「子育てしているフリをする人」に対する子どもたちの怒り

「子育てしているフリをする人」に対する子どもたちの怒り

 (「ママがいい!」、ぜひ、読んでみてください。読んでくれそうな人に薦めてください。賛同できない論旨があっても、保育という仕組みと学校教育がこれ以上持ちこたえられない、という「からくりの崩壊」と、その背後にあった強者の身勝手な論理は理解してもらえるかもしれません。)

「先生」と名のつく人をまったく信じない、始めからその人を疑っている子どもがクラスに一人居れば、学級崩壊は起こります。他にも数人いる大人を信じない予備軍たちの引き金を引いてしまう。

あの子さえいなければ大丈夫だったのに、何とかやり過ごせたのに、と思っても、次々に「あの子」たちが現れる。担任が、その理不尽さに追い詰められていく。

突然、先生の言うことを断固として聞かなくなる。白といえば、黒、右といえば、左、拒否の仕方が尋常ではない、理屈がまったく通用しない子が現れているのです。優しい「いい先生」に対してもそう。母親の言うことは聞く。勉強もできないわけではない。

この現象に、「子育てしているフリをする人」に対する、子どもたちの怒りを感じるのです。

彼らの短い人生で、いつ、反発や悲しみが、絶望や怒りに変わったのか、人間不信が決定的になったのか、誰も知りえない。その「誰も知り得ない」ことが許せないのだろう、と思います。

誰も責任を持たない、責任を共有できない仕組みの中で育ってきて、決定的な負の「記憶」が行き場を失い彷徨い始めている。

幼い頃にあった、「先生(保育者)」によって行われた、たった一日、たった数分の、「有ってはならない」出来事を一生抱え、苦しみながら生きていく子どもたちがいる。(場合によっては、その子たちが保育士や教師になって陰湿なイジメを繰り返す。義務教育という仕組みの中で、親が絶望的になる瞬間が増えている。教師不足という足かせで、校長先生もそれを止めることができない。)

愛そうとした人に繰り返し裏切られた体験を心に(PTSDとして)刻まれ、強者によって弱者が苦しめられる光景を「子育て」の原風景として見続けた子どもたちが、相当数、学校にいる。その中から、救われることさえ求めない子どもたちが現れている。

熱意と努力ではどうにもならない、「傷の記憶」を共有できない子を数人受け持ったら、幼児期を知らない担任にはどうしようもないのです。もし、担任がそこで努力をやめ、人生を諦めてしまえば、その子たちの存在は周りの子どもたちの人生をも変えていく。

義務教育が諸刃の剣になろうとしている。

保育士の虐待「見たことある」25人中20人 背景に人手不足、過重労働…ユニオン調査で判明(東京新聞):https://sukusuku.tokyo-np.co.jp/hoiku/8494/

この状態がいまだに続いているのです。

それから四年、先日も、「トイレ閉じ込め…:娘の心に傷。保育園、数は増えたが」(朝日新聞)という記事が載っていました。この状況を幼児に強い続ける限り、予算を増やして待遇を良くしても、保育・教育における人材確保はもうできないし、質の低下は続いていくのです。

学級崩壊という現象で、子どもたちが何を「伝えようと」しているのか、よく考えてほしい。質より量の、政府の馬鹿げた「子育て支援」「社会で子育て」施策が、その根本にあることを見極めてほしい。

「社会で子育て」を主張してきた「保育の専門家」は、それでも、作り過ぎで定員割れを起こし経営が危ぶまれる保育施設に関して、新聞のインタビューに答えて言うのです。

保育園の数を増やし待機児童がなくなったので「一定の成果はあった」。「家庭で子どもを育てることに不安や疲れを感じる人たちにも、保育が必要になってきている」、「保育園の柔軟な活用が求められている」と、更なる規制緩和を提唱するのです。

彼らの言う一定の成果、「保育園の数を増やし待機児童がなくなった」ことの陰には、無資格でも保育ができ、パートで繋いでもいいという、幼児たちの記憶を細切れにする規制緩和があった。補助金で誘い、幼稚園を保育園化する動きがあった。十一時間保育を標準と名付け、子どもの側からは「成果」と呼べない、母子分離の推進があった。

幼い兄が妹と、姉が弟と、過ごす権利が奪われていったことなどには、誰も目もくれない。兄弟姉妹という一生の「縁」が、この時期に結びつくことの大切さを、誰一人言わない。その時、何が失われていったのか、想像力を働かせる者たちはほぼ皆無だった。

「こんなのは『子育て放棄支援』です」と保育士たちが憤った、国による保育界の良心の破壊が、その「成果」の陰にはあった。

その上での「柔軟な活用」は、いま以上に保育をサービス産業化していくだけ。「こども家庭庁」が、保育学者とサービス保育の生き残りのため、票集めに子どもたちの日々を犠牲にした政治家たちの延命作戦の場にならないことを祈ります。

「教員不足深刻、潜在教員活用へ(文科省)」読売新聞

https://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyoiku/news/20220713-OYT1T50181/

潜在保育士を掘り起こせ、と厚労省が動いた時、行政主導のマッチメイキングで、集まった園長設置者の方が潜在保育士より多かった閑散とした会場を思い出します。なぜ、心ある人間が「潜在保育士」になってしまうのか理解していない。資格があれば保育ができると思っている「保育の専門家」たちが、親の意識の変化が問題の根底にあるとわかっていない。

「ママがいい!」という言葉に目を背けているかぎり、流れは変わらない。

教師不足も止まらない。

 

 

姉弟

 

「幼稚園でもらっためずらしいおやつ、

こうちゃんにもあげたかったの」

お姉ちゃんがそっと小さな手を広げると

にぎりしめたワタアメが

カチカチにかたまっていた

 

「ひかりちゃんがいないと、つまんないわけじゃないよ

ただ、さびしいだけ」

私と二人だけの部屋で

弟は たどたどしくうったえた

 

人間は

かたわらにいる人を 愛さずにはいられない

幼い子供から それを教わる

 

by 小野省子