橋本武夫先生とジョイント講演会 7月5日、鳥栖

 幼児の発達心理の重鎮、橋本武夫先生とのジョイント講演会です。
 一般参加もOK、無料です。申し込みが必要です。
 フロアディスカッションもあり、とても楽しみにしています。ぜひ、ご参加下さい。
7月5日、午後一時半、会場はサンメッセ鳥栖。
【主催】 社会福祉法人若楠,【後援】鳥栖市/鳥栖市教育委員会

ほんとうに、預けていいのかい?

こう言う会話が日常的に行われていた時代が、あった。人類の歴史にとっては一瞬でしかない、分岐点が、そこにあった。

それ以前、人間は、主に「人柄」と会話をしていたのだと思う。時に、子育ては、そういうものだった。

欧米型の市場原理は、形を変えた「侵略」です。

欧米の「家庭崩壊」は、父親の責任放棄から始まっている。アメリカで四割、スウェーデンでは六割の子どもが未婚の母から生まれる。

日本の政府が、母子分離政策を止めないから、本来の父性、優しさや忍耐力を、幼児たちを使って耕してほしい、と、園長先生たちに、「父親の保育体験」を、お願いする。しかも、早いうちに、一人ずつ、八時間。(幼稚園は、五時間?)「

この状況で、男たちが「子育て」から逃げれば、欧米の二の舞になる。日本でも、三割の男が一生に一度も結婚しないという数字が出ている。それを見れば、もはや逃げているということ。

福祉や教育という「仕組み」では、絶対に負いきれない「責任」が、宙に浮き、「母性」さえも脅かされ、働かなくなる。

この国は、愛するに値する、「利他」の伝統を持った国です。

人間の脳が出来上がる、012歳までの子育てを、特別に、大切にしてきたからです。

先人たちが作り上げた、「調和と美しさ」を守らなければいけない。

欧米型の市場原理は、形を変えた「侵略」です。

講演依頼は、matsuikazu6@gmail.com まで、どうぞ。

日本の底力

火曜日です。

松居和チャンネル更新の日です。

第68回のテーマは、「血のつながる父親がこれほど家庭にいる先進国はない」。副題が、真の「国防」とは。

にしました。

この国は、まだ「家庭」が主体になっている。人生において、子育てが、優先されている。

「女性の社会進出」という言葉が現れたように、「社会」の定義が、突然、あやふやになってきました。「社会進出」という言葉が使われる時、乳幼児たちの役割りや、「願い」が含まれていない。これでは、「社会」が根っこから崩れていく。

血のつながる父親が、これほど家庭にいる先進国はないのです。

これが日本の底力。まだ間に合うかもしれない。この国は、人類を先導する、可能性がある。

学者やマスコミは、この国を、しっかり見極めてほしい。大事にしてほしい。1対20で、「子育て」ができるなどと、無責任なことを言わないでほしい。

何より、政治家たちに、真の愛国心を求めたい。

社会の最小単位である「家族」を、母子分離政策で壊す、それを与野党とも支持しながら、一方で、国防を言っても、そこに「絆や、信頼関係が育つ」という、国を形づくる「道筋」の本質が欠けている。

まだ、可能です。この国を耕すのは。

子供から、無償の愛をもらっている

松居和チャンネル 第67回です。

前回の、看護学校で講演した感想文の続きから始まります。

「親から無償の愛ではなく、子供から、無償の愛をもらってるというのは共感です。

途中で何度も涙と鼻水が込み上げてくる程に力強く、心に響くお話を聞くことができて、非常に貴重な経験をさせて頂いたと感じています。」

そして、特別支援学校で、生徒が先生を育てていた話が続きます。私が、埼玉県の教育委員長をしていた時のこと。特別支援学校の視察で、教師たちが重度の障害を持った子どもたちに「育てられている」姿を見たのです。

身動きが満足に出来ない中学生が、言葉にはならない言葉で、教師をゆっくりゆっくり育てている。その日教えたことが、次の日には無になっているように思える関係だからこそ、結果を求めず、教える側の人間性が育っていく。

乳幼児が親を親らしく育てる「風景」と重なるものでした。

私が、そう感想を言うと、

「そうなんです、私たちが育てられているんです」と涙を流す先生がいました。

「親心」とは、心の底で、静かに損得勘定から離れること。

教育も、そうだったのかもしれない。

 

「家庭」があって、その先に「村(むら)社会」がある。だから「頑張る」ことが、「祝う」ことに、生まれかわっていく。

本気で、将来の「経済」を考えるなら、村(むら)社会的な役割を、会社という単位で、再生してほしい。

そして、保育園、幼稚園が、百人くらいの単位で、「絆」を、耕していく。

方法は、「ママがいい!」に書きました。このチャンネルでも言いました。幼児が風景の中にいる、一つ一つの「園」や「会社」が、それをして、「国」が成り立っていくのです。そこに、「国」の存在意義があるのです。

