シャクティの映像から抜粋?考えたこと/解説
http://kazumatsui.com/sakthi.html
シャクティの映像から抜粋?考えたこと/解説
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2015年6月
育休退園問題の意味/所沢市の決断
新潟市で講演後の質疑応答の時に「所沢市の育休退園」について一人の保育士さんが意を決したように手を挙げ、発言しました。
(新聞やテレビの報道でも話題になった育休退園問題は、これからの日本の子育て環境の「質と役割」を決定づけるかもしれない象徴的な問題です。簡単に説明します。
家庭における子育て事情は違いますし、一昔前と違い人間同士の助け合いが薄れ、一概に保育はこうあるべきということは困難なのですが、仕組みを考える上でこの問題は、「保育は親たちの希望に応えるのか、ニーズに応えるのか」という点に行き着くのです。
その向こうには「保育を雇用労働施策・国のニーズ」と考える政府の意向がある。そして、「子どもたちの希望に応えるのか、大人たちのニーズに応えるのか」という人間性を問われる視点を掘り起こすのです。さらに、現実的には「誰の希望にもニーズにも応えられない保育士不足と財源不足」が問題全体を覆っているのです。
施策の内容は簡単に言えば、育児休業をとっている親の在園三歳未満児は、弟か妹を出産後、母親が育休に入って三ヶ月までは預かるが、それ以降は原則退園してもらう、という方針です。簡単に言えば、育児休暇をとっているのですから二歳以下の上の子は一緒に育てて下さい、ということ。三才以上の在園児は一号認定で保育園に残れますし、幼稚園に入ることも可能です。
この方針は、以前、少子化がこれほど危機的ではなかった頃は当たり前で、それを継続している自治体は実は今でもかなりあります。それが、厚労省が保育を「サービス」と言い始めたころから、保育の定義が混乱し、親が育休中でも兄姉は退園しなくてもいいとする自治体が増えていったのです。それと同時に、少子化も進みました。)
保育士さんが言います。「市長さんの、『子どもは親と居たいはず』という答えに感動しました。誰も言わなくなりましたが、あれが本当の答えでなければいけないはずです。他に待機児童がいるから、なんていう答えではいけないんです。どう思われますか?」と。
この保育士さんは、子どもに囲まれ、その気持ちを身近に感じ、想像し、生きている。幼児期が子どもの人生にとって重要な、親が育てるか保育士が育てるかではまったく違う、子どもの人生を左右する時だと思っている。それを自分の子育て、そして保育の体験からも感じているのでしょう。
「保育、学校教育には限界がある、一対一の関係を求める子どもたちの願いに応えていないことを、このまま見過ごしてはならない」
そんな声を聴いた気がしました。

マスコミが半ば呆れ批判していた「市長が言ったこと」が、実は一番深い次元で、遺伝子のレベルで、双方向に正解で、それが土台になければ保育も子育ても成り立たない。子どもの思いを優先しなければ、保育自体が現状から立ち直れない、それを最近のサービス産業化する保育界全体の流れの中で、この保育士さんは直感的に感じていたのだと思います。何かが根本的に間違っている。どこかで誰かがこの流れを変えなければ、自分たちの意志とは関係なく、自分たちの存在が子どもたちの不幸に連鎖していく、その現実が一番歯がゆいのだと思います。
保育園に通う子どもたちの日常を足し算すると、預ける時間が十時間近くになってきた今、子どもの気持ち、願いが一番気になっているのは保育士かもしれない。その視点や気持ちを施策の中心部に置いていない、ほとんど考慮もしていないことが、現在の保育に関わる施策の決定的な欠陥なのです。(いい保育士たちが呆れて辞めていく理由なのです。)
この人たちの気持ち、そして存在が保育そのものだという当たり前のことを忘れて議論が飛び交っている。
この保育士さんは、市長がこういう施策を「当選するため」にしていないのを知っているのです。
(子ども・子育て支援新制度が現実のものとなった去年、私は例年になく多い全国180カ所で講演をしました。半数以上が保育者からの「指針」を求める講演依頼でした。そして、講演の前後に、時には行政の人も含め様々なことを話合いました。政府の施策と子どもたちの願いの間で板ばさみになっている人たちの気持ちをたくさん聴きました。)
この国の保育士たちは日常的に、預ける必要のない親たちが子どもを保育園に置いていく姿を眺めている。待機児童がたくさんいるような地域では理解出来ないことかもしれませんが、全体的に見れば、すでにそういう仕組みなのです。全国に、幼稚園が一つもない自治体が二割ある。それだけ考えてもわかると思いますが、儀式的に三割くらいの親が真実ではない就労証明書を出さなければいけない仕組みだった。まだ未完成の仕組みなのです。そこへ、市場原理や規制緩和を政府が全国一律に持ち込んだのですから混乱して当然なのです。
そして今年、待機児童は二万一千人しかいないのに、首相が、保育園であと40万人乳幼児を預かれ、そうすれば女性が輝く、ヒラリー・クリントンもエールを送ってくれました、と国会で言ってしまった。8時間保育を「短時間」、11時間保育を「標準」と国が名付けてしまった。
幼児の親の多くが親であることに初心者です。11時間を標準と言われると、それが当たり前、当然の権利、と考える親たちが出てきても不思議ではない。本来「子育て」である保育を、行政サービスの一部、福祉の一部、と認識し始めてもおかしくはない。しかも周りを見れば、働いていないのにサービスを受けている親たちがたくさんいるのです。保育が利権争いの構図になっていってもそんなに不自然ではない。
現場で、「幼児も国民でしょう、少しは幼児の気持ちも想像しなさいよ」という思いが政治家や行政に対してフラストレーションになって溜まっている。そして、保育をサービスと思い込んだ親たちの保育所に対する態度がみるみる変わってゆく。それが一番辛い、情けないのです。政府が身に染みて感じなければいけないのは、いい保育士たちは日々子育てをしている、ということ。ただの「仕事」や「労働」をしているのではないのです。「仕事」になってしまうことは、自分の遺伝子と幼児たちが許さない。
「こういう市長さんがいるなら保育士は頑張れますよ」、と講演後に役場の人が言った言葉が心に残りました。新制度をきっかけに、これ以上子どもを親から引き離してどうする、子どものためになっていない、と言って辞めてゆくベテラン保育士を何とか引き止めようと行政も苦労の連続で、その努力も限界に近づいている。定年まで数年を残して辞めてゆくベテラン保育士たちの価値はお金では計れないのです。二度と元には戻らない貴重な時間の積み重ねが、次に伝えられることなく消えてゆく。新制度を作った人たち(専門家たち)は、保育が養成校で教えられるものではなく、現場で伝承されてきた祈りにも似た心持ちだということさえ知らない。だから平気で幼保一体化などと言う。現場に出ていない資格者を掘り起こせ、などと言う。
預かれ預かれと言いながら、保育の重要性を認識していない市長たちの財政削減で、公立でも正規での募集はほとんど出来ず、非正規雇用では、欠員を埋めるために募集してもほとんど応募して来ない。倍率が出ないということは、危ない、と思っても、資格がさえあれば誰でもいいから雇ってしまうしかないという状況です。政府の愚策に手を貸さなければならない役人たちは、新国立競技場よりも、幼児の日々の生活の方が大切でしょう、と心の中で日々思っている。
今回の新制度は、去年行われた保育ニーズ調査の段階から、そうした政府の子どもの気持ちを考えず、現場の実状は後回しの姿勢があからさまでした。その態度・姿勢に保育士たちは傷ついている。だからそこ、その保育士には、所沢の市長の発言が一筋の光りのように見えたのでしょう。
保育サービスという言葉がどれほど三歳未満児の心を傷つけているか、誰にもわからない。三歳未満児をこれだけ親から引き離し集団で保育することが将来どういう影響を社会に及ぼすか、明確に計算出来る学者はいない。
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イスラエルの学者がキブツという制度の中で乳幼児を意図的に親から引き離し公教育的に集団保育し、それがどのように失敗だったか、という研究発表を15年位前に国際会議でしていました。ビデオを使って、ベビーベッドで乳児が泣き出した時の親と保育士の反応時間の違いを説明していました。米国の家庭崩壊と日本の現状を説明しながら、乳幼児がどのように親を育てるか、というテーマで基調講演をした私は、その晩、そのイスラエルの学者、イギリスの学者、そして米国のサラ・フリードマン氏とかなり突っ込んだ議論をしたことがあります。
十数年前に日本の厚労省も、当時八時間だった長時間保育は子どもに良くない、と白書に書いていたことがあるのです。
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三歳未満児が、弟か妹とその時期に過ごす時間が、7、80年続く兄弟、姉妹の関係にどういう影響を及ぼすのか。私たちは、ただ想像するしかない。でも、この想像力の範疇に人間性が存在し、社会にモラル・秩序が生まれるのです。
読売新聞の調査によると、マスコミの市長批判報道にもかかわらず、所沢市の施策に賛成が65%だそうです。日本の子育ての常識は、まだそんなに崩れていないのかもしれない。
ネット上に、市長の発言に対し、「三歳児神話は神話に過ぎない、三歳未満児が親と一緒にいたいと思っているということは証明されていない」という主旨の反論が、育休退園に反対する人たちから出ていました。いまだにこんなことを言っている。
「三歳児神話は神話に過ぎない」。15年位前に日本である学者がこれを言った時、思わず耳を疑いました。この学者の思考レベルの浅さに意図的なものさえ感じました。
これは、目の前にある神社に向かって「この神社は神社に過ぎない」と言っているようなもの。「犬も歩けば棒にあたる」と言われ、「何匹当たったんだ?それは、噂に過ぎない」と反論する人は居ない。聖書や法華経の中身を「話がべらぼう過ぎる、あり得ない」「初詣には、科学的根拠がない」と難癖をつける人も通常、居ない。
人間性は神話の領域に属するもの。文化人類学や民俗学を少しやれば理解出来るはずです。だからこそ、国連の子どもの権利条約にも「児童は、できる限りその父母を知りかつその父母によって養育される権利を有する。」と書いてある。子どもはそれを言えない場合が多いから、想像力の次元で、人類の過去の体験と重ね合わせ、「すでに有している権利」としてそれを擧げている。その条約を日本はすでに批准している。

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「一歳児は噛みつく頃なんだから」と平気で言ってしまう園長が、この国でも現れています。保育では一対一の関係を要求する乳幼児たちの要求に応えられない。そういう状況の中で、なるべく子どもは親と一緒に居た方がいい、と身を賭して発言する市長が出てこないと、この国は守れない。いつか日本の家庭崩壊も犯罪率も欧米並み(十倍以上)になってしまうでしょう。
子どもは、通常親と一緒に居たいだろう、特に三歳未満児はそうだろう、という思いを「証明されていない」と言って否定しようとする人たちの意図が、この国の未来を左右しないことを祈ります。「子どもは絶対に親といるべきだ」と言っているのではないのです。人生には確かに様々な事情があり、その事情もまた「絆」を生むための要素です。ただ、「一緒に居たいだろう」という意識が人間社会には不可欠なモラルと秩序を創造していることを忘れてはいけない、ということなのです。
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所沢市の決断に対して訴訟が起っています。
所沢市が負けるとは思いませんが、確かに今回の市の決定は、サービスという名で保育が本当に必要でない場合でも、親がそれを望めば預かり、それによって労働力を増やそうという国の方針とは相反している。国内法より優先されるべき国連の子どもの権利条約に一致している所沢市の決断が、「地方の状況に合わせて」と指示されたはずの政府の保育・子育て支援新制度によって、もし法廷で負けるようなことがあれば、それは連鎖的に保育の質の低下を招くことになり、結果的に親たちの敗北になってゆく。訴訟を起こした親たちだけではなく、後に続く多くの、本当に保育が必要な親たちの敗北になる、それに親たちは気づいているのでしょうか。保育はすでにそこまで追い込まれているのです。
親の利便性で保育が進められれば、良い保育士はどんどん辞めてゆく。そして、すでに現在の保育士養成の仕組みは、現場に出てはいけない学生に資格を与えている。それを考えれば、保育の質を元に戻すのはもう無理なのです。このままこうした施策が進めば、この訴訟を起こした人たちは保育・教育の崩壊という大きな犠牲を払って、やがて気づくのだと思います。
石舞台
新潟市で講演をした同じ週に、長野の飯田市で保育士たちに講演をしました。その帰りに、偶然寄った神社の前の石舞台です。
ディジュリドゥー奏者のノブ君が一緒にいたら絶対奉納演奏していたはず。私も楽器を持っていたら誘われて加わっていたかもしれません。
古(いにしえ)の「気」のたたずまい。きっと遺伝子の中に組込まれている、不思議な動き、調和が、その辺りにありました。
https://www.youtube.com/watch?v=pp611Jj-M7s
After the speech, I came to a shrine in the
mountains. This picture is the stone stage in front of the shrine. The place
was with “Chi” prehistorically defined, I felt. If I was with Knob, the
Didgeridoo (Yidaki) player, I am sure that he dedicated a note or two there.
