村(むら)社会的な形を、再び、取り戻すとしたら、幼稚園、保育園と、そして、「職場」です。

経済界も、母子分離を繰り返してれば、「不登校」は増える、将来、経済の役に立たない若者を増やしている、と知っている。結果は、すでに出ているのに、母子分離政策が、こうして続くのは、政府や保育学者が、昔、言った「経済優先の論理」を引っ込められず、意地になっているから。

マスコミも、同じ。そうした意地で、子どもに安全な「いい国」が、急速に壊れ、待ったなしの状況に来ている。

子どもたちに信頼される社会、生まれてきて良かった、と思ってもらえる社会を作ることが、将来の、「日本の力」になるのです。

「子育て」は、雇われる側、雇う側、一緒に、心を合わせて、やるもの、という意識が大切です。松居和チャンネル第58回は、そんな話もしました。

雇う側も、子育てをしている。「家庭」に、配慮し、みんなで喜び、祝う。育休中に赤ちゃんを連れてきてもらって、みんなで笑顔になる。出来ることはたくさんあるのです。

村(むら)社会的な形を、再び、取り戻すとしたら、幼稚園、保育園と、そして、「職場」です。職場が、村の役割、を果たす。

昔は、会社の運動会があったり、社員旅行も、家族みんなで行きました。父の会社も、東京湾に、ハゼ釣りに行きました。六十年以上経った今も、よく、覚えています。

生後4ヶ月の命が、大切な役割を果たす

 松居和チャンネル第58回は、

(テーマ)生後4ヶ月、赤ちゃんは立派に社会の一員です。

副題が、「美容院や小児科の待合室から、日本が変わる?」

美容院の待合室に、「ママがいい!」が置いてありました、という報告から始まります。

小児科医院の待合室や、保育園、幼稚園の玄関に置いてあったりする。アマゾン、ジャンル別、再び一位になっているのです。大きな「流れ」が変わるのかもしれません。「ママがいい!」という訴えによって。

そう願います。

(Amazonのレビューから)

仕事についてどうするか悩んでいた時にこの本に出会いました。

この本を読んで、子どものそばにいたいという自分の本当の気持ちに向き合うことが出来ました。凄く考えさせられる本です。

ぜひ多くの方に読んでいただきたいです。

「自分の本当の気持ちに向き合うことが出来ました」と、書いてある。

遺伝子に組み込まれている、人間性は、「子どもと居たい」、「可愛がりたい」、「幸せを感じたい」という道筋を示している。

それを、避けよう、避けさせよう、として、人生から、人間性(自分)を排除するような仕組みを「子育て支援」と名付け、政府が作っているのです。

(もう一つ、レビューから紹介します)

(この本に)早くに出会って本当によかった

保育園見学に行くたび覚える違和感。4ヶ月の娘は抱っこ紐の中で、私にしがみつきキョロキョロ。

預けられるなんて、微塵も思っていない。その姿を思い出し、泣けて泣けて仕方なかった。

生後4ヶ月の娘の命が、お母さんを育てている。

「しがみついて、キョロキョロして」、立派に、素晴らしい、人間社会の一員です。人間は、生まれた時が、社会進出。先日、そう講演したら、助産師さんたちが、生まれる前から、社会進出、と言ってました。

