「三歳児神話、大切にしなきゃ」#2

X(旧ツイッター)に、先日出演した番組に対して、こんなメッセージをいただきました。有難うございます。三十五年間、ずっと孤軍奮闘みたいになっている私には、嬉しい声がけです。

「アベプラの3歳児神話のお話し見させて頂きました。

保育士を代表し、政府の保育政策をしっかりと批判してくださり、本当にありがとうございます。

保育の専門家、有識者、大学の教授などは全く批判してくれない中、松居さんが言って頂いた事はとても意義のある尊い事です。御礼申し上げます」

母子分離の正当化を目指す学者やマスコミが、いまだに、三歳児神話は神話に過ぎない、などと言う。番組のタイトルは、それに加えて、「0歳児を預ける親は子育て失格か」となっていました。

失格か、合格か、など、誰にも決められない。神様だってそんなことはしない。なぜ、マスコミは対立を煽るのか。それが問題、と私は冒頭に発言しました。

人間は「神話」の世界で会話をする、宮崎アニメなどはまさにそのいい例、しかも、それを人類が求めているから、世界中で支持される、とも言いました。(ドラゴンボールも、心が清くなければ雲に乗れない。鳥山さん、ご冥福をお祈りいたします。)

そういう「神話を再創造していく」出発点に、0、1、2歳児との会話がある。

何か、罠にはめられた感じもしたのですが、次の日、この御礼メッセージが届いて、ホッとしました。出演して良かった、と思いました。

体験に基づかない知識を詰め込んだ「専門家たち」が、「ママがいい!」という、神話への導きの対極にいる。

「人間性」と、対峙している。

番組がYouTubeに載せられた時、タイトルが「三歳児神話、大切にしなきゃ」になっていたそうです。これは、嬉しかった。

以前も触れましたが、去年、こんな記事がありました。マスコミがこぞって報道した「国際調査」です。

「男女平等、日本125位=順位落とす、先進国最下位―国際調査」~政治や経済の分野で遅れが目立ち、先進国では最下位だった~。https://sp.m.jiji.com/article/show/2966296?free=1 という。

政治や経済の分野に参加する女性が少ないことを、「遅れ」とし、疑問を抱かせないように報道する。順位を落としている事実から、日本の女性たちの意志、選択の自由を読み取ろうとはしない。

マスコミは、「性的役割分担」を無くしていくことが「男女共同参画社会」なのだとした、人類が哺乳類であることを否定するような政府の閣議決定を鵜呑みにし、「子育て」を、経済優先でしか考えることができない政府の言いなりになっている。新聞が読めない、0、1、2歳児の「願い」が視界に入っていない。ほとんど想像しない。

この手の報道を目にする度に、マスコミや経済学者は、意図的に、「女性らしさ」という個性を、経済競争の活性化・「一億総活躍」のために見下し、失わせようとしているように思えてなりません。(その反動が、男性の生涯未婚率が3割に近づいていることと、少子化に拍車がかかる、という現象に現れる。)

本当に、それでいいのか、という素朴な疑問が、「125位:順位を落とす」という現象に現れている。私には、そう見える。

日本の女性たちは、政府が主導する無謀とも思える保育の量的拡大、質の低下から、その真意に気づき始めている。「ママがいい!」という言葉を覆い隠すための規制緩和を容認、追認してきた学者や専門家たちの不誠実さを見抜き、彼らの「意図」に不信感を持ち始めているのではないか。

馬鹿げた、子ども未来戦略が言うのです。

「こども・子育て政策を推進するに当たっては、今も根強い固定的な性別役割分担意識から脱却し、社会全体の意識の変革や働き方改革を正面に据え た総合的な対策をあらゆる政策手段を用いて実施していく必要がある。 」

こういう「罠」に、母親たちが、気づいているのではないか。

そうであってほしい。

「働き方改革」の前に、「母子分離」政策がずっとあった。保育士不足が極まって、規制緩和ではいよいよどうにもならなくなってきて、やっと始まった「働き方改革」なのです。いまの学校の状況を考えれば、遅すぎる!!

(国際調査の順位を上げるために)起業したり、政治家を目指したりすることよりも、幼児と一緒に歩いたり、子どもの人生を考えて「オロオロ」したりすることのほうがいい。充実した時間を実感できると思う、彼女たちの、「女性らしい」主張と意思が、この125位、しかも前年から9位落としているという現象に現れているのだと思いたい。

(しかも、男女平等が先進国最下位の国が、GDP三位の、経済的に非常に成功している国なのです。それを、偽善的な学者たちは指摘しない。そもそも、「根強い固定的な性別役割分担意識」があったことが、日本の成功の秘訣だったのではないか。女性の平均寿命は世界一、犯罪率も欧米に比べて「奇跡的」に低いのだし、と考えるのが本筋だと思う。アインシュタインは、その調和を羨ましがり、ストロースやトラッカーも、その優位性に気づいて、憧れている。)

