スマート保育、プロジェクト2000、3歳児神話

2013年4月10日

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子どもを母親から離すため、三歳児神話は神話に過ぎない、と厚労省が白書で言った。(実際は、三歳児神話には科学的根拠はない、というような言い方だったと思うのですが・・・。)三歳児は反論できない。しかし、昔から神話は幼児を守るために存在するのです。もし厚労省が「実証されてない」と三歳児神話を否定するなら、ついでに雛人形や七五三も否定すればいい。神社に向かって、神社に科学的根拠はない、と呟けばいい。神について議論したくはないのですが、神や宇宙(幼児、人形)との会話は、人間が自分を知る方法だったはず。

以前、田舎のできてまだ二年目の保育園で講演しました。公立の園を退職したガッツある優しい女性園長のもとに、良い保育士たちが結集していました。職場選びは園長選びでもあります。人生の意味を探す若者たちの直感を感じました。理不尽なクレームは絶対許さない。怒鳴り込んで来た父親に園庭で日暮れまで怒鳴り返す園長。次の日、父親が「すみませんでした」と謝ってきたそうです。だからこそ、まだ二年目の保育園にこれだけ本気の保育士たちが集まっていたのです。講演後に火花が散るような懇親会になりました。

子どものために必ずしも良いとは思えない認定こども園を政府が進める背景には、三歳児神話の否定から始まる長時間保育つまり雇用労働施策があります。この意図が根底にある限り、仕組みはいつか人間性とぶつかるのです。認定こども園の危ない仕掛けは、「就労しているいないに関わらず」入園できるということ。よほど園長がしっかりしていないと、幼児を守る堤防がここから決壊するかもしれません。

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卒園式の季節。三月末日に卒園式をやる園はありません。ただでさえ休みなしで名札の張り替えなど、クラス替えの準備を一晩でしなければならないのです。

先日四国に、卒園式での「涙の別れ」後は園児を預からない、という強者(つわもの)保育園長がいてびっくりしました。学校に入学した後のための「慣らし」だと、平気で言うのです。当然のように親から役場に文句が行ったそうです。法的には園長のやり方は間違っているのです。すると、最後まで預けたい人は卒園式に出なければ預かる、と言ったそうです。もちろん式には全員出席したそうです。

卒園式のあと給食を出さなければほとんど来ませんよ、という園長もいました。田舎では、まだ園長の意地と政府の規則がぶつかっている。いつまで続くかわかりませんが、ありがたい。

images.jpeg噛みつく一歳児が増え、保育士に経験と知識と理解する心が増々必要になっているのに、派遣会社や株式会社の青田買いで一気に進んだ保育士不足。保育士が選べない。そんな状況の中、生い立ちの結果なのか、父親たちが無気力になったり、抑えが利かないケースが増えている。簡単に仕事を辞めてしまう。児童虐待やDVをする男も増えています。母親が心底ゆったりできないから、それが子どもに影響する。保育室で子どもたちがお互いにキレ易くなっている。軽度や軽々度(昔ならただの個性)が引き金を引きあってしまうのです。年長組1対30なんてまったく無理なのです。

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幼保一体化と政府や学者は軽々しく言いますが、幼稚園に行く子どもと保育園に行く子どもでは一般的に家庭の事情、親の意識が違います。集団保育するなら別々にやる方が自然。保育のしやすさは、保育士の心の安定につながります。その安定感が、めぐりめぐって幼児たちの健やかな育ちに不可欠なのです。幼稚園と保育園がそれぞれ別々に発達してきた、独自に存在してきた日本が欧米に比べ、経済、モラル・秩序、犯罪率、幼児虐待やDVという幸福に直接かかわる問題では一律に状況がいいのです。この仕組みを不用意に変えると、必ず学校にしわ寄せが来ます。

以前、高卒の二割が読み書きができないというアメリカで、シカゴの市長が教育委員会を廃止し学校運営を全て親に任せたことがありました。学校という仕組みの中で、専門家の知識など必要ない。親たちの関心がなければそんなものは機能しない、というのです。