生後4ヶ月の命が、大切な、代え難い、役割を果たしていることを、もう一度、社会全体が思い出してほしい。

「泣けて泣けて仕方なかった」という自分を、母親が、繰り返し、繰り返し思い出して、人間社会が守られる。

母親は、思い出の中で、自分の「気持ち」を、永遠にする。

看護師さんの養成校で、50周年記念講演

看護師さんの養成校の50周年記念、及び、卒業記念講演をしました。質疑応答の時でした。

実習先で、背中トントンをしていたら、「ママがいい!」と小声で言われました、と言うのです。

そんな時は、嬉しく思って下さい。「いい、ママがいるんだね、良かったね」と、心の中でつぶやいて下さい、と言ったら、会場に、拍手が湧きました。

ああ、この学生たちは、看護師さんたちだ、と涙が出そうになりました。

2/25(火) 『シスター・チャンドラとシャクティ―の踊り手たち』 の上映会

2/25(火)
『シスター・チャンドラとシャクティ―の踊り手たち』
の上映会を開催します📽️
世界的尺八奏者、元埼玉県教育委員会委員長、音楽プロデューサーの松居和さんが監督・撮影。
松居和先生も千葉県大網白里市に
いらっしゃいます。
先生自ら映画の解説&尺八の演奏もして下さる盛りだくさんの内容です。
ぜひお越しください💕
(ここをクリックすると、映像の一部が出ます。音楽は、私のアルバムからです。松居)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
【日時】
2月25日(火)
上映会&演奏&解説(延長の可能性あり)
10:00〜12:30
ランチ交流会🍴
(お昼ご飯やおすすめデザート等)
12:30〜15:00
【会費】
2500円
※上映会のみ1000円
【場所】
大網白里市内の古民家
※とらねこパン店 近く😺
【お申し込み】
rie kuriのMessengerまで(rie64618@gmail.com)
お名前、参加人数、交通手段など。
※上映会のみの方お知らせ下さい
※なるべく乗り合わせて頂けると助かります
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☆松居和さん プロフィール☆
東京生まれ。慶応大学哲学科からカリフォルニア州立大学(UCLA)民族芸術科に編入、卒業。(20歳の時に、インドから、ヨーロッパ、シルクロードへと1年半の旅をする。村人に混じり、昔ながらの、人々の生活を実感する。)
尺八奏者としてジョージ・ルーカス制作の「ウィロー」、スピルバーグ監督の「太陽の帝国」、ブラッド・ピット主演「レジエンドオブフォール」をはじめ多数のアメリカ映画に参加。
これまでの活動はNHK「すくすくあかちゃん」、静岡テレビ制作「テレビ寺子屋」、TBS「報道特集」などに出演。
2008年、制作、監督したドキュメンタリー映画「シスター・チャンドラとシャクティの踊り手たち」〜インドで女性の人権問題で闘う修道女の話〜 が第41回ワールドフェスト・ヒューストン国際映画祭、長編ドキュメンタリー部門で金賞受賞。
イングランド国際映画祭審査員特別賞受賞。南アフリカ国際映画祭招待作品。
Bayou City Inspirational映画祭ベストスピリチュアルドキュメンタリー映画賞受賞。
国際宗教映画(International Film Festival of Religion and Cinema)祭招待作品。
衆議院・税と社会保障一体化特別委員会:公述人、衆議院内閣府委員会「保育の無償化」について、の参考人を務める。
子育て関係の著書に「家庭崩壊・学級崩壊・学校崩壊」「子育てのゆくえ」「21世紀の子育て」「親心の喪失」(エイデル研究所)。「なぜ、わたしたちは0歳児を授かるのか」(国書刊行会)など。
最新刊「ママがいい!」 が、2023年にAmazonジャンル別1位。2024年、人気ギフトランキング一位に。
自らの音楽アルバムを16枚制作。「Time No Longer」「Standing on the outside」(クールサウンド)など。演奏家として、ジョニ・ミッチェル「Dog Eats Dog」、ライ・クーダー「Slide Area」、ケニー・ロギンズ「Leap the faith」、ジョージ・ハリソン プロデュースによるラビ・シャンカルの「East meets East」他、多数のアーティストのアルバムに参加。
ユーチューブにて、松居和チャンネル開設。子育て、保育を中心に、音楽や政策論などについて発信している。
この公演は終了しています。

ひたむきな忠誠心が、諸刃の剣となる

松居和チャンネル、第57回は、前回の「作曲家モーリス・ジャールとD-day」の続きです。

副題は、「時に、ひたむきな忠誠心が、諸刃の剣となる」

 

私に、何かを伝えてくる、不思議な人たち(チャネラー)がいる。作曲家、モーリス・ジャールもその一人で、50年間の付き合いでした。

あの日、ハリウッドのスタジオで、モーリスに導かれ、音楽家たちが従った「D-day」に対する一分間の「黙祷」。その中を覗き込めば、永遠に枝分かれしていく、無数の「深み」があったはず。怒りや悲しみが、いまでも、そこでじっと待っているに違いない。その「祈り方」の多様さを、私は、すでに知っていた。

ストリングスセクションには、ドイツ系とユダヤ系が必ずいる。多様だからこそ、祈りは、祈り。人間が、それぞれに自分の人間らしさを確かめる、大切な時なのです。逝ってしまった世代と抱きしめ合い、流れを見つめ、「理解しよう」とすればいい。その暗黙の教えが、余韻となって、音楽家たちの心は鎮まっていった。

