国の「子育てに関わる」施策がその両方を壊している。学校における「道徳教育の推進」などと言って誤摩化しても、国全体のモラルや秩序は国の保育(子育て、親育ち)の軽視で、ますます疲弊してきています。

40万人保育園で預かれ、しかもそれを成長産業と位置づけ、そこでその時子どもがどういう体験をするかということに対する配慮がまったく感じられない。国の成長戦略の中で「子どもの成長」と「親の成長」が無視されている。そして、結局将来の戦力/人間力が弱まってゆく。

人類の歴史から考えて、男女が共同して参画する行為の第一番が「子育て」だったはず。その機会を、国が施策で取り上げようとする。しかも男女共同参画社会という言葉を使って。現在の政府にとって「社会」は経済競争でしかない。そんなやり方でいいのでしょうか。言論の自由はまだ確保されているのです。マスコミや報道の見識が問われているのだと思います。

(六年前の文章です。)

閉じ込められる子どもたち

 

フランチャイズ制の認可外保育施設を全国展開している会社が、保育施設の経営を保育の経験がない人たちにまで勧めています。私の講演を聞いた人から、保育園をやって年収八〇〇万円くらいになるのですか、とメールをもらってびっくりしました。開設費や指導料を最初に計三〇〇万円払い、フランチャイズ料を月々五万円払う仕組みだそうです。規制緩和に乗じて大元の会社が指導料で利益を上げているような気がしてなりません。

「一人保育士がいれば、あとはパートでいいんです」「三つ経営すれば月100万円になります」と言われたそうです。利用者向けの宣伝には、「母親に代わり知育・徳育・体育をします」と書いてあります。開設をすすめるパンフレットの人件費の計算書は、時給八五〇円×七時間×二五日×保育士の人数。時給八五〇円で六人の子どもの母親に代わり知徳体の子育てができるのだったら、文科省も厚労省も苦労しません。

厚労省の資料を調べると、平成十九年度に新設されたベビーホテルが全国で193カ所、廃止休止が177カ所。認可外保育施設は594カ所が新設され492カ所が廃止休止です。こんなビジネスに、自分の意思では過ごす場所も決められない幼児を年に250日も預けていいのでしょうか。ベビーホテルの95%に立ち入り調査が実施されていますが、70%が指導監督基準に適合せず、認可外保育施設の77%に立ち入り調査が実施され、半数が指導監督基準に適合しない。

いままで規則で守られていた保育界を、民営化の名のもとに利益を追求する会社が参入できるように「改革」したのは、これまた保育に素人の、いや私に言わせれば「人間に素人」の経済学者と政治家たち。福祉はサービス、親のニーズに応えますと言って票を集め当選し、国の予算が破綻してくると福祉の予算は簡単に減らされ「民営化」です。選択肢のない子どもたちが泣いています。女性の社会進出で税収を増やそう、という切羽詰まった目的を、サービス産業には競争原理を持ち込めば質が上がる、という安易な経済論でカモフラージュして進めているのです。以前、女性の社会進出で税収を増やそう、という目的が、女性の人権というカモフラージュで進められたときと似ています。

しかし、子育てのサービス産業化はいずれ社会全体のモラルと秩序の低下を招きます。人間は子どもをないがしろにしたときに、自ら良心を捨てるからです。人々の心に疑心暗鬼が広がります。離婚が増え、経済はますます悪くなり、いずれもっと深く大きく破綻するでしょう。必ずどこかで誰かにつけが回ってくる。地球温暖化と似た構図です。

私は六割の結婚が離婚に終わるアメリカの状況を考えていて、これが地球温暖化の原因の一つでは、と思ったことがあります。一つの家庭が分裂すれば、釜戸が二つに、冷蔵庫も二つになります。電化製品メーカーにはいいでしょうが、温暖化ガスの排出量は二倍です。輸出に頼ってきた日本には一時的によかったのかもしれません。しかしその結果、私たちは人類として大きな代償を払わなければならなくなってきているのです。

すでにこうした無認可のフランチャイズ制の託児所が、全国に何百カ所も作られています。子どもたちが毎日「親らしさを放棄しようとする仕組み」を体験し育っていくのです。とりかえしのつかない未来への負の遺産です。

私が見に行ったところは、25畳くらいの部屋に40人前後の子どもが預けられている保育所でした。異年齢が一緒に受ける「混合自由保育」を売りにしていますが、一部屋ではそれ以外にはできません。一番私が耐えられなかったのは、この状態だと一日中「静寂」がないことです。異年齢の子どもを一斉に静かにさせることは不可能です。〇歳児と一歳児が偶然眠ってしまったときに、二歳児三歳児にひそひそと読み聞かせをし、四歳児五歳児に静かに遊んでもらう。そんなことは天才保育士でも不可能です。

