「ママがいい!」のレビューです。感謝!

仕事についてどうするか悩んでいた時にこの本に出会いました。この本を読んで子どものそばにいたいという自分の本当の気持ちに向き合うことが出来ました。凄く考えさせられる本です。ぜひ多くの方に読んでいただきたいです。

 

早くに出会って本当によかった

保育園見学に行くたび覚える違和感。4ヶ月の娘は抱っこ紐の中で、私にしがみつきキョロキョロ。預けられるなんて微塵も思っていない。その姿を思い出し、泣けて泣けて仕方なかった。

 

現役保育士ですが、保育園は成長ビジネスだからと資格ビジネスに養成校が走り、絶対に現場に出してはいけない学生に資格を与えて就職させてしまいます。

保育園はこんなに増えてはいけなかったのです。待機児童なんて言葉をつくってはいけなかった。読んでいて涙が出そうでした。

 

乳幼児を母親から引き離すのは可哀想

乳幼児を母親から引き離すのは可哀想、その気持ちが消えて行ったら、この国が作り上げてきた「調和とか美しさ」が、水の泡になる。それを「政治や学問」が進めているのですから、欧米型の市場原理は、形を変えた侵略と言ってもよい。

愛国心とか、「防衛」を掲げながら、政府の母子分離政策からこの国を守ろうとしない政治家たちが、大勢いる。

可哀想、は、可哀想なんです。

そう思うことが、人類を守る手段として、遺伝子の中に組み込まれている。

それを否定することは、人間性を否定し、抑えること。それに、みんなで気づかなければ。このままでは、「出会い」の質が深みを失い、幼児と過ごす「幸福感」が、失われていく。

 

 

「居続ける人」を奪われた環境

菅原哲男先生は、養護施設を、「居続ける人」を奪われた環境、という言い方をされる。

「光の子どもの家」の目標として、

「産まれてきてよかった」と思えること、

次に両親に対して「産んでくれてありがとう」と思えること、

最後に、「施設に来た経緯が自分にとっては必要だった」と思えること、を挙げられる。

(光の子どもの家:創立者インタビュー、より)

子育てのために、キャリアを犠牲にしてはいけない、と母子分離を進めようとする、こども家庭庁に、聴かせたい言葉です。道筋が、制度や仕組みによって「仕分けられた」先進国社会で、いままであり得なかった、不自然な「出会い」が、魂の次元で起こっている。

幼児たちとの出会い、交わりを復活させ、考える機会を増やしていくしかない、と思う。

頼り切って、信じ切って、幸せそう。

人間社会を、幸せに整えてきた「四歳児」たちの役割、その信頼に、政府が応えていない。

三歳児神話に守られてきた、大切な人たちを、母子分離と長時間保育で脅かす。

 

最初にある、親子の出会いは、大切です

ロサンゼルスの火災、友人が住んでいる地域があっという間に灰になりました。自分の住んでいた家が、有無を言わさず「灰」になる。

最近、世界のあちこちで起こっていることでもある。その現実が、身近に迫ってきます。だから、日本という国を、大切にしなければいけない。感謝し、責任を持たなければいけない。

誠実に仕事をしてきた友人には、すぐに、たくさんの支援の輪が広がって、勇気づけられています。

 

松居和チャンネル、第52回のテーマは、「見えない次元で、人間の魂は交錯している」、で

副題は、菅原哲男先生の本と、似た体験からのメッセージ、です。

「育ち」とは、「出会い」でもある。誰と出会うか、運が、人生を左右するのです。だからこそ、最初にある、親子の出会いは、大切です。

昨日の、講演会、びっくりするほど、たくさんの人が集まってくれました。一般の人に混じって、保育士さん、役場の人、議員の人。

「ママがいい!」という言葉が広がってきている。子ども優先が、人間の幸せの源です。

行きと帰りに、電車の窓から、瀬戸内海が綺麗でした。錨を降ろしたい入江が、幾つも見えました。

中学生の心に「生きる動機」を。

家庭科の時間に、中学生が見つめる、赤ちゃんを抱いているお母さんの姿は、「真実の風景」で、カソリックの人たちが信仰している、「聖母子像」もそう。

母親が、神様を、抱いている。

この構図が、社会が調和へ向かう「動機」になって、人類はここまで続いてきた。それを自分自身の心の動きを体験することで、理解する。義務教育でやってほしい。

 

家庭科の時間に、お母さんから、赤ん坊を託され、信じてもらったことが、中学生の心に「生きる動機」となって残る。

赤ん坊を抱っこしてほしい、と思う「母の気持ち」が、次世代を育てている。

その時の「つながり」、信頼が、やがて、自分の子どもの環境にもなる。そのことを、母は、本能的に、知っている。

伝承の中には、必ず「美しさ」がある。三歳児神話も、そう。

学校や幼稚園・保育園が、一つの村社会のような役割を果たす

一家でする「体験」が、人間の育ちにはいい。年齢を越えた絆が、社会を安定させるために、不可欠なのです。

色々「仕組み」ができて、その体験が減ることで、012歳を預けることを、可哀想だと思わない人が増えてくる。

それは神の作った道ではなく、市場原理が作った道筋で、とても不自然で危うい。

可哀想だ、と思うことは、自分がいい人間だ、と思うこと。そういう人が常に繰り返し生まれていくのが、人間社会だった。

子育ては、本来、一家でやるものです。

そして、学校や幼稚園・保育園という単位が、一つの村社会のような役割を果たし、助けあい、喜びを、分かち合う。

今、「村」という集まり方が必要ではなくなってきた。ですが、子育てには、必要なのです。

家族という柱を失うと、社会全体が、うまく機能しなくなるのです。

 