「0、1、2歳児と見つめ合わない人生なんて、彼らに、自分をさらけ出さない人生なんて」

そんなものは、やはり虚しい。

赤ん坊が泣き出して、「泣き止んでほしい」と思った瞬間に、人間は、自分自身を体験する。

本当の自分が見えてくる、喜びが、そこにはある。

神から見られている自分がいて、それを、彼らは、ちゃんと、受け止めてくれる。

立ち止まる、としたら、今しかない。

(養護施設に勤める友人の言葉です。)

「保育士のたまごが、養護施設にも実習にきます。保育士を目指す学生が、ボランティアにきます。そこで、とんでもない保育士に出会うと、二度と現場へは戻ってこない」

(その友人から、新年の挨拶が届きました。)

新年明けましておめでとうございます。

『ママがいい』求められているんですね。

子どもたちが、ママがいいと思えることが、どんなに愛おしく、愛すべき時間であるかを忘れずにいられたら、もっと平和になるのにと思わずにいられません。

年末年始は、親子が再会のチャンスでもあります。

自宅にお泊まりに行く子は、不安と期待に胸を踊らせます。『やっぱり、無理です』といって施設に戻す親もいます。

本当のママではないけど、愛された記憶が、その子の生きる力になりますように…。

そう願いながら、今年も歩み続けてみます。

 

(ここから私です。)

「福祉」という仕組みの怖いところは、同僚の中に一人よくない人がいると、周りの人の人生も崩れていくこと。自分を必要としてくれている人たちがいるのに、逃げないと、精神的に壊れてしまう。そういうことに敏感な人、福祉に一番大切な人が、身を守るために去っていく。

よくない人、を排除できないほど、政府がつくった「人材不足」は進んでしまった。「ママがいい!」という大地の不満を抱えている保育界には、倍率が出ないことが致命的なのです。そうした中、いま求められているのは、専門性より人間性です。途切れそうになっている、勇気と、根性、なのです。

その現実はすでに、小学生たちを呑み込もうとしている。自己の幼児期の愛着関係の不足から、心の時限爆弾を抱えた、人間性に欠けた、良くない教師が増えている。それを見て、感性豊かな教師の心が折れ、辞めていく。負の連鎖が一気に拡大し始めている。

:発達障害の子“通級利用に数か月かかる場合も”都内の4割以上 自治体アンケートからみえた“学びの壁”

https://www.nhk.or.jp/shutoken/wr/20240126b.html

繊細な子どもたちの「育ち」は、数ヶ月も待ってはくれない。なぜ、通級利用が必要な子どもがこれほど増えているか。就学前の愛着関係が足りていないのです。「発達障害の可能性がある子どもは、年々増加傾向で」と報道するなら、政府の「母子分離」政策にいますぐに、ブレーキを掛けなければいけないのです。

「ママがいい!」に、十一時間保育が壊したもの、という章題で、NHKの「クローズアップ現代」で放送された、『少年犯罪・加害者の心に何が~「愛着障害」と子どもたち~』を挙げて、仕組みが、どういう道筋で破綻していったか書きました。

幼児期に、「子ども未来戦略」で母子分離を進め、義務教育を、教師不足という形で共倒れに追い込んでいる「こども家庭庁」の「子ども真ん中」というテーマが、いかに偽善的か、「戦略」の中で、ネグレクトの勧めとも言える(慣らし保育なしの)「子どものショートステイ」を、「圧倒的に整備が遅れている」と言い切るのを読めば、わかります。この「戦略」は、子どもたちを「戦力」にしようとしている。

しかし、これだけ規制緩和が進むと、「専門性」など、もう「福祉や教育の分野」では通用しない。それがわかっていながら、専門家であり続けようとする、学者の人間性が問われるべきです。専門性などという言葉で、「ママがいい!」という声を、いつまで無視するんだ、なぜ「人間性」を社会から奪い続けるんだ、と言いたい。

「ママがいい!」という言葉の持つ「価値観」が、人間社会の原点にあったことを思い出す時です。

兵士が、「ママがいい!」と叫んだ時に、平和への道筋が現れる。しかし、それでは、すでに遅すぎる。

そのことを考えてほしい。

 

「ママがいい!」、出版され、2年経ったのに、Amazonの売れ筋ランキング、社会福祉部門で一位です。もう、7刷になります。伸びている。幼児たちの叫びが、道筋を照らすことに、みな、気づき始めている。そんな気がするのです。YouTubeの松居和チャンネルでも、いろいろなテーマで話しています。よろしくお願いいたします。

 

ユーチューブで「松居和チャンネル」始まりました。ぜひ、ご視聴の上、出来ましたらチャンネル登録、高評価、拡散など、お願いいたします。https://www.youtube.com/watch?v=56cLD5Fh-Gg

