三原じゅん子さん

三原じゅん子さん、今回の組閣で、内閣府特命担当大臣(こども政策、少子化対策、若者活躍、男女共同参画、共生・共助) になりました。根性ありそうだし、頑張って欲しい。言うべきことは、伝えてあります。これは、9年前の自民党TV:カフェスタ189@女性局~児童虐待問題を考える~

ゲストは、私です。

「ママがいい!」という叫びを聴いたら、それは聴いた人全ての責任です。

「ママがいい!」という叫びを聴いたら、それは聴いた人全ての責任です。そう、150年前の日本人たちが語りかけてくる。
聞き流したり、理屈をつけて、その「訴え」に慣れると、社会を支えていた「絆」が、どんどん薄れ、混沌、殺伐としてくる。(スウェーデンの犯罪率は、日本の20倍。)

日本でも、幼児という弱者の扱いが国中で粗雑になっている。それを知って欲しい。その思いで、「ママがいい!」を書きました。
政府の制度設計が、11時間保育を「標準」と名づけ、保育指針や国連の子どもの権利条約にある、「子どもの最善の利益を優先する」という人類普遍の法則を、乱暴に壊していった。

「保育は成長産業」という政府の閣議決定。彼らが目指す「新市場」で起こりつつある「保育バブルの崩壊」は、家庭崩壊、児童虐待、学級崩壊に直結している。しかしこども家庭庁は、「キャリアや趣味など人生の幅を狭めることなく、夢を追いかけられる」ように、誰でもいつでも子どもを預けられることが「子育て安心」なのだ、といまだに言い続ける。

報道は、されていた。

保育士不足の蔓延と弊害は、20年前から、知られていた。しかし、都合を優先することに慣れ、子どもたちの「願い」に鈍感になっていった。そして、首相が国会で、あと40万人保育園で預かれば、女性が輝く、と言い、現場を無視したアベノミクスに、「保育園落ちた、日本死ね」という言葉が重なって、与野党、マスコミが、こぞって母子分離を「正論」にしていった。
(「当時の、待機児童が2万人」。「欲得の動機」は、見えていた。)

 

「心の清らかな人」の存在が輝く時

今週の、松居和チャンネル、またまた、火曜日です。よく、続いていますね。チャンネル登録、よろしく、お願いします。

第43回は、以前、哲学者の鷲田清一さんがコラムに、私の書いた言葉を取り上げてくれたこと。それを読んだ奈良の師匠が手紙をくれた話です。

150年前に日本に来た欧米人が、私たちに伝えようとする、「本当の日本」について。伝承が時空を超えてつながります。そこに、人間のコミュニケーション能力の凄さ、感動します。

欧米人→書き残した文献→渡辺京二さん(逝きし世の面影)→私→鷲田清一さん→竹村先生→松居和チャンネル→このあと、A.I.を通して、また欧米に繋がったりして。

さて、本題。

赤ん坊が泣いていたら、そこにいる人が「自分の責任だ」と思う。その責任を感じたとき、人間は、自分の価値に気づく。日本は、そういう国だった。その伝統を、思い出してほしい。その伝統を、もう一度、楽しんでほしいのです。

それが、このチャンネルを私がやっている理由です。私もまた、自浄作用、自然治癒力の一部になりたい。

仕組みによる子育てが広がると、社会が「子どもの泣き声」に鈍感になっていく。それは、「人間性」を失っていくことでもあるのです。師匠はそれを言いたかった。人類に必要な感性が薄れ、「心の清らかな人」の存在が一番輝く時に、その存在にさえ気付かなくなる。保育に、人生を捧げてきた師の自戒の念がそこにあります。

「ママがいい!」という叫びを聴いたら、それはママだけではない。聴いた人たち全ての責任なのです。

聞き流したり、理屈をつけて、その「訴え」に慣れると、社会を支えていた「絆」が、どんどん薄れ、混沌、殺伐としてくる。(スウェーデンの犯罪率は、日本の20倍。)

いま、日本でも、幼児という弱者の扱いが国中で粗雑になっている。それを知って欲しい。その思いで、「ママがいい!」を書きました。

 

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「頼り切って、信じ切って、幸せそう」

松居和チャンネル第18回でお話しした「四歳児完成説」。私は、4歳児が一番完成している人間と決めました。

「頼り切って、信じ切って、幸せそう」そこに、宗教の求める、人間の姿がある。親鸞聖人も「頼り切って、信じ切って、幸せになりなさい」と言いました。4歳児くらいを拝み、目標にする。