専門家不在で、いい授業にはならなくても、親が子どもに関心を持ち、目を向ければ学校教育再生になる。実の両親の元で育つ子の方が少ない国で、この施策は自虐的に「サードワールドスクールシステム」と呼ばれていました。

15年前ワシントン市が始めたプロジェクト2000という取り組みもすごかった。

母親が恋人と暮らしていれば父親像が家庭にあると計算する国です。実の父親がいるか、などとは誰も考えません。そう計算しても、六割の家庭に大人の男性が居ないワシントン市。

小学校を使って、子どもたちに大人の男性と接する機会を与えよう、父親像を教えようという施策を始めたのです。背景に、父親像を持たない子どもは五歳から序列をつくってギャング化する、などという研究がありました。犯罪を減らすために、母子家庭よりも政府が孤児院で育てた方がいいのではないか、と連邦議会で法案が論議された国なのです。時々、とんでもない施策が現れてびっくりします。日本は、たぶん五十年は遅れている。だから、まだ方向転換できると思うのです。

 アトランタ市の教育委員会も凄かった。数%の悪い生徒を排除してくれればクラスが成り立つ、という教師たちの要望を受け、ケニアに寄宿学校を作り、一年間悪い生徒をそこに入れるプログラムを試したことがありました。当時、「我々はアフリカで教育をするのか?」というタイム誌のカバーストーリーにもなりました。アフリカに送られた生徒の9割が立ち直ったというのです・・・。

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登園時に熱を下げるため、抗生物質を常備し、熱が出ると園に黙って与える親の話をよく聞きます。日本での話です。大人用を与え、それを報告しないから危ないんです、と園付きの看護士さんが怒っていました。10時頃熱が上がり始め連絡しても、迎えに中々来ない。「規則ですから迎えに来て下さい」と言っても来ない。私がいるから来ないんです、と看護士さんが私に言ったのが忘れられません。市が、子育てサービスとして始めた看護士の常駐が、親子関係を壊してゆく。

親は身勝手、子どもは抗生物質漬け、と園長たちが嘆くのです。子どもを共に育てるための親との真剣勝負を、保育ママや株式会社が出来るとは思えない、サービス産業は病気でも預かります、とやがて言い出す。子どもが病気の時というのは、親子関係が一番築けるチャンスなのに、と園長たちは嘆きます。

 

<スマート保育> 空き店舗や公共施設などを改修し、認可外の定員6~19人の小規模保育を行う事業者に東京都が開設費と運営費を新年度予算から補助する。2年間で0~2歳児約1000人の定員確保を目指す。子ども1人当たりの面積などの設置基準は区市町村が定める。(本当にこれで良いのか!)

 東京都のスマート保育にしても埼玉県の幼稚園・家庭保育室連携プランにしてもそうですが、魔法のように保育士は湧いてはこないのです。水増し保育や規制緩和のしわ寄せは、全て既存の保育園に連鎖する。それは即ち全ての子どもたち、全ての教師、社会全体に跳ね返ってくるということは、少し想像すればわかるでしょう。実態を把握してほしい。

 

東京都のスマート保育の危険性:6〜19人の小規模保育は、3月に自転車操業状態になることが多い。4月の保育士の必要人数さえ予測できない。子どもを親から引き離すことが事業主の死活問題と重なってきます。土曜日も預かってあげるから夫婦で遊びに行ってらっしゃい、という言葉が園長の口から飛び出したりする。都が開設費と運営費を補助するというのですが、子ども優先の仕組みには絶対にならない。いい保育士は集まらない。

 

猪瀬知事のスマート保育「2年間で0~2歳児約1000人の定員確保を目指す。子ども1人当たりの面積などの設置基準は区市町村が定める」。保育の現実を知らない学者知事が、子どもより親へのサービスを考え、選挙の票集めをする首長に基準を任せるというのです。スマート保育を翻訳すれば、「ずるい保育」。ぴったりの命名かもしれません。