第2回「日本人の子育ては魔法だった」〜そして、なぜいま【ママがいい!】なのか〜 https://youtu.be/l3Jo8ex6RfM  

第3回「人類にとって餌付けとは:チンパンジーのカニバリズム」https://youtu.be/Um8Swqv0haY

第4回【園長先生の悩み】経済優先の国の姿勢で、保育が追い込まれていく https://youtu.be/jVPBn7zZy5w

第5回:【幼児が人間性を育てる】これからの幼稚園、保育園の役割

https://youtu.be/TVGS4dYF06Y

第6回: 幼児を眺め、古(いにしえ)のルールを思い出し、神話を再創造する。

https://youtu.be/BRhOu4Sx-CA

第7回 「利権争いと分断」〜0歳児を眺めることの「平等」性について〜 https://www.youtube.com/watch?v=qq2axI9i24Y&t=246s

(毎週、火曜日の深夜に新たなエピソードを加えます。)

0歳児を眺めることの「平等」性について:松居和チャンネル 第7回

松居和チャンネル、更新しました。(毎週、火曜日に更新します。今回は第7回です。)

「利権争いと分断」

0歳児を眺めることの「平等」性について

https://www.youtube.com/watch?v=qq2axI9i24Y&t=246s

よろしければ、チャンネル登録、お願いします

(内容は、)

人間は、幼児たちと過ごすことで、自分のいい人間性を体験する権利を「平等」に与えられている。

アメリカのように、小学校で、子どもたちが「今度のお父さんは、今度のお母さんは」という話を、大人が聴こえていないところで始めてしまうと、(家庭崩壊の流れは)止まらない。学校が、世代を跨ぐ「言い伝え」を阻止することによって、新たな家庭観の「伝承」が始まる。

義務教育が普及して、5、60年すると、だいたい家庭が崩壊し始める。家庭が崩壊し始めると、義務教育が成り立たなくなる。しかし、欲とか、教育で壊れていく「家庭崩壊」より、「福祉」で壊れていく家庭崩壊の方が激しい。(市場原理と直結しやすい。)

日本は、欧米に比べ家庭崩壊が奇跡的に進んでいないにもかかわらず、政府は、0、1、2歳児を預けて働く親を、欧米並みに80%にしようという数値目標を立て、「子育て安心プラン」と名づけた。いつでも長時間預けることが出来れば、それが「安心」なのだ、という、とんでもない洗脳が始まっている。

「『M字カーブ』を解消するため、平成30年度から平成34年度末までの5年間で、女性就業率80%に対応できる約32万人分の受け皿整備。(参考)スウェーデンの女性就業率:82.5%(2013)」(首相官邸ホームページ)

「子ども誰でも通園制度」を掲げる、政府の「こども未来戦略方針」は、

「児童は、できるかぎり、その両親の愛護と責任の下で、また、いかなる場合においても、愛情と道徳的及び物質的保障とのある環境の下で育てられなければならない」とある「国連の子どもの権利宣言」に違反している。

慣らし保育なしに、いつでも、知らない人に預けるのは、「子どもが可哀想」という発想がない。

慣らし保育なしで最長7日間まで預けられる「子どものショートステイ」(生後60日から十八歳未満対象。育児疲れ、冠婚葬祭でもOK。一泊二千円から五千円)を、「圧倒的に整備が遅れている」と「戦略」の中で言う。

「両立」という、子どもの側からは成立しない言葉を使って、「人間性」を忘れさせることが「少子化対策」の本質。だから、政府の少子化対策で、一層、少子化が加速し、結婚しない「男たち」が増え、児童虐待過去最多、という結果になっている。同時に、不登校やいじめが増え、小学校の教師不足は危機的状況になっている。

「幼児が可哀想」という感覚を、「教育」やマスコミを使って捨てさせようという動きは、エンゼルプランあたりから、子育て安心プランに至るまで、ずっと繋がってきた市場優先の流れですが、これでは、子育てをさせられている「保育士」たちが納得しない。

親子を長時間引き離すのは「可哀想」という思いがなければ、「子育て」も「保育」も成り立たない。

繰り返しますが、保育が子育てである限り、そして、いまの経済施策が0、1、2歳児を長時間預かることを「目標」に設定している限り、一番求められるのは、専門性ではなく、人間性なのです。それが保てなくなってきている。

それを周知していかないと、義務教育と、その周辺の仕組みを立て直すことはできない。

松居和チャンネル、チャンネル登録、よろしくお願いします。

 

 

「松居和チャンネル」第5回:【幼児が人間性を育てる】

「松居和チャンネル」第5回:【幼児が人間性を育てる】これからの幼稚園、保育園の役割

https://youtu.be/TVGS4dYF06Y

を配信しました。

 

(内容)

いい保育施設はたくさんあるのです。

一日保育士体験を取り入れている園、親が参加できる行事が毎週のように用意されている園。園長先生が親を叱れるような園。成人式には、卒園児たちが晴れ着姿で集まってくる園。そんな園は大丈夫。いつでも親に見せられる保育をやっている。その自信と、「可愛がり、寄り添う」姿勢が、保護者たちとの信頼関係を育てていく。

