アメリカからの返信と、私の返信

松居 和様、

お忙しい中、こんなに早くお便りを送ってくださり、大変有難うございます。とても嬉しく読ませていただきました。

シャクティのビデオを送ってくださるということ、感謝します。来学期、学生に是非見せたいと思います。どういうディスカッションが出てくるか、とても楽しみです。又、先日の私のメールの中に何かあれば、もちろん、シャクティ日記に引用してくださってかまいません。

先進国社会ということで思うのは、アジアではありませんが、最近行っていたポーランドのことです。そこの学生と仕事をする機会があったのですが、このポンコツの車に乗っている(車のある人は少ない)貧乏学生達の口からは「soul」という言葉がさらっと出てきて、この言葉はアメリカの自分の教えている学生からはでてこないなと思いました。しかし、やはり先進国社会の影響は押し寄せてきていて、失われていくものを間のあたりにしながら複雑な思いでした。(古い工場が、経済を支える為のに大きなモールに建て変えられたり。。。しかし製品の値段はポーランド人の収入に見合うものではなく、誰が買うのだろう?と聞くと、西ヨーロッパから来るリッチな人ということでした)グローバリゼーションすなわちアメリカナイゼーションが進んでいく中で、世界はどうなっていくのだろう?と不安です。又、こういう状況下で、アメリカに居る日本人の私にできることはどういうことなんだろう?という大きな疑問にも面しています。

踊りはどう呼んだらいいかわからない踊りなのですが(小笑)、師と仰いでいる人は田中泯さんです。

ピナバウシュも「人がどう動くかではなく、何が人を動かすか」と言っていましたが、「どうして踊るのか」ということを最近ずっと考えています。

シャクティ日記の中に、踊り手達が浦和の幼稚園に行って、園児達と踊った時、感動していたとありました。踊るのは、芸術や意味のある目的というものを超えて、もっと深いところで、最も身近なところで、つながりを感じていたいからかもしれません。

お便り、本当に有難うございました。ビデオを楽しみに待っています。

敬具

N.M

私の返信

ポーランド人の口からこぼれた「Soul」という言葉、新鮮だったでしょうね。この言葉、アメリカでは、もう、なんて空虚に響くのでしょう。アメリカの「Soul」はすっかり商業主義の手垢がついてしまいましたね。経済論とは対局にある言葉ですからね。

本物を追い求めたら、たぶん南アフリカあたりまで行かないと、Streetで生きているジャズもソウルも見つからないかもしれませんね。

『ピナバウシュも「人がどう動くかではなく、何が人を動かすか」と言っていましたが、「どうして踊るのか」ということを最近ずっと考えています。』

良い言葉ですね。バウシュは私もむかし東京で見ました。稀代のプロデューサーでしょうね。この感覚、あの空間を見るとわかります。頭が先行せずに結果を意識せず、場を提供すれば自然に事は成る、という演出の原点ですね。

この言葉、教育局の人たち喜ぶかもしれない。学校教育は演出ですよね。場を作る、すると、ちゃんと子どもたちが先生を育て、幸せにしてくれる、というわけです。

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