八王子の共励保育園の保育展/二月十六日(日曜日)です。

アッという間に一年経ちました。今年も長田先生の共励保育園での保育展の季節です。
全国から、なにか学ぼうと保育士や園長、議員や学校の先生たちがやってきます。長田先生の書いた「便利な保育園が奪う本当はもっと大切なもの」を読んだ学者や医者も少し来ます。もちろん主役は園児と園児の親たちですが、子どもの発達をどうとらえ、保育や子育てにどう活かすか、だれにでも面白い不思議な発表会です。

http://www.kyorei.ed.jp/Hoiku/Event/hoikuten.html

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 0才児には0才児、一歳児には一歳児、二才児には二才児の世界があって、役割りがあって、だからこそ保育のやり方も心構えも違ってくる。それぞれの部屋の保育士が園児との遊びを通して、幼児たちの説明してくれます。4、5才児の数ヶ月間続くごっこ遊びは、圧巻です。そして、園と家庭との絆の保ち方、その大切さ。親の競技が四割という運動会。親たちも一緒に育ってゆく保育園が、すべてを見せます。

なぜ「四才児」完成説なのか。脳細胞、シナプスの相対的関係



  なぜ私が「四歳児」完成説に決めたのか。「完成」という言葉さえ本当は変で、「目標とする姿」と言ったほうが近いかもしれない。

 仏像や聖母子像や観音様のように、人間は具体的に崇拝したり、目標とする何かが近くにあったほうがいいはず。これを拝んでいれば大丈夫です、という共通した何かがあると、心が一つになりやすい。仏教やキリスト教が現れる前から、それはあったはず。

 保育園で、〇歳から五歳児の部屋で三〇分ずつ過ごしてみたのです。すると、四歳から五歳になる時、何かが変わるような気がしました。集団の雰囲気が、馴染みのあるものになった。園長先生に言ったら、そうですね、とうなずかれました。四歳児までは神や仏の領域。存在としてはまだ宇宙の一部なのでしょうか。五歳で人間?。

 園長先生が言います。

 三歳児はやりたい放題、鬼ごっこをすれば自分から捕まりにいってしまう。四歳ごろから、ルールを守った方が面白い、ということを学ぶ。鬼ごっこでは、ちゃんと逃げるし、捕まったら鬼になることも理解する。他者との関係がわかってくるのです。自制心を持って他者と関われば、もっと面白いということがわかってきます。相手もそのルールを守ってくれることで信頼関係が芽生えるのです。このあたりの幼児の発達過程は人間社会がどうあるべきか、どのように形成されるかという次元まで重なってくる、とても興味深い変化・進化です。

 それを親が眺めるといい。

 自分が通ってきたプロセスのおさらいをするように。〇歳から四歳までの子育ては、無意識のうちに一人の人間の完成、人類の進化の歴史を四年かけて眺めることなのかもしれません。そうして、人は自分という人間を人類の一員として理解し、安心したのでしょう。幼児を理解しようとするプロセスが、人間を作るのです

 世界が宗教間の軋轢や、人種や民族間の争いに満ちていても、もし四歳のときに子どもたちを混ぜてしまえば、そしてそこに親心があれば、平和や調和は可能でしょう。先進国は、その可能性に気づき、その可能性を大事にしなくてはいけません。

 なぜ、人間は四歳で完成したのに、情報や知識を得て不完全になろうとするのか。自ら不完全になることによって、集まって大きな完成を目指そうとしているのではないか、そんな風に考えます。人類全体で「絆」を作って完成するために、一度自分を見失う、という苦難の道をゆくのでしょう。

 人類としての完成、それが何百年先になるのかわかりません。でも、運命(宿命)はそんなところにあるのでしょう。だからこそ我われは、時々、四歳児という完成品、目標を眺めていないと、人類全体としての道を間違う。

 人類の歴史の中で、いまが一番大切な時かもしれない。私たちは、人類の進化を決定づける不思議な時代に生きています。

 だからこそ仕組みの発達と、経済という進化のエネルギーでもある欲の具現化が生んだ「話しかけない保育、抱っこしない保育」http://kazu-matsui.jp/diary/2013/12/post-225.html の出現が恐い。


脳細胞、シナプスの相対的関係

 脳細胞、ニューロン、人間の魂の分野に属することを科学的に話すのあまり好きではないし、不得意なのですが、時々そうだろうな、と思うことがあります。

 聞いた話ですが、ニューロン(脳細胞)の数が一番多いのは人間が生まれる直前で、生まれるときに大量に捨てるのだ、というのです。その捨て方には個人差があって、その捨て方が人生に影響を及ぼすはずです。ひょっとして、この「意識が働いているか」、それが「誰の意識なのか」はっきりしない出来事が運命や宿命と呼ばれ、仏教でいえばカルマ、修行の目標なのかもしれません。

 そして、人間は、このニューロン(脳細胞)をシナプスというものでつないでゆくのだそうです。それをニューロンネットワークといって、個人で異なる「思考」の仕方はこのネットワークのつながり方、そのあり方だそうです。そのニューロンネットワークが、生まれて一年くらいで最多に達するというのです。そこから、こんどは思考の回路を自ら削除してゆく。環境や体験にあわせ、どういう考え方がそこで生きて行くために重要かという優先順位を、それぞれその時の体験から決めていくわけです。

 人間としての基本的な生き方に加えて、言語や文化、伝統、習慣、常識といったその社会で生きるための知恵や知識が、共有する思考形態として定まってゆくのでしょう。脳の重さはほぼ五歳で成人並みになると言われていますから、生きるために減らしてゆくニューロンネットワークの数と脳の大きさが一番相乗効果を生んでいるのが四歳くらいで、人の思考の可能性、感性がそのころ最大となるのではないでしょうか。

 私はその状態を、「信じきって、頼りきって、幸せそう」というものさしから、四歳児で完成、最も幸せでいられる可能性を持っている姿としたのです。

 一人の人間をニューロンに置き換え、人間同士の「絆」をシナプスと考えると、人類の目的が見えてきます。「生きる力」とは個の自立を目指すことではなく、「絆」を作る力です。信じあい、頼りあうことが「生きる力」です。

だからこそ「話しかけない保育、抱っこしない保育」http://kazu-matsui.jp/diary/2013/12/post-225.html の出現は進化のプロセスにおける強い警告だと思います。)


 実際、四歳児が完成された人間かどうかは、別の議論に任せます。しかし、そのように四歳児を眺めることで、先進国で起こっているほとんどの問題が解決するのです。

 そこに人類の進化における相対性理論が見えます。


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Dear loving Kazu San,

How are you? How is Yoko san Ryo san Dady and Mummy.
Our wishes to every one. Along with Felci and myself
all our Sakthi girls are here to wish you for the best.

“May this New Year bring in the Happiest and most 
beautiful things in your life.
Have a Healthy and Wealthy, Happy year 2014.

Sakthi 2014 Calender has come. We shall send you a few copies.
We had meaningful celebrations on 25th December and January 1st.
Really we missed you but at the same time we remembered you
so much in our prayers.

With much love and affection,
Sakthi Srs and Girls.

