北の街で/仏塔のともちゃん

 北の街へ講演に行きました。会場は、大きなお寺の本堂でした。

 古くはないですが、ちょっとびっくりするくらいの大きさで、人間の作った空間は大きさでじゅうぶんその神聖さや人間の意思みたいなものを表現出来るんだ、とひさしぶりに思い出しました。市長さんと教育長さんが最前列にすわっていました。それもまた私にとっては実感できる大切な「何か」でした。

 懇親会があって、二次会に誘われました。
 街の短い繁華街の、細い階段を登っていく倶楽部でした。倶楽部とかスナック、キャバレーとかバー、といった区別は、3年に一度しかそういうところに登ってゆく機会のない私にはわかりませんが、とりあえず倶楽部としておきます。横に、ドレスを着た女の人がすわりました。とてもなじみのある顔でした。にこっと笑いました。その人は、お寺の本堂の講演の時、真ん中に座っていた人でした。栗色の髪を仏塔のように積み上げていたので、自然に何回も目がいってしまい覚えていたのです。いいタイミングでおおらかに笑ってくれる人でした。
 アメリカで言えば3人に1人にあたる未婚の母なんです、と講演の内容にくっつけて、その人は、今日は空が青いですね、というような感じで私に言いました。友だちに会ったような気がしました。保育園でずっと役員をしているのだけれど、土曜日の役員会にはいつも仕事で出られないので、役員会の結果に同意しますという手紙を毎週書くんです、と元気に言いました。そして、色んな話をしました。
 その人は倶楽部のマネージャーで、バイトで働いている、昼間は保育士をやっている女の子が最近職場で悩んでいるので聴いてくれない?と言うので、いいですよ、と言うと電話をかけてさっそく呼んでくれました。保育士ホステスさんは、ちゃんと他の若手も着ているチャイナドレスに着替えて私の前にすわりました。わかっていたからかもしれませんが、その顔はどうみても上等の保育士さんでした。
 悩みは、1・2才児を見ているのですが、泣いているから抱っこしたいのに、先輩が抱き癖がつくからなるべく放っておくように、そして、まだあまり持てない子にスプーンを持たせたり無理に色々教えようとするんです、ということでした。母性が仕事とぶつかってしまっている、人間が専門家と摩擦をおこしているのです。これが、実はけっこう辛いのです。
 福祉の一番深い問題点を北の街で目の前に差し出されて、今夜は月がきれいですね、という感じの静けさで答えるのはなかなか難しいものです。私は10秒くらいゆっくり考えて、子育ての仕方は色々ある、それが親によって継続的に親も子どもも育ってゆくルールの中でだったらどちらの方法でもかまわないと思う、ただ、毎年育てる人が入れ替わったり、一日の中で複数の人が乳幼児に関わる状況の中でこうした子どもをみつめる目線に違いがあるのは本当はよくないのです、しかし、いまの仕組みにおいては必ず生まれる宿命のような根源的な問題ですね、と解説をしました。母性が仕事とぶつかった場合には、自分の母性を信じて下さい、とアドバイスしました。くれぐれも自分を変えないように。直感を鈍らせないように。私たちの会話を、横で市長さんが聴いていてくれたのが嬉しかった。こういう人間性と、人間の作った仕組みとの闘いの狭間に「保育」があるのです、そこで子どもたちが育っていくのです、という説明をしました。
 実は、講演会のあとにお寺で、私の人生にとってとても大切な小学校の時の同級生に会いました。おたがいに、なんでここにいるの?、という感じでした。こういう瞬間があるから学校は凄い、と思いました。あの時代に、駆け引きのない、利害関係とはかけ離れた人間同士の絆が生まれる。そして、それは一生続く。小学校でも、中学校でも、必ず私には一生考え続ける大切な人が必ず一人いました。子どもの頃で済まされない、それだからこそ人生の貴重な1ページになって残り続ける絆があるのです。取り戻すことはできなくても私の一部となっている瞬間があるのです。少なくとも私にとって、学校がなかったら人生はずいぶんつまらないか、厚みのないものか、強烈に運だよりになるか、心底ドキドキしないものになるような気がするのです。その人がそこに立っていてくれたおかげで、私は学校に一番自分が望んでいたことを思い出したのでした。その時の担任の佐伯先生が少し前に亡くなったと、その人が言いました。五ヶ月前に、佐伯先生のことをふとこのブログに書いたことを思い出し、彼女にそういいました。佐伯先生のクラスは特別だよよね、と彼女は笑いました。他のクラスを体験したことがないのに、私も絶対にそうだ、と頷きました。
 佐伯昭定先生、本当にありがとうございました。
20110411121656.jpgのサムネール画像

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