石舞台というとナルニア国物語を思い出します。人々が忘れている古(いにしえ)の法則が森の中にあって、それは宮崎アニメの中にも度々出て来ますが、まだ私たちの生活の中にひっそりと、歴然と存在している。所沢市の育休退園という問題提起は、他に待機児童がいるからという次元の論争では、遺伝子の中に組込まれている不思議な動きにまで行き着かない。
経済という損得勘定ではなく、この国の将来のあり方を論じるなら、「子どもは親と居たいと思う」という古(いにしえ)の法則へ意識を戻すことでいいのだと思う。そうすれば、子育てに失敗などあり得ないことが理解出来るし、育休退園など何ともいうこともない。ただの日常でしかない。石舞台がそう語っているようでした。
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いま、この問題の争点になっている多くの発言が、学校という存在を絶対条件にして成り立つ議論でしかない。学問という最近のものに支配されている。しかし、その前提は「養成校が明らかに現場に出るべきではない学生に資格を与えている現状」を見れば、すでに崩れている。
所沢市長が元中学校の教諭、というところが興味深い。元教諭だからこそ、石舞台が見えるのかもしれない。子育てが損得勘定や経済論、利権争いに巻き込まれたら、学校が成り立たないことがわかっているのだと思う。

石舞台を見ていると憶い出すのです。怠け者でも、踊り手でも、歌い手でも、そこそこ楽しく生きていける社会がいいのだということを…。
幼児たちは、舞台が無くてもそれを永遠に体現し続けるのです。
森の中で、静かに、人間が楽しみを感じる次元を石舞台は体現している。なぜここにあるのか、真剣に、記憶をたどるべき時が来ているのです。
本来の日本の姿
以前にもブログに書いたのですが、「逝きし世の面影」渡辺京二著、平凡社からの抜粋を再度掲げたいと思います。江戸の末期、明治の初期に来日した欧米人の証言です。欧米人が何に驚いたのか。
「いま、なぜ政府は40万人の乳幼児を政府は母親から離そうとするのか」。
日本人が、「子どもに囲まれ、子どもに育てられ生きてゆく」という自分たちの個性や役割を否定しては、私たちが私たちである意味がなくなる。

街はほぼ完全に子どもたちのもの、日本の子どもは馬や乗り物をよけないのは、大事にされることになれているから、と書き残されています。朝から幼児を抱えた男たちが腰を下ろして並んで、お互いの子どものことを話し合っている。日本人の子どもへの愛はほとんど崇拝の域に達している。
玩具を売っているお店が世界一多い国、そして大人たちも一緒に遊ぶ国。日本の子どもは父親の肩車を降りない。子どもの五人に四人は赤ん坊を背負い、江戸ほど赤ん坊の泣き声がしない街はない。
赤ん坊を泣かせないことで、人間と人間社会が育っていた。赤ん坊が泣いていたら、そこにいる人が「自分の責任だ」と自然に思う。それが、人間が調和し、安心して暮らしていく原点かもしれません。そうすれば、大人でも子どもでも老人でも青年でも、人間が泣いていたら、そこにいる人が「自分の責任だ」と思うようになるのです。
最近は親が、泣いている自分の赤ん坊を見て、勝手に泣いていると思ったり、迷惑だと感じてしまったりする。抱き上げれば泣きやむことを知っているのであれば、泣いているのは自分の責任。よく考えてみれば、「産んだ責任」までたどりつく。その責任を感じたとき、人間は本来、自分の価値に気づくのです。そうやって何万年も生きてきた。親が泣いている自分の子どもに責任を感じなくなった瞬間に、人間社会が長い間保ちつづけていた「絆」が切れてしまうのです。
赤ん坊が泣いていれば、その声を聞いた人の「責任」です。
この国では、親が子どもを叱るところも見ない、多くの欧米人が同様に証言します。
欧米人には、日本人は子どもを必要以上に甘やかしているように見えました。四歳くらいまで子どもは王様女王様。みんなからちやほやされ、やりたい放題。それなのに、子どもたちは五歳にもなれば幼いながらも落ち着き、自然に仕事を覚えたり、年長者や老人を敬ったりするようになる、と言うのです。
街を離れ村へ行くと、日中すべての家の中が見渡せる、と驚いています。障子や襖、雨戸の開け放たれた家々は、中が丸見えです。日本人にとって当たり前の風景に欧米人が驚きます。そしてその不思議さを書き残します。
「時空をわかちあう文化」がそこにある。時空の「空」をわかちあうことは、襖や障子を開けること。「時」をわかちあうことは、子育てをわかちあうことでしょう。
私は保育者に「幼児の集団を使って親心を耕してください。信頼の絆を育ててください。人間社会をいまの状況から救えるとしたら、幼稚園・保育園が親を園児に漬け込むこと、それによって親心を育み、幸せのものさしに気づくことしかありません」と言いつづけてきました。私が幼稚園・保育園を使って日本に取り戻そうとしていたのは、この本に書かれている、この世界、この風景、この文明だった、と感慨深いものがありました。
日本人にとって「夢」は、自分の幸せを願うことではなく、次世代の幸せを願うこと。幼い次世代の中に神を見、仏を見て、時々自分もそうだったことを思い出し、毎日ゲタゲタ笑いながら幸せに暮らしていた。「親心」と重なる文明が、この国の「美しさ」でした。人間は、幼児を眺め、「貧しくても生きられる方法」を思い出すのです。
儒教的な背景から戦いの中で育まれた武士道、禅を基盤に、利休、世阿弥が書き残した日本の宇宙的文化は、確かに一人ひとりの人間のあるべき姿や宇宙との関係、欲を離れた安心の境地について、欧米とは違った道を示してくれています。しかし、欧米人が驚愕した「国としての境地」は、幼児を眺める笑いの中にあった。
私は、日本を見て、その様子を書き残してくれた欧米人に感謝しています。たしかに時空を超え守りあう彼らとの「絆」がそこに存在するのです。

第十章「子どもの楽園」から
『私は日本が子供の天国であることをくりかえさざるを得ない。世界中で日本ほど子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない。ニコニコしているところから判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい(モース1838〜1925)』
『私はこれほど自分の子どもに喜びをおぼえる人々を見たことがない。子どもを抱いたり背負ったり、歩くときは手をとり、子どもの遊技を見つめたりそれに加わったり、たえず新しい玩具をくれてやり、野遊びや祭りに連れて行き、子どもがいないとしんから満足することがない。他人の子どもにもそれなりの愛情と注意を注ぐ。父も母も、自分の子に誇りをもっている…(バード)』
『怒鳴られたり、罰を受けたり、くどくど小言を聞かされたりせずとも、好ましい態度を身につけてゆく』『彼らにそそがれる愛情は、ただただ温かさと平和で彼らを包みこみ、その性格の悪いところを抑え、あらゆる良いところを伸ばすように思われます。日本の子供はけっしておびえから嘘を言ったり、誤ちを隠したりはしません。青天白日のごとく、嬉しいことも悲しいことも隠さず父や母に話し、一緒に喜んだり癒してもらったりするのです』『それでもけっして彼らが甘やかされてだめになることはありません。分別がつくと見なされる歳になると―いずこも六歳から十歳のあいだですが―彼はみずから進んで主君としての位を退き、ただの一日のうちに大人になってしまうのです(フレイザー婦人)』
『十歳から十二歳位の子どもでも、まるで成人した大人のように賢明かつ落着いた態度をとる(ヴェルナー)』
日本について「子どもの楽園」という表現を用いたのはオールコックである。(初代英国公使・幕末日本滞在記著者)
彼は初めて長崎に上陸したとき、「いたるところで半身または全身裸の子供の群れが、つまらぬことでわいわい騒いでいるのにでくわ」してそう感じたのだが、この表現はこののち欧米人訪日者の愛用することとなった。事実日本の市街地は子供であふれかえっていたスエンソン(江戸幕末滞在記著者)によれば日本の子供は「少し大きくなると外へだされ、遊び友達にまじって朝から晩まで通りで転げまわっている」のだった。
ワーグナー著の「日本のユーモア」でも「子供たちの主たる運動場は街上である。・・・子供は交通のことなど少しも構わずに、その遊びに没頭する。彼らは歩行者や、車を引いた人力車夫や、重い荷物を担った運搬夫が、独楽(こま)を踏んだり、羽根突き遊びで羽根の飛ぶのを邪魔したり、凧の糸をみだしたりしないために、少しのまわり路はいとわないことを知っているのである。馬が疾駆して来ても子供たちは、騎馬者や駆者を絶望させうるような落ち着きをもって眺めていて、その遊びに没頭する。」ブスケもこう書いている。「家々の門前では、庶民の子供たちが羽子板で遊んだりまたいろいろな形の凧を揚げており、馬がそれを怖がるので馬の乗り手には大変迷惑である。親たちは子供が自由に飛び回るのにまかせているので、通りは子供でごったがえしている。たえず別当が乳母の足下で子供を両腕で抱き上げ、そっと彼らの戸口の敷居の上におろす」こういう情景は明治二十年代になっても普通であったらしい。彼女が馬車で市中を行くと、先駆けする別当は「道路の中央に安心しきって座っている太った赤ちゃんを抱き上げながらわきえ移したり、耳の遠い老婆を道のかたわらへ丁重に導いたり、じっさい10ヤードごとに人命をひとつずつ救いながらすすむ。」
『ヒロンやフロイスが注目した事実は、オランダ長崎商館の館員たちによっても目に留められずにはおかなかった。ツユンベリは「注目すべきことに、この国ではどこでも子供をむち打つことはほとんどない。子供に対する禁止や不平の言葉は滅多に聞かれないし、家庭でも船でも子供を打つ、叩く、‘殴るといったことはほとんどなかった」と書いている。「船でも」というのは参府旅行中の船旅を言っているのである。またフィツセルも「日本人の性格として、子供の無邪気な行為に対しては寛大すぎるほど寛大で、手で打つことなどとてもできることではないくらいである」と述べている。
このことは彼らのある者の眼には、親としての責任を放棄した放任やあまやかしと映ることがあった。しかし一方、カッテンディーケにはそれがルソー風の自由教育に見えたし、オールコックは「イギリスでは近代教育のために子供から奪われつつあるひとつの美点を、日本の子供たちはもっている」と感じた。「すなわち日本の子供たちは自然の子であり‘かれらの年齢にふさわしい娯楽を十分に楽しみ‘大人ぶることがない」。
オイレンブルク伯は滞日中、池上まで遠乗りに出かけた。池上には有名な本門寺がある。門を開けようとしない僧侶に、つきそいの幕吏が一分銀を渡してやっと見物がかなったが、オイレンブルク一行のあとには何百人という子どもがついて来て、そのうち鐘を鳴らして遊びはじめた。役僧も警吏も、誰もそれをとめないでかえってよろこんでいるらしいのが、彼の印象に残った。
