謹賀新年、良い年になりますように

明けまして、おめでとうございます。本年も、どうぞよろしくお願い致します。

良い年になりますように。「子育て」の流れが、変わりますように。

「一日保育体験」と「読み聞かせ」が、この国の「感性」と「常識」を復活させますように。

一園ずつ、でいいのです。

年末に届いた、伊豆海こども園の「えんだより」、全国に配りたい。

政策論争など、どうでもいい。

現場の保育者たちの「意志」に、お願いするのが、いい。

大晦日に、更新した松居和チャンネル第50回、について、少し補足です。

保育界でもそうでしたが、子どもたちに対しての「常識」に欠けている教師を、雇わざるを得なくなっている。政府の母子分離政策で、人間は012歳児を母親から離さない、という「常識」が社会全体から失われていくことが、原因です。

それに、気づかないと、義務教育は、修復できない。

政治家たちが、いい事をしようとすると、往々にして、「意図」と「結果」が、食い違う。悪いことになってしまう。「子どもたちの願いと」政治家たちの「願い」が相反しているのだからそうなる。

体験的な「常識」を身につけていない人たちが、政治家になっていることが、子育ての現場を惑わせ、保育士不足が引き金になって、崩壊が始まっている。

政府は、いつでも預けられることが、「子育て安心」なのだ、と言った。意地でも、それを取り下げようとしない。「誰の安心なのか?」とマスコミも学者も問おうとしない。

そこまで言うなら、保育士や教師の質を整える「義務」が国にはあった。それが、全く果たされていないにも拘らず、まだ「誰でも通園制度」などと言っている。。

若者たちの「やる気」が、母子分離によって、消えていく。

石垣島の保育園は、ついこの間まで、四歳で卒園。五歳児は、一年保育の公立幼稚園に通っていました。その仕組みが、私は、不思議に好きでした。一年間の空白が親たちを育てた。それが、無償化を機に一気に変わった。

 

「園」単位で進める保育士体験で、「村」的な絆を耕し直す。

そして、「読み聞かせ」で、「家族」の意識を固め、一人ひとりが、その天命を知る。

この二つで充分です。

子どもたちが育っていく土壌を、耕し直していくしかないのです。

自然治癒力は、必ず、働く。日本は、いい国です。