カール・アンダーソン

 今日はカール・アンダーソンの命日だった。唐突に、メールで知人から知らされたのだ。

 7年前にカールは逝った。知らせてもらわなければもちろん覚えていなかった命日。こういう時は、意識の中で、、ちゃんどリアクションした方がいい。久しぶり、カール。

 カールは、私の最初のアルバム「Time No Longer」で歌っている黒人の歌手。ミュージカル「ジーザスクライスト・スーパースター」で主役のユダ役を演じ、映画「ディープパープル」にも出ている。

 私にとっては、アメリカという国の扉をあけてくれた案内人だった。今でも初めてスタジオで会った日のことを思い出す。温かい飲み物の入ったポットを片手に、「Voice from the Dark」を一気に歌い上げていった。https://www.youtube.com/watch?v=KwYERT0zE-Q

地球が終わりに近づいている時に、危機を告げる吟遊詩人に暗闇から語りかける、というかなり奇想天外な私の舞台設定を見事に歌いきってしまった。あんな体験は人生でもそうそうない。ジェニファー・ウォーンズが「Direction West」を二枚目のアルバムで歌ってくれた時も素晴らしかった。カールの時は、私にとって本物の歌い手を初めて録音した体験でもあったので、印象が特に強い。いまだに昨日のことのように思い出す。モントレースタジオだった。ちなみにこの曲のドラムは、亡くなったジェフ・ポルカロ、ギターはスティーブ・ルカサーとロビン・フォードだ。

 カールとは、人種差別の問題を軸に、アメリカや人間についてずいぶん話し合った。いつも言葉に力がある、ストリート系のインテリだった。

 私はいつも講演でアメリカのことを数字を上げてとてつもなく批判するのだが、カールが「Say it, Kazu, Say it!」と言っているような気がする。

 珍しい種類の白血病になった時、「Kazu, I ‘ve got bad deal, men」と言っていたのを、その声の哲学的な調子まで思い出す。妹の骨髄を移植したが駄目だった。なぜかいまでも私の携帯電話にはカールの携帯電話の番号が入っている。病院にかけていたのをそのままにしている。いつか電話をしなければ、と思っているのかもしれない。こういうときに、「携帯」電話はいい。

 葬式には、スティービー・ワンダーやナンシー・ウィルソンが来て、本気で歌った。霊歌を歌った。

 息子のカリルはいくつになっただろう。

 私が会った頃、カールは時々アブカリルを名乗っていた。回教名でカリルの父という意味だった。ブラックムスリムの運動に少し関わっていたのではないかと思う。カールがアメリカという国を見るとき、そっち系の厳しさが常にあった。ロジックが信心と螺旋状に絡み合っている。そう言えば、カールを看取った二番目の奥さんベロニカは、以前モハメド・アリの奥さんだった。私も、一度パモナ大学での集会に出て、アリからサインをもらったことがあった。

www.dongarlock.com/carl

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