「明日も来る」という制約の中で

松居和チャンネル 第80回のテーマは、11年前に、すでに、心がバラバラだった、という話。子どもを世話してもらいながら、保育料や給食費を払おうとしない親たちが、すでにいた。

 

お金のやり取りで、子育てを考える「制度」を国が作り、保育者と保護者の心が一つにならなくなっていった。保育を「市場」と考える閣議決定がされ、「業者」が入ってきた。

しかし、

副題は、「明日も来る」という制約の中で、出来ること、としました。

もう一度「子どもを可愛がる」ことで、この国に「美しさ」を取り戻すとしたら、「毎日、子どもが通ってくる」という条件の中で、親心を耕していくしかない。日々の生活が、体験となり、知識や情報に縛られた「関係」から解き放たれる。

選挙とか、SNS上の「言い争い」で、先の見えない無駄な「対立」に引き込まれてはいけない。

この国は、まだ、鎮まっている。

まだ、なんとなく。

子どもが生まれた時に、父親が、家庭に存在する確率が奇跡的に高いのです。

それが、一度失うと、戻せない、先人たちが残してくれた、この国の、自然治癒力。

女性の収監者数もアメリカの100分の1。

保育士さんたちの相談に乗る立場の人から、こんなメールが届きました。

「子どもを抱かないで、と言われる事への辛さを言われる方がいます。

一人の保育士が抱くと他の保育士も抱っこしないといけなくなるから、と言う理由だそうです。

愛着形成のこの時期に、そんな事を言うなんて。

それが何件もあるので、子どもの育ちに胸を痛めます。」

(ここから私)

ここが、闘いの最前線なのです。

子育てを、仕組みに任せておくと、「動機」が曖昧にされ、社会から「信頼」が消えていく。

その一番恐ろしい形が、3歳までの子どもたちの「脳の発達」が、親たちが知らないうちに、阻害されていること。

そんな中で育った子どもたちが教師や保育士になっていること。

 

経済が良くなって「手取り」が増えても、「国防」を叫んでも、親たちから「子育て」の責任を奪っていく「政策」を続けていては、この国も、分断と、利権争いに明け暮れる欧米の二の舞になってしまう。

親子は、明日も、保育園に来る。

「明日も来る」という環境の中で、保育士たちが「親身になって」頑張れば、道筋は、まだ残されている。「カウンセラーや心理士、専門家」ではできない、日々の尊い、仕事が、そこにある。

「人柄」で会話をする、余地が、再び生まれてきますように、どうぞ、よろしくお願いいたします。

中学生に、簡単に幸せになれる方法を話します。

人類は、幼児に手を繋いでもらい、この人たちに信じてもらって、生き甲斐を感じ、進化してきた。
何万年続いてきた善性の道筋を、政治家や学者の母子分離政策、安易な市場原理で止めてはいけない。
松居和チャンネル。第23回
「中学生は真剣です」
も、ぜひ、ご覧ください。
 

日本には、トトロがいる

火曜日です。松居和チャンネル、更新しました。😀

第79回のテーマは、

『「争い」で感性が劣化し、世界が「分断」へと進んでいる』

です。

副題は、「声なき声に、耳を傾ける」、にしました。

教育委員会から頼まれ、秋には、西伊豆の中学校の保護者たちに講演します。

こども園(保育園、幼稚園)、小学校、中学校、縦のつながりで「子どもたちを一緒に守る、一緒に考える」という形ができると、すごくいい。

本来、「いい親」になって欲しい、と願うことが、子育てだった。

学校の先生も、三年育休をとって、週に一度は、学校に赤ん坊を連れて来て、生徒たちに見せて、同僚たちにも、抱いてもらってほしい。

赤ん坊の「働き」を、学校に持ち込めば、最近の、対立の過程で失った「常識」を社会に復活させることは可能です。

先生の、「親としての顔」が、生徒たちの人生に影響を与える。

幸せに生きる道筋を、先生たちの嬉しそうな「利他」の顔が、教える。

そんな、話をしました。そして、

最近経験した、象徴的なこと。

「ママがいい!」の宣伝を、広告代理店を通して「赤旗」と「聖教新聞」に載せようとしたのです。😀

断られました。

012歳を、母親から引き離すことに加担したら、それはもうイデオロギーでも、宗教でもないと思う。市場原理か、権力争いの一部になってしまった、「人間性」の残骸です。

元々「人間」の心を、良い方向に耕す目的で作られた、「共産主義」と「仏教」が本来の「動機」を忘れ、形骸化した「理念」と「信仰」がグローバル経済の中で、虚しく対立している。