話しかけない保育。抱っこしない保育/子ども・子育て支援新制度

 認可の私立保育園勤務から事情で都内に引っ越し、認可外の保育所に勤め始めた保育士が、0、1才児に話しかけないで、と言われびっくりした、という話をその保育士が元いた保育園の園長から聴きました。話しかけたり抱っこするとあとが面倒、話しかけてくるし、抱っこしてとせがまれる、静かな無口な子どもがいい子なんだそうだ。

 子どもが活き活きしていたら保育士は大変。手も足りない、活き活きしていたら事故が起るかもしれない、危ない。もっともで、恐い話。

  新しく入った保育士に子どもに話しかけるな、という保育園。認可外とはいえ、私の家の近所。そこに毎日親に連れられ子どもがやってくる。そして、たぶん十時間くらい過ごす。政府が子ども優先でない施策を保育界に押し付けると、身勝手な(合理的な?安全な?)保育園が現れる。私にはもうそれを単純に非難することができない。保育士が足りない現実、加えて規制緩和でこれだけ全体の質が落ちて来ると、事故が起らないことを最優先して保育するのは自己防衛策だと思う。

 (以前、民営化した保育園で、新しい園長が、子ども優先に、子どもが元気になるような保育をしたら、「子どもが言うことをきかなくなった」と親から文句が出た話をブログに書きました。イライラするから「子どもが活き活きするのを望まない親」もけっこういる。 http://kazu-matsui.jp/diary/2013/11/post-219.html


 「乳児に話しかけない、抱っこしない保育」もう一つ。

 他県で、都会では、すでにこんなことが起っています、とこの「子どもを活き活きさせない保育」の話をしたら、都会じゃなくてもありますよ、という話題になってびっくり。しかもオムツは十時と三時に一斉に替える。まだ出来て三年目の保育園だという。幼保一体化、民営化、なるべくたくさん子どもを保育園で預かれ、という国の方針で、幼稚園の理事長が行政に頼まれ保育園を始め、愛着と発達を無視したご都合保育を長くやっていた元主任を雇ってしまったケースでした。理事長の、それが乳児保育と言われ、疑わない無知さが情けない。

 こども園や三歳未満児保育園の乱造で、幼稚園と保育園の違いを理解していない園長・設置者の存在が浮き彫りになります。乳児は、ただ見張っているだけの方が保育士は楽。「事故も起きないんですよ」という、とんでもない「ベテラン」保育士を雇った園で、親の知らないうちに、人類未経験の取り返しのつかない集団的子育てが行われている。

 逆に、幼稚園理事長がとんでもない保育園に呆れたのが「待たない園長」の話です。

 http://kazu-matsui.jp/diary/2013/11/post-219.html

 まだまだ様々な園長設置者が居ます。それが保育界の「現状」だったし、現実です。何十万年も子育てを基盤に絆をつくってきた人類にとって、保育の歴史はとても浅い。まだまだ未熟な仕組みです。親も含め、幼稚園・保育園それぞれの保育観をまず整え、待遇面である程度の質が保てるようにして、それから保育の仕組みをこれからどうするのか(子ども・子育て支援新制度)が議論されるべきだった。

 内閣府、文科省、厚労省が一緒に作成した「子ども・子育て支援新制度」の宣伝パンフレットの一番目に、「質の高い幼児期の学校教育・保育を総合的に提供します」と、いかにもそれが可能なことのように書いてあります。幼稚園と保育園の機能を一体化したのが認定こども園、というわけです。知らない親が居るのですが、園長に保育士資格は要りません。保育の知識がゼロでもなれた。(そして、それには理由があった。)公立と違い定期的な移動のない閉鎖的な空間で、老舗の私立保育園で、保育士たちに外部研修も受けさせず、化石のような保育が続いていることがあります。乳幼児の発達をかなり理解していないと、三歳未満児への影響は決定的。以前、保育園は基本的に三歳からだったのです。

 厚労省は、三歳未満児を預かる事を施策にし積極的に進め始めた時、その意味と責任を、親に与える影響も含めてしっかり考え、三歳未満児の発達を考えて仕組みを再構築しなければいけなかった。家庭で親に育てられ、保育園に行くためにある程度躾けられた三歳児を20人、保育士が1人でなんとか保育出来ても、0歳から一対一の関係が不足したまま保育園で育った三歳児を20人、1人で保育するのは困難なのです。それが二十年間、社会の経済的ニーズのままに拡大を続け、最近は乳児のニーズを無視し、最低基準と言われた既存の国基準さえ国が規制緩和している。市場原理を持ち込めば質が上がるという学者たちの意見を聴き、株式会社や派遣会社の参入を許した。そして、保育士確保が生き残りの鍵と気づいた保育をサービス、ビジネスと見る人たちが、保育士養成校に四月五月に青田買いに行き、学生たちに「4年働いたら園長にしてあげる」と言って誘うような状況を作ってしまった。

 そして同時に、「質の高い幼児期の学校教育・保育を総合的に提供します」とパンフレットで親たちに宣言するのですから、これはもう無責任と言うしかない

 「園で気づいたことを親に言ってはいけません」と保育士に言う小規模園の園長の話を以前書きました。子どもの発達や行動で気になることがあっても、親との会話を避けている。お客さんを失いたくない。理不尽で身勝手な親たちの行動が、そうでない親たちの子育てにも影響する一例です。これがシステム(社会)で子育ての恐い所です。

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 私は、幼稚園よりも保育園に師匠(女性園長・主任)が多い。保育園の方が親子関係というテーマでは待ったなしの最前線で、日々鍛えられ、乳幼児とつきあうことによって直感的な答えを持っている人が多いからだと思います。そういう人たちは、本能的に母親の顔を見分け、子どもの異常を察し、家庭に踏み込んでゆきます。

 一緒に育てているんだ、と信じ、家庭に踏み込んでゆく園長や主任の姿が、どれほどこの国を支えてきたか、私は知っています。「声を掛けない保育、抱っこしない保育」の話をすると、その人たちは黙って、悲しそうな顔をするのです。なぜ、みんな保育を真剣に考えないのだろう、と心底がっかりしているのです。


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 絵本「ぐりとぐら」が出版されて今年が50周年。それが出版される五年前に作者の中川李枝子さんが「いやいやえん」という童話を書きました。(両方とも父が編集した本で、出来た時に読んでもらったので憶えています。)

 その中で、こぐまのこぐがチューリップ保育園の先生に「もうなんでも一人でできるようになったから、ほいくえんに行ってもいいですか?」と山から手紙を書きました。保育園は、なんでも一人でできるようになった子が行く所でした。少なくとも、親はそのために努力をした。他人様に自分の子どもの面倒を見てもらうなら、親としてそう努力することが常識だった。約束事だった。それから55年、仕組みはずいぶん変わりました

地方版子ども・子育て会議/「たよりにならない人」の大切な存在意義/道徳教育/欧米との比較。/どうぞの椅子。

 国からの指示で、子育てに関する地方の状況を知り、ニーズを把握し意見を聴くという地方版子ども・子育て会議。保育関係者がメンバーに入ることが多く、知人から会議の進行状況、実態報告が入ってきます。

 一番嫌なのは、発言をしても、それが国の路線と異なると、議事録から削除されていること。これでは本気のメンバーがやる気をなくす。こういう提言の場所や本音で話すべき会議を、国はアリバイ工作に使っているだけで、本当に現場の声を聴く気がないのだと思う。


(保育と学童に関わっている人からの報告)


 今回の会議はヒアリング対象団体と内容についての会議のはずが質問票のたたき台も何もない上に、青少年課の課長に至ってはビジョンがない、どう育って欲しいかイメージがない。子育ては仕事の息抜き、仕事は子育ての息抜き、「新しい制度を各事業者に説明し、こういう制度になることを理解してもらって...」なんて、いきなりいうものだから、思わず、


 「国と地方が同時に子ども・子育て会議をしている意味は、地方の実情にあった制度を

国の制度とすりあわせながら作るためというふうに私は理解していますが、違うのでしょうか? まず、国の制度ありきではなく、その制度をどう地方にマッチングさせるのか、もしくはその制度には乗らずとも地方としてやっていけるのか、ということを話し合うのがこの会議ではないんですか? 先に事業者に新制度(認定こども園や小規模型保育)の説明って順番おかしくないですか?」と、噛み付いてしまいました。


 キョトンとした課長の顔をみて、がっかりしていると会長が、


「今、本質を突いた厳しいご意見がありましたが、市としてはいかがですか?」と聞いてはくれたのですが、しどろもどろで返答になっていませんでした。


 これもきっと会議録からは削除されると思います。



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「たよりにならない人」の存在意義


 講演で、一通り話したあと、私の好きな園長先生と数人の母親たちと、お茶を飲みながら懇談しました。大きな街の公立保育園で、公立は異動がありますから、この園長先生の保育園で話すのは二つ目です。学童保育の人、療養士の人、仕事に復帰したばかりで疲れてしまった人。

 その母親の疲れと涙がどこから来たのか、見極めようとしてみます。こういう疲れと涙は、普通、その人の子どもが要求していることなのです。

 親身な会話が続きます。療養士の人が突然思いついたように話し始めます。


 「子どもが病気がちで、頻繁に保育園から職場に『迎えに来て下さい』と電話がかかる母親です」。笑顔で「たよりにならない人って、職場では呼ばれてます。でもクビにならない。みんなわかってるから大丈夫」。

