保育科の学生に・オロオロ・いないほうがいいんだ・身曾岐神社・神楽太鼓・遠藤豊先生

保育科の学生に

保育科の学生に「夢を持たせる」授業をしても、現場で親サービスしか考えない園長、いい加減な同僚、子どもに無関心な親たちに出会えば、夢や「いい動機」は簡単に崩壊する。夢ではなく、生きがいを持たせるような授業をしないと感性のある子が壊れてゆく。一年目で精神的に壊れる保育士が増えている。

学生たちに、保育に関わる本質を語ろうとすれば、原点には「三つ子の魂の大切さ」が必ず顕われる。それほど012歳児との関わり合いは人間社会の土台だった。そして、雇用労働施策に取り込まれて保育が存在するという現実は、必ず学生に伝えなければいけないこと。

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授業が真剣なコミュニケーションの場になる工夫を多くの教師がしなくなってから長い年月が過ぎています。良くないコミュニケーションが双方向に人間の感性をなくしてゆく。養成校がビジネスになると、教える側も感性を持つことが辛くなる。保育界の現状と同じです。

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オロオロ

医大付属保育園で園長先生に聞いた話です。医者をやっている母親の中に、子どもが病気になってもオロオロしない人がいる、というのです。どんな病気かわかってしまうので、注射打って、薬を飲ませて保育園に連れてくる人もいる。そんな母親に「演技でいいからオロオロしなさい」と園長先生は言うのです。このオロオロが子どもの心に残るのです。

「子どもが病気になった時は、親子関係をつくる一番のチャンスです。こういう時に、心配そうに、そばに寄り添ってやって、ふだん欠けていた子どもとの時間を何倍にも補える」と園長先生は言うのです。

 

いないほうがいいんだ

いなかの田んぼのなかの公立保育園で講演しました。いいことをしようと思った町長が四つある公立園に看護士を一人ずつ配置してしまったのです。職員室で看護士がため息まじりに言うのです。

「私がここにいるから、園で子どもが熱を出しても親が迎えにこない。来ようとしない」

親は思うのです。「病気に素人の自分が、会社に頭を下げて、園に迎えに行って連れて帰るより、看護士がいる保育園に置いておいた方がいいでしょう」と。理屈としては合っている。正論です。ただし、熱を出している「子どもの気持ち」が、親に見えていない。看護士さんが心配するのはそこなのです。理性が支配し、感性が育っていないように感じる。

最近の子どもたちは、登園時に熱を下げるために親が貯めていた抗生物質で薬漬けになっている、ひょっとして男子の草食系化はこのあたりに原因があるのでは、という「不都合な真実」について話していたときです。看護士さんが怒って言います。

「小児科でもらってくる薬だったら、まだいいです。最近の親は内科で薬をもらってくるんですよ。内科。大きさが違います。しかも、それをちゃんと私に言わないから怖い」

薬事法違反みたいなことを、子どもを保育園に置いてゆくための手法、手段として、親たちが気軽にするようになってしまった。田んぼに囲まれた田園風景のなかで。

「私が、ここにいないほうがいいんです」

待機児童もいない田舎の町で、大人の都合で子どもたちがわけもわからずに薬を口にする。親を信じて口に入れる。それが小児科でもらった薬でないことが、この国の何かを決定してゆくことを看護師は知っている。だから怒っているのです。「あなた、私に何が言いたいの。子育ては専門家に任せておけばいいのよ」と言った厚生労働大臣の声が遠くで聞こえた気がしました。

看護士の「私が、いないほうがいいんだ」という思いが、やがて、保育士の「私が、いないほうがいいんだ」という思いになり、それがいつか子どもたちの「いないほうがいいんだ」という声につながってゆく気がしてなりません。

 

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先月、身曾岐神社・能楽殿で行われたイベントに参加しました。

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コンセプトは「新世界の始まりを寿ぐコンサート、そして祈り。」ということで、音楽は即興で、という不思議な集まりでした。

以前からディジュリドゥ奏者のノブ君からうかがっていた、神楽太鼓の石坂亥士(ガイシ)さんともセッションしたのですが、懇親会のあとで「またやりたいね」という話でもりあがり、次に演奏できる時が楽しみです。ガイシさんのホームページから

「バロン魂入れの儀式にて神楽太鼓奉納演奏」

https://www.youtube.com/watch?v=8kktah-N53A というのに行き着きました。

ノブ君もけっこう変わった人生やっていて羨ましいのですが、ガイシさんも負けず劣らずのようです。だから二人の音は、生き方で共鳴しグルーブするのだと思います。

フェイスブックに載っていたのですが、ガイシさんは自由の森学園の出身で、この学園を作った遠藤豊先生は、私の小学校の担任で、恩師です。自由の森学園をつくる直前に、遠藤先生に頼まれて、赴任する先生たちに講演したことを思い出します。

ガイシさんと演奏したら、どこからか、遠藤先生の笑い声が聴こえてくるかもしれません。何かつながってゆくものを感じます。

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石坂 亥士  和さんが、遠藤豊先生の教え子だったとは、ビックリです。

生徒も多い中、一人一人を気にかけて、見守ってくれていた、素晴らしい校長先生でした!

まさか、そんなご縁で繋がっていたとは!です。

このバリでの演奏も、奇跡の様でした。15分は、僕のソロの奉納の時間をいただいて、始めたのですが、数分後には、ガムラン楽団の演奏が始まり、まさに即興での奉納劇が展開されました。

この時の興奮は、忘れられません。

その興奮の再来となるであろう、和さんとKNOBさんとのセッションは、今から楽しみでしかたありません!

よろしくお願い致します。

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松居 和 遠藤先生の、生徒にとことん自分で考えさせる授業、定理をつくった人の苦しみ喜びを少しでも味わってほしい、という数学も素晴らしかった。六年生で、「電気」について一学期考えたんです。「電気は光る」から始まって自由電子まで。だから、自由の森の校長先生になってからも「自由」について二人で激論を交わしました。「先生は、自由という言葉に縛られている。解放されなければいけない」と私は言ったんです。

恩師であっても、それが言えるのが明星学園の教育でした。実は、自由の森の第一回の入学式で尺八を奉納演奏したんです。先生に頼まれて、心を込めて。

数年後、生徒たちにも講演をしたんですよ。

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音楽も保育・子育ても、祈り、祝うことがその中心にあります。

人間社会の両輪のような存在だと思っています。

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