松居和チャンネル、第47回は、
(テーマ)人類は、「連帯責任」で守りあう
副題:法律は十七ヶ条くらいで、あとは「常識」で鎮まるのがいい。
今回は、アメリカと日本の、「連帯責任」、責任の取り方の違いについて、ワシントン市長と、勝新太郎さんの事件を例に挙げ、面白い現象を説明します。
どちらも麻薬で逮捕され、ワシントン市長は捜査手法の違法性を訴え、開き直った。マスコミの批判で辞任しましたが、服役した後、選挙に出て当選した。
「民主主義」の怖いところは、正しいか、正しくないか、ではなく、利権争いで動くところ。
投票する過程で、倫理観ではないものが動いている。学校教育と民主主義が相容れなくなっている。それがアメリカ社会。そこに、日本人には想像もつかない「分断」がある。
一方、日本では、女優の奥さんが謝りまくった。この非論理的な連帯責任が、利権争いとは違った、「情緒的な次元で」動く。
私が、日本という国に、悪くなったとはいえ、希望を持てるのは、「夫婦」と同じように、「親子」という情緒的、本能的な概念に、倫理観の土台を求めることがまだ可能だからです。
法律は、本来、十七ヶ条くらいで、あとは、人々の情緒、「常識」で保たれるのがいい。それが人間社会の、本来の姿なのです。