 横で、園長が笑っています。いい話です。きっと母親の、堂々とした笑顔が同僚を安心させ、それが職場でも必要とされているのです


 子ども思いで、そのとき「たよりにならない人」の事情や心情を受け入れ、助け合うのが人間社会だったはず。病気がちの子どもの気持ちをみんなが思いやる、それが「社会で子育て」の本質です。

 最近、「社会で子育て」と言いながら、部族的思いやり・助け合いの幅がどんどん狭くなっている。福祉や教育、法律や政府が「社会」ではない。人間の想像力と許容量が「社会」だと思うのです。そういうことを学校で教えてほしい。道徳教育を義務教育に入れると言いつつ、一方では職場で「たよりにならない人」を問題視し、子どもが病気でも保育所で預かれるようにしようとする政府。これでは人間性という道徳の基本は育たない。


 絶対的にまだ「たよりにならない人」(幼児)、そして、もう「たよりにならない人」(老人)も含め、その時「たよりにならない人」が居るから、社会に人生の目標と喜びの芽が育ちます。


 私は保育園で、みんなに「職場では、たよりにならない人です」と笑顔で宣言する「子どもにはたよりになる母」の言葉を聴き、その人を見つめる他の母親たちの活きている顔を眺めながら、この国は、まだ大丈夫かもしれない、と思いました。


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 三年育休をとられたら職場復帰されても使い物にならない、と言う人がいたのです。その三年間に乳幼児たちが、この国にとって「本当にたよりになる人」を育てる仕組みを理解していない。親が子を思い、子が親を思うことが、実は社会全体を動かす「生きる力」の根底にあった。それさえもすでに忘れている。


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 長く学童保育に関わってきた人が、「最近の親の態度、何でも行政や職員のせいにしようとする言い方で、現場から少しずついい人がいなくなります」と怒っていました。

 すでに人材不足の状況で指導員が一人やめると、アッという間に児童館が吹きだまりになることがある。そして、子どもたちが荒れる。強い子が弱い子を支配しようとする。「十年後どうなるんでしょう」と顔をしかめます。

  待機児童解消を目指せば目指すほど、未だルールさえ確立されていない学童保育の負担と混乱が増すのは、誰が考えても当たり前のことなのですが、政府も行政も目先のことだけ考えて、完全に後手に回っている。

 そして、学童保育の外注化や指定管理化が進む中、指定を受けた会社を「子育てに関わる人材不足」が直撃しています。どんなに仕組みをうまく作っても、最後は子どもと直接対峙する人たちの気持ちが問題なのです。親との愛着関係が希薄な子どもたちは、それを試し続ける。0、1、2歳の育ち方が、将来にわたって国の秩序に影響を及ぼす。日本が欧米並みの犯罪率に達しないと政治家もマスコミも気づかないのでしょうか。


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 今まで人間性と利他の心に依存してきた日本の福祉は、奇跡の福祉だったのです。重要で大変な仕事のわりに良くなかった民生委員・保護司、学童の指導員、保育士や福祉士の待遇が、先進国の中では突出した奉仕の心で補われてきた。仏教の土壌とアニミズムの文化がそうさせたのかもしれません。しかしなによりも、家庭という定義がまだ残っていたからできたのだと思う。伝統的に、子育てが男女を繋ぎ止めていた。その国が欧米の仕組みや価値観を真似て、崩れようとしている。


(以前、米国でジェンダーフリー・フェミニズムの活動を長く続けてきた知人の女性に、日本の「民生委員」の仕組み、冠婚葬祭、祝儀不祝儀でまわる巨額なお金のことを説明したら、驚愕していました。お中元とお歳暮、お年玉、まで加えたら、それはもうチャリティーの領域を越え、部族的わかちあいの伝統なのです。)

 

 世界の国々の心の荒廃を比べようと犯罪率の統計を見ても、警察力、司法制度、刑務所を作る財力、異なる様々な要素が加わり実態が見えにくいのですが、私は暴行事件の被害者(assault victims)になる確率を比べることにしています。すると、英国は日本の28倍、フィンランドは21倍。福祉と教育のあり方はこの数字から遡って考察すべきだと思います。漠然としたイメージと欧米コンプレックスで「日本は遅れている」とか、「欧米先進国では」と言うのはもうやめてほしい。欧米でやっていることは真似ない、くらいで良いと思います。

 施策を考える人たちに、これだけ状況がいいこの国の本質から学ぼうとする姿勢がない。

 

 最近、養育権を失った父親が子どもと無理心中をはかるという痛ましい出来事がありました。家庭を失うことは、ときに人生を失うこと。

 日本で子どもの誘拐が年に二百件、半数が親によるという。しかし、人口が約二倍の米国で、誘拐が年に十万件、そのほとんどが未解決で親によると言われるのです。親権を失った親、家族を失った焦燥感、孤独。米国で発砲事件が起こる可能性が最も大きい裁判所は家庭裁判所。犯罪の増加は、子育てを手放し、家庭を失ってゆく社会の宿命です。

 日本はまだいいのだ、という言い方はしたくありませんが、まだ奇跡的にいいからこそ、20年後のこの国をイメージして、方向性を考え直してほしい。

 

images.jpeg(嬉しい知らせが、年の瀬に届きました。茅野市からで、
「どうぞの椅子」の見本が出来たと言うのです。
 「どうぞの椅子」は祖父母たちが、のんびり一日保育士体験を年に何度でも、半日でも、よかったら毎日でも出来るように、と園庭に設置されるベンチです。今年、茅野市で、すべての園で祖父母にお話ししました。そこに座っているだけで意味がある。園の空気が変わること。お友だちのおじいちゃんおばあちゃんに見守られている、と日々感じながら育つことで、子どもたちの意識が変わり、とても安心すること。そして、その風景が、学校に入ってからイジメを減らすこと。

 保育士は、毎日八時間、3才児なら1人で20人受け持ちます。4、5才児は1人で30人の人生に日々関わります。一日何度か「いま、この子を誰かが30分抱っこしてくれたら、一時間背中をさすってくれたら、きっとこの子は落ち着く。人生が変わるかも知れない」という瞬間があるのです。
 そんな時に、ふと「どうぞの椅子」の方を見ると、だれかの祖父母たちがお茶を飲んでいる。「すみませんけど......」という具合に、一対一の関係をお願い出来れば、日本が生き返ってくる。社会における人生の目標が自然に見えてくるかもしれない。

 ある園長先生から、「どうぞの椅子」の話を聴いたのは十年くらい前でしょうか。もともと園の外側に、園の方を向いてあったのです。その椅子に、時々中学生たちがたむろして、うらやましそうに園児たちを眺めている、園長が「ちゃんとやっていますか?」と声をかけると恥ずかしそうに頷く。幼児を眺める場所と機会を、すべての人にふやしていけば、それできっと自然治癒力が働くと思うのです。)


 松居先生


 こんにちは。茅野市幼児教育課長の牛山です。
 今年も大変お世話になりましてありがとうございました。
 先ほど、「どうぞの椅子」の試作品ができあがったとの報告を受け、早速確認に行って
まいりました。
 大人が4人掛けできる大きさで、作りも良く値段もお手頃でしたので、年明けから順次
市内保育園、幼稚園(私立含む。)の全ての施設に配備いたします。
 次回おいでいただく折には、先生にもご覧いただけるものと楽しみにしております。
 また一つ、一日保育士体験事業の取り組みとして、市の姿勢を示すものができあがりま
した。先生のご指導のお陰と厚くお礼申し上げる次第です。
 今年の業務も今日で終了となりますが、新しい年が茅野市にとって飛躍の年となるよう
精一杯取り組む所存です。
 また、先生にとって幸多きすばらしい年となりますことをご祈念申し上げます。良いお
年をお迎えください。
 今年も色々とお世話になりました。ありがとうございました。


(本当に、ありがとうございます。理解者、同志が役場にいてくれることが、私の、心の支えになっています。)


