待たない園長先生の話

 以前、「待つ園長先生と待たない園長先生の話」を著書に書きました。

 先日久しぶりに、待たない園長先生の園で講演をしました。あの時書いた引き受けて8年目になる保育園は、親子全員でバスに乗って潮干狩りに出かける活気のある保育園としてすっかり定着していました。ところが、今度は幼稚園の方で、津波が心配だから潮干狩りは行かせない、という親がたくさん出て困っている、というのです。ここ三ヶ月の日本の状況を考えれば、そこまでは理解出来ないことではないのですが、他の園もそうしているから遠足の行き先は親が決めるべきだ、という要求が出てきて、親の代からもう何十年もそこで幼稚園をやっている園長先生、怒っていました。少子化で園児数が減り、政府の保育を雇用労働施策と位置づける方針で、保育界全体がサービス産業化させられようとしていることが伏線にあるのです。園長先生の苦労は続きます。親たちに手紙を書きました。園長先生が怒っている本当の原因は、親たちの要求ではないのです。親と園の関係が利害関係の方向へ変化していくことが心配なのだと思います。子どもは利害関係に囲まれて育ってはいけな。直感的に、園長先生が思い描く「親らしさ」を、こうした要求が変質させてゆくように思えるのです。子どもを育てる幼稚園という環境のどこかに、家族という選択肢のない、利害関係のない、育てあい育ちあいをするしかない、信頼関係に基づいた、しっかりとした絆を残したいのだと思います。


待つ園長先生と待たない園長先生の話

 

 公立保育園の民営化が進んでいます。公立保育園は公務員である職員が高齢化してお金がかかります。民営化すれば、お金をかけずに、しかも競争原理が保育の質を保つ、というのです。公立保育園の補助が一般財源化され、この動きに拍車がかかりました。しかし、いまある現実は、行政が「預かれ、預かれ」と言って、現場が「水増し保育」をして対応せざるをえないという状況です。

 公立の保育園を一つ頼まれて引き受けた園長先生の話です。仮にK園長としましょう。

 幼稚園や保育園は、園長先生の人柄と意識でずいぶん雰囲気が変わります。親の雰囲気も、子どもたちや保育士の雰囲気も変わります。この「雰囲気」が子どもの日常で大切なのですが、これが保育園によってかなり違うのです。保育園は人間が心をこめて日々を創造する場所ですからそれでいいのですが、公立の場合、園長先生が四、五年で異動します。一つの園に道祖神や地べたの番人が根づくことがむずかしい。その結果、親の要望が園の雰囲気を作ることがあります。

 K園長先生は、もと私立保育園の主任さんでした。子どもは子どもらしく、遊びを中心に園で楽しい時間を過ごさせたい、という保育観を持っていました。ところが、先生が引き受けた公立保育園が民営化されるとき、親たちが役場と掛けあって、保育のやり方を変えない、という同意書をとりつけていたのです。公立のときに入園した子どもが卒園するまでやり方を変えてはならない、それが権利だ、というわけです。役場は、とにかく公務員を減らし民営化を進めなければなりません。予算と議会決定のことで頭がいっぱい。園は子どもが育つところ、親心が育つところ、などという考え方は、彼らにしてみればおとぎ話のように思えます。親の要求を丸呑みしてしまいました。

 一人の園長が主のように存在する私立の園とは違い、公立の場合はどうしても親の主張が強くなります。保育園が仕組みとして扱われ、保育士が保育を「仕事」と割り切る傾向があるからです。そして、役所は「親のニーズに応えてください」と園長先生に言いつづけてきたのです。厚生労働省も「福祉はサービス、親のニーズに応えましょう」と言ってきたのですから、役所を責めるわけにもいきません。親も保育園を子育ての「道具」くらいにしか考えていないようです。親と保育士という一緒に子育てをする人が、「役場の窓口経由」で話しあうなんて、そうとう馬鹿げた状況です、文化人類学的に考えれば。

 「親のニーズに応えたら、親が親でなくなってしまう」という叫びを現場の園長から聞いたのがもう二五年も前のことですから、この役場と現場の意識の差がいまの日本の混乱した状況をつくっていると言っても過言ではないでしょう。親のニーズを優先するか、子どものニーズを優先するか、という視点の違いです。これは、人類の進化の方向を決定づける選択肢です。親の要望とニーズの第一が、この園の場合「しつけ」だったのです。大人の言うことをよく聞く「いい子」に保育園でしてほしい、と言うのです。こういう子どもを作ることは可能です。子育ての手法、目的としては楽かもしれません。しかし、これを集団でやるには子どもに対する「情」を押さえなければなりません。

 K園長はその園にきて、ああ、この子たちは萎縮している、かわいそうだ、と感じました。子どもが子どもらしいことは園長先生の幸せでもありました。同意書があったとしても、楽しそうなのがいい、無邪気なのがいい、という気持ちが勝って、そういう雰囲気を作ったのです。途端に、一部の親たちから文句が噴出しました。「子どもが言うことを聞かなくなった」と。