それを、小学生に体験として教える。

「駆け引きのない」「裏表のない」そういう関係、「私利私欲のない」関係を周りに数人持っていれば、自分は一生幸せに暮らせるんだ、と幼児たちは人間に理解させる。

卒園児が成人式に、園に集めて「お泊まり保育」のビデオを見せる園があるのです。一人では生きられなかった。でも、「自立する」とか、「一人前になる」とか、そういうこととは関係ないところに、「幸せ」がある。それが「自分の姿」で見えるのです。

日本の親たちが週に一度でいい。「僕も、私も、昔はこうだったんだなー」と思って子育てやってれば、子育てなんて大丈夫。この国も、大丈夫。

自分が、絶対に一人では生きられなかった、ことを思い出す。全員が、三歳だったことがある。「おんぶしてー。抱っこしてー」って言ってた。そう思うことで、絆が、世代を超えていく。

親心もそうですが、最近、『祖父母ごころ」が、もっと人間から遠ざけられている。子どもたちを叱れない心、「寄り添う」心を、もう一度耕し直さないといけません。経済優先で「母子分離」を進める、今の「福祉」は、子どもたちに、まったく寄り添っていない。

こども家庭庁は「性別役割分担意識からの脱却」を「働き方改革」と宣言している。

保育界が「女性らしさ」で成り立ってきたことを知らない。「長時間保育は子どもが可哀想」と思う「母性」を、人権とか「男女平等」という机上の論理で否定され、いい保育士たちが辞めていった。

 

 

これからの日程です。講演会、上映会があります。このブログやチャンネルの推薦、拡散、ぜひ、お願いいたします。

【2024.11.27】松居和先生子育て特別講演会トポスターチラシ-2

日本助産師会関東地区の研修会で、静岡で講演しました。

昨日、日本助産師会関東地区の研修会で、静岡で講演しました。

常日頃から、命の誕生に関わっている人たちです。ですから、元気で、根性があって、生き生きしています。

子育ての「始まり」のところにいる保育士たち、助産師さんたちが、012歳を長時間母親から引き離すのは「可哀想」という意識、「母性」を、自信を持って取り戻してほしい。「意識改革」を主導してほしい。

そう思って、私も一生懸命話しました。

彼女たちの母性が、教育長や市長を説得した時、社会は、再び「子育て」でまとまるようになると思う。それには、親子に最初に話しかける「助産師」さんの存在は、大きいのです。

親身な助産師さんに救われる、人生を導かれる一家がたくさんあるのです。

この人たちが最初の道筋をつけ、それが幼稚園や保育園に繋がり、親心の「ビオトープ」として回り始める。

そんな風になるように、よろしくお願いいたします。

(動画は、懇親会で踊られた「お産、サンサン踊り」です。こういう不思議な光景に出逢います。私のように、不思議な講演をしていると。😀)

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サウンドチェック風景

松居和チャンネル第42回は、ガムラン音楽について話しました。その最後に、番外編で、先日やった「不思議なライブ」のサウンドチェック風景を添えておきました。

こういう次元は、いい。

ガムランの存在意義にも重なる。

ギターの中脇さんは、松居和チャンネルを始めるように薦めてくれた人。パッフィーとキャリーピャムピャムのプロデューサーで、ずっと以前、高校時代に、私のアルバムをすり減るほど聴いてくれた人。

この晩は、マドンナと20年ツアーしていたドナさん、GlayのTAKUROさん、ボーカルのアルマさん、それぞれの違った道筋が交差して、人生一度きりの「響」を献奏しました。

音楽は、人間に、「時の流れ」と「運命」を感じさせます。信頼関係があると、「出会い」は無限の可能性を持つ。その期待感が、生きる動機になっていく。

 

原宿で、ライブの打ち上げ後の四人。

ヨガの先生で歌手、マドンナと20年ツアーしたドナ、タブラ奏者のJosse、私とプロデューサー兼ギターの中脇さん。(パッフィーのプロデューサー)

私的なピンク・フロイドという空間が、とても心地良かったです。ドナの応援に駆けつけたGlayのTAKUROさんのギターも良かった。

私が、音楽は時々で、普段は、講演して本を書いている言うと、当然「何について?」と聞かれる。

「アメリカを絶対真似しちゃいけない、って話さ」と言うと、「おー」と言って大喜び。

ヨガと尺八は国境を超え、話が弾みます。

「詳しくはFBの翻訳機能を使って」と頼み、

いい夜でした。

人類は、すでに様々な手法を発見している

 

「不思議な楽器群が、インドネシアから運ばれ、それが地下室にあることなど想像もしなかった学生たちが、偶然このアンサンブルに加わる。」

この「手法」を発見し、練習室で起こる現象(phenomenon)を体験する。

「法律や政治経済を専攻し、闘う手法を教わって、密かに自信を持ち始めていた彼らの意欲が、揺れる音階で中和され、鎮まる。」

「それまで知らなかった自分を体験し、それを使いこなせるような気がする。」

 