茅野市の一日保育士体験、三年間で三千人の意味。

 香川県の坂出市での講演のために高松空港に降りたとき、携帯電話が鳴りました。

 長野の新聞社から、茅野市で3年目になる一日保育士体験に、すでに三千人参加、それが記事になるというのです。いくつか確認したいことがあってという記者の声が嬉しい。一日保育士体験は、一日親一人ずつが基本。三千人の親たちが、1人ずつ幼児たちに8時間囲まれたのです。

 子どもたちの信頼と笑顔が、親たちに「親は、みんなの子どもに、少しずつ責任がある」と思わせたかも知れない。「自分はいい人間なんだ」と親たちに8時間感じさせることによって、生きる喜びを憶い出させたはず。そんな親たちの顔を、保育士たちが見て安心したはず。

 子どもたちも、お友達のお父さんお母さんお祖父ちゃんお婆ちゃんに1人ずつ一日かけて出会い、世話してもらい、一緒に遊び、これできっと将来いじめなんかなくなるのです。いつか困った時に助けてもらえるのは、お友達のお父さんかもしれない、お婆ちゃんかも知れない、これが部族の感覚、昔の村なら当たり前、みんなで一緒に生きている自覚が安心となって子どもたちを守るのです。

 茅野市では三年間に全ての園で、一年目母親、二年目父親、三年目は祖父母に合わせて三度話しました。「保育士と親の信頼関係が子どもたちを育てること。人生で一番嬉しい時間の過ごし方を一日保育士体験から感じて下さい。子育てから生まれる大人たちの絆がイジメをなくします。幼児が親心を育て、社会にいい人間だと感じあう絆が生まれるために、わたしたちは0歳児を授かるのです。etc

 三年前に「一日保育士体験」をマニフェストに入れて当選した市長と、役場の人たち、そしてほぼすべて公立園の現場の保育士たちの、「子育てに関する一体感」が嬉しいです。(今の国の施策は、総理大臣、内閣、厚労省、文科省、学者、会議、すべて心も意識もバラバラです。「子どもを思う心」でまとまれない人たちは、子育てや保育について口出ししてはいけないと思う。)

 茅野では、いつ役場へ行っても子ども課で、すーっと出て来るお茶とお漬け物。心が和みます。講演に行くと、園長先生が、美味しい給食に加えて心のこもった手料理をつけて下さいます。そして、園長先生の畑で作った野菜のお土産をもらいます。

 ある園では一日保育士体験の参加率が、母親100%父親80%になりました。夫婦別々の日が原則です。何より、茅野の保育士たちが全ての園で「いつでも親に見せられる保育をしている」ことが心強い。その心持ちに自信がある。

 当たり前のようで、これが出来ない保育所がいま国によって増やされているのです。

 ガード下の一部屋保育で20人以上の子どもが過ごしていたり、ラジカセから子供用の音楽が一日中流れていて誰も何も言わない。公園に園児を忘れてくるような保育士が勤務していたり、新任の保育士に、あとで面倒だから0、1、2歳には話しかけるな、抱っこするな、と指示をする主任がいたり。保育の基準が、規制緩和と市場原理で、空中分解しつつある。

 いまの流れは、この先40万人の未満児をあずかるために、国基準、保育の最低基準が小規模保育という名で規制緩和され、形だけ変えて何かしたように見せかける姑息な手段で待機児童解消を目指し、保育が一部で急速に産業化させられ、ますます親本位、経済対策になってゆく。そういう保育園にも子どもは毎日行く。環境的に、心情的に、風景として、八時間はとても親に見せられない保育を毎日していると、国全体の子育ての心の質が落ちてくるのです。心の質の低下、これがいま、国家の存続に関わる緊急かつ最重要問題です。後戻りが難しくなるのです。

 このまま国の施策通りやっていたらもう乳幼児を守れない。児相、乳児院、児童養護施設が手一杯になり、家庭も保育所も安全なところではなくなってくる。子育ては誰かがしてくれるものと勘違いした親が学校教育の存続さえ脅かしている。子育てのたらい回しが始まっている。

 だからこそ、茅野市で最初の三年間に三千人の親が、年にたった一日でも1人ずつ幼児たちに囲まれ保育士と信じ合おうとする体験を持ったことが、何か大切なものを国に取り戻すきっかけになると思うのです。

(坂出市の講演では市長さんも聴いてくださり、また一日保育士体験が広がるかもしれません。公立と私立の園長先生たちが仲が良く、一体感を持っているのが何より心強かった。次の日は頑張って金比羅山の奥の社まで、這うようにして登りました。天狗の写真も携帯に入れました。)

 

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潜在保育士は「即戦力」にはなりません。「潜在保育士は、子育て経験者が帰って来るから即戦力」という暢気な、現場知らずの記事を読みました。まったくわかっていない。子育てを経験した人は子育ての意味・幸福感を知っています。それがすでに出来なくなっている現場の現在の環境には呆れて、参加しません。一度再復帰して半年で「こんなのは保育ではありません」と言って辞めていった同志を幾人か知っています。こういう保育士が次の世代を育てる人たちだったのに、子どもを思う人たちを怒らせる仕組みになってきています。土曜日も「親のニーズ」があれば、就労証明書がなくても保育するように、などと県から通達があったりすれば、それだけで本気の保育士は去ってゆきます。

 もう昔の保育とは環境も質も、社会の見方さえも変わってしまった。子ども・子育て会議の議事録を読めばわかるように、保育所は子どものためにあるのではない。子どもの権利条約や保育所保育指針の精神は死にかけ、政府が進めるのは、ただの雇用労働施策になっている。今の保育の状況を容認して帰ってくるような保育士は、たぶん子どもにとっては、掘り起こしてもらっては困る潜在保育士なのです。潜在保育士を掘り起こすよりも、潜在親心、潜在祖父母心を掘り起こす方が、はるかに簡単。自然です

 

茅野市の一日保育士体験:http://www.city.chino.lg.jp/www/contents/1000000124000/index.html

http://www.city.chino.lg.jp/www/contents/1360914331329/index.html

 

一日保育士体験:埼玉県の取り組み http://www.pref.saitama.lg.jp/page/24moderu.html

 

「保護者の保育参加事例集」・ http://www.pref.saitama.lg.jp/page/oyashien.html

高知県教育委員会の取り組みhttp://www.pref.kochi.lg.jp/soshiki/311601/hogosyanoitiniti.html

園が道祖神を生む話

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 数年前、熊本で二代目、三代目の若手保育園長、理事長先生の研究会で講演したときのことです。初代が女性でも、なぜか園を継ぐのは男性が多く、男性中心の会でした。懇親会で少しお酒が入って、若い園長先生がマイクを握って言いました。

 「松居先生。親御さんは、僕の母、先代園長の言うことはよく聞いたのに、なんで僕の言うことは聞いてくれないんでしょう」

 保育の核心にせまる質問です。私は嬉しくなって考えました。

 「先代は、お元気ですか?」と尋ねました。元気です、という返事に、「まさか、先代を引退させてしまったんではないでしょうね」

 保育園も代替わりを迎えています。ビジネスの世界の真似をし、後進に道をゆずる、時代に即した経営、などと言います。日本各地で、創設者である園長理事長が引退する現象が起こっています。しかし、忘れてもらっては困ります。保育園という特殊な「子育て」の仕組みが「代替わり」を迎えるのは、人類の歴史始まって以来のことなのです。保育園や幼稚園は「子育て」という太古からつづく伝承の流れに関わっていながら、ごく最近作られた新しい仕組みです。お団子や歯ブラシを売るのとはわけが違い、その仕組みを創り上げるには細心の注意が必要なのです。経営を譲るのはいい。でも、園という不思議な空間を単純に二代目に任せていいのでしょうか。

 「四〇年以上勤めた保育士に『引退』はありません」と私は若手園長に言いました。

 「保育士を二〇年、一人の人間が幼児の集団に二〇年も囲まれれば、『地べたの番人』という称号を得ます。四〇年勤めれば、『道祖神』という格づけになっているのです」

 そのときたまたま「道祖神」という言葉が浮かんだのですが、眺めるだけで昔日の真実を感じるものならば、なんでもいいのです。

 「まさか、道祖神を引退させたんじゃないでしょうね」

 笑いながら話すと、若手園長はすぐにピンときたようで、理解し、苦笑いし、すみません、という顔になりました。

 「道祖神はいるだけでいいんです」と私はつづけました。

 「園の中を歩いているだけでいいんです。車いすに乗って子どもたちを眺めているのもいい。ひなたぼっこをしているのもいい。門のところで毎朝親子を迎えるだけで、園の『気』が整ってくるのです。園の形が、すーっと治まってくるんですよ。母親の心が落ち着きます。その瞬間、あなたは道祖神の息子です」