そして、忘れてはいけないのが、親の「感謝」が保育士を育てる。そして、学校教育を支える、ということです。子育てを誰かにお願いして、それを当然の権利のように思い始めたら、社会全体から、大切な「人間性」が欠けていく。その結果、仕組みの崩壊が始まる。

義務教育は、親が親らしい、という前提のもとに作られたことを忘れてはいけない。

幼稚園、保育園が一生の「心の故郷」になっていくように。特に、この時期に父親たちの「親心」を目覚めさせるために、一日保育士体験をさせてください。家庭での絵本の読み聞かせも、子どもたちの「安心」に、とても良いです。それで、将来のいじめや不登校が減らしていくのです。

子育ては、祈り。親たちが、自分のいい人間性に感動すること

「ママがいい!」、周りの方々に薦めてください。

よろしければ、チャンネル登録、高評価、拡散をお願いします。

 

「松居和チャンネル」第4回【園長先生の悩み】を公開

ユーチューブで「松居和チャンネル」第4回【園長先生の悩み】経済優先の国の姿勢で、保育が追い込まれていく、を配信しています。アドレスは

https://youtu.be/jVPBn7zZy5w

です。

「保育分野は、『制度の設計次第で巨大な新市場として成長の原動力になり得る分野』」という保育を成長産業とみなす閣議決定(「日本再興戦略」:平成二十五年六月十四日閣議決定)がされてから、規制緩和が進み、乳幼児の存在感が希薄になるとともに、児童虐待や不登校が過去最多になっている。

「女性が輝く」論は、まだ可能性として受け入れたとしても、去年、小池都知事が会見で、第二子の保育料を無料にすれば、「子どもが輝く」「チルドレンファースト」と言ったのには呆れます。ここまで行くと、意味不明。支離滅裂です。「ママがいい!」という叫びを日々聞いている保育士たちが、情けなくなって、辞めていく。

よろしければ、チャンネル登録、高評価、拡散をお願いします。

 

三月十一日、IAMと演奏します。

三月十一日、IAMと演奏します。渋谷のセルリアンタワーにあるJZ-Bratで、夜7時半からです。
お問い合わせは、JZ-Brat 03-5728-0168までどうぞ。
人生の目的とか、生き甲斐とか、色々言われますが、時々演奏していることが納得になっている気がします。「音楽」という不思議なことをしていると、やはり「道筋」は用意されている、と思えるのです。
ぜひ、いらしてください。

「松居和チャンネル」第3回「人類にとって餌付けとは」をアップしました

ユーチューブで「松居和チャンネル」第3回人類にとって餌付けとは:チンパンジーのカニバリズム」を見ることができます。アップしました。アドレスは、https://youtu.be/Um8Swqv0haY です。よろしければ、チャンネル登録、高評価、拡散、お願いします。

毎週火曜日に、新しいのをアップします。

「ママがいい!」という言葉の正面には、必ず一人のママがいる。

それを、忘れてはいけない。

代え難い、たった一人の「私」が、いる。

その「私」は、「いい!」と宣言された。

その宣言された「私」を体験する人生が目の前にある。

「なりたい自分」ではなく、すでに「そうである自分」を体験するために、「子育て」の時間がある。その体験が、人間社会を繰り返し「創造」するのです。

「ママがいい!」は、勲章です。

 

「3歳児神話は大切にしなきゃ」

同士、共励子ども園の長田先生が、Xに、こんな書き込みをしてくれました。

「松居和氏がAbemaTVの「3歳児神話は大切にしなきゃ」に出演した。

0歳児保育は「アリ?ナシ?論」で進めるマスコミ現代風議論に真正面から異議を表明し、問題の本質である政府の保育施策の問題点と保育の現状を伝えていた。

松居氏の辛抱強い説明の結果、反対論者として登壇した小児科医氏も「人間が自立するには、012歳時期に安心感の得られる人に全面的に依存する必要がある。安心して依存できる人が得られないと自立が難しくなる。」と発言。これぞまさに3歳児神話の大切さを示したもの。

パックンが小児科医先生の論を繰り返し、松居氏の主訴と同じである事を指摘した。松居氏も強く同意していた。

アリナシ論で議論を進めると、内容が浅瀬に乗り上げ、本質まで辿り着けない事が多い。

松居氏の辛抱強い説明により、保育子育て問題の本質が、問題を知らないに人々が近づけた番組であった。

YouTubeに掲載された映像は、大切な部分が省略されている。パックンの発言もなかった。

是非、アメバTVで確認してください。」

 

(ここから私です。)