静かな時間がない環境で、保育士と子どもたちが一日八時間以上、年に250日過ごす。園庭がないと、反響板の中に常に閉じ込められている感じがします。逃げ場がないのです。

もう一つ気になったのは、保護者会がないこと。これをやると園児が集まらない。親へのサービスが第一なのです。週五日預けている親に、「土曜日も夫婦で遊んできてください。お預かりしていますから」と言うそうです。こうした小規模園では親に対するサービスが死活問題になのです。

認可外保育所は二人に一人が保育資格を持っていればいい。そのうち、資格を持たない男性のパートを安易に入れるようになったら、と考えると恐ろしくなります。

アメリカで30年ほど前に、保育所や幼稚園における男性職員による性的いたずらが社会問題になりました。訴訟が怖いから、と保育士に「なるべく園児に触らないように」という指示を出していた園長先生を思い出します。男性保育士がいけない、と言うのではないのですが、ある日本の女性園長が、「保育士は毎日何度もオムツを替えます。娘さんが知らない男性に毎日オムツを替えてもらって、あなたは平気ですか?」とおっしゃった言葉には、真理と洞察があります。男女平等という弱者をも競争に巻き込もうとする争いよりはるかに深い、人間の性、修羅にもとづいた直感的なルールが人間社会にはあるのです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

(そして今)

 当時のことを鮮明に憶い出します。六年経って、子ども・子育て新システム、新制度、混乱の中で「子育ての社会化、市場化」は確実に急速に進み、その結果としていい保育士が大量に辞めていきます。いまごろ保育士の時給850円で始まった保育園はどうなっているのでしょうか。多くが辞めていったとして、その過程で子どもたちはどういう日々を送ったのでしょうか。そして、六年前市場原理で始まった危うい動きが閣議決定で「保育は成長産業」と位置づけられ、後押しされ、国規模で進められようとしているのです。働く親たちが安心して子どもを預けられる環境などもう望めなくなっている。

小規模保育が自転車操業に陥った時に、「預かっていますから、週末夫婦で遊びに行ってらっしゃい」という言葉が平気で園長の口から出るようになるのがサービス産業。少子化の現実の中で、営利を目的とした小規模保育ほど経営の先行きが見えない自転車操業に陥りやすいのです。毎年3月に、4月に何人保育士を確保したらいいかわからない状況になる。呼び込みのような事実とは異なった宣伝が始まる。その宣伝がまた次の事故を生んでいる。(http://kazu-matsui.jp/diary/2014/09/post-210.html)

そのずっと以前に園長は親(客)に小言も注意も言えなくなっている。園を継続させるなら、心を閉ざすしかないような事態になっている。(http://kazu-matsui.jp/diary/2014/10/post-217.html)

子どもの未来につながる園での幸せが、今日・明日の経営に埋もれてゆくのです。当時、良いことをしようと脱サラまでして貯金をはたいて始めた夫婦の事業が、アッという間に、幼児の最善の利益を優先しない危ない保育産業になってしまうのを見ました。

そんな環境の中で、客の顔色をうかがうサービス業には向かない、一見要領の悪い、けれど心の温かい保育の天才たちが一年くらいで辞めていきました。いい園長先生が数年時間をかけて、伝承が生きる良い環境の中でしっかり育てればきっと長く続くいい保育士に育った人たちが、「保育とは呼べない保育ビジネス」を1、2年体験し去ってゆきました。そして、彼女たちは二度と戻って来なかった。自分の子どもを保育所には預けなかった。天命の職場には戻らず、家庭に入っていった。

親たちに対するサービス業に向く人と、乳児・幼児に好かれる生まれながらの天才保育士は異なる素質を持った人たちです。親の要求を仕事として受け入れられる人たちと、子どもの幸せを願って暮らす人たちは、相容れない人生観と才能を持った人たちです。子どもに話しかける声のトーンが違います。見つめる時の笑顔の質が違います。

だから保育界では、ビジネスに向く管理者はいい保育士を引き止めることができないのです。

いま株式会社系の大手保育チェーンが必要な人数の三割増しくらいの求人をするのは、毎年三割程度の社員が現場を去ってゆくことを知っているからです。でも、彼らが知らないのは、そういう保育士たちの中に保育界の将来の宝がいた、ということ。三歳未満児を「あなたは愛されている」「だからだいじょうぶ」「生きることは美しい」と包み込む、30年後には道祖神園長になったかもしれない、両親や祖父母、まわりの人たちに可愛がられ手塩にかけて育てられた気持ちのやさしい人たちがいた、ということ。