 子どもたちが育ってゆく風景の中で、私は園長という名の道祖神たちを見てきました。直接教わったこともたくさんあります。道祖神のいる風景から、私は考え、保育における視点を学んだように思います。園は、子どもが育ち、親が育ち、道祖神が現れ、親心が磨かれてきた場所。そういう場所には絆が育ちます。言葉では説明のつかないコミュニケーションの絆が、大自然に近い秩序を生む。日本人はそういうことに敏感だった。大木を切ることにさえ躊躇してきた民でした。

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 もう一人の若手園長が、酔った勢いで口を開きました。「うちの道祖神は、もう亡くなってしまったんです」

 私は、ちょっと考えてから、「老人福祉をしている所に行って、一つ拾ってくればいいんです」

 ちょっとお借りしてくる、という言い方が正しかったと思います。

 人間は幼児に囲まれなくても、一〇人に一人くらいは、ある年齢に達したとき、道祖神の領域に入ります。平和で幸福そうな顔ができあがっています。もうすぐ宇宙へ還る人たち。欲から離れた人たちだからこその落ち着きです。

 そのあと、私は宴席で密かに思い出していました。数日前、NHKの特集番組で見た「インカ帝国のミイラ信仰」を……。文化人類学的にです、あくまでも。

 ご先祖のミイラが村に一つあって、それに向かって村人の心が鎮まっている風景。心が一つになっている。それに比べれば、園の道祖神たちはまだ歩いているのです

 人間が遺伝子の中に持った太古の流れを、時々意識しないと本来の目的を見失います。それどころか、幸せに生きるための秩序を失います。私の想像力は、また一歩飛躍します。厚労省がこんな告知をしたら、すばらしい決断と言えるでしょう。

 「保育園で道祖神を引退させると法律で罰せられます」< /p>

 厚労省が、こういう視点を持つことができるだろうか?

 いまのところ、答えは否、でした。情報に頼りすぎる思考の進み方にも問題はあるのですが、一番の問題は現場の風景を知らない、知っていてもそこから「感じることができない」ことにあるのです。次元が幾重にも交錯する人間の「気」の交流現場に気づきにくい人がシステムを考えていることに、現代社会の欠陥があるのです。感性が鈍っている。官僚と呼ばれる人も、家へ帰れば子どもの運動会に一喜一憂し、保育参観日に行き、ふと我に返るはず。実は細胞は死んではいない。生きる機会と場所を失っているだけです。

 アンデスの山を思いながら、「道祖神は、ちょいと惚けてきたら、なおいいのかもしれない」と思いました。惚ける人間の存在にも必ず意味がある。生まれて一年目に、ほんの少し笑うだけで周りを幸せにして親心を育てた人間は、歳月を経て、いつか歩いているだけで周りの気を鎮める神のような存在になりたいのだと思います。

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 私は、当時、埼玉県の教育委員をやりながら、時々道祖神たちの顔を思い出し、視点を変えればまた違った世界が見えてきます、と折に触れて発言しました。私の発言は、県庁の中で少し浮いているような気もしましたが、同時に教育局の人々に何かが通じているようにも思えます。

 道祖神を見る人間の目や心の動きを教育の現場に復活させる方法はあります。教育局の人たちが「保育士体験」に参加して幼児の集団をたった一日見つめるだけで、地球に変化はあるのだろうな、と思いました。いまの常識にとらわれることなく、幼児を意識した視点や様ざまな絆が生まれる環境を、子どもたちが育つ仕組みに取り入れていかないと、親の潜在的不安は治まらないでしょう。意識的に太古の視点を復活させなければ、学校という歴史の浅い巨大なシステムが、はるかに古い魂を持つ「家庭」や「部族」という絆を崩壊させるのが、私には見えます。家庭が崩壊しては困ります。家庭が幼児を守り、幼児こそが、道祖神を生み出しているのですから。

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 私は、質問をしてくれた園長先生のお寺で、引退した先代にお会いしました。みごとなお顔でした。

 「四〇年以上園児に囲まれた保育士に引退はないのですよ」とお話しすると、先代はとても喜んでおられました。

 「園に行きたい、とこのごろ思っていたんですよ」とおっしゃった道祖神と二代目のお嫁さんの姿を、私は携帯電話のカメラで撮影しました。私の道祖神コレクションの一枚になりました。

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人間50歳も越えると、二十代三十代では見えなかったものが見えてくるのです。
 60歳も越えて、そろそろ宇宙に帰ろうか、という時期に、「早くいい人間にならなければ」と思います。人生は自分自身を体験する事でしかない。自分がいい人間だ、と思えれば嬉しい。思えなければ、仕事に成功しても、お金を貯めても虚しい。
 いい人間に成りたいと強く願っている人間の前に、人間をいい人にするひとたちが現れる。それが幼児。孫です。祖父母と孫の関係は、特別いいのです。いい人に成りたいと思っている人からいい人になるのが順番。

 幼児という、ついこの前まで宇宙の一部だった弱者と、老人というもうすぐ宇宙へ還ってゆく弱者が、欲を持たずに、楽しそうに役割を果たしているのを見て、人々は安心する。私もたしかにこうだった。そして、私もこうなる。
 幼児と老人が出会うと、「これでいいんだ」という笑顔の交歓が行われます。その交歓を風景として見つめるのが、これからの人間社会に一番いいのだと思います。)

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チンパンジーとバナナ/人類学と民主主義

 私の好きな人類学者にジェーン・グドールという人がいます。五十年以上も、アフリカのタンザニアにあるゴンベ国立公園でチンパンジーの研究をした、フィールドワークを思考の原点にした現代人類学の草分け的女性です。(龍村監督のガイアシンフォニー第四番に出演しています。チンパンジーとの感動的なシーンがあります。)初めてそのレクチャーを直接聞いたのが三十五年前、カリフォルニア州立大学(UCLA)での特別講演でした。そのときのテーマが、チンパンジーのカニバリズム(共食い)でした

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 元々ジェーンは、チンパンジーがシロアリを釣り上げる道具を使うことを発表し、道具を使う動物は人間だけと言われていた定説をくつがえした人でした。アフリカで野生のチンパンジーの群れと何年も過ごし観察した研究成果は、研究所主体だった当時の動物学や文化人類学に大きな影響を及ぼしました。彼女が第二のセンセーションを学会にもたらしたのがカニバリズムの研究でした。仲間同士の殺しあい、群れの中で起こる子殺しを含む非常に残酷な仕打ちが、その時、映像とともに発表されました。

 それは人間たちに恐怖心を起こさせるほど、人間的な情景でした。チンパンジーの遺伝子は動物の中で一番人間に近いと言われています。

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 最近になって、このしばしば残酷で、時には共食いさえするチンパンジーが、ジェーンの研究している群れに限られることがわかってきました。皆無ではありませんが、ほかの群れでは仲間内のこうした残虐な行為がほとんど行われないのです。

 ジェーンの群れとほかの群れの違いは、ジェーンの群れが五十年間餌づけをされていたことでした。野生の群れに近づくため、ジェーンは当初から群れにバナナを与えていたのです。それも、なるべく一匹一匹に「平等に」行き渡るように工夫をしたのです。

 いまでこそ、野生動物は本来の生態を損なわないように観察することが常識になっていますが、当時、草創期のフィールドワークでは、そこまでルールが確立されていませんでした。

 この報告を真摯に受け入れたジェーンが、インタビューで、「いま私が持っている知識があれば、絶対に餌づけはしなかった」と、悲しそうに答えていたのが印象的です。


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 このバナナに当たるものが、私たち人間にとって何なのか。