みんなで喜ぶ、可愛がる。祝う。

成人式には、卒園児たちが全員、晴れ着姿で戻ってくる園があります。

「親心のビオトープ」を作るのは、難しいことではない。自然な風景に、還してあげればいいだけ。

きっと、それが、この国の経済にもいいはずなのに。

 

「母の友」休刊。 看護学校で卒業生に講演。

松居和チャンネル 第66回、(テーマは)「母の友」休刊。

副題:看護学校で卒業生に講演。感想文に感激、

です。

「母の友」は、私が生まれる前の年に、父が創刊した月刊誌です。

絵本の「ぐりとぐら」や、児童文学「魔女の宅急便」など、数々の名作が、そこから世に出されました。「こどものとも」より数年、創刊が早いのです。70年経って、「休刊」になったと新聞で報道されました。タイトル故の紆余曲折、葛藤を経て……、終わったのです。

その時、私が、「ママがいい!」という本を出していて、Amazonで、ジャンル別で、一位になっている。

「受け継いだ」って、感じがする。「ママがいい!」は、「母の友」とも理解できる。

 

「母性」が、主体になる社会の方が鎮まる、と父も、思っていたのではないか。

太平洋戦争を、命と重ねて体験した世代です。父は、軍国少年でした。あの頃、真面目な少年は、だいたい軍国少年だったのです。お兄さんを二人、戦争で亡くしています。日本が負けた時は、辛かった、怒っていたと思う。

その父が、戦後10年経たないうちに、「母の友」を出版した。

その辺りのことは、「伝記」が、ミネルヴァ書房から出ています。(松居直自伝:「軍国少年から児童文学の世界へ」)

父のことをチャンネルで少し話し、尼崎で、看護師さんの養成校の50周年記念、卒業記念講演をした時の話を、今回はしました。

二度、別の看護学校の卒業式で講演したことがありますが、ほぼ全員女性。高校生の時に、人生に向き合い、道筋を決めた人たち。(私は、女性たちの集まりに呼ばれることが多いのです。女性が結束する時の「思い」と、「ママがいい!」の次元が重なるのだと思っています。)

いつか子どもが産まれれば、この人たちも、「ママがいい!」という言葉と直面しなければならない。それが、「分岐点」になるかもしれない「職業」を選んだ人たちです。

単純で、しかし深い所で、耳を傾けてくれる人たち。一生懸命話します。

保育団体、園長先生たちの勉強会で、講演を頼まれても、私は、保育者養成校の卒業式に呼ばれたことはないのです。

「社会で子育て」、専門性で「子育て」ができるという授業を、覆すようなことを言うからでしょう。私を仕込んだ、四十年前の祖母心で保育を考える園長たちの遺言を、伝えようとするからでしょう。

質疑応答の時でした。

実習先で、背中をトントンして、幼児を、寝かしつけていたら、「ママがいい!」と小声で言われた。

その学生さんの顔には、少し、戸惑いがあって、迷路の分岐点に立っている、声でした。

「そんな時は、嬉しく思って下さい。いい、ママがいるんだね、良かったね」と、心の中でつぶやいて下さい、と言ったのです。

すると、会場に、拍手が湧き起こったのです。湧き水のように溢れ出る、自然な拍手でした。

人間の美しさ、に対する拍手だったのかもしれない。

ああ、この学生たちは、看護師さんたちだ、と涙が出そうになりました。

看護学校は、感想文が来るのが、早い。😀

しかも、50周年記念講演だったので、卒業生だけでなく、年配の看護師さんたちからも届きました。

「子どもが生まれてからのことを思い出し、泣きながら講義を聞いていました。

子ども達が幸せをもたらしてくれていたことと、親として成長出来ていないことと、後悔と。」

「世の中が、パズルの組み合わせで、出来ていて、どんな人でも必要なピースとして存在している ということを感じることが出来ました。

これから病棟で多くの高齢者の方々とお会いすることになると思うのですが、誰一人欠けることのないピースである、と意識して接していきたいと思います。」

「乳幼児が大人に与える影響について、私の想像を越えたお話を頂き、大変勉強になりました。子供を看護する状況になった時に、思い出そう、という気持ちになりました。」

「言葉では表せない、どこか異空間にいるような話で、興味深かった。普段現実的な性格で想像豊かになることがないため、いい経験になりました。

とにかく可愛がることが大切だと学びました。」

「異空間」。

012歳がいる「風景」は、「異空間」なのです。言葉では表せない、魂の、コミュニケーションが生まれるのが、その空間で、その風景。

012歳は、半分、あっち側にいる人たち、なのです。

 