ありがとうございます。

取材を受けている時は、「ママがいい!」を理解してくれている感じだったのですが、当日、生出演の前に、0歳児を預けるのは、親として失格か、みたいなタイトルになっているのが分かって、結局は、孤軍奮闘するしかなかった。まずは、誰が「失格とか、合格とか決めるのか、神様でも無理。そうやってマスコミが対立を煽ろうとするのが問題、と言いました。生番組でしたし、言えることは言っておかなければ。長田先生が書いた「松居氏の辛抱強い説明により」は、何よりの褒め言葉。

違った趣旨で始まった番組の方向性がずいぶん変わって、いつでも見れるameba TVのアーカイブでは、「3歳児神話は大切にしなきゃ」とあって、ああ、よかった、よかった。息子も、お父さん、結構良かったよ、って言ってくれました。

松居和チャンネルで、言いたいことがいつでも言えるようになったのですから、それで、ずいぶん気持ちが楽です。作りましょうよ、と言ってくれた、音楽プロデューサーでギタリストの中脇さんに、感謝です。

 

 

第二回がアップされました。

タイトルは、「日本人の子育ては魔法だった」

https://youtu.be/l3Jo8ex6RfM

チャンネル登録、高評価、情報拡散など、よろしくお願いします。

毎週火曜日にアップします。

「ママがいい!」、またAmazonジャンル別で一位になっています。😀

卒園一ヶ月後の謝恩会

楽しい時間を過ごせたら、心の底から、みんなで何かに向かって感謝する。

卒園一ヶ月後の謝恩会、九年間の義務教育に比べれば大したことではない。法律で決めてしまえばいい。

いえいえ、法律で決めるより、園長先生が決めてしまうのがずっといい。親たちに気持ちが伝わる。この人(園長先生)は、子どもたちの幸せを願っている、卒園した後も願っている……。

その記憶、そして一ヶ月後の謝恩会を思いついた園長先生の「動機」が社会を耕し直し、その願いが、荒れている社会を鎮める。 http://kazumatsui.m39.coreserver.jp/kazu-matsui.jp/?p=3526

(以前書いた、ブログです。)

Amazonでは今年正月ジャンル別ですが、人気ギフトランキング1位、ほしいものランキング3位、ジャンル2位です。誰かに送ろう、と思ってくれたことが嬉しい。

少し、痛みを伴う「報告」です。でも、タイトルの「ママがいい!」は、子どもたちから母親に捧げる「勲章」であって、同時に、社会への警鐘なのです。今、何が起こっているか。知ってほしい。政府も、マスコミも、学者も、「母子分離」の正当化に必死です。子どもたちの警鐘に耳を貸さない。このままでは、学校教育が破綻していく。ぜひ、周りの人に勧めてください。

https://www.nhk.or.jp/shutoken/wr/20240126b.html :発達障害の子“通級利用に数か月かかる場合も”都内の4割以上 自治体アンケートからみえた“学びの壁”

 

ユーチューブで「松居和チャンネル」始まりました。ぜひ、ご視聴の上、出来ましたらチャンネル登録、高評価、拡散など、お願いいたします。https://youtu.be/56cLD5Fh-Gg?si=tDAAG25dqTLBZXfy

 

「ママがいい!」という宣言の先には、必ず一人の「私」がいる

突然の地震でしたね。石川、新潟、富山、福井は、三十年間、ほんとうに数多く講演してきた地方です。多分併せて100回以上行きました。年配の知り合いも多くて、心配です。

羽咋(はくい)は祖母の故郷で、石川県の保育士の大会で、一泊二日で五時間、講演したところです。

今年も書き続けます。

国の「子育て」に関する政策の意図と、抜き差しならない現場の状況を多くの人々に把握してほしい、知ってほしいのです。

「子ども優先」という、子どもの権利条約や保育指針に書かれている、人間社会の「常識」を日常に取り戻さないと、現場と子どもたちが、ますます追い詰められる。しかし、その常識さえ取り戻せば、方法はいくらでもあるということ。人間が作る「絆」は柔軟かつ多様で、特に「子育てから生まれる絆」は、そのまま自然治癒力となる。社会を「鎮める」効果がある。

0、1、2歳児の「働き」を忘れると、人間が幸せになりたいという気持ちが、空回りして、不幸を生み始めます。欧米先進国における未婚の母の低年齢化の原因に、不幸な家庭に育った少女たちが「温かい家庭」に憧れる、という動機があることを知った時、そう思いました。不幸だからこそ、幸せになりたい。母子家庭も家庭です。子どもを産むことでそれを手に入れようとする。しかし、社会という「仕組み」の最近の歪みは、その心の動きを、新たな危うい現実に導いてしまう。

家庭を持ちたい、という本能は、本来、自然治癒力の一環として働くのですが、子育ては「絆」が支えるものだから、なのです。信頼関係に基づく「絆」をつくることが不得意になってしまった「育ち」が、幼くして母になった少女たちを再び追い詰める。児童虐待の増加に拍車がかかり、一層の家庭崩壊を生んでしまう。

