マハーラクシュミの涙

淡々と駆け抜けていったシャクティ。あの娘たちが、笑顔を越えて、感動の表情を見せた瞬間がありました。

はとり幼稚園での公演で、自然に園児たちと輪になって踊った時のことでした。一番背の高い、はにかみ屋のマハーラクシュミの目から涙がこぼれました。その時、私は何かを見たような気がします。

どんなに公演で拍手を受けても、彼女たちはカーストのことを説明され、自分たちが踊っていることの意味を説明され、そして踊っていました。それは、意味のあることでしょう。

でも、園児たちには誰も何も説明しません。ただ、踊ったのです。そして、園児たちの目には、曇りのない、情報にとらわれない、真の平等の光があったのだと思うのです。平等なんて言葉さえ、いまでは闘いの道具になっている。園児たちはただ一生懸命、一心にシャクティのお姉さんたちと踊ったのです。

地球の住人がみんな4歳児だったら…。

幼児を眺めて人間は成長する、幼児を見つめて、人間は幸福になるやり方を学ぶ。幼児と踊って人は心を一つにする。

マハーラクシュミの涙は、地球の涙だったのかもしれません。

 

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