 「0〜2歳児を預かっている家庭保育室から保育所に移る3歳児が待機することが多く、福祉関係者の間で”3歳の壁”と呼ばれている」1才児の壁が3才の壁に連鎖。当然でしょう。出発点の発想を、子ども優先に変えないと、保育から教育、経済、介護まで、将棋倒しのように崩れてゆく。

 幼稚園と家庭保育室の連携「幼稚園の開園時間外は、3〜5歳児も家庭保育室で預かる」連携と言うのですが、園庭なしの幼稚園学童でしょう。学校に行く前に、子どもたちは何種類の保育者と何種類の園で、一体誰に育てられるのだろう。一番安心安定を求め、親子という一生の絆を築く大切な時期に、神様たちの心が彷徨う。

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(ツイートから)

保育園は家長制度的で園長が采配を振るうことがよくある。園長も人間、老人特有の症状が起こったりする。それがいい方に出ることもあるのですが、素晴らしい園が突然訳が分からなくなったりもする。主任が居てベテランが居て、長年の信頼関係があればいいのですが、でももし保育士の半数が派遣だったら、どうなるのでしょう。それでも、毎日子どもたちは通ってくるのです。保育は子どもの人生に関わってくる。大人たちの信頼関係で守られるものなのです。

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園で気づいたことも親に言ってはいけません、と保育士に言う園長が小規模園や認可外で増えています。保育士の力量の問題もありますが、子どもの発達や行動で気になることがあっても、親とのやり取りが嫌で避けているのです。お客さん扱いされることを望む、理不尽な親たちの行動が、そうでない親たちの子育てにも影響する。自業自得とはいえ、これがシステムで子育ての恐い所です。

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児童館に勤めていた指導員の話です。子どもたちにいきなり後ろから回し蹴りされ前歯を折ったそうです。財政削減で民間委託された児童館は、契約を切られるのが恐くて不祥事を自治体に報告しない。曲がった性的嗜好で入ってきた男性指導員も排除できないと言うのです。父性に飢えた女の子たち。しっかり行政が見張らないと、児童館が、不安な子どもの吹きだまりになってゆくことがある。

 

8年ぶりに教職に復帰した先生、学校のあまりの変わり様に愕然。「トイレは休憩時間に行くように」と子どもに言ったら、親が怒鳴り込んできた。もう指導できる環境ではありません。子ども同士、引き金を引き合って収拾がつかない、授業にもならない。良心捨てるか、教師辞めるか。精神的病での休職が都で7割と言います。

 

都のスマート保育の記事を送った園長から、「松居先生、火が付いて、とめられなくなりましたね。こうなると、燃え尽きるまで待つしかありませんかね?スマート保育が呆れます!」。保育なんて何とでもなると知事は思っているんでしょう。でも、日本の母親たちは実状に気づけば、我が子のために方向転換します。必ずします。

 

親たちが自主的に始め、数十年続いている保育園を知っています。「子育ては、人間が心を一つにする、絆が育つためにある」が伝統になっていれば、保育園は親心を育みながら、回り続けます。「サービス」にはなりたくない、と行政の影響下に入る認可保育園に、意図的にしようとしない根性園長もいます。親心が結集すれば人間はジャングルでも生きていけます。

 

電話をすれば救急車が飛んでくる。親はこれだけでも実は感謝していい。あとは、集まって時々「祝って」いれば人間たちは大丈夫。そんな事が保育の中心にある園はいつでも自分たちで作ることが出来る。幸せそうな人を真似ればいいのです。http://www.youtube.com/watch?v=uoQXhyz0rOg

 

沖縄県では、米国の教育システムが習慣として残り、5才児は基本的に全員幼稚園。保育園の卒園は4才。幼稚園学童という文科省でも厚労省管轄でもない不思議な状況が生れ、田舎や離島に、伝統的に親たちが自主的にやっている学童があって、これが中々いい絆を育てている。楽しそうです。(最近はその隙間で儲けようとする認可外保育園も進出していますが……。)

 