それが、中国とアメリカの、危険な対立に表れている。

この「右と左」の対立が巨大なエネルギーを溜め込んで、「ママがいい!」という幼児たちの叫びに、背を向ける。

 

以前、政党のポスターに、奇妙なものがありました。

可愛らしい赤ん坊の写真と共に、

「声なき、声に耳を傾ける」とか、書いてあった。

それが、保育園を充実させ、母子分離を進める、ということらしいのです。

これには、びっくりしました。

「声なき声に、耳を傾ける」は、私が、ずーっと、言っていること。「利他」につながるその方法が、なんと、「母子分離」に繋がってしまう。

先進国社会独特の驚くべき「飛躍」。

人間が、感性を失っていく証(あかし)です。

「子育て安心プラン」と言いながら、母子分離を進める与党、「保育園落ちた、日本死ね!」と紹介し、追従し続けた野党も含め、過去30年にわたり、政治家たちは、この競争原理に煽られた「飛躍」によって、保育と教育の「魂」を奪ってきた。

「声なき、声」は、赤ちゃんの存在意義そのものです。そこに働く「想像力」で、人間性は培われるのです。

胸の中にある、自分の本当の「声」に、耳を傾けることでもあるのです。

その大切な「想像力」が、選挙のポスターでは、本末転倒に働いている。

言葉や、イデオロギーによる「支配」は、選挙という「大人たちの争い」を通して、ここまで行き渡っている。

恐ろしいことです。

しかし、日本には、トトロがいるし、千と千尋がある。

トトロの支持者は、共産党や公明党(他の政党支持者)よりもはるかに多いはず。そこが、この国の素晴らしさであり、本質です。

その人たちは、「ママがいい!」という言葉に共鳴し、理解するのです。

 

インドで過ごした時間が、教えてくれた

インドで過ごした時間が、教えてくれた。子どもは、5歳にもなれば戦力です。一緒に働き、村社会の一員になる。そして、親が、子どもに教えることで、地球上に「忍耐力」が育っていく。互いを「理解」しようとし、信頼の「絆」が生まれる。

5歳にもなれば、子どもは、「子守り」をする。「喜び」ながら。

その歯車を、停めてはいけない。

 

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関連チャンネル:松居和チャンネル 第77回「ワーキングマザー」の短歌集。自分のためだけに、存在してほしいと、子どもは望む。

 

 

ここが最前線

松居和チャンネルで、その感性と真摯な姿勢で「司会と聴き役」をしてくれている「さや」さんが、先週の参議院選挙で当選し、議員としての活動を始めます。

70万票という数字は重い。

これだけ多くの人たちが共感したのです。自分の「感性」を信じ、頑張って下さい。

日本という国を評価し、理解しよう、という姿勢は、動機としていいし、私の「思い」とも重なります。もともと音楽を通しての出会いなので、歌声から、私が感じていることもあります。

応援しています。

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火曜日になりました。松居和チャンネル 第78回です。

テーマは、学校で「画一教育ができない」。

そして、副題が、「保育体験に行った夫の顔が、心が洗われたようでした。」

です。

こんなメッセージがチャンネルに届いたのです。非常に、嬉しいです。

先日夫が、初めての「1日保育士体験」に行ってきました。

夕方帰ってくると『どの子もかわいかった』と澄んだ目で話してくれました。心が洗われたような顔でした。

和先生の「意識の次元から変えていく」、胸に響きました。 1人ひとりの心持ちがこだましていきますように。

(ここから私)