マンザナの日系人強制収容所の中にも、Dデイの海岸線はあった。

「日本が、パールハーバーを攻撃しなければ、収容所に入れられることもなかったのよ」……、とスージー・ヤマモトは言った。鉄条網に囲まれた若者たちには、イタリア戦線に志願するしか、そこから出る道がなかった。それは、死を覚悟した、誇り高い若者だけに与えられた特権で、もし誰かが、そのことを知っていて仕掛けたのだとしたら、実に巧妙で、残酷な罠だった。

罪を犯したわけでもない。しかし、死を求める若者は現れる。忠誠心が、分断され、諸刃の剣となる。

あの時の楽隊(バンド)の空中分解の有様が、この国の将来を描き出す。しばらくの間でもいい、互いに心を合わせようとして、しばし、それが生きがいになる……。しかし、やはり解消していく。

その時、こんな風に、大らかな笑顔は残るのだろうか……。

 

いい先生が去っていく

こども家庭庁が出した「子ども未来戦略」(令和5年6月13日閣議決定)は、「キャリアや趣味など人生の幅を狭めることなく、夢を追いかけられる」ように、誰でもいつでも子どもを預けられることが「子育て安心」なのだ、としている。
経済論で、人間が、本来持つ感性を失わせるように仕向けている。
政府が、保育という仕組みを、安心して預けられるようにしようとしているならまだしも、この20年間の乱暴な規制緩和と、質の低下を考えれば、政府の子ども未来戦略は稚拙な罠、悪質な詭弁としか思えない。いよいよ学校が犠牲になろうとしている。いい先生が去っていく。

交錯する、人種、祈り

松居和チャンネル、第56回は、「作曲家モーリス・ジャールとD-day」という不思議なタイトル。

副題が「ある日のスタジオで、交錯する、人種、祈り」

私は、尺八奏者で、ハリウッドの映画音楽で五十本ぐらい演奏し、いまだに出ているアルバムもあります。アメリカという、人種のるつぼ、多様性の国で、人間が、必死に心を合わせようとする。そこで、「音楽」という手法で、絆を作ってきました。面白かった。

最初に、私を、映画音楽に使ったのは、モーリス・ジャールというフランスの作曲家。「ドクトルジバゴ」「アラビアのロレンス」「インドへの道」など、素晴らしいサウンドトラックを書いている人が、「ショウグン」というテレビシリーズで私を使ったのです。45年前です。

ガムランについて、話した(第42回 「ガムラン音楽。様々な秘密や謎が見えてくる」)あの大学のガムランの練習室に、モーリスが、尺八奏者を探しにきて、私のハリウッド人生が始まりました。人種や宗教、ルーツが入り組んだ、「アメリカ体験」が、そこから一気に広がっていったのです。

観光や、留学、ビジネスでは知り得ない、この国の、深い現実が見えてきた。そのことを、書いた文章があります。

ある日のセッションでこんな出来事が起こった。

「モーリスは、しばらく考えていた。

ややあって、自ら静まったオーケストラを見回すと、フランス訛りの英語で話し始めた。

 

『今日は、Dデイ(D-day)です』

思いがけない言葉だった。音楽家たちの気配が集中する。

『三十七年前の今日、私はドイツ軍から逃れ、地下に潜んでいました。十九歳でした。占領下、フランスでは十四歳以上の男子は、見つかれば強制労働に連行されたのです』

指揮者はそう言って、演奏家たちを見渡した。

『隠れ家に仲間といて、ラジオに耳をそばだたせて、連合軍のノルマンディー上陸を知ったときは、嬉しかった……』

噛みしめるように、そう言って、作曲家は演奏家たちに要望を一つした。」

(どんな要望だったかは、ぜひ、チャンネルを見て下さい。)

人生には、不思議な次元が交錯し、それぞれの役割が浮き彫りになることがある。

歴史を超え、国境を越え、パズルが組まれるかのように、その時は、突然やってくる。

「生きている」、「生かされている」という実感が湧き上がる。

 

ロサンゼルスの、一流のオーケストラの中には、ドイツからの移民や、ユダヤ人がいる。マンザナの日系人強制収容所を体験したチェリストがいる。そういう街です。

Dデイに、海岸線に引かれた「一線」が、まだ存在している。

 

ガムランの回に、「自分の中で『社会』の定義が変化した」と言った学生のことを書きました。

楽器群がインドネシアから運ばれ、地下室にあることを想像しなかった学生が、偶然、この「手法」と現象(phenomenon)に加わり、知らなかった自分を体験する。それを使いこなせるような気がする。

授業で、闘う手段を教わり、密かに自信を持ち始めていた彼らの意欲が、ガムランの「流れ」の中で、鎮まっていく。

この「道筋と手法」を知れば、孤独とは無縁の人生が開ける。人類は、その手法を、すでに与えられている。(この辺り、乳幼児を育てることと、似ています。)