日本人は子どもを打たない。だからオイレンブルクは「子供が転んで痛くした時とか‘私達がばたばたと馬を駆って来た時に怖くて泣くとかいう以外には、子供の泣く声を聞いたことがなかった。
日本の子どもは泣かないというのは、訪日欧米人のいわば定説だった。モースも「赤ん坊が泣き叫ぶのを聞くことはめったになく、私はいままでのところ、母親が赤ん坊に対して癇癪を起しているのを一度も見ていない」と書いている。イザベラ・バードも全く同意見だ。「私は日本の子どもたちがとても好きだ。私はこれまで赤ん坊が泣くのを聞いたことがない。子どもが厄介をかけたり、言うことをきかなかったりするのを見たことがない。英国の母親がおどしたりすかしたりして、子どもをいやいや服従させる技術やおどしかたは知られていないようだ」。
レガメは一八九九(明治三十二)年に再度の訪日を果したが‘神戸のあるフランス人宅に招かれた時のことをこう記している。「デザートのとき‘お嬢さんを寝かせるのにひと騒動。お嬢さんは四人で、当の彼女は一番若く七歳である。『この子を連れて行きなさい』と、日本人の召使に言う。叫ぶ声がする。一瞬後に子供はわめきながら戻ってくる。—–これは夫人の言ったままの言葉だが、日本人は子供を怖がっていて服従させることができない。むしろ彼らは子供を大事にして見捨ててしまう」。つまり日本人メイドは、子どもをいやいや服従させる手練手管を知らなかったのだ。日本の子どもには、親の言いつけをきかずに泣きわめくような習慣はなかった。』
『日本についてすこぶる辛口な本を書いたムンツィンガIも「私は日本人など嫌いなヨーロッパ人を沢山知っている。しかし日本の子供たちに魅了されない西洋人はいない」と言っている。チェンバレンの意見では、「日本人の生活の絵のような美しきを大いに増している」のは「子供たちのかわいらしい行儀作法と、子供たちの元気な遊戯」だった。日本の「赤ん坊は普通とても善良なので、日本を天国にするために、大人を助けているほどである」。モラエスによると、日本の子どもは「世界で一等可愛いい子供」だった。』
『モースが特に嬉しく思ったのは、祭りなどの場で、またそれに限らずいろんな場で大人たちが子どもと一緒になって遊ぶことだった。それに日本の子どもは一人家に置いて行かれることがなかった。「彼らは母親か、より大きな子どもの背中にくくりつけられて、とても愉快に乗り回し、新鮮な空気を吸い、そして行われつつあるすべてを見物する。
ブスケによれば「父とか母が一緒に見世物に行くときは、一人か二人の子どもを背中に背負うか、または人力車の中に入れてつれてゆくのがつねである」。
ネットーの言うところでは「カンガールがその仔をその袋に入れてどこえでもつれて行くように、日本では母親が子どもを、この場合は背中についている袋に入れて一切の家事をしたり、外での娯楽に出かけたりする。
子どもは母親の着物と肌のあいだに栞のようにはさまれ、満足しきってこの被覆の中から覗いている。
その切れ長の目で、この目の小さな主が、身体の熱で温められた隠れ家の中で、どんなに機嫌をよくしているか見て取れることが出来る。」
「ネットーは続ける「日本では、人間のいるところならどこを向いて見ても、その中には必ず、子どもも二、三人はまじっている。母親も、劇場を訪れるときなども、子どもを家に残してゆこうとは思わない。もちろん、彼女はカンガルーの役割を拒否したりしない」
チェンバレンはまた「日本の少女は我々の場合と違って、十七歳から十八歳まで一種のさなぎ状態にいて、それから豪華な衣装をつけてデビューする、というようなことはない。ほんの小さなヨチヨチ歩きの子どもでも、すばらしく華やかな服装をしている。」と言っている。彼は七・五・三の宮参りの衣装にでも目をとめたのであろうか。彼が言いたいのは、日本では女の子は大人の衣装を小さくしたものを着ていると言うことだ。
フレイザーは1890年の雛祭りの日、ある豪族の家に招待されたが、その日のヒロインである五歳の少女は「お人形をご覧になられますでしょうか、別の部屋においでくださる労をおかけしますことをどうかお許し下さい。」と口上を述べ「完璧に落ち着き払って」メアリの手をとっておくの間に導いた。
彼女のその日のいでたちをメアリは次のように描写する。
「彼女は琥珀色の縮緬のを着ていたが、その裾には青に、肩は濃い紫をおび、かわいらしい模様の刺繍が金糸でほどこされ、高貴な緋とと金の帯がしめられていた。頭上につややかに結い上げられた髪は、宝石でちりばめたピンでとめられ、丸いふたつの頬には紅がやや目立って刷かれていた。」
メアリの著書に「私の小さな接待役」とキャプション入りで揚げられている写真を見ると、彼女は裾模様のある振袖の紋服を着、型どおりに右手に扇子を持ち、胸には懐刀を差している。つまりこの五歳の少女は完璧に大人のいでたちだったのである。
しかしそれは服装だけのことではなかった。
イザベラ・バードは明治十一年、日光の入町村で村長の家に滞在中、「公式の子どものパーテイー」がこの家で開かれるのを見た。
主人役の十二歳の少女は化粧して振袖を着、石段のところで「優雅なお辞儀をしながら」やはり同じ振袖姿の客たちを迎えた。
彼女らは「暗くなるまで、非常に静かで礼儀正しい遊戯をして遊んだ」が、
それは葬式、結婚式、宴会といった大人の礼儀のまねごとで、バードは「子どもたちの威厳と落ち着き」にすっかり驚かされてしまった。』
『日本人が子どもを叱ったり罰したりしないというのは実は、少なくとも十六世紀以来のことであったらしい。十六世紀末から十七世紀初頭にかけて、主として長崎に住んでいたイスパニア商人アビラ・ヒロンはこう述べている。「子供は非常に美しくて可愛く、六、七歳で道理をわきまえるほどすぐれた理解をもっている。しかしその良い子供でも、それを父や母に感謝する必要はない。なぜなら父母は子供を罰したり、教育したりしないからである。」。日本人は刀で人の首をはねるのは何とも思わないのに、「子供たちを罰することは残酷だという」。かのフロイスも言う。「われわれの間では普通鞭で打って息子を懲罰する。日本ではそういうことは滅多におこなわれない。ただ言葉によって譴責するだけである」。
看護師6人一斉辞職 鳥取の養護学校、生徒10人通学できず
http://www.sankei.com/west/news/150608/wst1506080071-n1.html
鳥取県立鳥取養護学校(鳥取市)の看護師6人全員が、校内で行う医学的ケアに対し保護者から批判を受けたことを理由に5月末に一斉辞職し、一部児童・生徒が通学できなくなっていることが8日、県への取材で分かった。
県によると、6人はいずれも非常勤。10人程度の子供が通学できておらず、県は近隣の病院に看護師派遣を依頼し、今週中にケアを再開する予定だ。8人程度が必要だとして確保を進める。同校では、全児童・生徒約70人のうち約30人に、たんの吸引や経管栄養法などのケアが必要。保護者からは、吸引時間の遅れや点滴の位置などに関し批判の声が寄せられていたという。
通学できない子供には在宅学習や、福祉施設に預かってもらい対応。求めがあれば、教員を自宅に派遣している。
ーーーーーーーーーーーー(ここから私見です)ーーーーーーーーーーーー
子育てや介護が単純に労働や仕事の領域になってしまったら、必ずこういう状況が起ってくるのです。そこで、人間たちは、子育てや介護が、本来、人間の心をひとつにすることが第一の目標だったことを思い出すのだと思います。
私は、この国が、欧米のように、それを思い出した時に手遅れになっていないことを願うのです。仕組みが人間性で賄われていた領域に入り込み、それが一度崩れ始めると修復のしようがない。ギリシャの財政問題も典型ですが、そんな状況が様々な次元で世界中で起っている。
未婚の母から生まれる確率が三割を越え、子育ての社会化が権利のように定着すると、もう戻れない。利権を手放したくない、という思いが、政治家の「落選したくない」という思いと重なる。そうして、福祉における人材と財源はアッという間に枯渇する。
人間の作った仕組みには、遺伝子の仕組み(人間性)の代わりはできない。
欧米のようにならないためには、「家族」という損得とは離れた「情」の関係が必要になってくる。「家族」は人間性のビオトープだった。日本にはまだその土壌があるのです。再生出来るチャンスがあるのです。
人間の遺伝子に組込まれている「仕組み」が人間社会の原点に存在していなければ、経済という闘いの場で勝ったとしても、それで幸せになることさえおぼつかなくなる。
「家族」「家庭」は人間の幼児期という、絶対的弱者の立場を誰もが体験し、いずれ再び老いてその立場に還ってゆくことを日常生活の中で確認する場でなければ意味がない。だから人間の幼児期だけでも、なるべく一家で見守り、自分の良い人間性を体験して欲しい。
この国を、後戻り出来ない状況に、福祉政策が追い込んでいる。雇用労働施策が人間性を忘れた自転車操業になってきている。それが、看護士が一斉に辞めてゆくような、子どもにとって理不尽な状況を生む。
子育てや介護の仕組みは既に多くの人に必要で、弱者のために、人間性の肩代わりをしている。だからこそ、その限界を早く理解し、なるべくみんなでもう一度幼児を眺め、幼児との関わりを増やし、人間性や、弱者の役割りを「嬉しく」憶い出す作業を積み重ねてゆくしか無いのだと思う。多くの人々が、自分の人間性を嬉しく体験する機会を意識的に作る。人間性を取り戻す作業を「幼児という、一番幸せそうな人たちを眺めることによって」地道に進めることでしか、こういう問題は解決しない。
どういう理由で看護士六人が一斉に辞めたのか、よほど耐えられない状況があって、それを周りが支えきれなかったのであれば、問題は深刻です。もっと気軽に、こういう仕事を放棄したのであれば問題はさらに根が深く、深刻です。
いずれにしても、話合いで解決することではすでにない。仕組み全体に矛盾や葛藤が溜まり過ぎている。
最近、誘いあって辞めてゆく保育者が増えているのです。
保育士さんに講演をしたあと感想文にこんな文章がありました。
「11時間保育についても再度考えていく必要があるのではないかと思っています。本来の子育て支援とはかけ離れている気がしてなりません。長時間保育も昨年度より、1.6倍も増えています。土曜日・休日保育も増えるばかりです。寂しい思いをしている子ども達が増えています。とても不安です」
現場のこういう思いを、政府や行政が蔑ろにしているから、いい保育士さんが辞めてゆく。11時間保育を「標準」と名付けた新制度は「児童は、できる限りその父母を知りかつその父母によって養育される権利を有する。」という「子どもの権利条約」にさえ違反している。保育士会は、国連に提訴したほうがいい。国際条約は国内法に優先して遵守されるべきルールですから。
