▼松居和チャンネル、第63回は
(テーマ)人類未体験の「混沌」へ
副題:雇用主も含めての「子育て」で、村(むら)社会を復活させる。
にしました。
人類未体験の「混沌」は、欧米社会や中東における出口の見えない「混沌」の原因が、先進国における「家族という形」の崩壊にある、という話をしました。
日本は、まだ「家庭」の土台になる村(むら)社会的な絆を、雇用者も含めて、取り戻すことができる。幼稚園や保育園が、その役割を果たしてもいい。その機会を持った唯一の先進国なのです。それを政府が母子分離政策で壊してしまうのはあまりにも惜しい。
子育て、特に三歳未満児における「女性の活躍」(人間の活躍)の主体は、可愛がること、そして悩むこと。
子どものために「悩む」、それが幸せだ、と感じるために、「可愛がる人生」が先にあって、その順番が大切だからこそ、乳幼児期の母子分離をしてはいけない。
そして、「悩まなければ」親は、育たない。社会に必要な、絆や信頼関係も生まれない。
昔、ある園長が、オロオロしない親は駄目だ、と私に言ったことがあります。
親の就労が困難になる「小1の壁」と呼ばれる問題について、こども家庭庁は初めて全国調査に乗り出すと言う。
学童保育がカバーしていない朝の時間帯、親が先に出勤した後に自宅で1人で過ごし、玄関の鍵をかけて登校する子どもがいる。それは可哀想だ、と言うのです。(喋れない012歳児を、11時間も引き離す方が、よほど可哀想だ。)
そして、「親は、こうした事態を避けるため出勤時間の変更を迫られるなど、キャリア形成に影響を及ぼすことになり、女性の活躍を妨げる要因になっているとの指摘もある。」と言う。
朝、7時半から学校を開けたらどうか、という。
放課後の学童さえ、指導員が不足し、質が落ちている。朝の学童のば、政治家たちのやったフリ。子どもたちが過ごす時間の質は、親たちの「仕組み依存」と並行して、落ちてゆく。
「雇用主」と一緒に、悩むこと、考えること、が人間社会を形づくるのです。一人の子どもを育てるには、一つの村がいると言われる。だからこそ、村単位で、赤ん坊の誕生を祝ってきた。これで、この村も大丈夫、と思えたから。
雇用する側も「子育て」している、という意識が、土壌を耕すことを思い出してほしい。それが自然で、簡単で、美しい。
今回は、小野省子さんの書いた詩を、二つ読みました。
詩人の感性は、幼児たちからの伝言を、美しく、「真実」として語る。
乳児と関わる、という「共通性」の中に5歳児がいて、「あれは、僕の友だちなんだよ」と教える。
宇宙の仕組みを示唆する。
そのメッセージが、自分の中に「すでに在る」ことに人間は、気づく。
小野省子さんの詩集、http://kazumatsui.com/genkou.html
でダウンロードできます。
何に使ってもいい、と小野さんに言われています。卒園式や、卒業式で朗読していただければ、幸いです。登場する姉弟、はもう大学生。小野さんの詩と歩んで20年になるのです。