モーリスとの話の冒頭に、マリブの小波に浮いているサーファーたちの姿が出てきます。

まるで、氷河期を生き残った、小さな哺乳類たちのように、この人たちの「目的」が、人類の生存に関わっている気がする。

それは、「砂場で遊んでいる園児たちのように」、私たちの未来を救おうとしている。

若手園長から聞いた、いい話。

以前、若手園長から聞いた、いい話。

「卒園すると、親は本当によく保育園に感謝します」と、嬉しそう。

学校に入ると、保育園のありがたさが身に染みてわかる、どれほど親身にやってもらったかが見えてくる。

なるほど、という指摘です。学校と保育園は、その趣旨が違う。教育と子育てでは、歴史と深さ、次元が違う。もちろん「子育て」が優先で、絶対です。

園長先生、園児が卒園して一ヶ月後に親たちの謝恩会をする。

保育園の価値に気づき、懐かしく思い始めている。感謝したくなっている。新たな悩みを抱えている親もいるでしょう。子どもたちも環境に馴染んでいない。みんながオロオロ、ウロウロ、人間が自分を見つめ一番成長する季節です。

保育園や幼稚園の価値は、一緒に育てているという「感覚」が育つことにあります。

幼い命を一緒に育ててきた実感、小さかった「あの頃」の思い出を共有しているという連帯感が園での生活の実りであり成果なのです。それこそが「社会」と呼ばれる連帯感なのですが、学校に入って仕組み上突然途切れたようになる。

子どもを一緒に育ててくれた人たちに再会し、「あの頃」を懐かしく思えば、一生の相談相手がそこに居ることに気づく。帰ってくるところがある、と安心する。そこに集まったお互いの存在が特別なものだと気づけば、それだけで「悩み」はずいぶん解消するのです。

お互いの子どもの小さい頃を知っている、この関係が人間社会の原点にあった。

人類は、身近な、そういう関係に支えられてきた。オロオロしながら一生懸命やって、一緒に祈ってくれる人が数人いれば、それでいい。

一ヶ月後の謝恩会が、保育園や幼稚園を永遠にしてくれる。

こんな行事が、少しずつDVや児童虐待に歯止めをかけ、学級崩壊やいじめを減らすのです。いま、地道に耕し直さねば、荒れてしまった地面は砂漠化してしまいます。

「謝恩会」という命名はわかりやすい。法律や規則ではなく、子育てから生まれる「感謝」が社会を住みやすくする。

子どもが世話になったら、感謝する。

歌や踊りを教えてもらったら、それを見て、夫婦で感謝する。

本当は、足し算や掛け算を教えてもらっても、感謝する。

楽しい時間を過ごせたら、心の底から、みんなで何かに向かって感謝する。

卒園一ヶ月後の謝恩会、大したことではない。法律で決めてしまえばいい。いえいえ、法律で決めるより、園長先生が決めてしまうのがずっといい。親たちに気持ちが伝わる。この人(園長先生)は、子どもたちの幸せを願っている、卒園した後も願っている……。

その記憶、そして一ヶ月後の謝恩会を思いついた園長先生の「動機」が社会を耕し直し、その願いが、荒れている社会を鎮める。

“昭和の男”が「孫休暇」取得なぜ?

さすが、日本!

チャンネルの第55回では、こんな記事を取り上げました。

(AERA 2024年11月25日号より)

「仕事一筋、“昭和の男”が「孫休暇」取得なぜ? 子どもの世話、妻に任せきりだった後悔」

~企業や自治体で仕事と家庭の両立支援が進むなか、孫のために休暇を取れる制度が広がっている。具体的にどのようなものなのか。「孫休暇」を設ける九州電力を取材した。~

 

(ここから私)

