シャクティ日本公演にあたって

 シスター・チャンドラとシャクティの踊り手たちの存在についてお話しする時に、どうしも知っていただきたいのは、インドのカースト制と女性差別の問題です。カースト制と言っても「不可触民」と翻訳されているダリットは、カースト外、いわゆるアウトカースト、人にあらずと見なされて来た人たちです。インドの人口の20%と言われています。

 去年もCNNのニュースで、ダリットの少女が、ダリットが通ってはいけない小道を歩いて、火に投げ込まれるという事件が報じられていました。いまだに、女の子が生まれると間引きされることがあります。シャクティが踊るダンス劇の中にもそのシーンが出てきます。太鼓を赤ん坊に見立て演じられるこの場面は、インド人ならすぐに理解する場面ですが、私は前回の公演でも、映画の中でもとりたててそれを説明することはしませんでした。言葉や説明がないから見えてくるものがあると思うからです。それについて、シスターとじっくり話したこともあります。

 こうした様々な問題に、村の少女たちを集め、将来村の女性のリーダーとなってほしいと願い、地を這うような意識改革を目指してシスターが創ったのがシャクティセンターです。

 シスターは少女たちに踊りを教えます。特に、タップーと呼ばれる太鼓を叩きながら踊るパラヤッタムは、本来代々その職を受け継いできたダリットの男性によって、上位カーストの人の葬式で踊られて来たものでした。その太鼓を女性が叩き、ステージで踊ることは、それだけでカーストの壁を二重三重に破ることになるのです。だからこそ、社会的反発もあり、見るものの魂を揺さぶるのかもしれません。ステージで見せる少女たちの不思議な力強さと輝きは、過去に虐げられ苦しんできた人たちの悲しみ、怒り、そして歓びさえも、伝えている気がします。

 少女たちのシャクティセンターでの一日は、踊りの練習をのぞけば、どちらかと言えば淡々としていて平和です。

 少女たちを私が一言で表現しようとすれが、たぶん、「育ちがいい」という言葉が一番似合うでしょうか。生き生きしていて、自制心があり、優しさがあって、はにかみがあって、目が会うと何かが燃え上がり人間同士の絆を感じる、「私はここにいるよ」と語りかけて来る。その子たちの幾人かは、親が原因で家庭に居られなくなった子です。村人が相談してシャクティに預けに来た子もいるのです。それなのに…。

 シスターが言う、「集まること」そして「わかちあうこと」が、村単位だからでしょうか。

 籠を編んだり、紙を漉いたり、集まって新聞を読みあって意見を交わしたり、その少女たちが時々見せる野生の表情。シスターがしっかり押さえていないと、火花が散りそうな瞬間、秘めている炎が垣間見える時があるのです。

 「人間はなぜ踊るのか」

 映画を作った時のあのテーマが私の中に蘇ってきます。

 この子たちに救われた、と感じます。

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