「不登校児童の少ない小学校」

松居和チャンネル第46回のテーマは、「人生の道筋がすっきりと見えてくる」瞬間。

副題が、「不登校児童の少ない小学校」です。

講演に行った、ある小学校、不登校児童が少ないのです。津々浦々講演に行きますが、どこでも一割が不登校。学校に対する強烈な不信感が全国に広まっていて、石垣島でもそうでした。政府が母子分離をすれば、こうなるのです。

その向こうに、「行きたくない子どもたち」が、二、三割居て、我慢している。その我慢が、一番怖い。精神的な後遺症になったりする。小学校時代のPTSDは、高校生になって爆発したりする。

その小学校は生徒が二百五十人でしたから、二十五人不登校でもおかしくないのですが、九人です。

すでに話題にもなっていて、訪れる人もいる、と校長先生が言っておられました。

その小学校は、特別支援学校と同じ敷地内にあって、小学生が、そこの中学生と交流している、それがいいのではないか、と女性の校長先生が言うのです。

その小学校へ、卒園児たちが行く幼稚園の園長先生、保育園の園長先生、そして校長先生と私。四人で夕食をしながら話し合ったのです。特別支援学校と小学校が交流する意味について。こんな組み合わせがいい。卒園児たちのことを、いつも心配している園長先生たちも、しきりに頷く。

講演会前後の懇親会は情報を交換し合う、お互いにとっての学びの場で、私も楽しみにしています。その晩も、垣根を越えて、会話が弾みました。

先生が、一対一とか、一対二で、いわゆる「グレーゾーン」の子どもに授業をする特別支援学級とは違い、特別支援学校は、もっと重度の、肢体不自由児とか、知的の問題とか、中学生であっても、先生にすれば二歳児三歳児を教えているような、一人一人みんな違うので、一律には言いにくいのですが、例えば、今日教えたことを、明日は覚えていない、ような子どもたち、身動きが取れない子どもたちがいたりする。

その子たちと交流をしていると、不登校児童が減る。小学生に「生きる意欲」が生まれてくる。私が、「幼児との交流」が人間には必要、と言っている趣旨と同じなのです。

012歳児が、人間性の土台を育てる、「生きる力」に関わるような「働き」が、一人では生きていけない中学生たちにあるのではないか。

そこで人間は、「常識」を手に入れるのだと思うのです。