子育ての外注化で生まれた大人たちの心の貧困を、「子どもの貧困」と名づけることも、実は、危うい。母子分離によって、子育てを「社会」の責任にした上で、「社会」の正体を曖昧にし、すでに、あちこちで責任回避が始まっている。いいことをしようとする「いい人たち」の試みが限界に達し、人材と財源が足りなくなってくる。

子どもにとって「社会」の主体は、まず母親です。特に、乳幼児の場合は、そうです。そこを政府が崩そうとすると、補う仕組み同士の辻褄が合わなくなってくる。

「子育て安心プラン」https://www.kantei.go.jp/jp/headline/taikijido/pdf/plan1.pdf(首相官邸ホームページ)に、こうあるのです。

「『M字カーブ』を解消するため、平成30年度から平成34年度末までの5年間で、女性就業率80%に対応できる約32万人分の受け皿整備。(参考)スウェーデンの女性就業率:82.5%(2013)」

子どもを産んだときに生じる女性の就業率の『M字カーブ』を経済にとっての支障と判断し、それを解消するために、いつでも預け先があることを「安心」と名付ける。しかも、政府が「参考」として挙げたスウェーデンでは、三十年以上前から半数以上の子どもが未婚の母から生まれていて、犯罪率は日本の約20倍。参考にすること自体がおかしい。恣意的です。

「女性就業率80%」という目標を掲げる、偽「安心プラン」の背後にいる学者や専門家たち、母子分離で儲けようとする起業家たちは、それによって生じる「子育てに対する親たちの認識の変化」が、いじめや不登校のみならず、犯罪率にまで影響することなど考えもしない。子どもたちの気持ちなど視界に入っていない。こうした政治家に「保育は成長産業」と閣議決定させた学者や起業家の、馬鹿げた欧米コンプレックスが、国の根幹に関わる保育施策を動かしている。

伝統的「家庭観」が消えかける一方で、スウェーデンでは、五年前に徴兵制を「女性も含める形で」復活させています。ロシアの脅威や、自己肯定感の塊のようなプーチンの顔を見ていると、「仕方がないこと」なのかもしれない。でも、国家が徴兵し、女性に銃を持たせることは、人類が、自問自答するための退路を断とうとしていることのように私には思える。それが本当に「平等」なのか。貨幣で計られる「平等」の行き着く先、M字カーブ解消の正体がそこに見える。女性らしさ、が意味を失おうとしている。

幼児たちの「神性」を守っている人たち(母親)をみんなで守って、「社会」の輪郭が定まっていくのです。その輪郭がぼやけ、いま、生涯未婚の男性が三割になろうとしているのです。

男たちが、「生きる動機」を失い始めている。義務教育やマスコミの「性的役割分担」の否定が、じわじわと男たちの「責任意識」を薄れさせ、母子分離の体験が相乗作用となって、本当の意味での「男女共同参画社会」を壊そうとする。引きこもりが増加し、その平均年齢は上昇を続け、三十五歳になるという。

人は、「自分の為」には生きられない。それを体験的に学ぶのが、乳幼児期の母子関係です。5歳くらいまででもいい、しっかり「可愛がって」もらうことが「生きる力」になる。

勤務当初から不適切な保育と思えてしまうことが続いています、というメールが、一人の保育士から届きました

「虐待」とまでは言えないのかもしれませんが、小さな出来事であるが故に、その文章から、生々しい現実を感じるのです。

成長期の子どもの、「周りを信じようとする」心理を考えると、保育士による、ほんの数分の意地悪や、大人気ないしっぺ返し、当てこすり、それが日常的に繰り返されることによって、幼児の脳の発達にどれだけ深く影響を及ぼすのか。

 

●家で。特定のヨーグルト(R-1)を食べているらしい?Dちゃん。ヨーグルトがおやつに出る時は必ず。「R-1しか食べないから」と、嫌みから始まる。食べなれていないものは抵抗もあってそれが表情に出ると「そんな顔して!」と、罵られる。食べてみて美味しいとわかると良く食べ、お代わりを欲しがる。すると「食べないんでしょ!そんな顔する人にはあげません!」と言い、隣の席のEくんからのお代わりの要求には「お代わりほしいのー?」と大盛りであげる。それを横目に、お代わりを欲しがると「えっ!?食べるの?!え~!?本当に食べるの?じゃあちょっとだけね。」と、ほんとにわずか。ヨーグルトの度こんな感じ。

 

●担任たちが、発達障がいだと疑っているEくん。

Eくんは、一日何度も怒鳴られている。園でも散歩先の住宅街でも、大きな声で、「Eは、こんな行動とるし、こんなに大変だし、こういう姿もあって、絶対引っ掛かってると思う。上に言っても、まだ、小さいからと、取り合わない。お母さんもこんなだし、家でどうしてるの。こういうこは家でみてればいいんだよ。」など、日々ずっと話している。声が大きくて住宅地で聞こえてるのではないかと感じてしまう。