保育風景から、1対6には無理があります
信頼できる、とてもいい保育園での風景です。保育士一人で6人の幼児。その中に、活発で手のかかる可愛い子が1人いました。そして、大人しくて手のかからない子も1人。
保育士にとって手のかからない「いい子」が、ずっと一緒にいてもらいたい人を一日中探していました。眠たい時に一緒に眠ってくれる人を探していました。その子に集中し、心を合わせて見ていれば、それはすぐにわかります。でも、地球上で、誰もそれを知らないで、時間が過ぎていくのです。その子は、6人を見ている保育士には、つい見過ごしてしまう「いい子」なのです。「いい子」の願いをかなえてあげる積み重ねが、将来どれほどこの国に貢献するのか、そんなことを想像しました。
「いい子」の静かな願いがかなわない毎日が、いい保育園の一室で一年間続く、と思うと、保育という仕組みの限界をひしひしと感じました。
園長先生からのメール
梅雨の晴れ間の日差しがまばゆく、今日は子ども達が久しぶりのプール遊びに歓声を上げて楽しんでいます。松居先生、お変わりございませんか?
うれしいニュースが2つあります。
まず一つ 先日、保護者の一日保育者体験のマニュアルを検索した後、高知県の教育委員会に連絡をさせてもらい、いろいろお伺いできました。もしかしたら見学をさせて頂く事になるかもしれません。
もう一つはS保育園でも一日保育者体験を実施しようと考えているのですが、いきなりは難しいので、まず参観日をクラス単位で行い、朝、9時半から保育に参加してもらい、給食を一緒に食べ、お昼寝をさせてもらってから、別のお部屋で子ども達が寝ている間にクラス懇談会後、フリートークで保護者同士で話してもらい3時におやつを食べて降園。という日程で参観日を行いました。スタートは1歳児クラスからでしたが、参加率は100%で感想の中に「長い時間なのでどうかなと思っていましたが、あっという間に時間がたちました。」「楽しかったです。」「日頃の保育園での様子が見えてよかった。」「午後の時間に保護者の方と仲良くなれました。」とありました。来年度の一日保育者体験に一歩近づけたようで嬉しくなりメールしました。
梅雨明けにはもうしばらくかかりそうですが、夏風邪等お召しになりませんようご自愛ください。
S保育園、H・T
嬉しいニュースをありがとうございます。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
私も、講演をしながら、考えています。
また、お会い出来る日を楽しみにしています。
仮面、マスクの展覧会を見に行きました。(東京都庭園美術館:六月三十日まで、です。)
(国、制度、経済、福祉、教育…。人間社会の仕組みが、人間性を逸脱しはじめている。)
NHKクローズアップ現代/“ http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3644_all.html
“行方不明児20万人“の衝撃 「中国 多発する誘拐」
中国の街角で写真を掲げる人たち。子どもを誘拐された親たちが救出を訴えています。
「もう一度子どもに会って抱き締めたい。」
今、中国では子どもの誘拐が大きな社会問題になっています。年間20万人の子どもが行方不明になっているといわれる中国。都市部の小学校。下校時間になると、誘拐を恐れる出迎えの親たちであふれ返ります。「心配で幼い子どもを一人で帰宅させられません。」
取材を進めると、誘拐された子どもは農村部に売られていることが分かってきました。貧しい農村では老後を支えてくれる子どもがいないと生活できないといいます。
誘拐された子どもを買った女性:「息子を買ってこなければ、養ってくれる人はいませんでした。」
急速な経済発展の陰で多発する、子どもの誘拐。
中国社会のひずみが生み出す犯罪の実態に迫ります。
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(報道は続きます。ここからは私見です。)
二十五年前に著書「家庭崩壊・学級崩壊・学校崩壊」(エイデル研究所)に書いたのですが、当時アメリカで誘拐される子どもが毎年十万人。ほとんどが解決しない、という現実がありました。私が本を書いたり、講演したりするきっかけとなった凄まじいばかりの家庭崩壊の状況が、当時「国家の存続に関わる」と定義されて報道されていました。そんな中、我が子を探す親たちが、不特定多数の誘拐犯に語りかけるコマーシャルを作り、時間枠を買ってテレビに流していたのを思い出します。
「この電話番号に電話して下さい。警察には届けません、相談に乗ります」というメッセージを見た時に、一体この国では何が起こっているのだろう、と愕然としたのです。そして、状況を知れば知るほど、そのコマーシャルの向こうに、家族を求めての誘拐ゆえに解決しにくい現実と、悲しみに苦しむ親たちの必死さと絶望感を感じました。
離婚後親権を失った親たちが我が子を誘拐する。州を越えるとFBI(連邦警察)の管轄になり、よほど運がよくないと誘拐された方の親は一生子どもと再会することはない。
ほとんどの幼稚園、保育園で、将来子どもが誘拐され人相が変わってしまうほど成長してしまった時のために、指紋を登録しておきましょう、と薦めるチラシを親たちに配られていました。近所のスーパーマーケットで買い物をすると、牛乳パックに誘拐された子どもの写真と特徴が印刷されていて、よく読むと、つい数ヶ月前、すぐ近所で、というのもありました。
理由は違っても、家族を求めての誘拐であることが今回の中国に関する報道と共通しているのです。
背後にあるのは、人間が作った仕組みの中で「伝統的な家庭観」が失われてゆく異常な状況です。アメリカと中国、世界のパワーを二分する二つの大国で、家庭崩壊が根底にある孤立感が人々の不安を煽り、誘拐という形で子どもたちを巻き込んでゆく。競争社会で子育てをないがしろにしておきながら、いざ孤立すると、駆け引きや裏表のない子どもたちの純粋さに救いを求めようとする。「家族」を求めようとする。グローバル経済の行く末を暗示する、象徴的な流れだと思います。
子どもを将来の労働力としてしか見ずに、とにかく生めば社会(仕組み)で育ててあげると政府が言い、「みんなが子育てしやすい国」と厚労省がパンフレットで宣伝し、実はプラス40万人の乳児を預かろうとしている日本。この不自然な流れを、子育ては育てる側の喜びがあって存在する、という方向に戻していかないと、日本でも形こそ違え家庭崩壊が始まり、子どもたちがそれに巻き込まれ、数十年先に、中国や米国と同様のことが起き始めるのです。
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三歳までに愛着関係が希薄だった子どもたち、数人の善意に囲まれなかった子どもたちの寂しさや悪意に対する反応はすばやい。肌が繊細に、敏感になっているから、なおいっそう愛情を養分にしようとしてもがく。だから学校に入って、教師たちの視線の温度差がより決定的になってしまう。そして、その要望と視線に、教師たちの決意が追いつかない。
体験から生まれた大切なものが欠けているから、経済という脅しにひっかかるのだと思う。大切なものがないから、情報を信じ、それこそが大切だと言い始める。
一日保育士体験。人が人に戻る瞬間を一番簡単に目撃できる方法だと思う。予算もほとんど要らない。この状況下でソフトランディングするなら、この方法しか無いと思う。
子どもの体や心より大事にされる経済。それに一体何の意味があるのだろう、と首相に聞きたい。国とは一体何なんだろう、と聞きたい。
泣き声に反応し、メロディや童謡、クラシック音楽、胎内音が流れる「泣き声センサー」を保育に取り入れたいという園からの要望に、行政の人から「保育崩壊、いえ保育壊滅です」と嘆きのメールをもらった。
「保育資格者がこんなことを言い始め、幼児の心はいつ育つのでしょう」。「保護者は気付いてほしい。大切な我が子がどんな保育をされてるのか」と結ばれていました。行政にも繊細で、出来事の本質を理解する敏感な人が居て、保育という仕組みの中で人間の心が反応するのを求めて泣いている幼児たちの無言の主張をメールで知らせてくるのです。幼児たちの泣き声は、センサーをオンにするための声ではない。人類の人間性をオンにするための音。
以前このブログに、抱っこしなくて授乳できる哺乳瓶ホルダーの売り込みが保育園に来て、驚いていた園長先生の話を書きましたhttp://kazu-matsui.jp/diary/2015/01/post-262.html。法律でもある「保育所保育指針」の主旨を読めば、哺乳瓶ホルダーも泣き声センサーも法律違反だということがわかるはずです。乳幼児の存在理由が利便性や市場原理の間でますますわからなくなってきている。麻痺している。育てる側に「可愛がる心」を育て、遺伝子に組込まれた人間の「優しさ」をひき出すという乳幼児の命の意味が見えなくなってきている。
「保育園にお願いする」が、「保育園でもいいんだ」、「誰でもいいんだ」、そして「機械でもいいんだ」と、どんどん進んできているような気がして怖い。それを保育士が言い始めることの危険性をこの市の保育行政の一人は知っている。政府の幼児の気持ちを無視するような心ない施策に必死に毎日抵抗し、現場を見張ってきたからこそ、仕組みから心が消えてゆくことに虚しさを感じるのです。怒りさえ覚える。
こんな、幼児の気持ち優先に考える役場の人が最近その人の身の回りにも少なくなってきた。だからこそ、「保育壊滅」という言葉が出たのでしょう。
保育士が資格を取る時に、子育ての本質を学んでいないのか、保育指針を読んでいないのか、と首を傾げたくなります。そして、「資格」という言葉に安心を求めようとしている現代社会の危うさをひしひしと感じます。
弱者に関わることで生まれる人間社会の本質的な連帯が短時間に加速度的に希薄になり、結果、弱者の孤立化に拍車がかかっている。この孤独感は、すでに福祉とか教育で補える限界を超えている。子育ての意味が、福祉と教育(仕組み)で見失われてゆく。
和先生、こんばんは。
あまりに哀しい出来事があったので、聞いてください。
監視カメラの次は、泣き声センサーを取り入れたいと言ってきた保育園が現れました。
「保育崩壊」、いえ「保育壊滅」です。
自宅向けの商品が人気だとは聞いていましたが、まさか保育資格者が使う時代が来るとは。泣き声に反応して、洗練された遊具からメロディが流れる。クラシックから胎内音に似た音楽まで。機械化した人間から、機械的に育てられたこどもたち。心はいつ育つのでしょう。
