以前、
「慣らし保育」における「ママがいい!」という子どものすすり泣きを「可哀想に」と思ってしまう元大学の教師に関して、投書と共に、私の意見を書きました。
保育を学問として捉えていた人が、現場で、子どものすすり泣きを聴いて、人として目覚める。嬉しい、投書でした。すると、Twitterの側から来た返信にこうありました。
「これが本当に現実です。保育園で、子どもが一番に覚えるのは『諦める』こと。なかなか諦めることができない子どもは、ずっとずっと泣き続ける。どうしても『可哀想』と思ってしまう。だから保育園を辞めました。」
人生の始まりに、「諦める」ことを覚えさせられる子どもたち。心ある保育者(人間)たちが、その風景に慣れることができず、辞めていく。
今、この国が進もうとしている道筋を象徴する出来事です。
西洋の学問と、東洋の祭り(哲学)が対峙しているように思える。まだ、チャンスはある。
午睡の時間にしのび泣く乳児クラスの男児に「頑張れ」と言うのは、人間性を逸脱している。「可哀想だ」と感じたら、それを口にし、周りを見渡す。人間社会は、そこから始まる。