日本が、変われるとしたら、ここが最前線。子どもたちが、「親たちの、いい人間性を引き出す」。本来の役割りを、取り戻すことができるかどうか。

それが、人類を救う「最前線」と言ってもいい。

経済が良くなろうと、収入が増えようと、そんな次元で、この国の「良心」は、修復できない。

「豊かさを目指す」と言いながら、「心の豊かさ、謙虚さ」を失っていく。

日本という国には、「経済」という次元では「幸せ」を考えない、「伝統」がある。

「身を捨つる、身はなきものと思う身は、天一自在、疑ひもなき」:木喰上人

目の前にいる、子どもたちの「安心」を願うこと。それに、人生の目標を見ていた人たち。

だから今、子どもの「日常」を預けている「学校」で、「画一教育ができないこと」が致命的になる。政治家による「安請け合い」で、教師の負担は増すばかり。教員不足はすでに決定的。コミュニケーション能力に欠けた「担任」が、「親子」の「一生」を左右している。

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「いい親」であればあるほど、義務教育の破綻は、日々の悲しみや苦しみになって一家を追い詰める。しかし、今回の選挙戦で、その問題を、国を守る「柱」として取り上げた政党は、ない。

すでに、一割が不登校という。

とりあえず、それでいい。

国が、子どもたちを守らないのであれば、親が守ればいい。その意識が、この国を建て直す第一歩。

私が、「経済」という言葉を嫌うのは、それが、過去30年にわたる母子分離政策の土台、言い訳、誤魔化し、に使われてきたから。

グローバル経済は、ほんの一握りの勝者しか生まない。それはすでにわかっていること。しかも、その、一握りの勝者たちが、とんでもない破壊力を、互いに溜め込んでいる。

経済偏重の流れに巻き込まれ、園長先生たちが、子どもたちの「安心」を願わなくなったら、「保育」は、諸刃の剣となる。

そして、「福祉」の怖さは、それが、政治家たちの「選挙」に利用されること。

「子どもの幸せ」を優先しなければ、成立しない仕組みを、「市場原理」と「選挙」で、ここまで壊してきた連中がいる。(このチャンネルでも、その過程については話しました。「ママがいい!」にも書きました。)

親しか投票できない、という仕組みを利用し、「利便性」で票を貪(むさぼ)り、与党も野党も、選挙に勝つことを優先し、この国の「美しさ」を壊していった。その結果、不登校児、幼児虐待過去最多、という数字が残った。

経済学者の多くが、市場原理は、「信頼関係」がなければ機能しない、ということを忘れている。グローバル経済は、「貸し借り」で成り立つ。幼児たちの信頼を無視することで、それが「ただの喧嘩」になろうとしている。

「信用」が潤滑油として不可欠なのに、政治家は、「母子分離」を「子育て安心プラン」と名付け、経済学者や保育学者が、それに反対しなかった。

子どもたちからの「信用」を失うと、市場原理は、破綻へ向かう。それさえもわかっていない。

最初の話に戻ります。

欧米先進国に比べ、まだ家庭に奇跡的に存在している父親たちを、「人間らしく」していけば、(幸せの物差しを、利他の方向に向けていけば)、母親たちは、ずいぶん納得する。「母親」が納得することをしていれば、人類は、大丈夫。

子どもを優先し、その寝顔を起点に、していれば、社会は、夫婦という単位で、鎮まっていくのです。

「ワーキングマザー」の短歌集

松居和チャンネル 第77回、

(テーマは)「ワーキングマザー」の短歌集、です。

副題は、「自分のためだけに、存在してほしいと、子どもは望む」としました。

 

(「ママがいい!」のAmazonのレビューです。

1歳児を持つ母親です。

育児の本質と、その育児がどう社会的に影響するのか、までが書かれています。

ちょうど子供がお腹の風邪で体調が悪く心配で、夜中も起きて子供を見ておこうと眠気覚ましに購入しました。

筆者の口調は強いですが、情熱的で、詩的で、美しいです。

(ここから私)