そんな保育を見たら、1保育士は気付いてほしい。自分たちの仕事はなんなのか。2保護者は気付いてほしい。大切な我が子がどんな保育をされてるのか。
一部の保育園かもしれませんが、氷山の一角なんだと思います。こんな時、監視カメラがあったら、保護者は目新しいと喜んでしまうかと思うと恐ろしくなります。
以下、メーカーの宣伝を送ります。
ベビー用品を販売するコンビは、泣き声に反応して動きだす機能付きの「メロディいっぱい!みまもりセンサーメリー」を、全国のベビー用品専門店、玩具専門店、百貨店などで2015年3月下旬に発売する。赤ちゃんの泣き声に反応し自動で動きだす「みまもりセンサー機能」付きで、感度調整も出来る。メロディは豊富な12種類、童謡からクラシックまで赤ちゃんの気分に合わせて選べる。胎内の音を再現したという「あんしん音」も。肌に優しいふわふわとした下飾りのおもちゃは取り外し可能で洗濯できて、ラトルとしても遊べる。育児や家事に忙しいママをマルチにサポートする。
価格は8500円(税抜)、対象月齢は0か月から。単3形アルカリ乾電池4本使用(別売)。
——————–(返信)—————————-
びっくりですね。
保育所からの要望ですか?
韓国で監視カメラの保育所における設置が国会で法案として義務付けられた、という記事の紹介を先日ブログでしましたが、それは保育士による虐待を防ごうというのが主旨でしたが、これは保育者が機械で保育をしようということですよね。
抱っこしなくて授乳できる哺乳瓶ホルダーの売り込みが保育園に来て、驚いていた園長先生がいましたが、乳幼児の存在理由が本能的にわからなくなってきていますね。
可愛がる、という心を人間の中に育て、遺伝子に組込まれた「優しさ」とつながる本能をひき出すという乳幼児の命の意味が見えなくなってきている。
「保育園にお願いする」が、「保育園でもいいんだ」、「誰でもいいんだ」、そして「機械でもいいんだ」と、どんどん進んできているような気がして怖いです。人間社会の本質的な連帯が短時間に加速度的に希薄になって、弱者の孤立化に拍車がかかっているいま、政府は「社会で子育て」と言いますが、福祉とか教育で補える限界をすでに超えているんだと思います。子育ての存在意義が、福祉と教育で見失われてゆく感じですね。
昨日は、群馬の保育協議会で話してきました。同じ時間帯に、長田先生は函館の保育士の集まりで講演していたそうです。反応はとても良かったです。
保育士たちと保護者に、繰り返し幼児からのメッセージを伝えていくしかないです。
頑張りましょう。
松居
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この話を聴いた別の園長が言いました。
「作った人は、いいと思って作ったんでしょうね。保育はサービスという厚労省もそうですが、幼児の発達の意味がわかっていない」
厚労省が出した保育所保育指針解説書というのがあります。その一番最後にこう書いてあります。
「保育所は人が『育ち』『育てる』という人類普遍の価値を共有し、継承し、
広げることを通じて社会に貢献していく重要な場なのです。」
そうであってほしいと思いますし、そうでなければ人類が危ない、と思います。人類普遍の価値を人間に教えてくれるのが幼児たちだということに、再び、気づかなければいけません。
2015年3月15日
一冊の本を園長先生から薦められました。目次だけでいい、しっかりと読んで噛み締めてもらいたい。それだけで日本の子育て施策の現状がハッキリと見えてくる。著者からのメッセージと共に紹介します。これでも、子ども・子育て支援新制度、政府は進めるのでしょうか。
ルポ 保育崩壊/小林美希著(岩波新書/新赤版1542)
https://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn1504/sin_k825.html
著者からのメッセージ
「ここに子どもを預けていて、大丈夫なのだろうか」
待機児童が多い中で狭き門をくぐりぬけて保育所が決まっても、自分の子どもが通う保育所に不安を覚え、一安心とはいかない現実がある。
それもそのはずだ。ふと保育の現場に目を向ければ、親と別れて泣いている子どもが放置され、あやしてももらえないでいる。食事の時にはただの作業のように「はい、はい」と、口いっぱいにご飯を詰め込まれ、時間内に食べ終わるのが至上主義のように「早く食べて」と睨まれる。楽しいはずの公園に出かける時は「早く、早く」と急かされる。室内で遊んでいても、「そっちに行かないで」と柵の中で囲われ、狭いところでしか遊ばせてもらえない。「背中ぺったん」「壁にぺったん」と、聞こえは可愛いが、まるで軍隊のように規律に従わされる子どもたち。
いつしか、表情は乏しくなり、大人から注意を受けたと思うと、機械的に「ごめんなさい」と口にするようになっていく――。ここに子どもの人権は存在するのか。
当然、子どもの表情は乏しくなっていく。その異変に気付いた親は、眉根を寄せて考えるしかない。特に母親ほど「この子のために、仕事を辞めた方がいいのではないか」と切迫した気持ちになる。
保育所に子どもを預けるだけでなく、女性の場合は特に妊娠中からさまざまなハードルを乗り越えての就業継続となる。妊娠の報告をする際に、まず「すみません」と謝る職場環境のなか、4人に1人は「マタニティ・ハラスメント(マタハラ)」に逢っている。やっとの思いで保育所が決まって復帰しても、安心できない。これでは、まるで「子どもが心配なら家で(母親が)みろ」と言わんばかりの環境ではないか。筆者の問題の出発点はそこにある。保育が貧困なことで、女性の就労が断たれる現実がある。
保育所の見方は立場によって変わる。働く側から見た保育所という職場はどうか。
筆者は機会あるごとに保育士の労働問題に触れてきたが、このように保育の質が低下しているのは、待機児童の解消ばかりに目が向き、両輪であるはずの保育の質、その根幹となる保育士の労働条件が二の次、三の次となっているからだ。
保育所で働いている保育士は、約40万人いる一方で、保育士の免許を持ちながら実際には保育士として働いていない「潜在保育士」は、約60万人にも上る。その多くは、仕事に対する賃金が見合わない、業務が多すぎることを理由に辞めている。
特に、株式会社の参入は保育の質の低下を著しくしたのではないか。これまで保育の公共性の高さから社会福祉法人が民間保育を担ってきたが、2000年に株式会社の参入が解禁され、その影響は大きい。その直後に発足した小泉純一郎政権は、雇用だけでなく保育の規制緩和も次々と推し進めていたのだ。そのことで、現在の親世代の雇用は崩壊し、生まれた子どもたちの保育は崩壊しつつあるという、親子で危機的な状況にさらされている現状がある。国の未来を左右する子どもの保育の予算は、国家予算のなかで国と地方を合わせてもたった0.5%ほどしかない。
2015年度から、「子ども・子育て支援新制度」が始まり、保育所の仕組みががらりと変わった。政府は特に「認定こども園」を推進するが、本当に利用者や働く側に立った制度なのか。
どの保育所であっても、教育を受けて現場でも経験を積み、プロとしての保育を実践できなければ、運・不運で親子の一生が左右されかねない。その状況を変えるためにも、今、保育所で起こっている問題を直視し、周囲の大人に何ができるかを考えたい。
保育士も親子も笑顔で過ごすことができるように。
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第1章 |
保育の現場は、今 |
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地獄絵図のような光景/エプロン・テーブルクロス/「ほいくえん、いや。せんせい、こわい」/失われる生活の質/3週間、お散歩ゼロ/転園して赤ちゃん返り/オムツかぶれ/保護者の立場の弱さ/密閉状態の中で/定員オーバーの公立保育所/この保育所に預けて良いものか/怖くて入れられない/子どもの代弁者になれるのは誰か |
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第2章 |
保育士が足りない!? |
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いきなり1歳児の担任に/ひたすら慌ただしい毎日/安全を保つのがやっと/「もう、これは保育ではない」/”ブラック保育園”/そして、「潜在保育士」に/子どもを産めない/保育士に多い”職場流産”/恐ろしくて働けない/看護師からみた保育所/公立の保育士まで非正規化/非常勤は保護者と話すな/複雑化するシフト/園長にとっても”悲惨な職場”/元園長でも時給850円 |
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第3章 |
経営は成り立つのか |
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徹底したコスト削減/狙われる人件費/いかに儲けるか/管理、管理、管理/空前の保育士不足/人材集めの実際/人手不足が何をもたらすか/正社員ゼロの保育所/17人中採用は8人/認可外保育所の経営実態は/役所に踊らされる |
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第4章 |
共働き時代の保育 |
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共働き世帯が増加するなかで/「働かなければ育てられない」のループ/病児、障がい児保育の少なさ/保育は親へのサービスか/認定こども園の実際/大きすぎる文化の違い/秋に出産して悩む母たち/園児に母乳は贅沢なのか/母乳の知識 |
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第5章 |
改めて保育の意味を考える |
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人気取りの待機児童解消/消費税バーターというやり方/新制度は始まったが/補助金の構造問題/OECDは、規制を強化すべき/声をあげる現場/基盤は保育士のワーク・ライフ・バランス/改めて保育の意味を考える/子どもといることの楽しさ |
(ここから私見です。)
私も、こういう状況を長い間見たり聴いたりしてきました。子育ての現場だからこそ、社会全体の心のひずみ、制度のゆがみが鮮明に顕われてくる。
以前から続くこういう状況を厚労省は把握している。次官の村木厚子さんも、元雇用均等・児童家庭局長、現在の政策統括官石井淳子さんも知っている。私は直接説明した。それでも、この人たちは政治家や経済界と一緒になって新制度を進めた。そこがどうしてもわからないのです。政治家は、現場を知らない人が多いのですが、役人のトップは知っている。知っていた。