「泣き止んでほしい」と思う体験を、減らしている

東洋には、「命は、すべて尊い」という、「一括り」の考え方があります。ネイティブアメリカンも、基本、アフリカもそう。

西洋の哲学は、「役に立つことがいい」と言って、囚われる。理性で分類すれば、人間性の否定になるのに。

役にたつことが、いいと思うと、学校教育に、「子育て」を奪われる。

人間は、生まれながらに、役に立っていることに、気づいて欲しい。

0歳、1歳、2歳児を、切り離し、囲い込む、政府の作った制度が、「泣き止んでほしい」と思う体験を、減らしている。

自分自身の、「価値」を理解する機会を、減らしている。

トトロは、「トー、トー、ロー」しか言わない。最近、それが、全世界に、いい影響を及ぼそうとしている。流れは、きっと変わる。幼児たちが主導して。

 

「マサイ族の風景の中で、再会する」

2025年、正月、松居和チャンネル、今年も、どうぞ、よろしくお願いいたします。

第51回、テーマは、「マサイ族の風景の中で、再会する」

副題が、「6歳の女の子が加われば大丈夫。同級生のつながりと、価値観の伝承」です。

マサイ族の風景(波動の共有で存在する次元)で再会するために、誰の人生にも、道案内人として、0歳児が登場する、というような話なのですが、ちょっと児童文学の世界で起こりそうな、実話です。

 

人間の人生は、沈黙の中で、魂のコミュニケーションが始まる。その機会を逃してはいけない、放棄してはいけない、という話なのです。

哺乳類である「人類」は、避けられない「運命」として、喋れない人と、数年間過ごす。何千年も、何万年にも渡って、それを繰り返し、やり続け、進化して来た。

遺伝子の法則が、そこに存在していた。

それが、母子分離で始まる保育、それに続く教育システムの普及によって、いきなり滞ってきて、摩擦を起こし、難しい状況をあちこちで生んでいる。

ある日、2歳児と私、二人きりの、ちょっとした不安の中に、6歳の女の子が一人加われば「その日」は、もう大丈夫。そんな、象徴的な出来事が、私の人生にはあった。

育て合い、育ち合いの、風景が、人類を安心させる。

女の子の「善性」を、2歳児が引き出す時、「努力」や「企み」と離れた、大自然の流れが生まれていた。

美しい、風景だった。

謹賀新年、良い年になりますように

明けまして、おめでとうございます。本年も、どうぞよろしくお願い致します。

良い年になりますように。「子育て」の流れが、変わりますように。

「一日保育体験」と「読み聞かせ」が、この国の「感性」と「常識」を復活させますように。

一園ずつ、でいいのです。

年末に届いた、伊豆海こども園の「えんだより」、全国に配りたい。

政策論争など、どうでもいい。

現場の保育者たちの「意志」に、お願いするのが、いい。

大晦日に、更新した松居和チャンネル第50回、について、少し補足です。

保育界でもそうでしたが、子どもたちに対しての「常識」に欠けている教師を、雇わざるを得なくなっている。政府の母子分離政策で、人間は012歳児を母親から離さない、という「常識」が社会全体から失われていくことが、原因です。

それに、気づかないと、義務教育は、修復できない。

政治家たちが、いい事をしようとすると、往々にして、「意図」と「結果」が、食い違う。悪いことになってしまう。「子どもたちの願いと」政治家たちの「願い」が相反しているのだからそうなる。

体験的な「常識」を身につけていない人たちが、政治家になっていることが、子育ての現場を惑わせ、保育士不足が引き金になって、崩壊が始まっている。

政府は、いつでも預けられることが、「子育て安心」なのだ、と言った。意地でも、それを取り下げようとしない。「誰の安心なのか?」とマスコミも学者も問おうとしない。

そこまで言うなら、保育士や教師の質を整える「義務」が国にはあった。それが、全く果たされていないにも拘らず、まだ「誰でも通園制度」などと言っている。。

若者たちの「やる気」が、母子分離によって、消えていく。

石垣島の保育園は、ついこの間まで、四歳で卒園。五歳児は、一年保育の公立幼稚園に通っていました。その仕組みが、私は、不思議に好きでした。一年間の空白が親たちを育てた。それが、無償化を機に一気に変わった。

 

「園」単位で進める保育士体験で、「村」的な絆を耕し直す。

そして、「読み聞かせ」で、「家族」の意識を固め、一人ひとりが、その天命を知る。

この二つで充分です。

子どもたちが育っていく土壌を、耕し直していくしかないのです。

自然治癒力は、必ず、働く。日本は、いい国です。