 ジェーンの群れで起こったチンパンジーの残虐さは、序列を取り戻そうという行為の一つでしょう。様々な要素によって作られた序列によって保たれていた秩序が、バナナが平等に与えられたことによって崩れ、生きてゆくための遺伝子の何かがはたらいて、殺しあいや、カニバリズムにまで群れを駆り立てたのだと思います。しかも、集団として駆り立てたのです。

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 進化の過程で、ジェンダー、つまり雄雌の差を手に入れたとき、私たちは、「死」を手に入れました。それまでは、細胞分裂で進化し、つぶされでもしないかぎり生は永遠につづいていたのです。「死」を受け入れた代償に、私たちは次世代に場所を譲る幸福感を得たのかもしれません。しかしいま、豊かさの中で、人間は死を受け入れることが下手になっています。パワーゲームの幸福感を追い、執着し、死から意図的に逃げようとしている。「一度しかない人生」という言葉がその象徴です。

 性的役割分担が希薄になったときに、人間は家族という生を支えてきた意識を少しずつ失います。いい悪いの議論はとりあえず置いておくとして、これが現在、先進国社会で起こっている一つの流れです。男性的なパワーゲームの幸福論が、母性的な次世代に譲る幸福論に勝り始めている。それが、結果的に女性と子どもに厳しい現実を生み、男性には寂しい現実を生んでいます。

 そうした中で、何十万年も積み上げてきた遺伝子が、豊かさに耐えられなくなって、眠っていた遺伝子を起こし始める。同性愛者が増えるのは、人間の進化の中で一つの防御作用でしょうか。しかし、ジェンダー以前、つまり単細胞に戻るには滅亡しかない。

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 男らしさ女らしさがあってこそ、「親らしさ」が存在します。親になることは、男らしさ女らしさの結果です。そして、子どもを産み、男らしさ女らしさが適度に中和され、自然界の落としどころ、「親らしさ」に移行するために必要なのが、「子育て」なのだと思います。しかし、パワーゲームに組み込まれた子育ての社会化が、親らしさという視点で心を一つにするという、古代の幸福感を揺るがしているのです。

 親らしさが弱まると、当然、男らしさ女らしさが台頭します。ジェーンの群れのチンパンジーが残虐になった理由の一つは、自分の子孫を残したいという雄の本能でしょう。雌の発情を促すために、その雌の子を殺すわけです。

 死への恐怖からくる「命を大切に」という言葉と、死への理解からくる「命を大切に」という言葉は意味が異なります。死への恐怖は競争社会を生みます。死への理解は人間を謙虚にするのです。

 人間の営む現代社会においてバナナにあたるものは何か。

 九八%遺伝子が同じとはいえ、人間とチンパンジーでは繊細さ・複雑さがちがいます。単純ではないと思いますが、思いつくままに、バナナかもしれない言葉や意識を並べれば、学校、教育、知識……。自由、平等、人権……。

 (さらに、言葉、文字なども、相当可能性があります。でもそれでは虚しいので、資本主義? 共産主義? 民主主義? それとも宗教? 身近なもので、水道? ファミリーレストラン? インターネットはどうでしょう。)

 これらを否定しているのではないのです。バナナを手に入れたあと、殺しあいにならない方法を考えればいいのです。しかし、まずバナナが存在することを意識し、気をつけることです。


ゾウがサイを殺すとき

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 チンパンジーとバナナの関係によく似ているドキュメンタリーを以前、NHKのテレビで見ました。アフリカの野性のゾウの群れが、突然サイを殺し始めた、というのです。もちろん殺して食べるわけではありません。ただ、殺すのです。

 ゾウがサイを殺しても、警察や裁判で止めることはできません。言葉が通じませんから、ゾウに質問することもできません。カウンセリングをしたり、道徳を教えることもできない。人間は、懸命にその理由を考え、想像します。環境の異変がゾウの遺伝子情報と摩擦を起こしているのではないか。そしてある日、サイを殺し始めたゾウが人間によって移住させられた若いゾウばかりであることに気づきます。

 ゾウのサイ殺しは、巨大なゾウを移送する手段がなかった時代には、絶対に起こりえない現象だったのです。麻酔をかけて眠らせることはできても、巨大なトラックがなければゾウは運べなかった。それが可能になり、人間の都合で、その方がいいとなんとなく思って、若いゾウを選んで移送し、別の場所に群れをつくらせたのです。そうしたら、ゾウがサイ殺しを始めた。

考えたすえ、試しに年老いた一頭のゾウを移送し、その群れに入れてやったのです。すると若いゾウのサイ殺しがすぐに止まったというのです。

 年老いたゾウは、きっと道祖神ゾウに違いない。

(私は、道祖神園長が座っているだけで、親たちを鎮める話を以前書いた事があります。)

 ゾウの遺伝子がどれだけ人間と重なっているのかは知りませんが、哺乳類で目も二つ鼻も一つ、共通点はたくさんあります。脊髄があって脳みそもあって、コミュニケーション手段を持っているわけですから、こういう本能と伝承にかかわる動物の行動は、とても参考になるような気がします。言葉が通じないときに、人間は深く考えるのかもしれません。幼児を眺める行為と似ています。

 

(埼玉県の社会福祉協議会でボランティアコーディネーターに講演しました。六〇歳を過ぎた団塊世代のボランティアが何千人も登録しています。この人たちを「子どもと遊ぶボランティア」として、幼稚園や保育園に二人ずつ送り込んだらきっと何かが変わる。

 子育てをあまり経験してこなかった団塊世代の男たちが、幼児と遊んで人間性に目覚めれば、社会の空気が少し変わる。全県でできれば、経済対策にもなるはず。)

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「なぜ、私たちは0歳児を授かるのか」(国書刊行会より)

待つ園長先生と待たない園長先生の話

待つ園長先生の話

 公立保育園の民営化が進んでいます。公立は公務員である職員が高齢化しお金がかかります。民営化すれば、お金をかけず、しかも「競争原理?」が保育の質を保つ、というのです。公立保育園の補助が一般財源化され、拍車がかかりました。しかし現実は、行政が「預かれ、預かれ」と言って、現場が「水増し保育」をして対応せざるをえないという状況です。

 公立の保育園を一つ頼まれ、引き受けた園長先生の話です。K園長としましょう。

 幼稚園や保育園は、園長先生の人柄と意識でずいぶん雰囲気が変わります。親の雰囲気も、子どもたちや保育士の雰囲気も変わります。この「雰囲気」が子どもの日常を左右し、大切なのですが、保育園によってかなり違うのです。保育園は人間たちが心をこめ、日々を創造する場所ですからそれでいいのですが、公立の場合、園長先生が四、五年で異動します。一つの園に道祖神園長が根づくことが出来ない。その結果、親の要望が、園の雰囲気を作ることがあるのです。

 K園長は、もと私立保育園の主任さん。子どもは子どもらしく、遊びを中心に園で楽しい時間を過ごさせたい、という保育観を持っていました。ところが、先生が引き受けた公立保育園が民営化されるとき、親たちが役場と掛けあって、保育のやり方を変えない、という同意書をとりつけていたのです。公立のときに入園した子どもが卒園するまでやり方を変えてはならない、それが権利だ、というわけです。役場は、とにかく公務員を減らし民営化を進めなければなりません。予算と議会決定のことで頭がいっぱい。園は子どもが育つところ、親心が育つところ、などという考え方は持っていない。親の要求を丸呑みしてしまいました。

 一人の園長が、主(ぬし)のように存在する私立の園とは違い、公立の場合はどうしても親の主張が強くなります。保育園は社会の仕組みとして扱われることで、保育士が保育を「仕事」と割り切る傾向がある。そして、役所は「親のニーズに応えてください」と園長先生に言いつづけてきたのです。厚生労働省も「福祉はサービス、親のニーズに応えましょう」と指導してきたのですから、役所を責めるわけにもいきません。親も保育園を子育ての「道具」くらいにしか考えていないようです。親と保育士という一緒に子育てをする人が、「役場の窓口経由」で話しあうなんて、そうとう馬鹿げた状況です、文化人類学的に考えれば、子どもの存在意義が忘れられている。

 「親のニーズに応えたら、親が親でなくなってしまう」という叫びを現場の園長から聞いたのがもう二五年も前のことですから、この役場と現場の意識の差がいまの日本の混乱した状況をつくっていると言っても過言ではない。親のニーズを優先するか、子どものニーズを優先するか、という視点の違いです。