訓練する人は無資格でいいという規制緩和で始まり、利潤を目的に増え続ける障害児デイや学童の一部で、虐待まがいの状況が増え、特に酷いことになっている。(親身な、いい保育をしている人たちも居ます。ごめんなさい。)辞めた人たちの証言を最近繰り返し聴くのです。
幼児や障害児に対して「訓練」という言葉は本当に恐ろしい。それが他人の子どもに対する「仕事・職業」になってしまうと、訓練する側の人間的成長が断ち切られ、親や、他の保育施設との連携が消えてゆく。http://kazu-matsui.jp/diary/2015/02/post-268.htmlに、詳しく書きました。
一見普通に保育が出来ている保育園や幼稚園でも、実は様々な問題を抱えています。以前、このブログに「待つ園長と待たない園長の話」http://kazu-matsui.jp/diary/2013/11/post-219.htmlを書きました。
保育園でしつけをしてくれという親たちの役場に対する要望に、それでは本当の保育は出来ないと感じ「待つ園長」。一方で、行事はいやだという親の主張に耳を貸さず、子ども優先で「親参加の」保育を進める「待たない園長」の話です。どちらも子どもの成長を優先に考える園長先生です。ここ数年、こういう種類の園長先生たちが、政府の言う「保育はサービス」という言葉に負け、生きる意欲を失ない、去ってゆく。
幼児をはさんで、育てる側の心が様々にすれ違います。他人の子どもを集団で育てる(管理する)仕組みの宿命とはいえ、「育てる側の心が一つになる」という子育ての本来の目的が、いつの間にか忘れられ親や企業向けのサービスになっていく。
それが、親子にとって、学校教育にとって、この国にとってどれほどの損失か、多くのひとが理解しないと、この国も欧米のように家庭から崩れてゆく。

こんな記事がありました。
「女性が輝く社会」に専業主婦は不要か
(プレジデント http://president.jp/articles/-/15180?utm_source=0429)
「戦後の日本において、家事や育児、介護の多くを期待されてきたのは専業主婦だ。1978年の『厚生白書』で「同居は福祉における含み資産」とされたことからもわかるように、社会制度もそれを前提として設計されてきた。専業主婦が担ってきた日常生活、いわゆるプライベートは、市場経済のようなパブリックには直接登場しない領域である。いってみれば、現代社会は専業主婦の「見えない貢献」を前提に成り立ってきた。この事実を踏まえると、安倍晋三首相が推進している「すべての女性が輝く社会」は、専業主婦の貢献を「見えない」状態にしたまま議論が進んでいるように見える。」(後略)
(ここから私見です)
子育てに関して、イデオロギーの対立や経済といった一面的なものさしではない、バランスの取れた記事・報道が出てきました。もっと増えてほしいと思います。安倍首相が言った「すべての女性が輝く社会」という曖昧な目標と施政方針演説の賜物かもしれません。えっ、という反応とともに、人々が「騙されているのではないか」と考え始めている。幸福論から、幼児(弱者)の役割まで思考がたどり着けば、まだ、間に合うのかも知れない。この国にはチャンスがある。
ここにある、「同居は福祉における含み資産」。こういう真っ当なことが1978年の「厚生白書」に書かれていた。その辺りがこの国の賢さだったと思うのです。経済を金の動きという一面だけで見ない、もっと人間の心理、幸福論まで含む経済論が確かに存在していた。その知恵や常識が、子育てを雇用労働施策に取り込んだあたりから崩れはじめ、いつの間にか次元がとても平板に、白か黒かみたいなことになってしまっている。
以前、経済財政諮問会議の座長が「幼児は寝たきりなんだから」と私に言いました。雇用均等・児童家庭局長に「子育てを女性に押し付けるんですか?」とも言われました。雇用均等と児童家庭が同じ局で語られることが不自然で、無理があるのですが、日本国民である幼児たちの気持ちを施策の上で感じようとする人がいない。
認可外保育施設の現況
雇用均等・児童家庭局 保育課による報道機関に対するプレスリリース、「平成25年度 認可外保育施設の現況取りまとめ」〜施設、入所児童数ともに増加、ベビーホテルは減少〜 http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000080127.html、を読みました。
平成25年度、ベビーホテルの新設・新設把握158カ所、廃止・休止158カ所。その他の認可外保育施設は新設・新設把握474カ所、廃止・休止331カ所とあります。これを、「ルポ 保育崩壊」(岩波新書)で語られる保育の質の低下の実態と照らし合わせてほしいのです。以前、著作に書いたことがあるのですが、なぜこれほど新設と廃止が多いのか。この仕事は、単なる思い込みや儲け主義では成り立たない、幼児の成長や家族の人生に関わる仕事です。だからこそ計画通りにはいかないし、人材が集められなければやってはいけない。コンサルタント会社が儲け話として煽るような種類のビジネスではないのです。(http://kazu-matsui.jp/diary/2014/11/post-193.html/http://kazu-matsui.jp/diary/2015/01/post-261.html)
「把握」ということばが使われているのは「把握」していない状況がかなりあるということ。コンビニならまだしも、保育施設がこれほど不安定な状況でいいはずがない。そこに明らかな無理と不自然さが読み取れるのです。保育所はどんな形であれ、日々の乳幼児の成長、日本の未来に関わる施設なのです。
もっと驚くのは「立入調査の実施状況」です。
ベビーホテルの未実施数が26%、その他の認可外も26%。繰り返し全国紙で事故や事件が報道されているのに、未だに「未実施」がこれだけあるなどあり得ない話です。不手際というより、怠慢。幼児に対する人権侵害、あまりにも雑な保育行政です。国の安全保障については毎日報道されるのに、乳児の安全保障に関しては以前からずっとこんな状況です。
保護者たちに知ってほしいのは、この報告書に、立入調査を行った施設に関して、指導監督基準に適合していないもの、ベビーホテルが50%、それ以外の認可外保育施設が37%と書いてあること。それに対する指導状況は口頭指導文書指導がほとんどで、公表:0か所、業務停止命令:0か所、施設閉鎖命令:0か所です。こんな状況だから、ルポ 保育崩壊で報告されているようなことが起っているのです。
保育園に対する行政の立入り調査は抜き打ちではありません。前もって準備や手立て、隠蔽が可能な立入り調査です。調査官の目の前で子どもを叩いたり怒鳴ったり、口に給食を押し込んだりする保育士はいない。つまり保育の実態は、事実上ほとんど把握できていないのです。それでも確信犯的に乳幼児の日々の安全、安心を脅かす違反がこれだけあって、公表も業務停止命令も施設閉鎖命令も行われない。こんな仕組みだから宇都宮のような事件が起り、それが賠償訴訟になる。http://kazu-matsui.jp/diary/2015/03/post-273.html
(保育それ自体の質を行政が現場で確認できないなら、保育施設における正規、非正規、派遣の割合い、どのくらいの頻度で保育士が辞めてゆくか、その理由くらいは調査し、保護者に発表すべきです。)
こんな現状でさらに保育のサービス産業化、一層の規制緩和を進め、総理大臣が、あと40万人保育施設で乳幼児を預かります、女性が輝く社会を実現します、と国会で宣言すること自体がおかしい。
子ども・子育て支援新制度を進める内閣府のパンフレット、その「すくすくジャパン」というタイトル、そして「みんなが、子育てしやすい国へ」というキャッチフレーズが馬鹿馬鹿しく、虚しい。保育の質を整えず、ただ子どもを親から離し保育施設で預かる数を増やせば、それが「子育てしやすい国」なのだと政府が言う。この国は、そんな国であってはいけない。愛国心などと軽々しく言わないでほしい。愛国心とは、すべての子どもたちに責任があると人々が感じる心。政府の子育て施策に愛国心が欠落している。
(韓国で)保育園の監視カメラ義務化法、国会本会議を通過
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150430-00000081-wow-kr
日本もしっかりやれば良いと思います。しかし、監視カメラで作る信頼関係など、実は、信頼関係ではない。本来なら一日保育者体験(親が年に一日8時間、一人ずつ順番に保育を体験をすること)を義務化するような方法で信頼関係を築ければもっといいのです。しかし、そいういう方向で国政が動こうとしないなら、乳幼児の安全を守り、子どもの最善の利益を優先するという保育指針を遵守し、すぐにでも全ての保育施設に監視カメラ設置する法案を国会で議決すべきです。
保育という仕組みは、それが存在する全ての国で、問題の大小こそあれ、いずれこういう状況を生み出すのです。子どもを優先して考えれば、仕組みで子育ては出来ない。集団保育で子育ては出来ない、ということ。喜びと、祝う気持ちに囲まれて、子どもは輝く。それを見て大人たちが輝く。それをまず家族という単位でしていないと、「仕組みで子育て」には不信感という霞が、必ずかかってくる。
日本は別の方法を探ってほしいと思います。しかし、新制度で、もう40万人保育施設で預かると公約し、保育士不足が蔓延し、国がすべての園に立入り調査をする姿勢がないのなら、保育士がのびのび保育できない、などと理想論を言ってはいられません。監視カメラで守るしかない。誰にでも見せられる保育の確保、そこから再出発しないと大人たちの疑心暗鬼で回り始める保育崩壊は止められないのでしょう。
保育や学校、福祉や民主主義という新しい仕組みは、親が親らしいという前提の元に作られています。その前提が「子育ての社会化」によって崩さされつつある現在、監視カメラででもいい。とにかく、まずは幼児を守らなければいけない。そうしないと、いつか必要になってくる出発点が失われる。
(四年前のブログです。この頃に一日保育者体験が法制化されていたら、いまこの国はどうなっていただろう、と時々思います。http://kazu-matsui.jp/diary/2011/07/post-116.html)
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韓国の国会が30日に本会議を開き、保育園の監視カメラ設置を義務化する内容の「乳幼児保育法」改正案を議決した。(提供:news1)
