唄わない母親(子守唄)

 最近講演先である保健士さんから、0才児にまったくはなしかけない母親がいるんです、という話を聴きました。しゃべれないんだからはなしかけても無駄だというそうです。母親も無表情だそうです。いったいどうしてそんなことになったのでしょうか。何がそうさせているのでしょうか、と質問されました。

 この母親は一人で唄もうたわないのでしょうか。つぶやくこともないのでしょうか。0才児に話しかけるということは自分に話しかけること。子守唄は宇宙との会話。自分との会話を忘れてしまったのでしょうか、環境に合わせて生きるために拒否しているのか。色んなことを考えます。

 誰かが、子守唄をうたいなさい、と教えれば一週間くらいで変わるのかもしれません。音楽には人間に必要な魔力があります。0歳児というむき出しの現実と直面するには「歌」のようなものが必要なのだと思います。感性と理性の間には、必ず体験が存在します。体験を含んで魂というのかもしれません。

 産後、子育てで鬱になる母親のなかに、十代で鬱を経験している人が多い、とも言っていました。さかのぼってゆくと、幼児期の体験に行き着くような気がします。人間の人生はすべて幼児期の体験に遡るというのは、あたりまえなのですが、幼児という、世界を「祈り」で満たそうとして存在しているひとたちが、その役割を果たすことが出来なかった、そこに原因があるような気がします。

 「子守唄」が、人類が抱える様々な問題の解決策になる日は来るのでしょうか。保育士たちに頼みます。未満児を持つ母親に父親に「子守唄をうたいなさい、良く育ちますから」と声をかけてください、と。

 大切な循環が止まり始めている。それはたぶん0歳児が繰り返し起動させてきた循環で、私は時々それをシャクティの世界に取り戻しに行こうとする。

 まだ今年は行っていません。感性と理性をつなげる旅に。


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