 これは、人類の進化の方向を決定づける選択肢です。

 親の要望とニーズの第一が、この園の場合「しつけ」だった。大人の言うことをよく聞く、学校で通用する「いい子」に保育園でしてほしい、と言うのです。こういう子どもを作ることは可能です。子育ての手法、目的としては楽かもしれません。厳しいしつけが文化になっている国や宗教もあります。しかし、これを集団でやるには子どもに対する「情」を押さえなければなりません。

 K園長はその園にきて、ああ、この子たちは萎縮している、かわいそうだ、と感じました。子どもが子どもらしいことは、園長の願いであり、幸せでもありました。同意書があったとしても、楽しそうなのがいい、無邪気なのがいい、という気持ちが勝って、そういう雰囲気を作ったのです。途端に、一部の親たちから文句が噴出しました。「子どもが言うことを聞かなくなった」と。

 子どもが言うことを聞かなくなるには意味があります。子どもたちには、親を育てる、という役割があるのです。

 園長はあきれ顔で私に言いました。「あと二年残っているの。二年すればみんな卒園して、それから本当の保育ができるの」

 モンスターペアレンツは、紙一重で「いい親」。いや、いい親だからこそモンスターになるわけですが、もしこのとき、彼女たちが、もう少し時間をかけてK園長先生の真心に耳を傾けるだけの心の余裕があったら。目を見つめ、親身さを感じることができたら、視点を変え、きっと親子で違った人生を送ることになったのです。役所の受付の人が一言、「こんどの園長先生は素晴らしい方ですよ」と笑顔で親たちに言ったなら、ひょっとすると、それだけで何かが変わっていたかもしれない。

 保育士がどんなにしつけても、しょせん五歳までの関係です。継続性がない。しつけを支える「心」は、子どもの幸せを願う心、子どもの発達をみつめながら自らも育っていく、育ちあいの継続性を持っていることが大切なのです。親が子どもをしかるとき、たとえ子どもが成人していても、親の記憶の中には三歳のときのその子が存在します。それが親子関係の一番の意味です。

 一見「いい子」が小学五、六年生で突然おかしくなったりする原因の一つが、このあたりにあります。いわゆる「良い子が危ない」、保育士がしつけた子どもは、数年でキレる。

 保育園と親たちの心が一つになっていない。大人の心が一緒に子どもたちを見つめていない。子どもたちが安定した幼児期を送っていない。親が子育てやしつけを保育園に頼りすぎると、子どもたちが言うことを聞かなくなるときがくる。親を育てる役割を果たせていないからです。そのときに、やり直しはきかない。人生の修行のやり方はいろいろですから、いつか親が真剣に子どもと向きあえば手遅れということはないのですが、お互いにつらいことになります。親がその子が幼児だったときのことをなかなか思い出さないからです。

 私はK園長の思い、そして人柄を知っているだけに、この人の真意を見抜けない親は、いったい何に駆り立てられているのだろう、何を急いでいたのだろう、と考えずにはいられません。「自由に、のびのびと、個性豊かに」なんていう教育が、こんな親を増やしたような気はします。

 いい園長先生の「心」を、立ち止まってしっかり見てください。子どもが幼稚園や保育園で楽しそうにしていたら、それを当たり前と思わないで、先生に感謝してください。

 

 ある日、知人のお医者さんが悲しそうに言いました。患者が感謝してくれないんだ、と。ひどいときは、疑わしそうな目でみられたり、ほかの病院に行ってもいいんですよ、という表情をするのだそうです。いいことをしようと思って医者になった知人には、それが一番つらいことでした。

 病院があって、そこにお医者さんがいて、一一九番を回せば救急車がくる。それだけでも感謝することはできるのに、もう誰も感謝しなくなった。このままいくと、いつか日本もアメリカのように、お金か保険がないと医者に診てもらえない社会になるかもしれません。目の前に救える人がいるのに、お金がなければ救わなくなったとき、人間は進化するための人間性を放棄するのでしょう。

マイケル・ムーア監督のドキュメンタリー映画「シッコ」をご覧になってみてください。保険に入っていないからと、病院が患者を捨てる映像が映し出されます。いま先進国と呼ばれるアメリカの現実です。人類がシステムを作って人間性を失ってゆく実態です。背後にあるのは経済論です。

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 待たない園長先生の話

 幼稚園を二つやっていた園長先生が、役場に頼まれ、保育園を一つ引き受けました。県議会議員もやっているので、行政の方針には協力しようと思ったのです。

 引き受けた保育園は、まったく行事をしない、親の言いなりになってきた保育園でした。非正規と四時間のパートでつないできたような保育園です。園長先生は、そういう保育に慣れて気の抜けた半数の保育士を入れ替え、「潮干狩りの親子バス遠足」をやることにしました。

 さあ、大変。ほとんどの親が反対です。行事なんてやったことがないのです。園長の言う事を聴くなんて経験がない。結束してボイコットしようとしました。最近の寂しい親たちは、時々こういう馬鹿げたことで団結するのです。子どものためではなく、自分の権利(利権?)のために結束するのです。自分たちの保育園が、新しい園長先生の保育園になってゆくのが嫌なのです。許せないのです。

 「なんでバスで行かなければならないのか、自家用車で行きたい」と言う親がいました。

 園長先生は「だめです。みんなでバスで行くのです」

 「じゃあ、行きません」

 もう、子どもの遠足なのか親の遠足なのか本末転倒、むちゃくちゃです。

 参加者が半分に満たなかったために、最初の年、園長先生はバス代をずいぶん損したそうです。でも、そんなことではめげません。親たちに宣言します。

 「私は絶対に変わらない。それだけは言っておきます。あなたたちが変わるしかない」

 わずか三年で、親子遠足全員参加の保育園になりました。親も楽しそうな、子どものための保育園になりました。

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 長い間幼稚園や保育園を回って話をしたり、体験談を聴いたりして、時々自分は伝令役なのだと思います。以前書いたのですが、もう一度書きます。視覚障害の子を引き受けた理事長先生から聴いた悲しいけれどなぜか美しい話です。保育の難しさ、子育てを共有しながら、部族社会(運命共同体)にはなり得ない、三年間だけの宿命を象徴する話です。

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 私立の幼稚園の理事長先生の体験談です。男性ですが、子どもが大好きで熱血漢、県会議員もやっておられる年輩の方です。

 ある年、視覚障害をもっている子どもを引き受けたそうです。経験がなかったので躊躇したのですが、どうしても、と言われ、決心し、自ら勉強会や講習会に通い、出来る限りの準備をしたのだそうです。

 その子が入園して間もなくのころ、砂場でその子が一人で遊んでいて、自分の頭に砂をかけたそうです。その「感じ」がよかったのか、そっと、繰り返しかけたのだそうです。理事長先生は、注意することなしに「遊び」「体験」として見ていました。幾人かの子どもが集まってきて、その子にそっと砂をかけ始めました。それを理事長先生は、「育ちあい」として見ていました。長年保育をしてきた先生の経験からくる確かな判断がありました。その子のお母さんが見ていたことも、先生は知っていました。

 無事に3年が過ぎ、卒園が近づいてきました。そして、その子の母親が「あの日」のことを卒園の文集に書いたのです。砂をかけられ幼稚園でいじめられている我が子の姿がどれほど不憫だったか。それを先生たちは笑って見ていた、と。

 理事長先生は、あれほどびっくりしたことはなかった、悲しかったことはなかった、障がい児を預かるのはもうやめようかと思った、と話します。子どもに対する思い、保育にかける情熱に自信がありましたから、その気持ちが母親に伝わっていなかったことにびっくりしたのです。

 3年間そういう思いで過ごしてきた母親の気持ちを思うと、私はやりきれない思いにかられます。しかし、これは、いい理事長先生といい母親のエピソードです。

 その子は3年間、この二人に守られていたのです。


保育界の混迷/たぶん誰も確信がない。そして勘違い

 保育士さんたちに、「子育てから生まれる絆」〜幼児が親心を育て、社会に絆が生まれる〜という講演をして、講演のあと園長先生たちに呼び止められました。

 「先日、こども園に関しての説明を厚労省のひとから受けました。小さな会だったので、色々質問もしたのですが、よくわからないんです」と首をかしげます。その時に配られた資料には、先生の書き込みが細かい字でたくさんあります。一生懸命聴いていたのでしょう。

