松居和チャンネル 第71回、(テーマは)「無償化」の罠、で
副題は、『人間は、相手の「心持ち」と、会話する』、です。
・「現代の保育の無償化、授業料無償化…等々、それを子育て支援と言っている政策が、少子化に歯止めをかけることに繋がるのでしょうか」という質問が来たのです。
私の答えは、
「つながりません。それはみんな知っているんです。特殊出生率が、突然、2.5になっても、分母になる母親の人口が減り続け、男性の生涯未婚率が三割では、どうしようもない。今の子育て支援策は、それを知っていて、少子化による労働人口の減少を、三歳未満児を持つ母親を働かせ補おう、とする政策です。弱者を「人間」と見る姿勢、思いやりがない。
ただ、それでは、ますます保育や教育の質は落ちていく。落ちていくというより、人材不足の問題が、一線を越え、決定的になる」。
同時に、「生きる力」や「意欲」を社会全体が、失っていく。それが今、起こっていること。
自分が豊かになりたい、という「意欲」より、子どもの「幸せ」を願うことの方が、人類を強くしてきたのです。だから、家族という形が成り立ってきた。
次世代を育てること、が「生きる」こと、そのものだった。
「無償化」は、次世代に対する「責任」の所在を曖昧にし、結果的に、幼児たちの「存在意義」が不明瞭になっていく。特に、経済学者たちは、生産性がないように見える「幼児」たちを、重荷と位置付け、「子育てを楽にしてやれば、子どもをもっと産むだろう」という、愚策に走る。
その稚拙な「理屈」を維持するために、保育学者が「子育て」を誤魔化し続けたから、大学の保育科や専門学校が、一斉に定員割れし、潰れていった。
保育士や教師がいなくなる流れを作っておきながら、三歳未満児の母子分離を辞めようとしないのですから、学者の考えることは、どう考えても理論が破綻しているのです。
「無償化の罠」や、「女性の社会進出」という、数分考えれば、「??」と思う言葉で「洗脳」を許しているのは、「学問に対する信仰」でしょう。
以前、経済財政諮問会議の座長をしていた有名な経済学者が、「0歳児は寝たきりなんだから」と、私に言ったことがある。そこに、人間性が欠如した「学問」を感じ、寒々とした気分になりました。彼らは、日常的に幼児を体験していない。体験に基づかない「言葉」を喋っている。
子育ては「親の責任」という本来の道筋に返すこと、それに、予算を使えばいいのです。使い方は、「ママがいい!」に書きました。自民党の厚労部会でも、少子化対策委員会や党大会でも、講演しました。
今の、無償化は、親心を「損得勘定」に引き入れようという、政治家のやったフリ。税金を使った「選挙対策」に過ぎない。そして、子育てで儲けようとする連中の、市場原理崇拝の「罠」だと思う。
東京都では、すでに、あちこちで0歳児保育が定員割れを起こし、待機児童はほぼいない。それなのに、学校教育で教師不足が一気に進み、来年は、全国の小学校で、担任のいないクラスが現れるはず。
予期しないスピードで、コミュニケーションの「質」が落ちている。子どもたちの「心」が満たされない。親たちの「利他の心」が育たない。これでは学校教育は成立しない。
一緒に育てているのに、人間関係を「利便性」や、「利権」で計る道筋が、「無償化」です。
昔、親たちは、園長の「人柄」と会話していた。
その不自然な日常が、「いじめ」や「不登校」という形で、義務教育を通し連鎖していく。
人間は、常に、相手の「心持ち」と、会話をする。
言葉の向こうにあるものと会話する。そのことを、乳幼児期の「子育て」から学んでいたのです。
(Amazonの「ママがいい!」に対するレビューから)
「エレベーターのボタンを自分で押せただけで、嬉しそうで、満たされた顔の我が子が尊く、光のようでした。なぜ、そう感じさせるのか、言葉に表せない幸せがこの本に書かれています。」