保育園で、子どもが初めて歩けるようになる瞬間がある。園長が担当の保育士に「親に言っちゃいけないよ。もうすぐですね、って言うんだよ」。「その瞬間を親が見ていないなんてことを許したら、私たちの仕事が親子の不幸に手を貸すことになるんだよ」。こんな園長に当たった親子は知らないうちに人生が変わっています。いい方へ……。

 

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講演で保育士たちにお願いするのです。毎日、園で保育士が幸せを感じる瞬間が何度かある。それは本来その子の親たちのもの、その瞬間を奪っていることに後ろめたさを感じて下さい、と。「子どもの幸せを願うなら、それを親に返す努力をして下さい」とお願いするのです。子どもたちに磨かれた保育士たちは、必ず頷いてくれる。

 

児童館・学童の民間委託、保育園の民営化、公立保育士の非正規が六割、全て理由は財政削減。そうした流れの中で頑張っている人たちも居ます。しかし、長い目で見て、子育ての市場競争化がどれほど将来の日本を傷つけるか。学校で教師たちが直面している状況を見れば明かなのに、政府はまたしても「保育ママ三千人施策。2週間の研修で、資格なしでもOK? 」。できるものならやってみろ!

できるわけがない。

 

子どもたちに喜んでもらって、親と保育士たちの心が一つになるように。父親たちが他の子とも遊べるようになるために。そして、いつでも親に見せられる保育を宣言するために、一日保育士体験を薦めています。茅野市のホームページがhttp://www.city.chino.lg.jp/kbn/03091001/03091001.htmlにあります。

 

子どもが認可保育所に入れない、保育を受ける権利を侵害していると杉並区で始まった行政不服審査法に基づく異議申し立てが広がっています。保育士が不足している状況下で、政治家が「会議室でも空き店舗でもOK」とやってしまったら、数年後3歳〜5歳の保育が託児所化し、将棋倒しで教師が倒れてゆく。適者生存、本当の格差社会が姿を現す。恐いですよ。

 

デトロイト市の教育委員会だっただろうか。以前、根本は親が問題と分析、学校が親に成績をつける試みをしたことがある。朝食作ったか、宿題手伝ったか、規則正しい生活をさせたか等々。すると、子どもたちが親の成績を心配して頑張ったというのです。本末転倒ですが、そこに不思議な真理がある。元々子どもが親心を育てるのが筋なのです。

 

認可保育園を増やせと言っても、いま園は、最前線の児童相談所、仮児童養護施設の役割さえ果している。児童虐待やDVを一つでも止めようとすれば、園長は家庭に踏み込んで行くだけの気力と決意を必要とされるのです。それをしないと他の児童と、その人生に直接影響が出てしまうのが保育園なのです。規制緩和で保育園が崩れたら児童福祉全体が危ない。

 

共励保育園の長田安司先生が書いた「便利な保育園が奪う本当はもっと大切なもの」を読めば解っていただけるはずです。園長・主任が家庭と真剣に関われば、どれほどたくさんの親子の危機を救えるのか。「親のニーズに応えろ」と役場に言われ、多くの園長が口を閉ざすようになって、どれほどこの国が壊れたか。でも、まだ保育士の魂はまだ死んでませんよ。

 

 

0歳児が、きめの細かい反応を一対一でしてもらえないと、無表情になったり、無感動に慣れ、1歳になると突然噛みついたりするという。脳細胞がつながったり環境によってつながり方が取捨選択される時期に、哺乳類として必要な関わりが不足すると、社会を形成する時のハンデになってゆく。そんな感じだろうか。

 

あまりにも頻繁に保育士が換わる認可園がある。これで良いのか、と市議会で問題になる。園長は影で「認可外の時の方がお金が貯まった」と保育士に言う。そんな園長だから保育士も嫌気がさすのだが、園長は認可の規則を無視して派遣で回す。待機児童をなくせ、の掛け声が響いている限り、監査が入っても園長は気にしない。真の保育制度の改革は、規則を守らせる所から始めなければ意味がない。

 

 

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