テレビで、ズービン・メータがN響相手にベートーベンの第九を振っているのを見ていて、ふと、ジョーンズ夫人のことを思い出した。
ジョーンズ夫人は、有名な建築家クインシー・ジョーンズの夫人だった。クインシーは南カリフォルニア大学の建築学部の学部長までつとめた建築家。アジア、特に日本の建築や文化を愛し、「格子」が好きだった。彼の作品のひとつUCLAのリサーチライブラリーは「格子」がテーマになっていると思う。アジアを旅して彼が描いたスケッチには、人間たちがお互いの人生を引き継ぎながら長い年月を重ねて磨いてきたセンスに対する憧れと尊敬があった。
私が、建築家の友人を通してジョーンズ夫人と知り合ったころ、クインシーはすでに他界していた。(A.Quincy Jonesで検索すると彼の作品がたくさんでてきます。)
ジョーンズ夫人は、家具デザイナーのチャールズ・イムズ夫人と中がよかった。ちょっと不思議な凸凹コンビだった。なぜか私は色んなイベントに呼ばれたが、いつも二人は一緒だったような気がする。ジョーンズ夫人はもとジャーナリストで、おしゃれなインテリな感じがしたが、イムズ夫人はいつも自然に飛んでいた。ジョーンズ夫人が目を輝かせ、、ちょっと大人びた中学生で、イムズ夫人が何にでも驚く小学生、という感じだった。
最近、震災の状況を心配してロサンゼルスから電話をかけてきた大事な友人から、ジョーンズ夫人が亡くなった時のことを聴いた。100歳近くになっていたはずだ。
サウスセントラルの病院で亡くなったという。サウスセントラルと言えば、ロサンゼルスでも治安の悪い地域だった。なぜ、最後があそこだったのかわからない、と彼女は言った。もっと、良い病院に入っていてもいいはずだと思ったそうだ。
訪ねた時は、一人で、ほとんど意識はなく、ただ看護婦が最近インド人が一人訪ねてきた、と教えてくれたそうだ。
「ラタンだと思う」と友人は言った。
「そうだね」と私も電話口でうなずいた。
ラタン・タタは、ひょっとするといま世界中で一番のお金持ちなのかもしれない。インドのタタ財閥のトップだった。物静かな、誠実な人で、顔立ちがちょっとズービン・メータに似ている。(Ratan Tataで検索すると出て来る。)
ラタンは、仕事でロサンゼルスに来ると、必ずジョーンズ夫人の家に泊まった。大きな白い納屋を改造した家で、自分が設計した家ではなく、納屋を改造して住んでいたところがクインシーらしかった。ラタンはクインシーのファンだった。クインシーが他界した後も、デッサンがたくさん飾られている納屋によく泊まった。
32年前、ジョーンズ夫人とラタンは、友人と私が住んでいた家に夕食にきたことがあった。大学を卒業したばかりで、イーグルロックという治安の良くない地域にみすぼらしい家を借りて住んでいたのだが、二人はやってきた。夕日の入る家だった。そこで、友人がカレーを料理した。ラタンは、そのインド式のカレーを少しはにかみながら食べたように思う。
あの夕暮れの時間は確かにあそこにあった、と近頃考える。
人の交流は不思議な点で結ばれる。ラタン・タタがサウスセントラルの病院にジョーンズ夫人を訪ねたことは、誰も知らないのかもしれない。