子どもの人生に、まだ、祖父母が存在している国なのです。

こういう努力が広がる気配が、いま、ある。

日本の底力です。

経済競争に気を取られ、「情報」で考え、自分のいい人間性に気付かず過ごしてきた男たちの、後悔と反省は、孫たちによって、突然、花開き、輝く。

「子どもを可愛がることに、幸せを感じる」遺伝子が、慌てて、オンになる。

頼り切り、信じ切り、幸せそう。

その境地が、孫と、ピッタリ重なっていく。

この人たちが、弱者に寄り添い、調和のシンボルになり、小波のように、社会に「鎮まる力」を広げていく。その風景が、この国に満ちてほしい。

60を越えてからでも、いい人間になろうとすれば、いいのです。

そこで気づけば、遺伝子がオンになってくれたら、「遅い」とか「早い」とか、そういうことじゃない。

一生のうちに、どこかで「開眼」する。置き去りにしてきた「時間」が、確実に戻ってくる。

自分が、自分になれるチャンスが巡ってきた。そう思えばいい。

後悔し、反省する「男たち」は、幼児たちとは、相性がいい。いつまで経っても、中身は子どもなのだから、お互いに、求め合う。

孫の顔を見ると、どれほど自分が、馬鹿げた失敗をしたかが、わかる。(人もいる。😀)特に、男の子は、気の合うお爺ちゃんがいると、良く育つ。

人間は、いつか、いい人になればいい。

追伸:

雇用主が、社員の家庭の安心を手助けし、「逝きし世の面影」にあった、今では失われた「村社会」の絆を、復活する方向に動いてくれたら、まだこの国には、改善できる余地が、大いにある。

保育園や幼稚園で「祖父母の保育士体験」をやり、会社が、職場での人間関係を「優しさが育つ環境」へと、改革してほしい。それができる国であることに、まず感謝しなければ、と思います。

 

嬉しい報告、西伊豆から、北九州から

松居和チャンネル、第55回は、西伊豆からの報告、そして、九州電力の「孫休暇」、とても嬉しい報告です。

国の、あり方が揺らいでいます。どこへ行っても小学生の不登校児が一割、引きこもりや、児童虐待も増えています。経済が良くなるわけがない。

その原点に、保育士たちが「子どもが可哀想」と違和感を感じる、「国による母子分離」政策がある。

園児たちの将来を心配する保育士たちには、「自分たちは、五歳までしか見れないのに」という思いが常にある。どんなに「いい保育」をしても、小学校で、変な担任に当たったり、意地悪な同級生に出会ったり……。その確率が高まっている。

子どもたちが育っていく「環境」は、他の子どもたち、そして親たちがどういう人か、ということ。国が、これほど母子分離を奨励してしまうと、義務教育がある限り、一生懸命可愛がった子どもたちの将来は、担任と同級生の当たり外れ、という、不安に満ちたものになってしまう。

だからこそ、入学前に、親子の絆をつくってほしい。子育てを喜びと感じるようになってもらわなければ……。そう思う保育士たちが、いる。

11時間を「標準」と決めた、国の、馬鹿げた保育施策が、更なる少子化を生んでいる。男たちの生涯未婚率も、三割になろうとしている。国の愚策が、社会から、生きる力を奪っている。

打開するとしたら、就学前、保育の段階から、親と保育者と子どもたち、三者の間の信頼関係を築いていくしかないのです。それを学校教育へ繋げていく。それなのに、国は、まだ、誰でも通園制度などと、母子分離にこだわっている。保育士がいないのに。

それが、親たちの「権利」だという保育学者さえいる。こんなものは、権利でもなんでもない。子どもたちの「権利」を後回しにした、大人たちの「利権(りけん)争い。

そんな中、不登校にした方がいい場合が、増えている。

 

チャンネル冒頭の園長先生からのメール。

「松居先生!!

11月から、保護者の1日保育体験始まりました。

なんと保護者全員が保育体験を順番にやります。」

 

まだ、可能なのです。この国には、親たちに「保育者体験」を薦めよう、子どもたちのために、自分たちが「役割」を受け入れよう、と奮い立つ保育者たちがいる。だから私は、保育者たちに、お願いして歩くのです。親を育てて下さい。それには、楽しそうな子どもたちの「集団」に出会わせるのが一番いい。子どもが、生まれた時に、実の父親が、ほとんどの家庭にいる先進国は、皆無と言っていい。

決意した保育者たちに、父親を育ててもらえる機会が、この国には、まだ存在している。

「女性の社会進出」で、一番怖いのは、男たちの「父性」が弱まって、無責任になること。シングルマザーは、やはり辛い。チャンネル第49回、「実は、父親もウサギになりたがっている」を参照してください。

本当の父性は、父親であること、自分自身であることに「幸せ」を見つけること。自然の流れであって、難しくはない。

親子の将来を心配する、本気の保育士たち、保育に生き甲斐を感じる女性たちがいるうちに、手を打たなければ、と思います。「ママがいい!」という言葉に応えようとする母親たちの心が、真の「女性活躍」だと言われるように、なってほしい。

幼児たちとの「出会い」を増やしていきましょう。