インドへシスター・チャンドラを訪ねて(その2)

 シャクティセンターのこの二年間は試煉の連続だったみたいです。私にはいつも「ちょっと問題があるけど」と書いてきただけですが。修道女は不思議な人たちで、苦労を語る時思わず涙ぐみながらも、2年前よりずっと元気そうです。神は乗越えられない試煉は与えない、という原点に立ち返るのでしょうか。信仰と試煉は両立する。ちょっと子育てみたいですね。

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 シャクティとシスターがグジャラート州まで招かれ、その生誕日に行進するアンベドカルは、マハトマ・ガンジー、ジャワハルラル・ネルーと共にインド建国の父と呼ばれ、不可触民の出身でありながら博士号を複数取り、差別撤廃運動を進め、その起点となる憲法草案に深く関わった人です。不可触民という定義のない仏教徒に亡くなる数ヶ月前に50万人と一緒に改宗した人。いまだに遅々として進まない差別撤廃運動と格差の状況を知ったら、天上で愕然とするかもしれません。

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 しかし今インドが抱える問題は、どこか質が違います。

 (チェンナイのホテルで日記代わりのツイッターを書きながらふと思い出しました。日本を出る時JayaTVのニュースに出演することも、アンベドカルの誕生日に私も一緒に追悼演奏もすることになることも知らなかったのです。人生は何が起こるかわからない。思い切って来て、よかった。)

 IT産業を中心に国全体の収入が増えるとともに格差が激しくなり、それに伴って犯罪が増えている。「携帯電話がいけないんだと思います」とシスターはつぶやくように言いました。親の知らないコミュニケーションツールを娘たちが持つことで、村でも少しずつ家族の信頼関係が壊れ始めている、というのです。ダリットの村という、選択肢のない信頼関係が生活の基盤だったコミュニティーにさえも、そこに世代を切り離すツールが入ってきている。これは広義解釈すると義務教育もそうなのですが、そこまでシスターには言えませんでした。教育の普及はシスターの人生をかけた目標です。でも以前、この義務教育の普及と家庭崩壊の関係については、アメリカの例を挙げてシスターとじっくり話し合ったことがあります。

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 祈りとか乳児との会話、子守唄もそうですが、沈黙を共有する種類のコミュニケーションが日常生活の中で希薄になり、人生が騒音主体に聴こえ始めると、人は攻撃的になるのかもしれない。自分自身を体験しにくくなる、喧噪に焼かれながら、そんなことを思いました。そこにインド特有の生きる力、宗教、カースト、貧困、因習などが加わり、同じ道でありながら、日本とは次元の違った、はるかに強烈に人間性を人間に問う、厳しい道を突き進んでいる感じなのです。それぞれの道なのに共通点もある。しかし、その変化の速度が異常なのです。

 政府は子どもを学校へ行かせる為、児童を雇った工場主を厳しく罰している。それでもダリットの少女たちには学校自体が通学路も含めてまだ安全ではない、とシスター・フェルシーが言いました。ダリットの少女が犠牲になっても警察は見て見ぬ振りをすることがある。しかも、小学一年生になる時にはダリットだということを学校に申告しなければならない。そして、慢性的は汚職と賄賂が経済発展によって増々ひどくなっている。

 バスの中でシスターに「最近は何を話してるの」と聴かれ、「ずっと同じです、増々赤ん坊を預けたがる人が増えていて」と答える。すると目を見開いて「なぜ?日本は豊かな国でしょう?」。説明しようと思ったけど、インドの風景の中では説明にならないのだ。シスターは頷いて「頑張りなさい」と言った。

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 インドには、説明のつかないことがもっと一杯あるのだ。子育てという進化の土台はまだあるけれど、人間が創り出した様々な奇妙な仕組みと、市場原理で先進国から侵入してくるテクノロジーと矛盾する幸福観のおかげで、日本より何がなんだかわからなくなっている。

 シスターの「頑張りなさい」は、私も頑張る、という意味で信仰から言ってくれているのです。背景にGod’s Will(神の意思)がある。

 

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 インドには昔からベジタリアンとノンベジタリアンという人間の分け方があります。一番大雑把なカースト制かもしれない。60歳以上のベジの多くは社会の急激な変化を人生に重ね合わせ、誇りの中にノンベジに対する蔑みと頑なな鎧を身につけ、ほぼ下克上には耐えられない。ベジはブラフミンと重なる部分があり、彼らの視点から言えば、対極にいるノンベジがダリットです。貧富の差が逆転しているような都市部でも、ダリット出身者の立派なアパートから魚を焼く煙が入ってきたというだけで、怒鳴り込んでくるブラフミンがいるのです。

 最近のインドの混迷はもっと複雑。回教とヒンズー教に代表される宗教対立に加え、カーストがあり、ベジとノンベジ、EducatedNon-Educated、貧富格差がありIT(アイ・ティー)とNon-ITがある。

 このITピープル(インターネットピープル)が結構凄いのです。両親よりも稼ぎが多く、親に知らせず勝手に入籍し、しばらくしてさっさと離婚するようなのが3割くらい居るという。結婚のほとんどが親に決められた相手との見合い結婚だったインドでは考えられないことです。カースト破壊の糸口かもしれない。

 カースト破壊の糸口?それを飛び越えて一気に家庭崩壊まで行ってしまうというのです。ITピープルは親の世話をしない、女性が夜飲み歩く、という噂です。(忘れないで下さい。回教徒が2割いる国です。)保守的なベジもまだ生きている。Non-Eduも居て、村には米国や日本の存在を知らない人たちがいるのです。そこで暴行事件が起こっている。生き方のぶつかり合いが凄いのです。

 インドの回教徒は独立の過程でパキスタンとバングラデシュに分離されたといえ、実は日本の人口より多い。街では若い女性が月光仮面のように顔をすっぽり覆い隠しスクーターで二人乗りしている。顔を絶対に見せない若い学生を大学でも見る。親の影響力が無いとあり得ないこと。その娘たちがITピープルとキャンパスで混在する。そしていまだにカースト越えの結婚が原因で、村が一つ焼き払われたりするのです。

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 タミルナード州で最近起こった村の焼き討ち事件は、上位カーストの娘がダリットの青年と恋愛し結婚。父親が帰るよう村に説得に行ったが娘がそれを断り、父親が自殺。父親の住む村の村人が怒り、青年の村の家を300軒焼き払ったというのです。なんとも過酷な死生観と根深い差別意識、家族意識です。村を焼き払う、という行為も驚きですが、父親が娘のカーストを越えた結婚で自殺をする、というところに絆の深さと、その絆をここまで支えて来た価値観や情念の深さを感じます。人間はこういう方法で生きて来たのです。

 シャクティの娘も、私の作ったドキュメンタリーに出て来るスダが恋愛し自ら逝きました。(以前ブログに書きました。)続く。

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