園長は父親をウサギにする権利を持っている

 私は保育園や幼稚園に講演に行きます。保育参加、子育ての意味、この時期の大切さを説明します。そして、現場の風景から多くのことに気づきます。先日、講演に行った園では親たちの参加を増やすため、私の講演とお遊戯会を組み合わせていました。子どもたちに可愛い芸を仕込んで舞台にのせると、お父さんたちもビデオを持って集まってきます。お父さんを前にして、子どもたちの一生懸命な演技が終わると、間髪を入れず、私の講演に移るのです。逃げる時間はありません。

 講演のあと、続きのお遊戯会があって、お父さんたちが「ウサギ」にさせられていました。

 保育士たちが、手ぬぐいに長い耳を縫いつけた簡単なウサギのかぶり物を用意しておいて、私の講演が終わると、「ハイ、お父さんたちは、ウサギになってくださ〜い!」と言って手渡します。

 すると、お父さんたちはウサギになるしかないのです。

 そして、お父さんたちが変わる。保育園でウサギにさせられたら、誰だって少しは変わる。手ぬぐいを使ったかぶり物ですから、顔の部分は見えます。

 引きつった顔でいやいやかぶったお父さんも、三分もすればちゃんとウサギです。経済を中心にした競争社会で固まっていたお父さんたちのこころが溶け出す。それを見て一番喜んでいたのがお母さんたちでした。

 幼稚園や保育園という魔法の場所には、「お父さんたちをウサギにする権利」が与えられている。私はしばらく感動していました。何か凄いものを見た気がしました。人類の平和につながる糸口を発見したような気がしました。

 最近学んだことの中で、これは一番の学びでした。

 この権利は、いつ誰から与えられたものだろう。宇宙から与えられた権利にちがいない。だから強い権利です。最近「権利」と呼ばれる物のほとんどが「利権」である場合が多い中で、しかし、これは絶対に「利権」ではない。この権利だけで、子どもが安心して幼児期を過ごせる環境を勝ち取る闘いに、はたして勝てるだろうか。

 勝てるかもしれない、と私は思います。お父さんたちも実はウサギになりたかった。それが私にはわかるのです。幼児たちを眺めること、そして一体になることは、人間たちに、この宇宙に不公平はないという意識と感覚を与えるのです

 昔、男たちは年に2、3回「祭り」の場でウサギに還っていました。自分の中に3歳だった時の自分が生きていることを確認していたのです。目標とすべき自分が、心の中にいることを知って人間は生きていくのです。人生は自身を体験することでしかない。

 数週間経ち、園長や保育者が握っている「父親をウサギにする権利」について考え、行き着いた結論は、「人間は幼児という神様、仏様、絶対的弱者の前では、正しい方向に進むしかない。たとえそれがウサギになることであっても」というものでした。それは宇宙が人間のために用意している目的と重なるように思えました。

 父親をウサギにして母親が喜ぶ。これがいいのです。母親をウサギにしてお父親が喜ぶ、これでは駄目です。

 子どもたち、という神様が見ていますからね。


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