この道筋と手法を知れば、孤独とは無縁の人生が開ける。その手法を、人間はすでに与えられている。人類はすでに様々な手法を発見し、それを磨いて来たのに、最近、それを見失おうとしている。

 

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『社会』の定義が密かに変化する

火曜日です。😀今回は、少しいつもと違う内容、体験についてです。
松居和チャンネル第42回は、バリ島のガムラン音楽について、です。独特に調律された音の重なりから、様々な秘密や、謎が浮かび上がってくる。人間のする「魔法」の中では、かなり不思議で、しかし、確実なやり方です。

 

 

音楽で整える。その辺りを忘れてはいけない、これは子育てに関して、とても重要な点で、これまでにも、子守唄について、背景に流れるメロディーによって人生が変わること、などについて話しました。

ガムランオーケストラの「揺れ」、役割分担で起こる「大自然の調和」、清流のような美意識に包まれると、「忠誠」という言葉が、温かく、強く、その先に生まれる「秩序」が待ち遠おしく思える。

「自分の中で『社会』の定義が密かに変化する」。アメリカで一緒にそれを体験した青年が、言いました。

「それ」を、形を変えて、幼稚園、保育園、学校で日本の子どもたちや親たちに繰り返し、「日常」的に体験させる。
以前、このチャンネルで、「保育園で父親をウサギにする話」をしました。あんな感じです。幼児たちが集まっている場所では、それが自然にできる。「経済」とは真逆にあるものが、見えてくる。
古(いにしえ)のルールを肌で感じ、そこそこの「出会い」と、働きが、組み合わされば、社会は鎮まり、絆が深さを増していく。

 

国際会議は、古(いにしえ)のルールを確認する場所です

火曜日です。

松居和チャンネル、第41回のテーマは、「国際会議」。

副題は、「文化や国境を超えて、次元が広がる」。以前、ある小さな国際会議で基調講演をした時の話をしました。

国際会議は、古(いにしえ)のルールを確認する場所です。

違う文化圏から、歴史や記憶を持ち寄って、大切なことは一体何かを見極める。そうでなければいけない。

私が主張したのは、「子どもを可愛がる」という道筋は、誰でも手にできる「権利」だということ。私が一人で公園に座っていれば、変なおじさん。でも、三歳児と座っていれば「いいおじさん」。それに気づくことが「生きる動機」。三歳児は私を「いいおじさん」にしようと思って座ってはいない。「ただ、座って」いる。

そこに、宇宙の大原則が見える。

ネパールとインドネシアの学者は、すぐに、そのあたりのことを理解しました。

欧米の家庭崩壊を知ると、「子育てと保育の関係」については、エビデンスが揃ってからでは遅いのがわかる。特に、5歳までの子育ては、子どもが親を育てるという側面が強いので、よほど気をつけないと、論理性によって「古(いにしえ)のルール」が壊れていく、と説明しました。

子どもたちの役割が、忘れらていく。(それを、欧米の学者たちに伝えたかった。)

自分の人生を考え、利他の感性を磨くのが「子育て」。「学問」も、そうであってほしい、と話しました。

子どもに信用されない社会は、殺伐とする。そこでは、父親像を持たない子どもたちが(特に、男たちが)、それを求めてギャング化している、と、敢えて苦言を呈しました。

人間は「喋れない0歳児」を、永遠に与えられる。そこにある「約束」に、気づかなければ、社会が不自然に歪み始めるのです。

実の「父親」が、多くの家庭にまだ居る、「究極のインクルーシブ」が存在しているうちに、日本は、学問と経済によって進む「流れ」を変えなければいけない、と。

ネパールとインドネシアの学者は、すぐに、そのあたりのことを理解しました。

父親の過半数が役割を果たさない、欧米社会の現実を、サラ・フリードマンとイギリス、イスラエルの学者が否定しないのですから、帰国して、きっとこのディスカッションを役に立ててくれるはず、と思いました。

手放してはいけない「勲章」

幼児期に、自分は信じることができる世界に生まれて来た、という感覚を身につける。それで人間社会は鎮まり、調和する。

欧米社会は、子育てと「教育」を混同して、失敗した。日本の子育ては、「可愛がること」。親たちが、自分の良い人間性を喜ぶこと。子どもを戦力にするのではなく、拝む、喜ぶ、こと。

「利他の気持ち」が薄れてくると、遺伝子がオンになってこない。(村上和雄:「生命の暗号」)

母がいないと、絶対に生きていけない、という状況から、人間はスタートする。

子供たちにとっては、女性の優しさ、が社会を信じるきっかけになっている。「ママがいい!」という言葉は、そのことに対する「勲章」。一生、手放してはいけない「勲章」。