からだか良くきき、身軽。担任の行動もキョロキョロとよく把握していてる。一歳児だから、この子に関わらず。まだ、はっきりしゃべれないこもいる。思いが通らず、関係のない友達をつき倒してしまったり、担任が困る行動をとったりする。多動だとみているのか?逃げようと走ると腕で、通せんぼされて、跳ねて後ろに転んだり、背中の服をわしづかみにされて引き留められたり。

担任は引き止めるにはそれしかないという。一番核の担任がいない日に弾けるこどもたちの中で、よりいっそう弾けてしまうE。その大変な行動を園のカメラで動画にとって、翌日核の保育士に見せる。良くやってくれたと称賛。今度からそうしよう。どんなに困ってるか動画をとって上に見せよう!と話していました。

早速、Eが困った行動?をしたら、カメラを手にし、「あー、そんなことしたら、撮っちゃうんだからー(笑)」と、ニヤニヤ嬉しそうに撮影。Eはカメラから逃げることはできず、逃げようと必死で部屋を走り回ったり、カラーボックスの上へ登ろうとしたりする。他の子達は、別の担任に「皆こっちへおいで〰️」部屋の隅に集められる。

「なんでこんな避難訓練みたいになってるんだろ😅」と、核ではない担任が言いながら自分のところへ避難させる。

Eの目は、今まで見たことのないような、精神的に壊れてしまうんじゃないかという表情で、逃げられないカメラの前で困ってたんだと思う。

寄せ集められた子供たちの表情も何ともいえない。

このクラスの子供たちの心が壊れてしまう。エスカレートする保育士の行動。

どうしたものか。どうしたら子どもたちを安心させられるか、どうしたら、守れるのか。

 

(ここから私です。)

この程度のことは「よくある事」、「小さな出来事」になっている保育園があるとしたら、それこそが、この国の存続に関わる、いま最も重要視されるべきことなのです。ヨーグルトに関する小さな出来事の中に、日常化し、より浸透している「非人間性」を感じる。この国の魂が失われていくのが見える。

その風景を、「子供たちの心が壊れてしまう」と感じる保育士が、いる。その人が、私に訴えかけてくる。私も、とんでもない事態になっている、と肌で感じる。いい保育士が辞めていくことが、制度の致命傷になっていくのがわかる。

以前、障害児の施設で働くのが好きで、そこで子どもたちとかけがえのない時間を過ごし、でも、繰り返される指示語の強さと、それが発せられる風景に耐えられなくなって、ある朝突然、ベッドから起き上がれなくなって辞めていった、感性豊かな人からメールが来ました。

いまは結婚して子どもがいます。「子育ては自由だから」という言葉に、彼女が手に入れた極上の世界を感じるのです。

 

こんにちは!

春ですね!お元気ですか?

息子は8カ月になり、人間みたいになってきました。かわいいです。

子育ては祈りの連続なんですね。そして私は親からのたくさんの祈りで大きくなってきたんだなぁとしみじみしています。

施設で働いていたときみたいに、子育てでいろいろな景色をみています。

働くといろんな制約やきまりがあるけど、子育ては自由だから楽しいですね(笑)

寝不足だけどがんばります。

かずさんも講演がんばってください。

「子育ては自由だから」という言葉が、すがすがしく、心に残ります。多分、私はそういうことを言いたいのです。

自分の価値を浮き彫りにする、「本当の自由」がそこにあって、人間は、幼児をしっかりと抱き、その自由を守ってきたんだ、と読み取ります。

いい翻訳者、伝令役にならなければ、と身が引き締まる思いがします。

 

「ママがいい!」という言葉の正面には、必ず一人のママがいる。

それを、忘れてはいけない。

代え難い「私」が、一人、いる。その「私」は、「いい!」と宣言された。その宣言された「私」を体験する人生が目の前にある。

「なりたい自分」ではなく、すでに「そうである自分」を体験するために、「子育て」の時間がある。それを忘れてはいけないのです。その体験が、人間社会を繰り返し「創造」するのです。

「ママがいい!」という言葉から、顔を背けなければいいだけのこと。

背ける役割りを繰り返していると、その役割りがその人を定義するようになる。本来の自分と矛盾しているから、苦しくなって、それでも無理に自分を肯定しようとすると、ますます自分が、「そう」なっていく。道筋がわからなくなり、原因と思われる物に不満をぶつけるようになる。これが、「自己肯定感」の一番怖いところ。

複数の保育士が、絶対的弱者を相手に、しかも「他人」の子どもを相手に、こういうことをするようになる。それが、国策によって連鎖している。これは、人類未体験の連鎖だと思う。

乳幼児を集団で、知らない人に長時間任せるという仕組みを、極々最近まで、人類は持ったことがなかった。だから、こういう風景も存在しなかった。そこまで認識しないと、実際に何が起きているかが見えてこない。

