抱くことと授乳/話しかけない親/ドライブスルー保育園

抱っこしない授乳

先週、行った保育園の主任さんが、乳児を抱かずに哺乳瓶で授乳出来る装置があって、保育園にも、使いませんか、という売り込みが来る、と言うのです。寝かしたままやるのもあれば、時には車のベビーシートのようなものに装着するものもある。覚えれば一人で勝手に飲んでくれるから、授乳中に他のことも出来るというのです。最近は忙しいし、くたびれている保育士が多い現場には便利なもののような気がします。

 産科医にその装置を薦められずっと使っていた母親が乳児を保育園に預けに来たそうです。
 抱っこして授乳させようとすると、赤ちゃんが首を振って飲もうとしない。抱っこに慣れさせるのに一月かかりました、主任さんはいうのです。
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 抱く、つまり肌の触れ合いと、授乳、生きてゆくことは本来一体のものでした。この大切な一体感を感じる期間が人生の始めに必ずあった。二年くらいあった。(抱っこする側にもあった。)その感覚をその時期に経験しないことの恐さを、主任さんは一生懸命お母さんに説明し、母乳でなくてもいいから、これからは抱っこしながら授乳して下さい、とお願いしたのです。
 隣で聞いていた保育士さんが、以前勤めていた保育所でその装置を使っていました、それでいいんだと思ってました、と真顔で言うのです。
 「一人では生きられない」、この大切な感覚を必ず授乳という体験で脳が覚えて人類が成り立っていたような気がします。その時の記憶と感覚が、やがて男女が抱き合うということにつながっていたのだもしれません。最近になって、利便性や合理性で、乳幼児期の当たり前だった体験が突然変質してゆく。それに誰も違和感を感じなくなってきた。それが、やがて大量の孤独な老人をつくるのではないだろうか。
 「自立」なんてことはありえないこと、母親が0才児を他人に平気で手渡すこともありえないことだった、ということを、憶い出し噛みしめなければいけない時なのだと思います。
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乳児に話しかけない親
 
 以前にも書いたのですが、ある街の助産師さんが、最近生まれたばかりの自分の子どもに話しかけない若い母親がいて、話しかけないと駄目ですよ、と注意すると、言葉がわからないのだから無駄です、と言われてびっくりした、と話してくれました。
 本能的な何かが欠けている。もっと以前にオンになっているべきだった遺伝子が、最近の社会の仕組みの中でオンになっていない、そんなことなのかもしれません。もっと単純に、周りにお手本がなかったからかもしれません。
 人形やペットに話しかける体験がなかったのだろうか。親や祖父母から話しかけられる体験が少なかったのだろうか。保育士が話しかけない人だったのかもしれない。当たり前の体験が少しずつ欠け始めている、そこに原因がある気がしてなりません。
 しゃべれない、主張出来ない乳幼児期の体験、乳幼児の願いや希望が、福祉や保育・教育という、人類にとって極めて歴史の浅い、しかし、先進国という仕組みの中で大きな影響を持ち始めた仕組みの中で一番後回しにされている。でも実はその頃の体験が人生を最も左右する体験だったのではないか。
 首相が誇らしげに言う「もう40万人保育園で預かります、子育てしやすい国にします」という演説が、危うく、恐ろしく聴こえます。
 これも以前に書いたのですが、すでに、乳幼児に話しかけない保育があるのです。
 私が聞いた東京都の認証保育所では、園長が新人保育士に、三歳未満児を抱っこしたり、話しかけたりすると子どもが活き活きとしてきて事故が起きる可能性が高くなるから、何もするな、と真面目に言ったそうです。栃木の方でも同じ話を聴きました。
 保育士不足と新人の質を考えると、事故が起きないことをまず目標にしなければならない状況まで園長を追い込んだ国の施策にも問題はありますが、子育て全般に、何か当たり前だった感覚が欠け始めている。子育てが「仕事」になると、その子の人生とか、未来が、育てる側の視野から遠ざかってゆくのです。
 最近、衛生面の配慮とは無関係に乳幼児室を見せたがらない保育園があります。
 親に見せられる保育をしていない。
 付け焼き刃で始めた認定こども園や小規模保育園で、実は人員が足りていない、頼れる保育士がいない園が増えてきている。そういう園では、わざわざ一人ずつ玄関や門の所まで赤ん坊を手渡しにきます。それをサービスと思ってしまう親さえいるのですが、今の保育界の現状を考えると、親側に「保育室を見てもいいですか?」の一言がほしい。「どうぞ、どうぞ」という笑顔があればその園は大丈夫です。
 先日、ドライブスルーで乳児を親に返している園があって、それをわざわざ「保育を知らない役場の課長」が誉めていた、という笑えない話をある園長から聞きました。施設でやる保育と家庭の子育ては一体でなければいけない。親の人生と保育士の人生は重ならなくてはいけない。ドライブスルーという利便性を行政が誉めてはいけない。
 保育士を採用したら、その保育士の親と会う機会を必ずつくる、という園長に会いました。子育てに大切なのは、そうした人間の心のつながりと伝承です。その心は同じ時期を生き、重なってゆくのです。
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 更生保護女性連盟吉川支部で講演しました。他の支部で以前講演し推薦されました。あまり知られていない組織なのですが、意外に人数も多くしかりと黙々と根強い活動をされています。講演前、支部長が見守る横で市の部長に色々話をしました。その後、大田区私幼連教職員教養講座、山梨県看護士会で話し、児童館・学童部会と続きます。女性が支えている日本を感じます。幼児の存在意義を一番理解してくれる方々です。

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