韓国の国会が30日に本会議を開き、保育園の監視カメラ設置を義務化する内容の「乳幼児保育法」改正案を議決した。
国会は、ことし2月に臨時会で乳幼児保育法改正案を審議し、本会議で予想外の反対・棄権票が続出して法案処理に失敗した。
これに対して世論の批判が高まると、与野党指導部は一斉に責任を痛感し、4月の臨時会で乳幼児保育法を最優先事項に再合意し、29日に改正案が法制司法委員会全体会議を通過した。
30日に乳幼児保育法は本会議で在籍190席中、賛成184・棄権6で可決した。
改正案は全ての保育園に監視カメラの設置を義務化し、録画した映像を60日以上保管するようにする内容が含まれている。
騒動となったネットワークカメラ設置の場合、保育園の園長と保育士、保護者の同意の下で選択的に設置することができるようにした。
「ネットワークカメラを設置すると、監視カメラを設置したものとみなす」という趣旨の内容も改正案には含まれている。
ただ、監視カメラ設置は義務化されたため、政府が設置費用を支援するが、ネットワークカメラは選択事項であるため、国家の支援対象から除外される。
政府や行政が知らない次元で保育は成り立つ
ある園長から聴いた、その園での話です。
定員90名の保育園で、土曜日保育に25名来るのです。潜在的な保育士不足に加え、ベテランを確保しようとすれば財源不足になります。異年齢の保育士をバランスよく確保しようとすれば、支出の8割を人件費に廻さないとできません。しかも、11時間以上開所しろとなるともはやシフトが組めない。職員の週休二日制が崩れるのです。
園長は、幼児の日常に責任があります。それぞれの子どもの充実感や楽しさにも責任があるのです。政府は簡単に仕組みを押し付けてきますが、単に土曜日だけ別の保育士たちにする、というわけにはいかない。
親たちに、「このままでは職員の健康が保てません。保育は職員の健康に掛かっているんです」と少しきつめに言うと、土曜日保育25名がすぐに8名になったそうです。
保育や子育ての問題の7割は、仕組みと権利意識が広まり、お互いに親身な会話が出来なくなっていることにある。子ども優先に気持ちを込めて話し合えば、いま保育界を窮地に追い込んでいる数々の問題が解決できるかも知れない。
土曜日も市が就労証明をきちんと取って、政府が保育をサービス産業化しようとしなければ、子どもはなるべく自分で育てようという哺乳類としての常識が、保育という仕組みを守ってこれたのですが、こんなことを親たちにハッキリ言える園長はもう稀です。親とのトラブルや行政からの変な指導を避けているうちに、子どもの日々を優先し、保育士の健康を体を張って守ろうという園長さえ少数派になってきている。
「保育士と一生の友達になるつもりで」と親たちに言います。
一緒に育てた人たちなのです。ひょっとするといつかどうしてもわからなくなった時、大切なヒントを教えてくれるのはその人かもしれない。子育てに関わる唯一の相談相手かもしれない。そして何より、幼児期を知っている人に囲まれて子どもは育ってゆくべきなのです。20万年くらい、それが当たり前だったのです。一番輝いていた頃を知っている人たちの目線が必要な時が来るかもしれない。
「遅れて迎えに来た親には超過料金を取ればいい」と一人の園長が言いました。
別の園長が「それでは、お金の関係が成立してしまう。私は取らないで説教する。他人に迷惑をかけてはいけない、と。お金がすべて解決する、という気持ちが育ってはいけないんです」。
そうですね、と園長たちが頷く。一緒に子どもを育てているかぎり、それはお金の関係であってはいけない。信頼が育つ関係でなければいけない。政府や行政が知らない次元で保育は成り立ち、会話が成立する。
挨拶をしない実習生が居て、いちいち指導しなければならない、と嘆く園長。そのまま自然に、挨拶をしない親たちの話になる。積極的に自分からするしかない、と保育士を指導すると、親から園長に「保育士に挨拶させないで下さい。話しかけないで下さい」と苦情。
「無理です!」と強く言うと、役場に「あの園長こわい」と訴えたそうです。この親も実習生も、幼稚園か保育園に通っていた頃は挨拶をしていたはず。心に内在する人間不信が自己主張が出来る小学校高学年くらいから表れ、親になる。
モラル・秩序が育たなくなってきた社会で、政府の言う「社会進出」してみても、輝くかどうかはわからない。人間の幸せは、身近な人間関係と安心感による部分がほとんど。
幼児に全身全霊で頼り信じてもらって人間はひとまず安心する。
自立を目指せば孤立につながり、幼児期の愛着関係不足が不満となって園長や保育士にぶつかることが増えた。園での信頼関係が崩れると負のサイクルが増幅。優しさと重なる常識が消えてゆく。
そうした信頼の土壌を壊していくような政治家の施策では、欲のある人がギラギラ輝くチャンスを増やすだけだと思う。
私がいつも講演で「おかあさんどこ」と「愛し続けていること」の二つの詩を朗読し、詩集を毎回、全部合わせたら四万部くらい配らせていただいている小野省子さんから連絡が入りました。小野さんの詩に窮地を救われたり、ホッとしたり、人生の意味を教えてもらった人はたくさんいるはずです。私も、いまだに朗読していて泣きそうになることがあります。
「母になって、気づいた、せんぱいママ、重み、愛し続けていること」が、組曲になりました。女声合唱とピアノのための組曲です。作曲家の松下耕さんが作って下さいました。
3/14に東京オペラシティで演奏会があります。
3/14(土)東京オペラシティ:リサイタルホール 18:30
(旭が丘女声合唱団 第9回演奏会)(2000円、お問い合わせ:宇賀神 090-6038-2708)
母になって
時に私は
絶対君主の王となって
腰に手をあて、有無を言わさず、
叫ぶ
なぜ?という問いかけなど無駄だ
「今すぐおもちゃを片付けて
テーブルにつきなさい!」
時に私は
彼らの下僕となって
雑巾を持って床をはいずり
彼らの食べかすを拾い集める
排泄のたびにパンツをおろし
夜中に目を覚ませば水を運び
眠りにつくまで歌を歌う
そうして彼らは
毎晩ふとんの上で
神様になる
私の背中に頬をよせ
私の胸に鼻をうずめ
ぴったりとくっついてくる小さな体
私は彼らの存在が
私の過去の過ちを
すべて許してくれたのだ、と信じこみ
しみこんでくる鼓動や
ささやくような温もりに
感謝の祈りを捧げる
気づいた
何かを失ったと思っていた
何かを奪われた、と
だけど今、
光の粒をふきあげる噴水のように
キラキラと笑うあなたを見て
あなたが幸せになるなら
私の幸せを全部あげてもいいと思った
何かを失ったと思っていた
何かを奪われた、と
だけど今、
公園の芝生の上 両手をひろげて
小鳥のように走ってくるあなたを見て
失ったものなどひとつもない、と気づいた
あなたがあなたの幸せで
私を満たしてくれたんだ、と気づいた
せんぱいママ
大切なのは
愛情よりも根性なのだと
その人は笑った
こぼれ落ちるほどの
愛情に満ちた笑顔で
根性のない愛なんて
ただの泣きごとなんだと
その人は笑った
まぶしい黄色のタンポポが
やわらかな綿毛に変わるように
その人はふいに笑うのをやめて
「だけど、私もいっぱい泣いたよ」と、
やさしく言った
重み
自分が少し悲しむと
お母さんがすごく悲しむから
それがつらいと娘が言った
自分が泣いていると
お母さんがすごく気にするから
それが嫌なんだと 私をにらんだ
ああ こうして親たちは
やわらかな手かせ足かせとなるのだろう
あたたかな鎖をからませるのだろう
多くの子供たちが その重みで
何かを思いなおすのだろう
何かを思いとどまるのだろう
投げやりに進み始めた歩みは止めて
声をあげて引き返すのだろう
愛し続けていること
いつかあなたも
母親に言えないことを
考えたり、したりするでしょう
その時は思い出してください
あなたの母親も
子供には言えないことを
ずいぶんしました
作ったばかりの離乳食をひっくり返されて
何もわからないあなたの細い腕を
思わず叩いたこともありました
あなたは驚いた目で私をみつめ
小さな手を
不安そうにもぞもぞさせていました
夜中、泣きやまないあなたを
布団の上にほったらかして
ため息をつきながら
ながめていたこともありました
あなたはぬくもりを求め
いつまでも涙を流していました
私は母親として 自分をはずかしいと思いました
だけど、苦しみにつぶされることはなかった
それは、小さなあなたが
私を愛し続けてくれたからです
だからもしいつか
あなたが母親に言えないことを
考えたり、したりして
つらい思いをすることがあったら
思い出してください
あなたに愛され続けて救われた私が
いつまでもあなたを
愛し続けていることを
Family
Breakdown in Developed Societies
Kazu
MATSUI
Summary:
Child-rearing,
in particular raising children in their early childhood, has as its
first objective, how the human qualities of the nurturer are
cultivated, and how the hearts and minds of those who are raising the
children can become as one. Raising children gives rise to the morals
and order of human society.
When
we forget the fact that how patience, kindness and the measure of
happiness of the teachers are fostered, is more important than what
is learned by those who are being taught, the activities of human
society starts to become distorted.
When
the nurturers’ view of happiness ceases to develop on the part of
the parents, this leads to abandoning the family, and compulsory
education in itself becomes unviable. (Welfare can also further the
problem of family breakdown, eventually making it financially
unviable.)
