「愛着障害」と「母子分離政策」

火曜日です。

松居和チャンネル、第34回をアップしました。今回のテーマは、「愛着障害」と「母子分離政策」。副題が、「育ち」が問われている(クローズアップ現代から)、としました。

グレーゾーンの判定のみならず、診断や、量刑の判決において、発達障害から一歩踏み込み、「愛着障害」に言及すれば、「育ち」を問うことになる。乳幼児期の子どもにとって、それは主に「母子関係」であって、「女性の社会進出」という言葉とぶつかる。

それ故に躊躇し、「育ち」に踏み入ることを避ければ、見て見ぬ振りが、やがて「仕組み」を限界に追い込む。今回、取り上げたNHKの「クローズアップ現代」のスクリプトを読めばわかるように、それは既に十年以上前から言われていたこと。当時、すでに限界は、来ていた。

「ママがいい!」という叫びに、マスコミや行政が耳を塞いでも、仕組みの崩壊がここまで進むと、少子化対策に名を借りた「雇用のための母子分離政策」の正当性を、問わざるを得なくなる。

これ以上、教師や、保育者を犠牲にするわけにはいかない。「愛着障害」は、子どもたちの罪ではないし、責任でもないのだから。

「雇用促進のための母子分離」に正当性はない。「動機」が悪い。

「生活のため」であれば、仕方ない、としても、「仕組みに、母親の代わりはできない」。

男女平等やジェンダーフリーという、人類未体験の「仕組み論」に「現実味」はない。子どもを優先しないことによって、欧米では、男女間の一層の分断と、格差が生まれた。半数近い子どもが、未婚の母親から産まれるという、社会現象にそれが現れる。

欧米から「遅れ」を指摘される「平等論」を捨て去る「余裕」が、日本にはまだあると思う。世の中は、平等でないから美しい。そこから生まれる、「利他」の幸福論を主体に生きるのが、いい。

宮沢賢治、芭蕉、世阿弥、トトロも、もののけ姫も、ドラゴンボールも、その道筋を、当たり前のように、示している。人々の「支持」は、まだ、そこにある。

第20回で述べた、「男女平等125位、先進国中最下位、順位落とす」という現実は、欧米の「欲の資本主義」に対抗する、この国の主張です。「順位を落とした」ところに、女性たちの、子どもを守ろうとする「意志」を感じなければ、経済も「子育て」の段階から崩れていく。

講演先で、耳を傾けてくれる母親たち、体育館の床に座って聴いてくれる中学生たちから、私は、この国の文化でもある、その「意志」を感じる。

子どもを、可愛がっていれば、それでいい。150年前に、西洋人たちが見た日本に、世界の混沌への答えがある。

『私は日本が子供の天国であることをくりかえさざるを得ない。世界中で日本ほど子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない。(モース)』(「逝きし世の面影」渡辺京二著)

(次回は、アメリカの大統領選の真相、そこで起こっている「父親像」の喪失と、それを巡る闘いについて話します。)

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