諏訪の御柱祭
諏訪の御柱祭を茅野で見ました。
涙をこらえながら見ました。女性の木遣り歌に、子どもたちの木遣り歌がかぶさって、男たちに気合いを入れる。この辺りでは、歌うと言わずに、泣く(鳴く?)と言うそうです。
男たちが、丸太(御柱)にまたがって、おんべを振りながら、女たちと子どもたちに見守られて、合図と共に斜面を落ちてゆく。
神々の前で、男たちは時々、自分の中に4歳だったころの自分が居ることを確認しなければならない。砂場の砂で幸せになれたことを憶い出し、幸せは自分の心持ち次第、と憶い出す。
?女と子どもに見つめられ、丸太に乗って落ちてゆくだけで、幸せになれることを確認する。
人間は、こういうことをしなければいけない、と思いました。
茅野市とは長いお付き合いで、7年に一度の御柱祭も、元行政アドバイザーという肩書きで招待していただきました。
時々思い出すのは、一日保育士体験を市の全ての保育園で始めて二年目のこと。園長・主任先生たちと、市役所の会議室で年に一度の報告と質疑応答をしていた時のことです。
1人の主任さんが「保育士も、一日保育士体験するんですか?」と私に訊いたのです。幼稚園が一つしかない市ですから、保育士も預け合っています。しばしば親の立場でもあるのです。
すると間髪を入れず、1人の園長先生が「それはそうでしょう。子どもが喜ぶんですから」とおっしゃったのです。
通じている、と思いました。嬉しかった。みんなで、ひとつ何かを越えたのです。
子どもがよろこぶことをする、それがすべての始まりなのです。
茅野市のこと、そして保育士不足
(ふと思いついて、「茅野」で自分のブログを検索すると、色んな思い出が出て来ました。三年前のブログからです。今の保育界の状況はすでに予測できたのです。((2013年2月24日) http://kazu-matsui.jp/diary/2013/02/post-190.html)
講演の前後に園長、役人と必ず話すこの国の一番危険な状況。
「保育士居ないですよね」
「はい、困っています」。
「悪い保育士、辞めさせられないですよね」園長先生の顔が一瞬顔が強ばり、ゆっくり深く頷く。認めてはいけない、しかし認めざるを得ない。子どもたちの顔が目に浮かびます。実は横にいる役所の人も知っています。園長が何度も頼んだからです。「あの保育士は現場に居てはいけない」と。でも、待機児童を増やすわけにはいきません。
「その風景を見て、いい保育士が辞めていきますよね」じっと私を見つめる目が必死に訴えます。もう無理ですよね。
一日保育士体験は、親に見せられる保育をする、という保育士たちの宣言です。品川の公立園長が「こういうのを待ってました」と言ってくれた時は嬉しかった。いま全国で、派遣でつなぐ保育が増え、資格だけ持っていて心のない保育士を雇わざるをえない状況に現場が追い込まれています。役場から定員超えの要求がありほとんどの園で一割増の園児数。
そして親たちの心ない批判。(理にかなった批判ももちろんあります。)
あちこちで、親に見せられない保育に現場が追い込まれ始めている時、品川の園長たち、茅野の園長たちの言葉は嬉しかった。親心の喪失に歯止めをかける方向に動くことが出来れば、まだ保育士たちを「生き甲斐」でつなぎ止めることはできます。。
茅野の園長主任と2年目に入った一日保育士体験について話合った。嬉しい報告を全員からもらいました。父親参加が3割を越え、信頼関係が出来る、モンスターが止まる。時にはこの時とばかり粗捜しをする親もいます。「そういう親は室町時代でもいたですよ」と言うと大笑い。
「子どもが喜びますよ!」そう繰り返すことで、子どものための保育園だと親たちも気づけば、保育士たちの元気が還ってきます。
これだけ現場を追い込む施策が続くと、一日保育士体験で生まれる親の感謝の気持ちで保育の質を保つしかない。
子育ては技術ではない。人間が心を一つにすること。
やがてそれが学校教育を支えることを信じ、子どもたちの、「親を育てる,人間を育てる」力を信じ、一人の園長が決心すれば出来ること。保育指針という法律に、保育参加と書いてある。でも、「子どもが喜びますよ」を繰り返す。
午前中に茅野市長と懇談し、午後所沢の保育園で講演。市長が聴いてくれて、そのあと夕食。保育士がいない現状を話す。市長が、保育が親心を軸に老人介護までつながっていることを理解してくれるとありがたい。
乳児が屋根の下にいるだけで、家の気配が変わる。幼児が横に座っているだけで人類はいい人類になる。それを市長が理解してくれれば、なんとかなるはず。