誤解されるのを覚悟で言いますが、保育という仕組みを「肯定」した瞬間に人類は何を手放すのか。「ママがいい!」という言葉を否定した瞬間に、何を選択したのか。そこを真剣に考えないと、この未体験の連鎖は、未体験の混沌へと、「私」たちを導いていく。

保育士を目指した人たちの人生を、ここまで不自然な行動に導いたのは、人間の日々の営みではないのです。政府と学者と、起業家たちによる、仕組み作りの失敗がそうさせたのです。「保育は成長産業」という閣議決定の「非日常性」が、保育士たちの人間性を傷つけ、子どもたちの心が壊れていく。

(「ママがいい!」と宣言してもらえる女性たちは、まだいい。哺乳類であるが故に、「パパがいい!」とは0、1、2歳児という幸福の鍵を握っている人たちは、あまり言わない。その宿命の中で、それでも自分の子どもに授乳するひとの姿に感動し、母と子の安心を守ることで、「私」を発見してきた男性たちが、今、その役割を失いつつあるのです。

欧米で、未婚の母親から生まれる子どもが半数近くになっている。この数字は人類にとって未体験の、恐ろしい現象です。政府によって行われる母子分離と違い、男たちは、「自ら、その道を選択している」のです。誰にも「いい!」と宣言してもらえない男たちが、拠り所を失い、対立の中で支配欲を強めている。三人に一人が虐待を経験するアメリカで、去年、犠牲者が四人以上という乱射事件が一日平均二件、というニュースが流れてきました。

私が、幼稚園、保育園における親の保育体験を、なるべく父親から、と勧めるのも、幼児による「いい!」という「宣言」が早いうちに父親にされることを願うからです。そして、「ママがいい!」にも書きましたが、小学5、6年生あたりから、義務教育の中で幼児と過ごす体験をさせることで、自分の位置、「役割り」を喜んでほしいのです。いまの義務教育は、男女平等の名の下に、男女の対立、利権争いを煽り過ぎている。市場原理が、教育を媒介に取り返しのつかない分断を生み出そうとしている。)

 

こども家庭庁は、実際は三歳未満児を対象にしている「こども誰でも通園制度」で、「こどもは保護者だけが育てるのではなく、社会の様々な人が関わり、社会全体で子育てを支えること が望ましい。」などと言う。保育の質が落ちる規制緩和を散々しておいて、よく言うよ、と本当に腹が立ちます。三歳未満児にとって「社会」の八割は「母親」なのです。その母親と離し、「社会の様々な人が関わり」などと机上の空論を保育学者は言いますが、その「社会」の現実は、その日の、その時間の、保育士の当たり外れでしかない。「継続性という質」はもう整わないと彼らは知っている。

「信頼して預ける」という「仕組み上の」前提があるように装っていますが、それは「仕組み上」でしかない。子どもの願いや将来を共有してはいない形だけの「信頼」は、たやすく裏切られる。その時、子どもたちの心に残る傷跡、「信じることを諦める」体験が、些細なことのように思えても、それが積み重なってゆくことを考えると、この、子育ての「現場」で起こる裏切りは、人間が「調和への道筋」を将来に渡って放棄することにつながっている。告発者が書く「エスカレートする保育士の行動」が、この政府が勧める、偽りの「信頼関係」から生まれているのです。

(「ママがいい!」、ぜひ、読んでみて下さい。最前線で頑張っている人たちのためにも、広めてください。心の中にあるモヤモヤや葛藤の原因が、どこにあるか、把握することで視界が開けてくる。道筋が見えてきて、そこに子どもたちが先導役としていれば、保育者の人生も定まってくる。

講演依頼は、matsuikazu6@gmail.comまでどうぞ。園長先生の呼びかけで、保護者や保育士だけでなく、行政の人や議員、校長先生が参加してくれることもあります。NPO的な子育て広場や、園の空き保育室を使った「支援センター」など、小さな集まりが増えていくのが一番いい。予算も出ます。

「ママがいい!」という言葉を受け止めればいい。そんなに難しいことではない。

長いお付き合いの、浜松のいぬかい小児科医院の犬飼先生から、親たちに貸し出します、とサイン入り(一言付け加え)の「ママがいい!」30冊の注文が来て、さっそく送りました。全国の小児科医院に、親たちへの貸し出し用に、一冊ずつ置いてください。サイン入り(一言付け加え)とリクエストしていただいて、出版社のグッドブックスの方に注文していただければ、必ず対応いたします。よろしくお願いします。正月、Amazonの「人気ギフトランキング」で「ママがいい!」が一位になりました。

一月二十八日(日曜日、長野県佐久市で、誰でも参加できる講演をします。よろしければ、ぜひ、いらしてください。)14:00から、場所は、佐久平交流センター。申込先は、NPO法人佐久生活文化推進機構/連絡先 090-3343-5850)までどうぞ。先着200名だそうです。いいところです。)