塩・味噌・醤油

ある園長先生が話してくれました。

養成校の教授に信頼されているその園長は保育士を育てるのに定評があります。ある年、保育士に欠員が出たため4人の卒業生を推薦してほしいと教授にお願いしました。

四人を選んでくれた教授が園長に笑いながら言いました。「二人は、将来現場でリーダーとなってゆく優秀な学生たちです。もう二人は、学業には向かないけれど天才的な保育士です……」

園長は一応形式的に筆記試験をしました。栄養の三要素は何ですかという問いに、天才保育士の1人が「塩、味噌、醤油」と書いたのだそうです。

園長はそこで大笑いをし涙ぐみながら私に言うのです。「この塩、味噌、醤油が、本当に、本当に保育の天才でした」

昔、ある園長が私にささやきました。「明るくって、元気がよくて、何でもできる保育士ばっかりだったら、子どもは疲れちゃうんだ。五人に一人くらいは暗くてやさしい保育士がいなくちゃね」。子育てとか家庭はバランスなんですね。それぞれが役割りを持っている。

また、ある園長が私に言いました。「園長がしっかりしていたら、主任は少し暢気なくらいがいいんですよ。主任がしっかりしていたら、園長はのんびりしているといいんです。両方のんびりしていたら困るけど、二人ともしっかりしていたら、保育士も子どもも息がつまってしまう。色んな家庭から来た子どもを大勢預かっているんですから、園の雰囲気といいますか、バランスがとても大切なんです。年月が必要なんです」

こうしたことはなかなか学校では教えてくれません。家庭という形に正解が無いように、園という形にも正解はありません。でも、0才1才2才児を預かる時、彼らが園であったことをちゃんと家で報告できない、ということだけは忘れてはいけない。私は毎年これだけたくさんの園を25年間に見てきて、そこで時間を過ごしてきて、あってはいけない風景や、それを体験した保育士と出会い、それを無くすことはできないけど、減らさなければいけないと思うのです。

どんな母親でも、まわりに数人相談相手がいればかけがえのない母親になれるように、学業には向かなくても書類づくりはまるで駄目でも、天才的保育士はいい園長に当たって数年で一人前の保育士、園という家族の一員に育っていったものです。少しの忍耐力と優しささえあれば、かけがえのない園の一員に育っていきました。

毎年、株式会社や派遣会社で2、3割の保育士が辞めてゆく話を聴くと、いい園長に出会っていれば、数年で、ときには20年くらいかけて、立派な保育士に育った子たちがその中にいたんだろうな、と思ってしまいます。

 

首相の所信表明演説から

「子育ても、一つのキャリアです。保育サービスに携わる「子育て支援員」という新しい制度を設け、家庭に専念してきた皆さんも、その経験を生かすことができる社会づくりを進めます」

ーーーーーーーーー関係資料

「子育て支援員」資格新設、主婦も20時間で保育従事者に 2015年度から

政府は2015年度から「子育て支援員(仮称)」資格を新たに設ける方針を固めた。育児経験がある主婦などが対象で、20時間程度の研修を受ければ、小規模保育を行う施設などで保育士のサポートにあたることができる。5月28日、女性の社会進出などを議論している政府の産業競争力会議で、厚生労働省などが提案した。時事ドットコムなどが報じている。

背景に不足する労働力

政府がこのような制度を設置する方針の背景には、保育人材の不足がある。政府が2015年年度から施行する「子ども・子育て支援新制度」では、保育所や小規模な保育施設、学童保育施設を増やすとしている。事業の拡充に伴い人材の確保が必要となるが、保育士不足は現状でも深刻な状態が続いている。

