なぜ「四才児」完成説なのか。脳細胞、シナプスの相対的関係



  なぜ私が「四歳児」完成説に決めたのか。「完成」という言葉さえ本当は変で、「目標とする姿」と言ったほうが近いかもしれない。

 仏像や聖母子像や観音様のように、人間は具体的に崇拝したり、目標とする何かが近くにあったほうがいいはず。これを拝んでいれば大丈夫です、という共通した何かがあると、心が一つになりやすい。仏教やキリスト教が現れる前から、それはあったはず。

 保育園で、〇歳から五歳児の部屋で三〇分ずつ過ごしてみたのです。すると、四歳から五歳になる時、何かが変わるような気がしました。集団の雰囲気が、馴染みのあるものになった。園長先生に言ったら、そうですね、とうなずかれました。四歳児までは神や仏の領域。存在としてはまだ宇宙の一部なのでしょうか。五歳で人間?。

 園長先生が言います。

 三歳児はやりたい放題、鬼ごっこをすれば自分から捕まりにいってしまう。四歳ごろから、ルールを守った方が面白い、ということを学ぶ。鬼ごっこでは、ちゃんと逃げるし、捕まったら鬼になることも理解する。他者との関係がわかってくるのです。自制心を持って他者と関われば、もっと面白いということがわかってきます。相手もそのルールを守ってくれることで信頼関係が芽生えるのです。このあたりの幼児の発達過程は人間社会がどうあるべきか、どのように形成されるかという次元まで重なってくる、とても興味深い変化・進化です。

 それを親が眺めるといい。

 自分が通ってきたプロセスのおさらいをするように。〇歳から四歳までの子育ては、無意識のうちに一人の人間の完成、人類の進化の歴史を四年かけて眺めることなのかもしれません。そうして、人は自分という人間を人類の一員として理解し、安心したのでしょう。幼児を理解しようとするプロセスが、人間を作るのです

 世界が宗教間の軋轢や、人種や民族間の争いに満ちていても、もし四歳のときに子どもたちを混ぜてしまえば、そしてそこに親心があれば、平和や調和は可能でしょう。先進国は、その可能性に気づき、その可能性を大事にしなくてはいけません。

 なぜ、人間は四歳で完成したのに、情報や知識を得て不完全になろうとするのか。自ら不完全になることによって、集まって大きな完成を目指そうとしているのではないか、そんな風に考えます。人類全体で「絆」を作って完成するために、一度自分を見失う、という苦難の道をゆくのでしょう。

 人類としての完成、それが何百年先になるのかわかりません。でも、運命(宿命)はそんなところにあるのでしょう。だからこそ我われは、時々、四歳児という完成品、目標を眺めていないと、人類全体としての道を間違う。

 人類の歴史の中で、いまが一番大切な時かもしれない。私たちは、人類の進化を決定づける不思議な時代に生きています。

 だからこそ仕組みの発達と、経済という進化のエネルギーでもある欲の具現化が生んだ「話しかけない保育、抱っこしない保育」http://kazu-matsui.jp/diary/2013/12/post-225.html の出現が恐い。


脳細胞、シナプスの相対的関係

 脳細胞、ニューロン、人間の魂の分野に属することを科学的に話すのあまり好きではないし、不得意なのですが、時々そうだろうな、と思うことがあります。

 聞いた話ですが、ニューロン(脳細胞)の数が一番多いのは人間が生まれる直前で、生まれるときに大量に捨てるのだ、というのです。その捨て方には個人差があって、その捨て方が人生に影響を及ぼすはずです。ひょっとして、この「意識が働いているか」、それが「誰の意識なのか」はっきりしない出来事が運命や宿命と呼ばれ、仏教でいえばカルマ、修行の目標なのかもしれません。

 そして、人間は、このニューロン(脳細胞)をシナプスというものでつないでゆくのだそうです。それをニューロンネットワークといって、個人で異なる「思考」の仕方はこのネットワークのつながり方、そのあり方だそうです。そのニューロンネットワークが、生まれて一年くらいで最多に達するというのです。そこから、こんどは思考の回路を自ら削除してゆく。環境や体験にあわせ、どういう考え方がそこで生きて行くために重要かという優先順位を、それぞれその時の体験から決めていくわけです。

 人間としての基本的な生き方に加えて、言語や文化、伝統、習慣、常識といったその社会で生きるための知恵や知識が、共有する思考形態として定まってゆくのでしょう。脳の重さはほぼ五歳で成人並みになると言われていますから、生きるために減らしてゆくニューロンネットワークの数と脳の大きさが一番相乗効果を生んでいるのが四歳くらいで、人の思考の可能性、感性がそのころ最大となるのではないでしょうか。

 私はその状態を、「信じきって、頼りきって、幸せそう」というものさしから、四歳児で完成、最も幸せでいられる可能性を持っている姿としたのです。

 一人の人間をニューロンに置き換え、人間同士の「絆」をシナプスと考えると、人類の目的が見えてきます。「生きる力」とは個の自立を目指すことではなく、「絆」を作る力です。信じあい、頼りあうことが「生きる力」です。

だからこそ「話しかけない保育、抱っこしない保育」http://kazu-matsui.jp/diary/2013/12/post-225.html の出現は進化のプロセスにおける強い警告だと思います。)


 実際、四歳児が完成された人間かどうかは、別の議論に任せます。しかし、そのように四歳児を眺めることで、先進国で起こっているほとんどの問題が解決するのです。

 そこに人類の進化における相対性理論が見えます。


xmas_greetings_8x6_10copy.jpg

Dear loving Kazu San,

How are you? How is Yoko san Ryo san Dady and Mummy.
Our wishes to every one. Along with Felci and myself
all our Sakthi girls are here to wish you for the best.

“May this New Year bring in the Happiest and most 
beautiful things in your life.
Have a Healthy and Wealthy, Happy year 2014.

Sakthi 2014 Calender has come. We shall send you a few copies.
We had meaningful celebrations on 25th December and January 1st.
Really we missed you but at the same time we remembered you
so much in our prayers.

With much love and affection,
Sakthi Srs and Girls.

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です