「こども誰でも通園制度」は「経済対策」

「こども誰でも通園制度」は、「デフレ完全脱却のための総合経済対策」(令和5年11月2日閣議決定)で決まった、長期的ビジョンに欠ける経済対策。
保育現場が混乱しようと、11時間保育を標準とし、無資格でも、パートでもいい、という規制緩和をして、三歳未満児を持つ母親を労働市場に引き込もうとする施策の一部です。
子どもたちの願いを無視することによって、今、義務教育が追い詰められている。
子どもは、たった一人のママを探している。
そこを理解しないで、「専門性」とか、集団の中での「成長」とか、学者が言っているのですが、子育ての「専門家」は100年前にはいなかった。その時の方が、社会は落ち着いていた。乳幼児を集団にすることも、まったくシステム化されていなかった。
子どもの願いを中心に、利他の心で動いていた社会が、専門性という虚言や、「同世代と関わりながら成長できる機会を保証する」などという、誤魔化しの論法で市場原理の方へ引き込まれていく。
子どもたちは、単純に「ママがいい!」と言っている。その言葉に、人類の持続性が顕れる。

「A.I.」も、三歳未満児保育は「気をつけろ」と言う

世界中のデジタル化された情報が入力されていると言われる「A.I.」が、三歳未満児を預けることについて質問すると、「気をつけろ」と言う。(詳細は、松居和チャンネルを)

「『安心して預けられる』と実感できる環境かどうか、注意して、確認して」と言う。

それを、政府が「いつでも誰でも預けられる仕組みにする。それが、子育て『安心』だと言うのだから話にならない。誰の安心なのか、本末転倒になっている。

そして、その「質を問わない」皺寄せが、致命的な教員不足に、危機的に連鎖している。

以前、80万人いる「潜在保育士」(資格を持っていながら、保育をしていない人)を、掘り起こせ、と言った厚労大臣がいた。自らを埋めた人、そのまま埋めておいて欲しい人がほとんど。

https://youtu.be/mOhztIrSZJk

保育は資格(専門性)でするものではない。「人間性」でするもの。そこを理解しない限り、保育士も教員も、返ってこない。

三歳未満児保育について、「A.I. 」対「学問」

松居和チャンネル 第65回(テーマは)「ママがいい!」って、国連さえ言っていた。

そして、副題は:A.I. 対「学問」、にしました。

A.I.に「三歳未満児保育の賛否を尋ねると」、こんな答えが返ってきました。(全文はチャンネルに)

『3歳未満児保育が子どもの発達に与える影響は、保育施設の質や家庭環境との組み合わせ、子どもの個性などにより異なります。(中略)もし保育を選択する場合には、施設の見学やスタッフとのコミュニケーションを通じて「安心して預けられる」と実感できる環境かどうかをしっかり確認することが望ましいでしょう。』

A.I.でさえ「しっかり確認することが望ましい」と言っている。

前回のテーマにした東北大の研究、「発達に悪影響はないので安心して預けてほしい」などと、安易に無責任なことは、言わない。

A.I.ですから、この問題で失敗し、家庭崩壊が日常になってしまった「欧米諸国の研究」を参考にしているのでしょう。これが、人類が、とりあえず行き着いた「グローバルスタンダード」と言ってもいい。

女性の社会進出が常識になっている欧米でさえ、「『安心して預けられる』と実感できる環境かどうか、注意して、確認して」と示唆している。

三歳未満から「安心して預けろ」という研究発表に携わった東北大の学生たちに、言いたいのです。保育界の現場を知っているのか、調べたのか、と。

市場原理に取り込まれ、政府の母子分離政策を手伝うより、破綻寸前の学校教育から、なぜ教師たちが去っていくか、考えて欲しい。研究すべき「流れ」と「現実」は、そちらの方にある。

これを担当した教授が既に決めているであろう、「安心して、預けろ」の、「安心」は究極のグレーゾーンであって、「誰の安心?」かさえ、定かでない。その現実を、「発達」という言葉を使って誤魔化し、保育を歪曲化している。

(チャンネル第59回『一人の、正直な「学者」』ぜひ、ご覧下さい。)

「経済論」では見えない「本質」」が、保育室にはある。こういう研究、発信をするなら、三時間でいい、そこで過ごしてみてほしい。三歳未満児が、何を探しているのか、自分の人間性で、見極めてほしい。

どこの保育科も定員割れを起こし、養成校が次々に潰れていく。なぜ、そうした仕組みの「根っこ」が崩れようとしているかが見えてくるはず。

 

保育士たちは、ずっと政府の母子分離政策に「違和感」を感じてきたのです。それが、最近ますます強くなっているのは、こういう国立大学の研究、それを後押しするマスコミ報道を鵜呑みにし、「気楽に、預ける親たち」「後ろめたさを感じない親たち」が増えてきたから。

国連さえ言っている「子どもたちの権利」が、隅に押しやられ、誰でも、預けられること」が、「子育て安心」(プラン)だと、政府は、言うのです。

その矛盾した論理に、なぜ、マスコミや保育学者が抵抗しないのか。

心ある保育士たちは、ここまで頑張ってきた。

それが、限界を越えようとしている。

意識改革が、必要です。