いただいたメール/アメリカから

こんなメールをいただきました。私もアメリカに30年いたので、よくわかります。この、感じ。一流企業の駐在員や、ノーベル賞をもらうような学問の人たちには見えない、Streetのアメリカが伝わってきます。
こんな社会の対局にシャクティが居るような気がします。

松居 和様、

初めてお便り致します。NYの本屋さんでクロワッサン

を見つけて読んでいたら、シスターチャンドラさんの

記事に目がとまりました。自分は踊りをやっている者

で踊りの根源ということをずっと考えているので、

シャクティのダンサーについてもっと知りたいとウエ

ブサーチをしていると、松居先生のサイトに行き当た

り、シャクティの映画のみならず、原稿集まで、一気

に読んでしまいました。アメリカと日本の教育システ

ムの違い、家庭、教育、社会の崩壊のことや、自然か

らの?離など、普段考えていることを、より深く考え

る機会となりました。教育システムに関しては、私自

身も複雑な思いがあります。日本で大学院まで行っ

て、その後、アメリカの大学院に行き、現在アメリカ

の大学、及び大学院で教えているので、アメリカのシ

ステムに得るところも多いのですが、(常に受験の為

に競争しなければいけなかった日本の中学、高校、全

く真面目に教育しているとは思えない大学の教育に愛

想をつかしてアメリカに行ったので)先生の原稿を読

んでいると、あー日本の幼稚園って(保育園には行き

ませんでしたので、幼稚園が最初の学校でした)、学

校の中で一番楽しかったなーと、園長先生の顔が浮か

んできました。(何十年もたった今でもはっきり覚え

ているのです!)究極的には、’教育’とは何かとい

うところにいつも行き当たります。自分の人生で一番

深く学んだと思える経験は学校の中ではありませんで

したし。時には、学校という機関が持つ様々な「枠」

が本当に学ぶということを難しくしているのではない

かと思います。

先生もアメリカの大学に行かれたので、ご存知だと思

いますが、私の生徒は大体各クラスに半分くらいが両

親が離婚しています。又、生徒をずっと見ている

と、’分離’状態が年々ひどくなってきている気がし

ます。人からの分離、自分自身からの分離、回りの環

境からの分離と、私の教えている’演劇’にとって

は、この状況は致命的です。ものを見て、聞いて、感

じて、と言っている自分も車とコンピューター社会で

自然や古いものからだんだん遠くなっていく日常で

す。あせりを感じて、自転車通勤してみたり、とにか

く不便な方向へと生活をもって行こうと、ささやかな

抵抗を試みてはいますが。。。

キャリアを持ち、家庭を持たない身では、「保育」と

いうのは縁遠いことのように思えたのですが、先生の

原稿の中の、「上の人が教育方針に対して理解せずに

決めてしまうのは現場を経験しないから」というのに

は大変同調できました。大学でも同じことで、不景気

の中、とにかくできるだけ多くの生徒を1クラスに詰

め込んで、先生は同じ給料でできるだけ多くの数のク

ラスを教え、できるだけ早く卒業させることを第一目

標として掲げているのには、驚きます。まるで学校が

工場になってしまったみたいで、「対人間」というの

を全く無視しているなーと感じます。これだったら、

先生は真面目じゃなかったけど、時間がゆったりし

て、留年したり、こっちに迷ったりあっちに迷ったり

しながら卒業していく日本の大学の方がオーガニック

なのかな?と思ってみたり。。

まとまりのない文章になってしまって申し訳ありませ

ん。先生の『家庭崩壊 学級崩壊 学校崩壊』を是非

読んでみたいです。この本は日本のアマゾンで入手可

能かと思うのですが、『シャクティ』のビデオはどこ

で見つけられるのでしょうか?

大変お忙しい中、読んでくださり、有難うございまし

た。いつかお返事がいただければ、とても嬉しいで

す。

敬具? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? 2009年1月6日

私の返信

アメリカの大学が工場のようだ、というのは本当ですね。アメリカでいま、社会で通用するだけの読み書きが出来ない教師が問題になっているのも、卒業させないとお金にならない、という経営主体の学校が多いからですね。日本も最近それに近くなってきていますが、子育てのビジネス化が絆の本質を変えていっているのですね。

「これだったら、先生は真面目じゃなかったけど、時間がゆったりして、留年したり、こっちに迷ったりあっちに迷ったりしながら卒業していく日本の大学の方がオーガニックなのかな?と思ってみたり。」

という感想は、肌で感じたものでなければわからない非常に感覚的な感想で、とてもよくわかります。所詮、学問は、人類何十万年の積み重ね遺伝子情報の表層の部分でしかないんですよね。もっと、根源的なところ感覚的なところで、人間は、何かおかしい、と思いますからね。

踊りをやっているのですね。民族舞踊ですか?

ドキュメンタリーの中に「人はなぜ踊るのか」という言葉が出てきます。

不思議ですね。

クロワッサンに感謝です。

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