このため政府は、子育て支援員資格を整備することで、担い手を確保する仕組みを整えると同時に、子育て中の女性や、子育てが一段落した主婦の社会進出を後押ししたい考え。

■保育士の給与を引き上げにくい理由

厚生労働相の資料によれば、2017

年末には保育士が約7.4万人不足するとされており、政府は対応を迫られている。保育士確保の対策として、保育士の資格を持っているが現在は保育士として働いていない「潜在保育士」の掘り起こしや、離職者を減らすための研修実施などが挙げられているが、給与面での保育士の待遇を改善することも喫緊の課題だ。しかし、なかなか保育士の給与を上げにくい状況がある。保育士の給与を上げるためには、その元手が必要だが、行政が保護者が支払う保育料の上限を設定しており、その上限を超えると行政から補助金が下りなくなるのだ。保育所が預かることができる子供の人数は、保育所の広さや保育者の数で、決められるため、ひとつの保育所が得られる収入には限りがある。そのため保育士の給与を上げるためには、「保護者が支払う保育料の上限を引き上げる」、「ひとりの保育者が、預かることができる子供の人数の規定を増やす」、もしくは「行政が支払う補助金の額を引き上げる」などの対応が必要になる。政府は「子ども・子育て新制度」の予算で、保育士の処遇改善を行う予定だった。しかし、新制度の財源が不足するとわかったため、保育士の給与アップについては、当初の最大5%増から3%増にとどめることになった。政府の子ども・子育て会議は現在も、保育所に支給する補助金の額や、利用者の支払う保険料について議論が行われており、今後保育士の処遇についても算定するという。

■准保育士は何のために生まれたのか

実は、准保育士の話が出たのは今回が初めてではない。2007年の第1次安倍内閣時にも、当時の規制改革会議の中で登場している。なぜ、このタイミングで准保育士は再び議題に上がったのか。当時、准保育士の提案を行ったのは、人材派遣事業を展開するパソナ。保育士の受験資格を規制緩和することが目的だった。大卒や短大卒であれば専攻の内容にかかわらず、実務経験がなくても保育士の試験を受験できるのに対し、中卒や高卒の人は実務経験がないと試験を受けることすらできない現況をおかしいと考える人が、同社の社員や登録者に多かったためだ。同社が行ったアンケートによると、「気持ちと熱意のある方には資格や知識は必要だと思うが学歴は関係ない」という意見や「専攻にフィルターがかかっていないのであれば学歴は意味が無い」などのコメントが寄せられたという。2007年当時は、実務経験についても児童福祉施設に限られており、その児童福祉施設も採用自体が少なかったことから「最初からシャットアウトされているのではないか」とのコメントも出ていた。

当時、パソナに派遣社員として登録する人のなかには、子育てが一段落した30代、40代の人もおり、自分が子育てで経験したことを、社会貢献のひとつとして活かすために時給800~900円でもやりたいと考える人がいた。しかし、資格が無いために保育の現場には派遣しにくかった。そこで、准保育士などの資格を作り、保育所で補助的な仕事をしながら実務経験を積んだ後、正規の保育士としての受験資格を得るような道筋がつくれないか、という提案が行われたのだ。

「失敗しない保育園選び」??

 ある園長先生からこの記事が送られて来ました。
 こんな記事を読んで、子どもの気持ちを優先に保育する園長たちが辞めてゆくのだと思う。http://diamond.jp/articles/-/59676
 今年は特にそれが多い。待機児童を無くせという合唱が「保育/子育ては国がやるべき当然のサービス」という姿勢を一部の親たちに植え付け始めている。本当にそれでいいのですか?
 こういう苦言を呈してくれる人たちが実は子どもの成長にとって現場で重要な役割りを果たしてきた。保育士にも苦言を呈し、若い保育士を育ててくれた。乳幼児の安全に欠かせない人たちだった。その人たちをこんな風に扱っては保育自体がその本質を変えざるを得ない。そのしわ寄せは義務教育の方にも確実に着ています。アメリカほどではないですが、子どもの気持ち考えられない親たちが学校教育を疲弊させている。
 「子育てはなるべく保護者が汗をかいてやるべきという、悪しき根性論」こんなことを正論のように「実用ライフスタイル雑誌」という出版物に「失敗しない保育園選び」と題して載せる人たちがいる。保育士側からすれば、「子育てはなるべく保育士が汗をかいてやるべきという、悪しき経済論」とも言える。一緒に子どもを育てている、心をひとつにするべい人間同士がこんなことを言い合う仕組みなどもうやめた方がいい、と思ってしまう。いったい幼児の気持ちはどうなるのだろうか。

東京保育園ランキング by ダイヤモンドQ

世田谷区の保育園を大胆にランキング!
はっきり分かった”株式会社”の高評

http://diamond.jp/articles/-/59676

我が子を保育園に入園させる道は長くて険しい。大都市では女性の社会進出に伴う保育園不足が深刻であり、保育園に関する情報が少ないためにどこを選べばいいのか分からないという保護者も多い。そこで、実用ライフスタイル雑誌「ダイヤモンドQ」編集部が、「失敗しない保育園選び」のために実用的な情報を紹介しよう。第1回は、最も待機児童が多いことで注目されている世田谷区の保育園事情を明らかにする。

