私が生まれる前年に、父が創刊した「母の友」という雑誌が永遠の休みに入った。73年間、「ぐりとぐら」や「魔女の宅急便」など、名作を世に出してきた月刊誌。このタイトルで、よくここまで来た。
その時、私の本「ママがいい!」がAmazonの福祉分野で1位になっている。
意志、家業を継いだぞ、という嬉しさが密かにある。親父が笑顔で、「よろしい」と言っている気がする。😀
私が生まれる前年に、父が創刊した「母の友」という雑誌が永遠の休みに入った。73年間、「ぐりとぐら」や「魔女の宅急便」など、名作を世に出してきた月刊誌。このタイトルで、よくここまで来た。
その時、私の本「ママがいい!」がAmazonの福祉分野で1位になっている。
意志、家業を継いだぞ、という嬉しさが密かにある。親父が笑顔で、「よろしい」と言っている気がする。😀
この時代に、どんなに頑張ったって、保育園では1対1ではないわけです。1対6とか、1対20なのです。それに、気づいてほしい。
子どもたちが要求してくる愛着関係の基本には、(一対一)「ママがいい!」という言葉がある。たった一人の「ママ」がいる。https://youtu.be/7vA796qYWFc
高校の進路指導で、進路が決まらない生徒に保育者養成校を薦める。「子ども相手だったら、大丈夫でしょ」と言われる。「専門性」などと保育学者が言っても、養成校も、早々に資格ビジネスになっていった。資格を与えるべきではない、学生に、資格を与えている。
業者と結託し100%就職を目指す養成校が現れなければ、乳幼児の安全はそれなりに確保できたはず。
政府の「保育は成長産業」という閣議決定が、保育の質を歪めていった。https://youtu.be/YTQuMXPKERw
保育で経済を活性化したい国の(無知な)思惑と、保育の意味を知らずに産業として目をつけた起業家・経営者たちの欲、親たちの「ニーズ」と「希望」、そして、一番の当事者である幼児たちの「願い」が相反する関係にあって、それを実行しなければならない保育士たちの人間性を苦しめる。
経済界も、母子分離を繰り返してれば、「不登校」は増える、将来、経済の役に立たない若者を増やしている、と知っている。結果は、すでに出ているのに、母子分離政策が、こうして続くのは、政府や保育学者が、昔、言った「経済優先の論理」を引っ込められず、意地になっているから。
マスコミも、同じ。そうした意地で、子どもに安全な「いい国」が、急速に壊れ、待ったなしの状況に来ている。
子どもたちに信頼される社会、生まれてきて良かった、と思ってもらえる社会を作ることが、将来の、「日本の力」になるのです。
「子育て」は、雇われる側、雇う側、一緒に、心を合わせて、やるもの、という意識が大切です。松居和チャンネル第58回は、そんな話もしました。
雇う側も、子育てをしている。「家庭」に、配慮し、みんなで喜び、祝う。育休中に赤ちゃんを連れてきてもらって、みんなで笑顔になる。出来ることはたくさんあるのです。
村(むら)社会的な形を、再び、取り戻すとしたら、幼稚園、保育園と、そして、「職場」です。職場が、村の役割、を果たす。
昔は、会社の運動会があったり、社員旅行も、家族みんなで行きました。父の会社も、東京湾に、ハゼ釣りに行きました。六十年以上経った今も、よく、覚えています。
松居和チャンネル第58回は、
(テーマ)生後4ヶ月、赤ちゃんは立派に社会の一員です。
副題が、「美容院や小児科の待合室から、日本が変わる?」
美容院の待合室に、「ママがいい!」が置いてありました、という報告から始まります。
小児科医院の待合室や、保育園、幼稚園の玄関に置いてあったりする。アマゾン、ジャンル別、再び一位になっているのです。大きな「流れ」が変わるのかもしれません。「ママがいい!」という訴えによって。
そう願います。
(Amazonのレビューから)
仕事についてどうするか悩んでいた時にこの本に出会いました。
この本を読んで、子どものそばにいたいという自分の本当の気持ちに向き合うことが出来ました。凄く考えさせられる本です。
ぜひ多くの方に読んでいただきたいです。
「自分の本当の気持ちに向き合うことが出来ました」と、書いてある。
遺伝子に組み込まれている、人間性は、「子どもと居たい」、「可愛がりたい」、「幸せを感じたい」という道筋を示している。
それを、避けよう、避けさせよう、として、人生から、人間性(自分)を排除するような仕組みを「子育て支援」と名付け、政府が作っているのです。
(もう一つ、レビューから紹介します)
(この本に)早くに出会って本当によかった