Main
Text:
When
I was 20 years old, I lived for several months in the countryside of
India, and then I moved to the United States in 1975. I asked a
younger female cousin who was in the fifth grade, what sort of things
she talks about with her friends at school.
She
said, “There’s a lot of talk about, ‘my new father this time…,’
and ‘my new mother this time…’ “
Has
there ever been such a time as this in human history?
Some
nursery teachers in Japan also got a foretaste of the breakdown of
the family, characteristic of societies of developed countries that I
had seen. The more cases I heard about, of what was taking place in
the field, the more I realized that the “loss of parental feelings”
had already started to grow in Japan as well.
View
of Children Under a Year Old
I
give talks on the title, “Why did the universe give us children
under a year old?” There is meaning in the fact that a zero year
old is a zero year old.
“The
universe gives us human beings, children under a year old, saying,
‘You should experience inconvenience, and you should be happy.’
Without the
babies taking
away our freedom, and if there were no happiness in offering our
freedom, humankind would have been destroyed long ago.”
In
a country where education is widespread, sometimes people can be
bound by the ‘word’ or concept of ‘freedom.’ In my talks, I try to
explain the role of little children to parents, who, by being
conscious of this concept of freedom feel ‘inconvenienced’ [the
Japanese word for this, fu-jiyuu,
is written with characters meaning, ‘without freedom’] and
discontented.
Human
beings have originally felt happy about being a little
inconvenienced. This is what I call a ‘bond’ between human beings.
At
times, we feel that having
a bond is bothersome. Yet,
originally, people feel happiness in depending on each other,
trusting each other, creating bonds and becoming one in heart. If we
feel that inconvenience is not good, for example, it would be
difficult to marry at all. Marriage is to voluntarily choose to
become ‘inconvenienced.’
When
we become anxious or worried, whether there is someone who will help,
or that we can confide in, is what gives us the “strength to
live.” There is not one person in this world who is totally
independent. Even a person who appears to be very independent had to
be helpless when he or she was a baby.
To
give birth to a child means to become even more inconvenienced [or,
‘without
freedom‘]
than in marriage. The reason why we are able to be alive here today
is because most of our parents felt happy to be inconvenienced by us,
and felt happy to offer their freedom to raise us up.
The
Happiness
of Not
Having
a Choice
In
raising a child, there is no choice as to what kind of child we will
have, or what kind of parents we have. People have felt happy indeed
by
the fact that there was no choice. If there is no choice, all we can
do is to raise each other up, and grow together with each other. I
believe that human beings like to work out each other’s roles as if
putting a puzzle together. It is as if we have this mutual, relative,
developmental disorder so that we can confirm the fact that humans
cannot live alone by themselves. This is particularly so,
between a man and a woman. Because we are not complete, and have
shortcomings, we truly
need each other.
To
build relationships with infants of 0 to 2 years old, is to become
good at putting puzzles together. When we get to know such babies,
most people, after a year, begin to realize that there is meaning in,
for instance, the existence of a bedridden grandpa, and society as a
whole begins to realize that without such people, the puzzle cannot
be completed. Getting to know a 1 to 2-year-old baby, is like being
with someone who has a developmental disorder, as well as a mental
disability, in terms of behavior patterns. Most people spend an
amazing and wonderful couple of years with babies, and realize that
there is a role to play for people with disabilities also, and that
human beings are meant to raise each other up mutually. Thus,
everyone settles into their roles. However, when we stop dealing with
babies, we tend to lose touch with how to put puzzles together. It is
easy to compartmentalize our thinking, so that the bedridden go here,
the demented go there, the disabled go here, and babies go there.
Yet, social welfare is not able to supplement what is missing. It is
then that human society can begin to fall into disrepair.
The
First Smile
When
a baby grows to about three months old, he or she smiles for the
first time. People who see a baby laugh, feel joy. They feel happy
also, realizing that they themselves are good human beings. They
experience the goodness of their own human nature. And the people who
watch the baby laugh together, can become one in heart.
To
raise a baby is to try to understand daily, how he or she feels,
which the baby cannot teach you or tell you in words. Humankind has
found peace, not in understanding, but in trying to understand
others.
If
I am sitting alone in a park, I could be seen as a strange man. But,
if I’m sitting together with a two–
year–old
child, it
is easy to see me as a “good man.” Just by sitting next to
me, the child,
within the relativity of this universe, makes me a “good man.”
There aren’t too many people who can do this for you. This is not the
will of the two-year-old, but we see the intent of the universe here.
Children
Bring Out One’s Goodness
Why
do people have to observe children in order to live?
I’ve
decided that the most complete human being in my opinion, is a
four-year-old. This is because they trust completely, rely
completely, and on top of it, they seem very happy! This is the ideal
state of a human being that religion seeks for. If you watch children
in the playground of a kindergarten or nursery, you can understand
what I mean. People who look at these children and feel envious, I
believe, have not yet lost sight of their life goal.
Perhaps
the word ‘complete,’ is not the most appropriate. I should probably
describe it as a state of a human being, or a state of mind, that we
should aspire to as a goal.
Young
children trust completely, depend completely, and bring out ‘good
human nature,’ or the ‘goodness of man’ in different kinds of people.
They come together and play, easily express their joys, and teach us
that happiness is not something that we take away, or gain by
winning, but they teach us that “it is how you hold the measure,
the yardstick.” Children playing in a sandbox teach us adults,
“You can be happy with the sand. If
you can just hold a yardstick
as we do, people can
always become happy.” As long as human beings watch playing
children, they will not lose sight of the way. They will be fine.
In
the past, to look at young children, was to see Buddha, to see God,
it was to look at oneself.
The
‘strength to live,’ is not to aim for the independence of the
individual, but it is the strength to build ‘bonds.’ To
trust in each other, and rely on each other, is the ‘strength to
live.’
All
you can do in raising children is to do your best, and for the rest
of the time, to pray. If you have someone who will pray with you,
people will be fine.
“Empathy”
is a Gift from Children
Until
not long ago, human society was quite full of parental feelings. You
could say that society was full of good human nature, which was
brought out by the weak and vulnerable, and with experiences in which
people felt happy about being kind and generous. The great Mahatma
Gandhi of India (1869-1948) advocated nonviolence, and tried to
appeal to the goodness of others, by showing
with dignity how weak one
was,
to an
opponent. His approach to social reform was in accordance with the
laws of a parental heart, the laws of childrearing, the laws of the
universe.
The
role of the wonderful environment of a nursery, or a kindergarten, is
to let the children fulfill their role of “bringing out the
goodness in people.” It would be good to have a parent see
children playing together, repeatedly, and also play together with
them. I would recommend that an adult have this experience, one
person at a time. He or she can be asked, for example, to pull weeds,
while being surrounded by children, or to take care of their toys. He
could even enjoy a little drink …or whatever
activity is
possible.
I
have witnessed the life of parents change by playing games like
‘Let’s Pretend’ with two-year–olds,
following the policy of a nursery. I have seen, for instance, a
father who was hardened by competition relax, and his face soften
with an indescribable smile. When we are reminded of the yardstick of
happiness that was forgotten, and realize the goodness within
ourselves, parents actually feel relieved. I know of many good
nurseries like this, that “nurture the parental heart.”
Currently,
we are promoting a “one-day nursery staff experience.”
Parents come one by one to a kindergarten or a nursery and spend the
day surrounded by young children. Some cities and prefectures are now
beginning to adopt this approach.
Spread
of Compulsory Education and Breakdown of the Family
In
the United States, it is reported that one out of three children are
born from unwed mothers (40% in the UK, 50% in France). The burden of
childrearing on women has grown abnormally, and opportunities for the
father to be in contact with the children are rapidly and abruptly
dwindling. Kindness and patience seem to be disappearing from
society. When morals
and order that were being maintained with parent-child relationships
as the pillar of society begin to disappear, education, police, or
the law become powerless.
It is reported that 40%
of the parents in the US
are divorced by the time a child reaches the age of 18. Children are
no longer the link between parents, as the saying goes; however,
childrearing used to be the link between the parents. For a man and a
woman (husband and wife), the smallest unit of a society, to raise a
child is to confirm that each of them is a “good person.”
This is the starting point of trusting relationships within human
society.
In
1984, the American government identified the issue of children’s
education as the most urgent and important task in the survival of a
nation, and this was big news for about a year.
During
this year, an unprecedented report in American history was made, that
the average education
level of the children had
become lower than that of their parents. The high school graduation
rate of 35 years ago in the parents’ generation, which was at 50%,
had increased to 72%. This should mean, of course, that the academic
ability of that generation should be greater. The concrete goal of
the spread of compulsory education as a system was being achieved,
but the content of the investigation unfortunately showed the
opposite result. More than 20% of high school graduates could not
read and write adequately enough to work in society.
Our
eyes then turned to the family behind the schools. I wondered if 20%
of parents in the U.S. perhaps had too little interest in the future
of their children, as this illiteracy rate of 20% was found among
“high school graduates.” Although education was compulsory,
28% of the children that year did not graduate from high school. When
these figures are added, I wondered if it meant that nearly 40% of
the parents were indifferent about their children?
When
a system of education becomes widespread and established over a
period of about 50 years, the parents naturally become dependent on
the educational institutions to raise their children. And when time
spent with children decreases greatly, the human relations between
parents and children suffer and weaken. Some parents can become
detached from their children. As the breakdown of the family
advances, order and
morals rooted in a view of happiness, that is learned through
‘childrearing,’ begins
to disappear. It is impossible for new systems or concepts such as
the law, welfare, school or feelings of happiness gained from power
games, to replace the order or morals rooted in a view of happiness,
that is learned through ‘childrearing.’
It
is good for human beings to be trusted by children, to be grateful
for the time they are trusted, and to live, longing for children.
When
we are confused by the progress of technology or systems, we start
failing to recognize that overly rapid progress atrophies human
sensitivity, which is something that has been nurtured over thousands
of years. I believe it is good to affirm once again, that people are
born to believe in each other, by parents observing children in the
nursery or educational environment.
To
bear and raise a child is the most precious task that human beings
have been granted by the universe. This act is to dialogue with the
universe, and to experience oneself. It is a way to feel deeply one’s
living self, and also a way to understand the meaning of life. People
are satisfied by coming to know their own value in life.
What
is even more valuable, is that the children raise up the parents.
This is the course of the universe itself, and it is to substantiate
oneself. It is to declare that one cannot live by himself or herself,
and to show the way of real altruism. It is to heal those who have
realized that,
to know is to seek.
A
human being’s instinct and will are what lead parents to raise a
child.
We
see the will and the image of the universe, in a child, raising up
the parent.
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