「子どもが通っている世田谷区が経営している保育園では、子どもの昼寝用布団のシーツは保護者がかけることになっています。夏になるとクーラーがかかっていない熱い部屋で汗だくになってシーツ掛けをさせられ、とても嫌な気分になります。ほかにもスーパーのレジ袋を提げて行ったりするだけで、園長や保育士から怒られます。買い物に行く時間があったら、1分でも早く子どもを迎えに来なさいということなのでしょう。子育てはなるべく保護者が汗をかいてやるべきという、悪しき根性論がはびこっており、時代錯誤もいいところです」

 世田谷区営の保育園に子どもを通わせているこの保護者は、前近代的な経営方針や考え方に嫌気がさし、ついには別の保育園に転園したという。こうした保護者の悩みは実はよく聞かれる話だ。公営の保育園が昔からのやり方に固執するのに対して、株式会社経営の保育園はサービスが充実していて柔軟な対応ができると一般に言われてきた。 

 ダイヤモンドQ(創刊準備1号)の特集「失敗しない保育園選び」では、利用者が安心できる保育園の視点でランキング「東京ベスト保育園594」を作成した。各保育園を100点満点で評価し、市区町村ごとに点数の高い順に並べた。その結果、公営と株式会社経営では、主に保護者からの評価に大きな差があることが判明した。

本邦初の東京保育園ランキング
上位594保育園を点数で評価した

 ランキングは東京都内の認可保育園・認証保育園を対象に、サービス内容、利用者尊重の姿勢、不満・要望への対応、組織運営力などを点数化。特に保護者の声を重視した点数配分にした。今回の調査は昨年度、第三者評価を受けており、情報開示に積極的で業務改善に意欲がある保育園だけを対象とした「ベスト保育園」なので、都内のすべての認可保育園、認証保育園をカバーしているわけではなく、各自治体で最下位の保育園が必ずしも本当の最下位の保育園ではないことをお断りしておく。その結果、世田谷区のランキング結果が非常に興味深いものとなった。

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

  毎日自分の子どもを育ててもらっている園に対してこういうひどいことを言う親は昔から少しはいた。子どもの日々の生活がどこでどのように行われているか、保育士たちが人間としてどんな目線を小さい子たちに注いでいるか、想像出来ないし、しようとしない。それについては失望するしかない。しかし、この親の発言を読めば、園長先生と親と、どちらが本当に子どものことを考えているか、常識的にはわかるはず。しかし、この親の発言を肯定するようなことをマスコミが印刷して広げることはまた別問題で、マスコミが想像力や常識を失ってしまっては、ただでさえ心のこもらない保育士が増えている保育園を決定的に追い込むことになる。保育園はサービス産業、成長産業と位置づけてしまった閣議決定が背後にはある。しかし、人間社会の一般常識として、子どもの面倒はできるかぎり親が見るべき、それが親子の将来にとっていいのだ、とする園長先生の視点は学校教育や福祉をこの先成り立たせるためには絶対に必要な視点、人間性の原点と言ってもいい。それは前近代的な視点ではなく、幼児と接していれば自然に生まれる人間性だと思う。

 この記事は、けっこう話題になっているようで、保育や児相での現場、家庭崩壊の最前線で頑張っているある市の行政の女性から、こんな記事があるのですけれど、ご存知ですか?と同じ記事について連絡をいただいた。驚くのは、女性の上司でもある管理職の女性から「だから公立の保育園は駄目なのよ」と言われたというのだ。管理職の人は保育現場の経験がない、保育現場でどのように心が動いているか、まったくわからない人だった。ましてや預けられている幼児の気持ちなどは遠過ぎて考えもしない人なのだろう。こんな風に仕組みは作られている。その中で、日々、幼児に直接接する人たちが心を病んで辞めてゆく。

 この記事が推薦する株式会社系の保育園で、毎年何割の保育士が辞めてゆくか、出版社はしらべるべきだと思う。そして、良い保育園を選ぶ時に、他の親の意見だけではなく、実際に現場に居るひとたち、居たひとたちの意見を聴いてみればいい。その人たちの方が子どもたちの気持ちを代弁してくれるはず。一見不親切に見えることに大切な意味があったりする。親へのサービスは子どもたちへのサービスにはならないし、年輩者や経験者の意見にはひとまず聴いてみるべきだと思う。とくに、子育てに関しては。