 「これをすると来るお金が増える、文科省と厚労省両方から補助が来るので得なんだと言われたように思います。子どもにも、教育と保育両方が受けられるし、親もニーズに合わせて預けられ、いいことばかりです、0.7兆円来るんです、と言うんです。ホントですか?」そして「私は、どうしても子どもには良いとは思えないんです。だって、保育園は幼稚園とは違うでしょ?」

 それは、違います。本気で取り組めば、ますます違います。子どものニーズが異なります。

 もう1人の園長先生が言います。「保育士は子どもの発達を見ますし、幼稚園の先生は教育が主体でしょ。そして、こども園では、8時間以上、8時間未満で、子どもを分けると言うんです。去年はたしか6時間で区切ってましたよね。単価のことでしょうけど、どうなってるんでしょうか?」

 通常、0、1、2歳を同じ敷地内で保育する保育園では、当たり前のように、「発達」という視点で子どもたちを見てきました。学問の領域とはちょっと違う。長年保育園をしてきた園長と、幼稚園をしてきた園長では、子どもに対する目線が違います。8時間で線を引くという考え方は、保育団体側の主張として聴いた気がする。決定したとは知らないし、こども園に移ると補助金が増えるというのも初耳。この件に詳しい園長の分析では、東京都では認定こども園に移行すれば、補助金が二割減になるのでは、ということでしたから。しかし、それも「たぶん」の話でした。

 私は、園長先生たちに、「全体の予算がどうなるか、誰も知らない状況で進む方向だけが閣議決定され、子ども・子育て会議と役人が迷走しているんでしょう、現時点でされる説明は、あまり意味がないと思いますよ。お金をかけずに待機児童をなくすには潰しやすい小規模保育しかない、それに移行するために保育の概念が崩されようとしているのではないですか。でも、保育士がいないし、こども園は認可保育所の国基準を規制緩和するために利用されているようにも思えるので、気をつけて下さい」と言いました。

 子ども・子育て会議における様々な団体の意見書を読むとわかるのですが、同じ子育てについて論じているはずなのに、委員によって視点が違う。よく読むと、異なった利害がぶつかっている。子育てを論じながら、子ども不在の利益誘導の論戦のようです。政府や学者の言う「市場原理」の体現が、この会議かもしれません。水面下の迷走ぶりを見ていると、園長先生には、

 「とりあえず現場は無理に変えないでほしいです。会議には、保育士が増え、仕事に魅力を感じるような仕組みになることをまず第一に考えてほしいですね」と解説します。

 園長先生たちのいくつかの素朴な疑問に答えられなかった私は、こんな質問をされたんだけど、と若手の論客園長に確認の電話をしました。

 すると、偶然にも同じ説明会に出ていた園長が、それは園長先生たちの勘違いです。短時間長時間保育を8時間で切る、という話も、両方の省から来る予算の話も、とてもわかりにくく早口に説明されていたので、そんな風に聴こえてしまったかもしれませんが、結局はまだ何も決まっていません。幼保一体化を本当に目指すのか、縦割りを省庁の次元でどうするのかも流動的ですね。小規模保育を増やす、ということだけは確かなようですが、と説明してくれました。

 ここで問題なのは、厚労省の役人の説明を、「普通の園長先生がどのように理解するか」です。

 こういう問題が得意で役人の説明に慣れている人には、「ああ、まだ何も決まらないのだな、決まったとしても実現は無理かもしれない」と思えることでも、「ああ、保育はこういう風に変わってゆくのですね、準備をしなければいけないのですね」と真面目に受けとめてしまう人たちが相当数いるのです。私の経験から見ても、乳幼児に関わる仕事を目指す人には、理論派よりも感性の人たちが多く、それはある意味、大切なことなのです。

(過去にも、0才児保育、ステーション保育、11時間開所、病児保育、一時保育など、役人の説明では、それが社会のニーズで、しかも良いことと説明されながら、やってみると、うまく行かず、数年経って、屋根に登ってハシゴを外されたような気持ちに現場がなることがありました。そのしわ寄せが現場に来て、その結果保育界全体の質が落ちてゆく。そして、子どもたちを眺めながら、「結局、子どものためにはなってないじゃない」と悔しい思いをした園長先生たちが沢山いたのです。)


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 思い出すのが、2000年ころだったでしょうか。「ゆとり教育」というのを文科省と政治家が言い始め、幼稚園の教育要領が変わって、それに準ずる保育園の方も、「教えてはいけない、子どもの気づきを大切に」とか、「見守る保育をして、指導してはいけない」という主旨の厚労省の指導があったのです。そして、真面目な園長ほど、「指導しない保育?」をしたのです。

 7、8年経って、学校教育に混乱が現れ、小一プロブレムや学級崩壊が起こり、文科省はゆとり教育の転換を決めました。厚労省も慌てて火消しに走り回りました。その時、ある大きな大会で厚労省の椋野美智子氏が、「それは現場の勘違いです」と言ったのです。

 現場の勘違い、それで厚労省は済ませようとしました。しかし、その時の十年に渡る(一見かっこいい)子どもの主体性を育てる保育で育った子どもたちが、今、たぶん10才から18才くらい。その子たちの人生を考えると、勘違いかどうかは別にして、勘違いするような説明や指導をした厚労省の責任は大きいと思います。

 「社会で子育て」などと言って誤摩化し、個々の直感ではなく、仕組みや学問で子育てをしていると、仕組みや組織が巨大なだけに、「勘違い」が多くの人生に一律の影響を与えてしまう。良い影響もあるでしょうが、人間の多様性や運命の偶然性、そして祈りが、安全網の役割りを果たさなくなるのです。

 

 子どもの主体性に関して言えば、「逝きし世の面影」(渡辺京二著)第十章〜子どもの楽園〜に出てくるような、江戸の末期から明治の初期にかけてこの国全体を包んでいた、「子どもを崇拝する」「子ども主体に大人が生きる」日本的文化・文明・伝統の中で、4、5人の大人たちが1人の子どもを見守るような子育てだったら構いません。

 1人の子どもの命に4、5人の大人たちが感謝する、その積み重ねで社会はまとまります。その不思議なまとまり方を見て、この国を、欧米人はパラダイスと呼んだのです。しかし、1人の保育士が子どもを20人も30人も、一日中見続けなければならないような仕組みの中で、画一的な保育はできたとしても、それぞれの子どもの自主性を尊重するのはほぼ不可能です。単純に「指導しない保育」が広がっていったのです。

 幼児は、野性的で残酷なところがあります。集団にする場合は、しっかり見守っていないと弱者に厳しく、辛い社会をつくることがあります。同年齢の幼児をこれほど長時間集団にすること自体が、実はとても不自然で、人間社会ではあり得なかったことなのです。

 「見守る保育」「気づきの保育」は、本来親や祖父母、兄弟が見守り、家族の絆に気づく「子育て」なら可能だった。

 仕組みよりもまず、子育てに関する意識を「子ども主体」に社会全体で統一しなければと思います。

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12月23日鎌倉/KNOB君のコンサートにゲスト演奏します。

今年もアッという間に年末です。
早かった。
年末に、ディジュリドゥー奏者のKNOB君の演奏会に参加します。
一月に、スイートベージルで吹かせてもらって、今年は、IAMとKNOB君関係を主体にほぼ隔月で演奏しました。
講演会の最後に一曲、というリクエストもありました。
お寺で話し、演奏するのは特に好きでした。
2013年12月23日(月・祝)
開場13:00  開演 13:30
会場 雪堂美術館
出演 KNOB (ディジュリドゥ、石笛 他)
ゲスト 松居和(尺八)
          山本コヲジ(クリスタルボウル)
入場料 予約 3500円  当日 4000円
お申込みは 天然空洞木で受け付けています。
メール dream-tree@knob-knob.com
FAX  0422−49−1703
☆会場情報 ≪雪堂美術館≫
神奈川県鎌倉市山ノ内1391−1
TEL 0467−24−4563
JR北鎌倉駅下車 徒歩4分