保育園見学に行くたび覚える違和感。4ヶ月の娘は抱っこ紐の中で、私にしがみつきキョロキョロ。
預けられるなんて、微塵も思っていない。その姿を思い出し、泣けて泣けて仕方なかった。
生後4ヶ月の娘の命が、お母さんを育てている。
「しがみついて、キョロキョロして」、立派に、素晴らしい、人間社会の一員です。人間は、生まれた時が、社会進出。先日、そう講演したら、助産師さんたちが、生まれる前から、社会進出、と言ってました。
生後4ヶ月の命が、大切な、代え難い、役割を果たしていることを、もう一度、社会全体が思い出してほしい。
「泣けて泣けて仕方なかった」という自分を、母親が、繰り返し、繰り返し思い出して、人間社会が守られる。
母親は、思い出の中で、自分の「気持ち」を、永遠にする。
看護師さんの養成校の50周年記念、及び、卒業記念講演をしました。質疑応答の時でした。
実習先で、背中トントンをしていたら、「ママがいい!」と小声で言われました、と言うのです。
そんな時は、嬉しく思って下さい。「いい、ママがいるんだね、良かったね」と、心の中でつぶやいて下さい、と言ったら、会場に、拍手が湧きました。
ああ、この学生たちは、看護師さんたちだ、と涙が出そうになりました。
松居和チャンネル、第57回は、前回の「作曲家モーリス・ジャールとD-day」の続きです。
副題は、「時に、ひたむきな忠誠心が、諸刃の剣となる」
私に、何かを伝えてくる、不思議な人たち(チャネラー)がいる。作曲家、モーリス・ジャールもその一人で、50年間の付き合いでした。
あの日、ハリウッドのスタジオで、モーリスに導かれ、音楽家たちが従った「D-day」に対する一分間の「黙祷」。その中を覗き込めば、永遠に枝分かれしていく、無数の「深み」があったはず。怒りや悲しみが、いまでも、そこでじっと待っているに違いない。その「祈り方」の多様さを、私は、すでに知っていた。
ストリングスセクションには、ドイツ系とユダヤ系が必ずいる。多様だからこそ、祈りは、祈り。人間が、それぞれに自分の人間らしさを確かめる、大切な時なのです。逝ってしまった世代と抱きしめ合い、流れを見つめ、「理解しよう」とすればいい。その暗黙の教えが、余韻となって、音楽家たちの心は鎮まっていった。
マンザナの日系人強制収容所の中にも、Dデイの海岸線はあった。
「日本が、パールハーバーを攻撃しなければ、収容所に入れられることもなかったのよ」……、とスージー・ヤマモトは言った。鉄条網に囲まれた若者たちには、イタリア戦線に志願するしか、そこから出る道がなかった。それは、死を覚悟した、誇り高い若者だけに与えられた特権で、もし誰かが、そのことを知っていて仕掛けたのだとしたら、実に巧妙で、残酷な罠だった。
罪を犯したわけでもない。しかし、死を求める若者は現れる。忠誠心が、分断され、諸刃の剣となる。
あの時の楽隊(バンド)の空中分解の有様が、この国の将来を描き出す。しばらくの間でもいい、互いに心を合わせようとして、しばし、それが生きがいになる……。しかし、やはり解消していく。
その時、こんな風に、大らかな笑顔は残るのだろうか……。
松居和チャンネル、第56回は、「作曲家モーリス・ジャールとD-day」という不思議なタイトル。
副題が「ある日のスタジオで、交錯する、人種、祈り」
私は、尺八奏者で、ハリウッドの映画音楽で五十本ぐらい演奏し、いまだに出ているアルバムもあります。アメリカという、人種のるつぼ、多様性の国で、人間が、必死に心を合わせようとする。そこで、「音楽」という手法で、絆を作ってきました。面白かった。
最初に、私を、映画音楽に使ったのは、モーリス・ジャールというフランスの作曲家。「ドクトルジバゴ」「アラビアのロレンス」「インドへの道」など、素晴らしいサウンドトラックを書いている人が、「ショウグン」というテレビシリーズで私を使ったのです。45年前です。
ガムランについて、話した(第42回 「ガムラン音楽。様々な秘密や謎が見えてくる」)あの大学のガムランの練習室に、モーリスが、尺八奏者を探しにきて、私のハリウッド人生が始まりました。人種や宗教、ルーツが入り組んだ、「アメリカ体験」が、そこから一気に広がっていったのです。
観光や、留学、ビジネスでは知り得ない、この国の、深い現実が見えてきた。そのことを、書いた文章があります。
ある日のセッションでこんな出来事が起こった。
「モーリスは、しばらく考えていた。
ややあって、自ら静まったオーケストラを見回すと、フランス訛りの英語で話し始めた。
『今日は、Dデイ(D-day)です』
思いがけない言葉だった。音楽家たちの気配が集中する。
