中学生に講演します。真剣に。

人間は、自分を「いい人間」にしてくれるものたちを自ら生み出す、作り出す。それが、0歳児であり人形。その人たちから優しさや忍耐力、言葉のいらないコミュニケーション能力、そして「祈ろう」と思う気持ちを引き出してもらい、幸せへの道筋を知る。

そう中学生に説明してあげると、体育館に、ざわざわと「生きる動機」が蘇ってくる。

保育園や幼稚園がなかった、つい最近まで、人間は全員が、012歳児と数年間、関わってきました。親子の関係だけではない。祖父母として、兄弟姉妹として、隣人として。

子育ては、親たちが自分の「いい人間性」を発見し、それに感動すること。その体験が、社会の「絆」の根本にあった。

そう説明してあげると、中学生が、嬉しそうにし始める。自分も、親たちを育ててきたんだ、とすでに役に立っていたんだ、と気づいて、安心する。

子育ては、社会の最小単位である男女が、お互いに、根っこのところではいい人だ、と確認すること。宇宙は、我々人間に、自信をもって0歳児を与える。全ての人間に、この絶対的弱者によって引き出される「いい人間性」がある、と宇宙は信じている。それを、男女が信じなければ、という話を中学生にすると、いい感想文が送られてくる。

「女性の社会進出」という言葉があるだろう。それは、子育てをしている女性を社会の一部と見なさない、「罠」です。輪になって踊ること、一緒に祝うこと、悲しんだり、励ましあったり、慰め合ったりすること。つまり、自分は、絶対に一人では生きられないことを確認すること。そのことの方が、よほど大切な「社会」です、と中学生に講演する。真剣に、真剣に。