 子どもが言うことを聞かなくなるには意味があります。子どもたちには、親を育てる、という役割があるのです。

 園長はあきれ顔で私に言いました。「あと二年残っているの。二年すればみんな卒園して、それから本当の保育ができるの」

 モンスターペアレンツは、紙一重で「いい親」。いや、いい親だからこそモンスターになるわけですが、もしこのとき、彼女たちが、もう少し時間をかけてK園長先生の真心に耳を傾けるだけの心の余裕があったら。目を見つめ、親身さを感じることができたら、視点を変え、きっと親子で違った人生を送ることになったのです。役所の受付の人が一言、「こんどの園長先生は素晴らしい方ですよ」と笑顔で親たちに言ったなら、ひょっとすると、それだけで何かが変わっていたかもしれない。

 保育士がどんなにしつけても、しょせん五歳までの関係です。継続性がないのです。しつけを支える「心」は、子どもの幸せを願う心、子どもの発達をみつめながら自らも育っていく、育ちあいの継続性を持っていることが大切なのです。親が子どもをしかるとき、たとえ子どもが成人していても、親の記憶の中には三歳のときのその子が存在します。それが親子関係の意味です。

 一見「いい子」が小学五、六年生で突然おかしくなったりする原因の一つが、このあたりにあります。保育園と親たちの心が一つになっていない。大人の心が一緒に子どもたちを見つめていない。子どもたちが安定した幼児期を送っていない。親が子育てやしつけを保育園に頼りすぎると、子どもたちが言うことを聞かなくなるときがくる。親を育てる役割を果たせていないからです。そのときにはやり直しはきかない。人生の修行のやり方はいろいろですから、いつか親が真剣に子どもと向きあえば手遅れということはないのですが、お互いにつらいことになります。親がその子が幼児だったときのことをなかなか思い出さないからです。

 私はK園長の思い、そして人柄を知っているだけに、この人の真意を見抜けない親は、いったい何に駆り立てられているのだろう、何を急いでいたのだろう、と考えずにはいられません。「自由に、のびのびと、個性豊かに」なんていう教育が、こんな親を増やしたような気はします。

 いい園長先生の「心」を、立ち止まってしっかり見てください。子どもが幼稚園や保育園で楽しそうにしていたら、それを当たり前と思わないで、先生に感謝してください。私が説明しなくても、そうなるように、一日保育士体験を根付かせなければなりません。

 

 ある日、知人のお医者さんが悲しそうに言いました。患者が感謝してくれないんだ、と。ひどいときは、疑わしそうな目でみられたり、ほかの病院に行ってもいいんですよ、という表情をするのだそうです。いいことをしようと思って医者になった知人には、それが一番つらいことのようでした。

 病院があって、そこにお医者さんがいて、119番を回せば救急車がくる。それだけでも感謝することはできるのに、もう誰も感謝しなくなった。このままいくと、いつか日本もアメリカのように、お金か保険がないと医者に診てもらえない社会になるかもしれません。目の前に救える人がいるのに、お金がなければ救わなくなったとき、人間は進化するための人間性を放棄するのでしょう。

マイケル・ムーア監督のドキュメンタリー映画「シッコ」をご覧になってみてください。保険に入っていないからと、病院が患者を捨てる映像が映し出されます。いま先進国と呼ばれるアメリカの現実です。人類がシステムを作って人間性を失ってゆく実態です。背後にあるのは経済論です。

 

 幼稚園を二つやっていた園長先生が、役場に頼まれて保育園を一つ引き受けました。県議会議員もやっているので、行政の方針には協力しようと思ったのです。引き受けた保育園は、まったく行事をしない、親の言いなりになってきた保育園でした。四時間のパートでつないできた保育園です。園長先生は、そういう保育に慣れて気の抜けた半数の保育士を入れ替え、潮干狩りの親子バス遠足をやることにしました。ほとんどの親が反対です。行事なんてやったことがないのです。結束してボイコットしようとしました。最近の寂しい親たちはこういう馬鹿げたことで団結するのです。子どものためではなく、自分の権利(利権?)のために結束するのです。自分たちの保育園が、新しい園長先生の保育園になってゆくのが嫌なのです。許せないのです。

 「なんでバスで行かなければならないのか、自家用車で行きたい」と言う親がいました。

 園長先生は「だめです。みんなでバスで行くのです」

 「じゃあ、行きません」

 もう、子どもの遠足なのか親の遠足なのか本末転倒、むちゃくちゃです。

 参加者が半分に満たなかったために、最初の年、園長先生はバス代をずいぶん損したそうです。でも、そんなことではめげません。親たちに宣言します。

 「私は絶対に変わらない。それだけは言っておきます。あなたたちが変わるしかない」

 わずか三年で、親子遠足全員参加の保育園になりました。親も楽しそうな、子どものための保育園になりました。

(「なぜ 私たちは0歳児を授かるのか」国書刊行会より)


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