『三十七年前の今日、私はドイツ軍から逃れ、地下に潜んでいました。十九歳でした。占領下、フランスでは十四歳以上の男子は、見つかれば強制労働に連行されたのです』
指揮者はそう言って、演奏家たちを見渡した。
『隠れ家に仲間といて、ラジオに耳をそばだたせて、連合軍のノルマンディー上陸を知ったときは、嬉しかった……』
噛みしめるように、そう言って、作曲家は演奏家たちに要望を一つした。」
(どんな要望だったかは、ぜひ、チャンネルを見て下さい。)
人生には、不思議な次元が交錯し、それぞれの役割が浮き彫りになることがある。
歴史を超え、国境を越え、パズルが組まれるかのように、その時は、突然やってくる。
「生きている」、「生かされている」という実感が湧き上がる。
ロサンゼルスの、一流のオーケストラの中には、ドイツからの移民や、ユダヤ人がいる。マンザナの日系人強制収容所を体験したチェリストがいる。そういう街です。
Dデイに、海岸線に引かれた「一線」が、まだ存在している。
ガムランの回に、「自分の中で『社会』の定義が変化した」と言った学生のことを書きました。
楽器群がインドネシアから運ばれ、地下室にあることを想像しなかった学生が、偶然、この「手法」と現象(phenomenon)に加わり、知らなかった自分を体験する。それを使いこなせるような気がする。
授業で、闘う手段を教わり、密かに自信を持ち始めていた彼らの意欲が、ガムランの「流れ」の中で、鎮まっていく。
この「道筋と手法」を知れば、孤独とは無縁の人生が開ける。人類は、その手法を、すでに与えられている。(この辺り、乳幼児を育てることと、似ています。)
モーリスとの話の冒頭に、マリブの小波に浮いているサーファーたちの姿が出てきます。
まるで、氷河期を生き残った、小さな哺乳類たちのように、この人たちの「目的」が、人類の生存に関わっている気がする。
それは、「砂場で遊んでいる園児たちのように」、私たちの未来を救おうとしている。
以前、若手園長から聞いた、いい話。
「卒園すると、親は本当によく保育園に感謝します」と、嬉しそう。
学校に入ると、保育園のありがたさが身に染みてわかる、どれほど親身にやってもらったかが見えてくる。
なるほど、という指摘です。学校と保育園は、その趣旨が違う。教育と子育てでは、歴史と深さ、次元が違う。もちろん「子育て」が優先で、絶対です。
園長先生、園児が卒園して一ヶ月後に親たちの謝恩会をする。
保育園の価値に気づき、懐かしく思い始めている。感謝したくなっている。新たな悩みを抱えている親もいるでしょう。子どもたちも環境に馴染んでいない。みんながオロオロ、ウロウロ、人間が自分を見つめ一番成長する季節です。
保育園や幼稚園の価値は、一緒に育てているという「感覚」が育つことにあります。
幼い命を一緒に育ててきた実感、小さかった「あの頃」の思い出を共有しているという連帯感が園での生活の実りであり成果なのです。それこそが「社会」と呼ばれる連帯感なのですが、学校に入って仕組み上突然途切れたようになる。
子どもを一緒に育ててくれた人たちに再会し、「あの頃」を懐かしく思えば、一生の相談相手がそこに居ることに気づく。帰ってくるところがある、と安心する。そこに集まったお互いの存在が特別なものだと気づけば、それだけで「悩み」はずいぶん解消するのです。
お互いの子どもの小さい頃を知っている、この関係が人間社会の原点にあった。
人類は、身近な、そういう関係に支えられてきた。オロオロしながら一生懸命やって、一緒に祈ってくれる人が数人いれば、それでいい。
一ヶ月後の謝恩会が、保育園や幼稚園を永遠にしてくれる。
こんな行事が、少しずつDVや児童虐待に歯止めをかけ、学級崩壊やいじめを減らすのです。いま、地道に耕し直さねば、荒れてしまった地面は砂漠化してしまいます。
「謝恩会」という命名はわかりやすい。法律や規則ではなく、子育てから生まれる「感謝」が社会を住みやすくする。
子どもが世話になったら、感謝する。
歌や踊りを教えてもらったら、それを見て、夫婦で感謝する。
本当は、足し算や掛け算を教えてもらっても、感謝する。
楽しい時間を過ごせたら、心の底から、みんなで何かに向かって感謝する。
卒園一ヶ月後の謝恩会、大したことではない。法律で決めてしまえばいい。いえいえ、法律で決めるより、園長先生が決めてしまうのがずっといい。親たちに気持ちが伝わる。この人(園長先生)は、子どもたちの幸せを願っている、卒園した後も願っている……。
その記憶、そして一ヶ月後の謝恩会を思いついた園長先生の「動機」が社会を耕し直し、その願いが、荒れている社会を鎮める。