セルバとモルゲスワリを訪問

 ソウバさんの車が直って、セルバとモルゲスワリの家へ出かけました。田舎道を車で一時間、美しい田園風景の中に一軒家がありました。「あそこだ」とソウバさんが車を止めて指差しました。私は、あわててカメラをバッグから出しました。

 三脚を持って、少し手間取っている間に、ソウバさんとシスターはあぜ道を先に歩いて行きます。その後ろ姿を撮っていると、ファインダーの中に小さくセルバが見えました。私は、思わず手を振りました。

 セルバの息子は3才になっていました。ご主人はハンサムで誠実そうな人でした。ご主人の両親とご主人の弟夫婦とその一歳の息子と、セルバは屋上のある小さな石の家に暮らしていました。まわりには、ネギの畑とぶどう畑がありました。褐色の土と青い空、緑の林、そのコントラストの中にセルバは生きていました。彼女はやっぱり黒系の服を着ていました。そして、踊っていた時よりも少しだけ太って、普通の感じがしました。その温かさが3才の息子を包み込んでいました。記念写真を撮りました。(日本に帰ったら、この記事につけますね。)

セルバと息子

 そこから、30分ほどディンディガルの方向へ戻ったところにモルゲスワリの家がありました。道ばたの小さな村の大きな木の下に彼女は住んでいました。

 セルバと違って、モルゲスワリは結婚しないで、もう少し長くシャクティに居たがっていたのを私は知っていました。ですから、少し心配していましたが、モルゲスワリは二人目の子をお腹に宿し、娘と二人で小さな家に住んでいました。ご主人は出稼ぎに出ることが多く、この日も居ませんでした。でも、モルゲスワリが退屈しないよう、衛星放送が見れるよう家にはフライパンのようなアンテナが屋根についていました。玄関外の雨にさらされた貧弱な釜戸と比べるとちょっとちぐはぐなアンテナが、一家の確かさを示して嬉しそうでした。

 私は、ドキュメンタリーの中で、彼女の母親が、女の子にはテレビは見せません、と確信を持って語っていたのを思い出しました。

 モルゲスワリの娘は、やんちゃで暴れん坊でした。はにかみ屋で物静かな母親は、それでもちゃんと目で、一つ所にじっとしていない娘を笑いながら追っています。

 片足をひもで木に結わえられたアヒルに、娘がちょっと意地悪をしました。モルゲスワリが、すみません、というようにシスターを見ました。シスターが声を出して笑い、ソウバさんと私も娘を眺めながら楽しい時間を過ごしました。

(日本に帰ったら、このやんちゃ娘の写真をこの記事に載せます。)

モルゲスワリの娘

 

 言葉の通じない時間が、ゆっくりと過ぎてゆきます。言葉がわからないから、繊細になる感覚の中で、私は考えます。0才児や1才児との言葉のない会話の意味を。何かを知ることよりも、知ろうとすることが体験であることを。

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