シャクティの余韻

シャクティの踊り手たちが東京の街を走り抜けていきました。笑いながら踊りぬけていきました。

欲のない少女たちは淡々と、村に居る時と同じ表情で、私が拍子抜けするように、楽しそうに走り去って行きました。東京の街を初めて見た時も、バスの窓から見つめる目は、インドの街を走り抜ける時と同じだったように思います。感動は、先進国社会で、情報の積み重ねの上に成り立つ欲の一部になっているのかなあ、とさえ思いました。感動がないわけではないはずです。ただ、それが日常生活の中の彼女たちのふつうの明るい笑顔と変わりがないのです。

情報を得て、感動の定義さえ作り出している、感動しないと損、みたいなところがある私たちとは、世界を見る目がちがうような気がします。

欲がない、ということはこういうことなのかもしれません。マハトマ・ガンジーが「神の子」と呼んだ意味が、直感的にわかるような気がします。

その余韻に浸っています。

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