私たちは、決断しなければならない

ここ数十年、幼児たちの本当の「価値」が徐々に忘れられ、「ママがいい!」という叫びに無関心になるよう、政府やマスコミが、経済優先の誘導を続けてきました。

豊かになり、選択肢が増えたのかもしれませんが、結果的に児童虐待と、不登校が過去最多になっている。保育士や教師を有資格者で確保することが、不可能になっている。

「ママがいい!」という子どもたちの叫びに真剣に耳を傾けるのか、「保育園落ちた、日本死ね!」と言う親たちの要求を優先するか、「選挙や、利権争いの枠を越えて」、私たちは、決断しなければならない。それが、この国の、道筋を決める。

いまこそ、「誰もが幸せになれる方法」を思い出すべきなのです。

 

選択肢があることが、いいこと、という概念のもとに、義務教育は普及しました。

しかし、選択肢がない、親は子どもを選べない、子どもは親を選べない、という条件が「親を」育てないと、義務教育は成り立たない。

そこに、先進国社会に共通した落とし穴がありました。

欧米で、急速に家庭崩壊が広がった「原因」と、その「結果」が、すでに義務教育の「仕掛け」自体にあった。

「自分は、一人では生きてはいない」という自覚の中で、人間は、会話をする。そして、宇宙の、ルールを体感する。

宇宙の中には、必ず、012歳児がいて、山や、川や、海、大自然が景色としてある。

その中に、「子守唄」という、不思議な役割を果たすものさえ、ある。

西伊豆で。

ありがとう。