このレビューは嬉しい。

そして、講演に来てくださった浅羽佐和子さんからいただいた、「いつも空をみて」という短歌集を、今回は紹介しました。

そこには、身が引き締まるような、母の「本音」が詠まれていた。

「句集」からにじみ出る母の苦しみや、悲しみは、いい母親であるほど増してゆく。

だからと言って、この葛藤を、不公平だと、見ないふりをしたり、意図的に減らしてゆくと、同じ量の悲しみを、知らないうちに幼児たちが、負っていく。

悲しみは連鎖し、やがて増幅してゆく。

いい親であるがゆえの、母親の、苦しみや悲しみは、そのまま負っていけば、やがて喜びや期待になって、別の道筋に、導かれてゆくのだと思う。

親は、子どもの寝顔に幸せを感じるといいます。

目の前で、安心し、眠っている姿に、自分の真の価値を知る。

ワーキングマザーは、結果を求める世界に生きています。

しかし、母親は、いい親でいたい、と思った瞬間、すでに「いい親」です。

結果ではなく、その親の心持ちに価値があるのです。

中学生に講演

「さや」さん、参議院選に、出馬宣言!

松居和チャンネル 第76回

(テーマは)親子の絆は、国の土台

副題:「さや」さん、参議院選に、出馬宣言!

です。

小学校で、同級生と話す話題の第一が、「今度のお父さんは、今度のお母さんは」だ、と従姉妹に言われたアメリカ社会。あれからすでに五十年。

そこで、今、何が起こっているのか。刑務所に入っている「女性」が10倍になっている。

親としての「意識」「幸福感」が、人生の中心から外れていった時、義務教育という仕組みが、「どういう役割」を果たしてしまうのか。

親らしさ、という「取り決め」が無いと、成り立たない、義務教育の持つ宿命的「欠陥」について話しました。

その欠陥が、自滅に向かう「攻撃」を仕掛けてくる、市場原理との関係について、知ってほしい。

日本でも、幼児たちが、「ママがいい!」と叫んでも、それに、「慣らされる」仕組が日常化されている。子どもたちが、やがて、そう言わなくなることが、本当に政府が言うように「子育て支援」なのか。実は、人間の「感性」の喪失なのではないか。

都知事が「母子分離」を、自分の「功績」だと言い、マスコミがその「チルドレンファースト」と言う宣言に、疑問を抱かない。決定権のない子どもたちを母親から離しておいて、「チルドレンファースト」は、あまりにもおかしい。「人間性」を馬鹿にしている。

市場原理の「罠」に、気づいて欲しいのです。

 

全国で、一割の小学生が不登校で、その向こうに、三割の、辛そうに通っている子どもたちがいるのです。将来この国を覆う「不信感」の広がりを、早く止めいないと、教員不足は、すでに待ったなしです。

「教育」や「福祉」に、子育ての「喜び」を奪われてはいけない。

教師たちは、その子たちの五才までの「育ち」を知らない人たちだ、ということを、絶対に忘れてはいけない。

 

このチャンネルで相手をしてくれている「さや」さんが、参議院選挙出馬を決意しました。

頑張ってほしい。

すでに、伝えたことがいっぱいあるし、心を込めて聴いてもらった。人間社会は、「伝承」で成り立つ。イデオロギーや論理性ではなく、人間は本来「人柄」で会話をする。

でも、気をつけてほしい。(闘いのための)闘いに巻き込まれないように。時に、静かに歌うことを続け、イデオロギーを超えて、存在して下さい。

「政党」が叫ぶ政策は、選挙のための言葉遊びになっている。攻撃し、分断を招くばかりで、響き方が良くない。

鎮まろうとしていない。

投票できない者たちが、政府によって母子分離させられている不自然な現実、崩壊しつつある教員の質の問題を取り上げる政治家は、私の見ている限り、いない。

弱者のことを本気で心配すると、自分たちのやっている「闘い」の虚しさが、暴かれてしまうからでしょう。

強さではなく、誠実さとか「感性」で、指導者を選ぶ時代になってほしい。

子どもたちが求めているのは、「戦う社会」ではなく、「鎮まる」人々なのです。

ダボス会議に騙されないように

松居和チャンネル 第75回は、タイトルが、「ダボス会議に騙されないように」です。

前にも、触れたのですが、

「日本は、女性の教育レベルが高いにもかかわらず、労働市場でうまく活用されていないため、教育投資に見合うほどの利益が出ていない」(世界経済フォーラム)

という指摘。

余計なお世話です。実の父親が家庭いる確率が半分に満たない欧米には言われたくない。腹が立ちます。

教育レベルと、幸福レベルを、つなげるなど愚の骨頂。

背後に、教育を「投資」見る連中がいる。人間は「役に立つべき」という、欧米社会の強者の物差しがある。だから、012歳の存在意義、「働き」が見えなくなる。

「母親」を労働市場で活用し、人生の価値を「収入」で計るように、経済学者や政治家たちは、仕向ける。母子分離を正当化する。

グローバル経済の中で、人間の本来の思考と、アイデンティティーが抑圧されている。

衆議院に参考人や公述人として呼ばれ、警鐘を鳴らしました。映像が衆議院のホームページにあります。衆議院調査局発行「RESEARCH BUREAU 論究」2019年版に「子供を優先する、子育て支援」というテーマで執筆依頼され、書きました。

国会議員全員に配られたそうです。  

中村柾子先生からの手紙

「最近ある学生さんの書いた文章にとても心を打たれました。…子どもの頃、両親が働いていて、自分は保育園に行っていた。迎えはいつもいちばん最後だった。そのことが悲しかったのではない。その気持ちをわかってくれる人がいれば、子どもは安心できるのだと。

だから自分は、子どもの心がわかる保育者になりたい…と。

とても胸を打たれました。と同時にこの人の強さにも、感動しました。」

(ここから私)

この学生は、自分の悲しみを糧に、子どもたちの幸せを願う人に育ちました。育ちあい、育てあう絆があれば、人間は互いに無限に変化し、成長する可能性を持っています。

その可能性を、より広いものにするために、大人たちは、子どもが安心して育つ環境を作る努力を続けなければなりません。

その努力が、大人たちを育てるからです。

 

子育ては祈り、キリスト教も仏教もそこで繋がる

一昨日、佐賀県唐津のキリスト教保育の方達が、一日保育体験を広めようと、私立幼稚園協会に声をかけて、講演会を主催してくださいました。

唐津ルーテルの佐々木園長とは長い付き合いです。(ご主人と毎週釣りに出ている園長先生です。)去年から母親たち全員を目指し、「父親たちの保育士体験」も、積極的に声がけをして参加率が高いのです。

卒園間近の、まだやっていなかった父親が、お別れ会で他の父親が「良かった、良かった、一生に一度の体験」と言うので、最後の最後の土曜日に、滑り込みでやらせて下さい、と言ってやったそうです。「とにかく、子供が喜びます。」

その園長先生の一言が、この国を建て直すのです。政治家たちが、叫びあっていますが、一つ一つの幼稚園、保育園が、心を一つにする場所になるしかない。この国を、鎮めていくしかない。

そういう話が伝わり、講演会には、二百人の保育者たち、親たちが来てくれました。

西伊豆に続き、佐賀県は拠点になりそうです。来週は、鳥栖ですが、今年は佐賀に5回きます。佐賀では当たり前の「親の保育体験」みたいにならないかな。そうなれば、小学校が甦ってきます。

次の日は、福岡で、浄土宗保育連盟で講演しました。

二時間半も、話しました。

子育ては祈り。お寺とか、教会が、子どもたちを眺める場所、「頼り切って、信じ切って、幸せそう」な子どもたちの存在を、みんなで祝う場所、そして、それが、卒園後も続いていく場所になってくれれば、この国は大丈夫だと思います。

法然上人のお姿をバックに、一生懸命に話しました。

 

(いろんな園で、保育者たち、女性たちが、子どもの幸せを願う気持ちで、まとまり始めています。)

セルバのインタビュー

https://www.youtube.com/watch?v=h3OpPP_JY_g

ドキュメンタリー映画「シスター・チャンドラとシャクティの踊り手たち」から。セルバのインタビュー。(クリックしてご覧ください。)

インド人の9割以上が親の決めた相手と結婚して行きます。これを人権問題とか、先進的意識の未熟さと見るのは簡単ですが、伝統的な親子の信頼関係、その宣言ととらえることも出来ます。先進国社会で失われつつある家族の信頼関係からくる安心感。私には、インドの現実が、我々がそれから何かを学ばなければいけない人類の長い歴史のように思えます。何が遺伝子に叶っているのか、セルバの表情を見ていると、そんなことさえ考えます。
信じることで互いを育てあう、「親子」という絆のひとつの完成したかたちを見るのです。